泣き虫少女と無神経少年

柳 晴日

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第2章

シロツメクサの願い事

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「そうだ。今日はリナリアに会ったよ」
「....リナリアに?」

 父フレディの言葉にダイアナは驚き、小さく目を開く。フレディはソファーに深く沈み、葉巻の煙をぽっと吹いた。ローテーブルを囲うように配置されたソファーに腰をかけているアイザックは「ああ」と頷いた。

「すごく美しくなっていて驚いたよ」

 はにかむアイザックに苛立ちを覚えたダイアナは必死に表情にださないようにこらえた。
 アイザックの言葉にフレディも葉巻を咥えて同調した。

「ああ、本当に。輝かんばかりの美しさだった。アイザック、後悔してないだろうな?」
「はははっ!後悔なんて....」

 愛想よく笑う婚約者の瞳が少し泳いだのをダイアナは見逃さなかった。

「ふふ!嫌ですわお父様!アイザック?浮気なんてしたら許さないわよ!?」

 茶化して笑うが、ダイアナの心には嵐が吹き荒れていた。彼女の様子など気づかずに、アイザックはへらりと困ったように笑う。フレディが壁掛け時計に目をやり、立ち上がる。

「私はこれから会食があるのでね。アイザックはゆっくりしていきなさい」
「ああ、僕も今日は帰ります。騎士見習いはなにかと雑用が多いので」
「そうか。頑張りなさい」

 フレディがアイザックの肩を軽く叩いて鼓舞するのをダイアナは暗い瞳で見ていた。

 ドアが閉まり、二人の気配が遠くに消えていく。ダイアナはメイドに「お母様は?」と問う。

「マティルダ様はご婦人方とお夕食をとられるとのことで...」
「そう」

 古株のメイドは眉を下げる。ダイアナは冷めた瞳で無表情に階段を上っていった。豪華な装飾が施されている白い手すりをするすると撫でながら絨毯を踏みしめる。今日、アイザックが来ると聞いて用意していたパールのボタンが上品な紺のワンピースも白のパンプスもリナリアの美しさの前では霞んでしまう。

 自室のベットに沈みこみ、ダイアナは感情の読み取れない眼差しでシャンデリアを眺めていた。

 両親とおやすみやおはようを交わせたのは数えられる程度で。
 一緒に食卓を囲むなんて習慣はうちにはない。
 だから衝撃だった。幼い頃にリナリアの家へ泊まりに行った時、その時はまだ生きていたリナリアの母はふっくらとしたパンを焼き、トマトソースがよく合うナスのラザニアを用意してくれた。決して豪華ではなかったけれど、愛情の匂いがする料理はとても美味しかった。
 リナリアの母親と父親、それにリナリアと食べるご飯はそれはもう本当に楽しくて。これが団欒なのかと驚いた。
 リナリアの母親が亡くなった後はランドンさんが料理を作っていて、リナリアの家へ泊まりに行く度にまずい料理を振る舞われたけれど、

「お父さん、これ火がとおってないわよ」
「ええ!?おかしいなぁ...ちゃんと炒めたつもりだったんだけど...。ごめんね」

 ランドンさんが眉を下げ、リナリアが笑う。
 リナリアの家は相変わらず温かかった。

 私にはないもの。決して手に入らないもの。
 ただ羨ましかった。
 リナリアの美しさも最初は自慢だったのに。
 いつからこんな感情を向けるようになったのだろう。

 いつの頃からか二人で並んで歩いていても、通りすぎる人の視線はリナリアを追っていた。私を町長の娘だからとおべっかを使う街の大人達の関心もすぐに彼女へと移る。

 母がある時、なんでもないことのように言った。

「リナリアみたいな可愛い子が娘だったらさぞ自慢でしょうね」

 母にとってはなんの意味もない言葉だったのだろう。でも、それは確かに私の胸を貫いた。

 いつのまにかリナリアのあら探しをしている自分に気がつく。それがとてつもなく嫌だった。
 心が、風景が渇いたものに変わっていく。

 誰か私を見て。
 <私>に声をかけて、<私>の心を知ろうとして。
 たくさんの人が私を囲むのに、私はいつも独りだ。




「素敵なドレスだね。君によく似合っているよ」

 十歳の誕生日パーティーで幼馴染みが中庭のベンチに座る私に声をかけた。
 私の誕生日だけど、主役は父だ。「おめでとうございます」「素敵なレディになられて」と声をかけられたのは最初だけで、街の有力者達は父に覚えてもらおうと必死になっていた。

 自分の誕生日に思い入れなんて、なにもない。
 湿気が多い季節で頭が重いし、綺麗なドレスを着られるのは嬉しいけれど、いろんな大人と話さなければいけないのはつらい。だって皆、私ではなくて父を見ているのだもの。

 アイザックは私の隣に腰かけて、「子供はつらいね」と微笑んだ。
 彼の家も似たような状況なのかもしれない。

「僕は大人になったら騎士隊長になる。そうしたら、僕は僕の心の赴くままにいろんな所へ行けると思うんだ。その時は、ダイアナも連れていってあげる」

 彼の幼い夢が込められた言葉は私の心の琴線を震わせた。久しぶりに渇いた感情に水が与えられた。

「うん....。つれていって...」

 ぽろぽろと泣く私の手を包んで、アイザックは真剣な顔で頷いた。本当の騎士のように。

 彼がいてくれるから大丈夫。そう思っていた。



「君がダイアナの親友のリナリアかい?」

 リナリアが私の家へ遊びに来ていた時、アイザックは彼の父親に連れられて来た。大人同士の話があるからと私の部屋にメイドに連れてこられた彼はリナリアを目にして頬を染めた。

 だから会わせたくなかったのに....。

 やっぱりあなたもリナリアが良いのね。

 アイザックに期待した分、裏切られたショックが大きかった。

 リナリアも日に日にアイザックに惹かれていくのが分かる。
 育ちの良い彼は街の子供たちに比べると上品で大人だった。

 叫びだしそうになるのを我慢する。
 リナリアにひどい事を言いそうになるのを我慢する。
 アイザックに裏切り者と言うのを我慢する。
 母親に私を見てと言うのを我慢する。
 父親にもっと私とお話してと言うのを我慢する。

 我慢。我慢。我慢。

 箱の中に閉じ込めた悲しみや怒りの感情は今にも爆発しそうに日々膨れていく。



 春の花の香る穏やかな風の中、家の庭園に咲くシロツメクサで花冠を編みながらリナリアははにかんで笑って言った。

「私はダイアナみたいになりたいわ。明るくって、楽しくって。憧れだわ」

 ぶちん。

 私の手の中で花が散った。

 唐突に何かが頭の中で弾けた。

 「力を入れすぎよ」と笑うリナリアの声は耳を通りすぎて風に消える。掌でくしゃくしゃになった白い花びらを虚ろに眺めた。

 どうしてリナリアばかりなんでも持っているのだろう?
 どうして私にはなにもないのかしら?

 そうか。そうなんだわ。

 リナリアが持っていってしまうから、私には何も残されていないのね。

 だったら、ひとつずつ返してもらわないと。
 だって幼馴染みだもの。だって親友じゃない。
 いいでしょう?いいわよね?
 私ずっと苦しかったの。つらかったのよ。
 私みたいになりたいのでしょう?


 だったら、いいわよね?




 雨がしとしとと降り始めた。
 暗い部屋でダイアナの瞳が鬱々と開かれている。
 赤い口紅を引いた唇がうすく開かれ、彼女の頬を一筋の涙が伝った。

「かえしてよ.....」

 ダイアナはベットに身を預けたまま瞼を伏せた。





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