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第2章
誇りとプライド
しおりを挟む「誰やあんた」
「私はダイアナよ!よろしくね!」
「はあ?おい!アミナ!どういうことやねん!」
離れた席に座るアミナはびくっと肩を揺らした。
「その、ダイアナさん、シオンとお話してみたいんだって....」
「なんやそれ!?アミナがどうしても言うから来てやったっちゅーのに!知らんでこんなやつ!」
初めてシオンを見かけたカフェで一緒にお茶をしたいと駄々をこねたダイアナの要望に応える形でリナリアがアミナに頼み、アミナは商店街の人達とサッカーへ行きたがるシオンを必死に説得してなんとか設けられたこの場だが、早くも破綻しそうである。
「まあまあいいじゃない!あのね、この前ここに来てたでしょ?格好いいなあって思ってたのよ」
ダイアナがにっこりと愛想を振り撒く。
「お?まあ当然やな」
誉め言葉は素直に受けとるシオンはうんうんと頷いた。
その様子を離れた席で見守っているアミナとリナリアはほっと胸を撫で下ろした。
「単純で助かったわ。私達も注文しましょ」
「うん」
注文したケーキセットを待ちながら、アミナはそうだ、とリナリアに話しかけた。
「あの」
「うん?」
ぼーっと疲れたように窓の外の景色を眺めていたリナリアはアミナに顔を向ける。
「その、き、今日は眼鏡なんだね。あと、おさげ、可愛いね」
緊張しつつもはにかむアミナにリナリアは「.....ありがと」と困ったように笑った。
「こ、この前、ポット・ロンシャン先生の本を借りていったでしょ?私もポット先生の本はよく読むから印象に残ってて……」
「そうなの?」
どこかぼんやりしていたリナリアの瞳がぱちりとアミナに焦点を合わせた。アミナは「うん」と嬉しそうに頷いた。
「ち、小さい頃は、“一番星を探して”っていう、冒険小説がすご、く好きで....。女の子二人がし、幸せを見つけに街を飛び出して行くの。二人とも勇気があって、優しくて、明るくて....憧れたなぁ」
テーブルに置かれたハーブティーを一口飲み、アミナはふふっと懐かしそうに柔らかく笑んだ。リナリアはアミナの話を聞き、テーブルに重ねて置いていた白い手をきゅっと握った。
「私も、その小説すごく好きだった....!」
勢いだった。普段何事も深く考えてから言葉にするリナリアには珍しく、ときときと跳ねる鼓動のままに話に食いついた。
「何度も何度も読み返したわ。ケイとユウカみたいに、自分の力を信じて道を切り開いていけるようになりたいって、憧れたわ。いつかあの二人みたいに冒険に出たいって、何度も父に話したりして」
久しぶりに新しい空気が喉を通っているような気がした。爽やかで、軽い風が肺を巡る。
手を合わせてうんうんと笑うアミナの瞳は輝いていて、それが更にリナリアの口を軽くした。
楽しい。
女の子と話していてこんなに楽しいって思えたのは本当に久しぶりだわ。
頬を上気させて盛り上がる娘二人に向けられる店員や他の客の視線は暖かく、「楽しそう。いいわねぇ」と羨ましがられるほどに二人は本当によく話が合った。
“一番星を探して”の好きなシーン。
悲しかった場面。
ケイの好きなところ。
ユウカの好きなところ。
ポット・ロンシャンの小説で他に好きな作品。
読んでみたいと思う本。
楽しくて楽しくて。
始めこそ緊張していたアミナだが、リナリアと話していくうちに徐々に緊張も解けていき、初めて同年代の女の子とリラックスして話すことができるようになっていた。
リナリアは優しかった。
まだ抜けない癖でアミナが言葉をつっかえてもなんでもないことのように受け取って微笑んでくれる。
聡明なのだろう。リナリアの言葉は明快で分かりやすく。ユーモアがあって知識が豊かで。
それはリナリアにとっても同じだった。
幼い頃から本が友達だったアミナの知識量は修道院の女生徒達よりもはるかに多く、控えめな主張と柔らかい話し方は好感がもてた。
リナリアと友達になりたい。
またこうしてお喋りがしたい。
アミナ...この子なら....。
信じても大丈夫....?
「あの」
「ねえ」
二人が同時に口を開いたその時、ダイアナの金切り声が店中に響いた。
「なんでよ!!!??」
アミナとリナリアは驚いてダイアナとシオンがいる席へと目を向けた。ダイアナが真っ赤な顔をしてシオンを睨み付けていた。
慌てて二人のいる席へ向かうが、シオンは欠伸をして「そろそろ帰るか」と呑気に言った。
状況が読めず狼狽えるアミナは「え?え?」とおろおろと手を左右に振る。
待って、シオンまだ動かないで、と首も振って伝える。彼は物凄く不満そうに舌を出したが、とりあえずは動かないでいてくれるようで、アミナはほっと胸を撫で下ろす。
こんな状況で帰ろうとしないでよー...。
唇を噛み締めてシオンを睨み付けるダイアナにリナリアが「どうしたのよ?」と冷静に問いかけた。
「こいつ....!」
わなわなと震える指でシオンを指差す。
「こいつ、私の話を断りやがったのよ!!」
「当たり前やろがい」
シオンはへっと鼻で笑う。
「なんで俺があんたの親父の会社で働かなあかんねん」
「あ、あ、あ、あんたねえ!分かってないでしょ!?うちの会社の給料とあんたんとこの給料でどれだけの差が出ると思ってるの!?うちに来た方が得だって言ってんのよ!これを断るなんて、あんた実は馬鹿ね!?」
「けっ!」
ガタッとシオンは勢いよく席を立ち、バンッと金をテーブルに叩き付けた。テーブルにヒビが入り、アミナは顔を青ざめさせた。
女の子になんてこと…!
ああっ!?ヒビが入ってる!修理代、今あるお金で足りる!?
急いで財布を確認し、冷や汗をたらすアミナなど気にもせず、シオンは怒りの籠った紫の瞳でダイアナを睨み付ける。迫力のある様に恐怖を感じたダイアナはびくっと体を震わせた。
「あんたが男やったら一発その顔にブチ込んどったところやで。どこで誰と働きたいか、誰とおりたいか、そんなんは言われて決めることやない。俺が決めることや」
「なっ....なに...」
「行くで」
シオンは店員に土下座しそうな勢いで謝っているアミナの腕をつかみ、店を後にする。アミナは閉じそうな扉の間から、店員に向かって必死に声を張り上げた。
「ぜ、絶対に弁償します!また来ます....!」
アミナとシオンが出ていった店内はシーンと静まり返っていた。
客同士がさわさわと話し出す。
「あの子、町長の娘だろ....?」
「結構ヒステリーなのね」
「甘やかされてるんでしょ。お金持ちの娘だもん」
「婚約者がいるってのに、お嬢様はやりたい放題だなぁ」
「ふっ。フラれてるし。ウケる」
テーブルの上のダイアナの拳がブルブルと震えている。怒りと屈辱で顔を真っ赤に染めた彼女をリナリアは冷めた表情で見つめていた。
だから言ったのに。
仕方ない子ね。
放って帰るわけにもいかず、リナリアはダイアナに声をかけた。
「ダイアナ...帰ろう」
「..........」
「...ダイアナ?」
返事がない幼馴染みに身を屈めて声をかけた彼女の胸ぐらを強い力でダイアナが引っ張った。
「っ!?なに!?」
「......リナリアァ.....」
低く呻くような声にリナリアの頬を冷や汗が伝う。
こうなったダイアナがリナリアは何よりも恐ろしい。心臓がぎゅうっと冷えたような気がした。
鬼のような形相でダイアナがリナリアを睨む。
「あんたのせいだからね.....」
「シオン!待って!シオン!......っは、はぁっはぁっ待ってってばぁ!」
スタスタとアミナの腕を引いて早足で歩くシオンをアミナは息を切らしながら小走りで追いかける。
万年運動不足の少女にはシオンの早歩きのスピードでも軽い運動になってしまう。
シオンがピタッと足を止めてアミナを振り返る。唇を尖らせ、アミナをじとっと睨む。
「なんやったんや。今日のは」
「.....ごめん。ちゃんと説明するべきだったね...」
カフェにシオンを連れてくることばかりに集中してしまって、ダイアナの説明は後回しだった。
商店街の人達と約束があったみたいだし、悪いことをしたな....とアミナが反省していると「俺が他で働いてもええんか?」とシオンが拗ねたように唇を尖らせた。
アミナは驚いて首と手を振る。
「ちがうよ!!ただお茶してお喋りしたいってことだったから....!まさかスカウトされるなんて......!」
アミナの必死な弁明に嘘はないと判断したシオンは「落ち着けや」と彼女の頭を軽く抑えた。さらさらした柔らかい空色の髪が彼の指を撫でる。
「あの女、俺と恋人っちゅーやつになりたかったってことか?」
名残惜しく離したアミナの髪は昼下がりの陽射しに溶けるように風に流れる。彼女は「う....ん。...たぶん...」と慣れない類いの話に気まずそうに返した。
それにシオンが眉間にぐっと皺を寄せてアミナの額を力強く指で弾いた。
「っ!いったぁ!?」
白くて丸いおでこに赤い跡がじんわり広がる。涙目の彼女を置いてシオンはバス停に走り出した。
「分かってて会わせたんやろ!?それが一番ムカつくんじゃアホボケナス!!!」
「なっなす!?」
アミナは慌てて彼の後を追いかけた。
「なんでそんなに怒るのー!?」
ひいひいと遅い足で必死に走るアミナを振り返らず、シオンは空に叫んだ。
「そんなん分からん!!分からんけど腹がたってしゃーないんじゃー!!!」
夕食時、不機嫌そうに、けれどガツガツと食事を頬張るシオンにアイリスが海老とブロッコリーのチーズドリアをスプーンで掬いながら呆れたように言った。
「あなたねぇ、折角アミナが作ってくれてるんだからもっと味わって食べなさいよ」
「.....(ガツガツガツ)」
無言でドリアを頬張り続けるシオンにアミナが眉を下げた。
「私が悪いの...」
「なにがあったのか知らないけど、男は器が大事よ?いつまでもカリカリしないの」
「うっさいわ!胸のあたりがムカムカするんや!」
「だから詰め込めるだけ詰め込もうって?もうやめなさい。お腹痛くなるわよ?」
「ガキ扱いするなや!」
呆れたように宥めるアイリスにシオンがスプーンを振り上げ怒る。それまで黙って食べていたリーフはカニの出汁の効いたスープに舌鼓を打ち、ほんわかと笑った。
「うまい。今日は市場まで行ったんじゃろう?」
アミナはアイリスの手のひらでころころと転がされているシオンを気にしつつ、リーフに頷いた。
「うん。イヴェール通りの海鮮市場に行ってみたの。朝早くに行ったのは初めてだったけど夕方よりも種類が多かったよ」
アミナはほくほくと今朝の戦果を語る。イヴェール通りはセゾニエールの東に位置している船着き場のある区域のことだ。船着き場ということでその周辺には漁師が多く住んでおり、農場も近いことから、イヴェール通りの市場は海鮮市場や野菜市場などが開かれており、毎日が祭りのように賑わっている。
これまでは近くの市場やスーパーでアイリスやリーフに付き合ってもらい食材を調達していたアミナだったが、一人での買い物が苦ではなくなってからは時間に余裕のある時はイヴェール通りの市場に足を伸ばすことも増えた。深夜に近い早朝の薄暗い空の奥に眠る青を今にも引っ張り出しそうな市場の活気ある雰囲気が彼女は好きだと思った。
それに現地直送ということもあり、プランタン通りでのスーパーで調達するよりも魚介類や野菜はイヴェール通りの市場の方が安い。バス代を払ってもこちらの方が安くすむので、そこもアミナのお気に入りポイントであった。
リーフがにこにことドリアを口に含む。
「うん。うまい」
幸せそうに食事を堪能する様子に毒気を抜かれたシオンは肩の力をゆるゆると落とした。
「....俺もそのイヴェール通り?に連れてけや。あんただけずるいわ」
穏やかな表情に戻ったシオンにアミナは安心して微笑んだ。
「うん!一緒に行こう!」
パソコンのキーボードをすらりと長い指でカタカタと打ち込むアイリスは、エンターキーを押し、そこに表示された数字に溜め息をはく。
「なんとか黒字....だけど、本当ギリギリだわ。あそこの壁の修理もしたいし、....だいたい図書館に割く予算が少なすぎるのよ。今の代の町長に変わってからケチくさくなったわよね...。うちも書籍販売を企画して収入を増やす?.....いやいや、そうするとリーフさんの誰にでも同等に学ぶ権利を、の主義に反する……?相談してみないと。考えてみる価値はあるわ。...アミナ。ずっとそこにいるけどどうしたの?入っていいのよ?」
「.........」
そろりと扉の隙間から顔を出したアミナは「....えへへ...なんでもないの...。遅くまでおつかれさま...あの、何か淹れようか?」と眉を下げて笑みを浮かべた。
アイリスは肩が凝るのだろう。右肩を揉み、「いいの?コーヒーお願いできる?」と微笑んだ。
コーヒーフィルターにお湯を細く注ぐと、ふんわりと挽いた豆が盛り上がりキッチンに香ばしい香りが広がる。
「......頼めないよねぇ....」
アミナは溜め息をつき、頭を抱えた。
「どうしよう...テーブルの修理代...」
うう、と呻く。アミナの頭を誰かが優しく撫でた。ふわりと香るフリージアの甘く上品な香りにアミナは顔を上げた。
「.....アイリス?」
「何か様子が変だと思ったら....。修理代って、なに?」
翌朝、リビングで正座させられているシオンは腹を鳴らしていた。その前には仁王立ちのアイリスが彼を見下ろしている。
「外で乱暴な振る舞いをしないように口を酸っぱくして言ったつもりだったけど、分かっていなかったようね」
「あ、あいつが悪いんや!胸糞悪いことばっか言うんやで!」
「人のせいにしないの」
ぐうー、ぐるるー、とシオンの腹が鳴るので見守っていたアミナは「そろそろ二人も朝ご飯食べようよ...」と控えめに提案した。
ぱっと瞳が輝いたシオンにアイリスがピシャリと先手を打った。
「甘やかさないの」
「....ぐぬぅ...」
眉間を寄せ、唇を尖らせるシオンの前にアイリスが白い封筒を差し出した。
「なんやこれ?」
不思議そうなシオンにアイリスはあっさりと言う。
「あなたがヒビを入れたテーブルの修理代よ」
「......え?」
ぽかんと目を丸くする彼と目が合うようにアイリスはしゃがんだ。
冷静と慈愛が共存する瞳で彼女はシオンに語りかける。
「アミナが自分のお金でなんとかしようとしていたわ」
シオンの目が見開かれる。
「それをあなたは望む?違うんだったら、きちんと周りを見れるようになりなさい。感情のままに力に頼っていたら守りたいものも守れなくなるわよ」
「.......」
「このお金は、あなたがお店の人に渡しに行きなさい。誇りをもって生きていきたいのなら、謝るべき時に謝れる人になりなさい」
アイリスが立ち上がり、シオンに手を差し伸べた。
「さ、朝ご飯にしましょう」
シオンは促されるままにアイリスの手をとった。
「....この金は、働いて返す...」
「すまんかった」
アイリスは彼の頭を撫で、笑った。
「親代わりだからね」
照れてむっつりした表情を保とうと眉間に皺を寄せるシオンにアミナやアイリス、リーフがなんでもないことのように「おいしいね」「うまいのう」と柔らかく微笑む。
優しく流れる時間が彼の心をほどいていく。
少年はいつの間にか大口を開けて笑っていた。
目の前には切り刻まれた教科書が床に散らばっていた。
それらを震える指で繋ぎ合わせていく。
力がうまく入らなくて、テープがぐちゃりと歪んだ。
そんな彼女を窓の外から眺める赤い髪の男。
リナリアはぱたぱたと涙を床に溢しながら懸命に元に戻そうと歯を食いしばっていた。
ここしかないのよ。
私の居場所はここしか。
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