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第2章
リナリア
しおりを挟む街路樹の植わっている道の横を小型の車がブウン、とエンジンを鳴らし通っていく。
長い冬を越えてようやく花開く時を迎えた桜は誇らしげだ。アミナはカフェへ向かう道の途中で出会えた素晴らしい桜並木をうっとりと見上げながら微笑んだ。その横を歩くシオンは初めて見る桜にというよりも、その数の多さに驚いていた。
「すごいね!桜の花びらがすっごく綺麗!」
「地面も空中もうっとうしいわ。おわっ口に入った!」
ぺぺぺ!と舌を出すシオンにアミナは「もうっ」と桃色の唇をつきだした。しかし目的の場所が見えてくると、アミナの関心はそちらへ向かったようだった。「あった!」と小走りで駆けていくアミナの後ろをシオンはデニムパンツのポケットに両手を突っ込んでその後ろ姿を目を細め追いかける。
淡い黄色の壁に鮮やかなオレンジの屋根。屋根には煙突がちょこんとついていて、大きな窓から見えるレースのカーテンは品が良い。店へと続く煉瓦の道にアミナの乙女心がきゅんきゅんと刺激された。
「シオン!早く早く!」
教会から出た時の暗い顔などなかったように弾けた笑顔で笑うアミナにシオンは呆れたように笑った。
「はいはい」
「ね、入るよ?開けるよ?」
「はよ開けんかい!」
せっかちなシオンはアミナの後ろからぐい、とドアを押した。ベルがチリン、と鳴り店員の「いらっしゃいませー!」と明るい声が届いた。店内に入ったシオンは自分をまんまるの目で見つめるアミナに「なんや?そんな男前か俺?」とふっと笑う。アミナは手を自分の頭から勢いよくシオンの額に当てた。ゴツッとシオンの額から鈍い音。
「あだ!?こら!なにするんや!」
アミナは手を構えたまま「伸びてる?」と真顔で問いかけた。シオンが眉間に皺を寄せて「はあ?」とアミナを睨む。シオンの怖い顔などすっかり慣れてしまったアミナは意にも介さず、ぷう、と頬を膨らませた。
「背が伸びてる!」
「ほんまか!?」
シオンは嬉しそうに自分とアミナの上を手で交互に測った。
「おお!アミナよりでかなった!」
満面の笑顔になるシオンにアミナは不満そうだ。
「同じくらいだったのに。シオンずるい…」
「もっと伸びるでぇー」
うしし。ご満悦で笑うシオンの横でアミナは「私もアイリスやオリビアさんみたいに背が高くなりたいなぁ…」と自身の平均的な身長を踵を上げて伸ばした。
「お待たせしましたー!」
店員に案内され席に着くアミナとシオンをじっくり見つめる四人の女の子。彼女達は修道院の制服に身を包んで、ケーキを片手に主にシオンの方を見つめていた。
「男よね?」
「うん……。男、だわ。綺麗な顔…」
ほんのりと頬を薔薇色に染め、鳥のように娘達はさえずる。そして続いてシオンの前に座るアミナの方を測るような目付きで舐めるようにじっとりと見つめた。
横顔しか見えないが、透けるような白い肌に蕾のような小さな唇。形の良い細い鼻。大きなくりくりとした空色の瞳。瞳と同じ色の柔らかそうなゆるやかな癖毛を二つに結んだ毛先はつるん、と痛みが見当たらない。短い前髪をまとめているエメラルドグリーンの髪留めがアミナをより彩っていた。
桜の妖精のような彼女の容姿に四人の内の一人であるダイアナは目尻の上がったきつい印象の目の下をぴくりと震わせ、無理矢理口角を上げた。
「......ふ、ふうん。普通じゃない?ねえ?」
「う、うんうん!てか、ダイアナの方が可愛いよお」
「そうだよ!なんてったってダイアナは修道院一の美少女なんだから!ねえ!?リナリア!」
ダイアナを筆頭に他の二人も便乗する。リナリアは飲んでいた紅茶をかちゃりとソーサーに降ろし、目を反らして頷いた。
「.....そうね」
リナリアは細いフレームの丸い眼鏡をくい、と直して、口角を上げる。ダイアナが探る眼差しで自分を見ていることに気づいているリナリアは両手を合わせて、声を高くした。
「ダイアナより可愛い人なんて、きっといないわ!」
他の二人もそれに便乗するようにぴちゅぴちゅと小鳥が歌うようにダイアナを褒める。
「そうよダイアナ!綺麗で可愛いなんて、ずるいわ!」
「しかも癒し手としても有望なんて……ああ!神様!この世はなんて不公平なのでしょう!」
ダイアナは満足気に小鼻を膨らませると、恥ずかしそうに顔を両手で覆った。
「や、やめてよっ!そんなに褒めても何も出ないわよ!?」
「うふふ!照れてるのダイアナ?」
「可愛い~!」
三人が笑い合うのをリナリアは微笑んで見守っていた。眼鏡の奥に冷めた瞳を隠して。
昨日と同じように穏やかな風が開いた窓から流れ込んでくるのを図書館の受付カウンターに座るアミナは鼻をすん、と鳴らして感じていた。
桜の花びらがカウンターに添えたアミナの手の甲に落ちる。アミナは微笑み小さなそれを摘まむと目の高さに掲げた。ふ、と目の前に影がかかった。
「アミナちゃん、お疲れ様。本のお届けに来たよ」
「あっ!ノウレッジ書店の店主さん!わざわざありがとうございますっ....」
アミナはほったらかしにされてぼさぼさになっている金の髪を後ろで無造作に結び、鮮緑の瞳を細めた四十代の皺を口許に刻んだ男性に立ち上がってお辞儀をした。
図書館の本の仕入れ先であるノウレッジ書店の店主、ランドンは「いえいえ。こちらこそ、お世話になっております」と片目を閉じてウィンクをした。低いが明るさの篭る声にアミナはほっと息をつく。
「おお、ランドン。いらっしゃい」
本を抱えたリーフが微笑んでランドンを迎える。
「リーフ殿。ご希望の本を揃えましたよ。いやいや、リーフ殿の審美眼には驚かされます。あなたが発注された本は後で必ず在庫が足りなくなりますからね」
「ほっほっ。伊達に長く生きとらんからのう」
リーフが髭を撫でて目尻に皺をつくる。ランドンは「ああ、そうだアミナちゃん」とアミナを振り返る。
「今日は私の娘も付いてきているんだ。歳はアミナちゃんの一つ上の十六歳。たぶんどこかで本を物色していると思うんだけど.....」
ランドンは本棚の並んでいる方に目を凝らすが、「だめだ、見えない」とアミナに視線を戻した。
「もし会ったら、よろしくね。臆病だけど、良い子だから」
アミナは「は、はい....」と戸惑いつつ頷き、本棚の方を眺めた。
同じ年頃の同性の友達ができたことのないアミナは期待で少し胸を踊らせた。
リビングのダイニングテーブルに座るランドンはアイリスの用意したコーヒーを啜り、「うぅん」と唇を舐めた。
「さすがアイリス女史の淹れたコーヒーはうまい」
アイリスはランドンのお世辞に慣れたように、ふふ、と笑った。
「どうもありがとうございます」
ランドンは「本当にうまい」ともう一口飲むと、「しかし変わりましたね」と微笑んだ。
「アミナちゃん。本当に良かった。うちに仕入れに来るときなんかは、いつもリーフ殿やアイリス女史の後ろに隠れてうつ向いて。まるで感情を出すことが罪なのだと言わんばかりに。同じ年頃の娘がいるから、より一層心配だった」
リーフは湯気の舞う深藍色のマグカップを両手で包み、瞳に慈愛を滲ませた。
「儂はただ見守ることしかできんかった。アミナの心の傷が少しでも癒えるのを、ただ待つことしかできんかった。......前に進もうとする勇気をアミナにくれた子が現れたんじゃ。その子はこれまでの月日など無かったように、アミナの世界を開いてくれた」
ランドンは「なるほど。救世主だ」と笑むと、「でもリーフ殿?」と眼鏡の奥の瞳を細めた。
「あなたが傍で見守り続けてきたからこそ、その子が現れた時にアミナちゃんは立ち上がる力を持てたんだ。彼女の額に光るあの髪留めも、きっと彼女を支える力になる。私はそう思いますよ」
リーフは目を少し開くと、そっと細めた。
「世界が開いていようと、道が目の前にあろうと、アミナが見ようとしなければ見えなかったじゃろう。あの子は長年もがき苦しみながらも、再び目を開き立ち上がる勇気を持つことができた。なんと誇らしいことか」
リーフの言葉にランドンは目尻を和らげて頷く。彼は瞼を伏せ、「.........あの娘もまた、そうなると良いのだけどな.....」と独り言のような小さな声をテーブルに落とした。
アイリスと受付を交代したアミナは、返却された本を並べた木製のカートを本棚の横に移動させた。
カートの上に本をジャンル別、著者別に並べていく。最初にこうして整理しておくと、効率よく本棚に戻すことができるのだ。一冊の本を手に取ったところで、横から声がかかった。
「あの、すみません」
鈴の鳴るような、芯のある凜とした声だった。
「は、はい」
いまだに他人と話すことに緊張を覚えるアミナはどきりと跳ねた心臓を隠すように、落ち着いた声音で返すように努めた。横を伺うと、そこには人形のような美しい少女がこちらを、というよりはアミナが持っている本に目を向けていた。
「その本って、返却されたものですよね?借りたいのですけど、いいですか?」
伏せた金の睫毛が窓から零れる日射しできらきらと透けてなんとも神秘的で、緑のリボンで高めの位置に結ばれた豊かな金髪は胸の下まで艶やかに垂れ下がる。リボンと同じ色の大きな瞳は陽に透けて硝子玉のよう。
アミナは童話のお姫様がそのまま飛び出してきたような少女にぽうっと見惚れて彼女の声が耳に入っていないようだった。
少女が知的そうな眉を寄せてアミナに声をかける。
「ねえ、ちょっと、聞いてます?」
少女の尖った声にはっと意識を取り戻したアミナは「あっ。す、すみません....!」と頭を下げた。そのまま手にしていた本を少女に差し出し「どうぞご利用ください....!」と顔を真っ赤に染める。
「真っ赤だけど、大丈夫?」
少女が驚いたようにアミナに問うと、アミナはわたわたと両手を顔の前で振った。
「す、すみません!あなたがとても綺麗で可愛いので、その、」
アミナはもじもじと下を向き、両手を握りしめた。
「す、素敵ですね........!リボンもとてもよく似合っているし、」
顔をトマトのように染めて一生懸命な様子で声を振り絞るアミナをぽかんと眺めていた少女は、しばし黙り、「....ええと、」と片手を頬に当てた。
アミナはいきなり変なことを言ってしまい困らせてしまったかもしれない、と不安になりそっと顔を上げて少女を伺う。
少女は確かに困っていた。頬を桃色に染めて、ゆるく握った拳を唇に当て、瞳をきょろ....と所在なさげに動かし、ちらりとアミナを見る。
「.....あ、ありがと...」
困ったように笑う少女にアミナの胸はきゅん、と掴まれ、自分で思うよりも早く口が動いていた。
「わ、私っ…ア、アミナって、いいます」
少女はきょとんとアミナを見つめ、勢いにおされるように薔薇色の唇を開いた。
「私は、リナリアよ」
「リナリア....さん...」
アミナは少女の名前を口の中で反芻すると、しっかりと覚えた。アミナの柔らかそうな少し下がった眉と照れたように顔をうつ向かせながら伺うようにリナリアを見る丸くて邪気のない瞳が少女に安心感を与える。
リナリアはこの図書館職員と少し話してみようと、彼女にしては珍しく、初対面の人間に自分から話をふってみようと思った。
「アミナは、何歳なの?ここで働いているのね」
「は、はい。最近は受付もよくやっているんです。...ええと、二月で十五歳になりました!リ、リナリアさんは、おいくつなんですか?」
面接のように緊張した表情で生真面目に答えるアミナにリナリアは笑って「十六歳よ。アミナの一つ上ね。あと、さんはいらないわ。学校の先輩じゃないんだから。リナリアって呼んで。敬語もやめて」
リナリアの言葉にアミナの顔がぱっと明るくなる。
「う、うん!あ、あの、リナリア?」
「うん?」
アミナがもじもじと指を絡ませて遊ぶのをリナリアは眺めながら彼女に話の続きを促した。
「ほ、本が、好きなの?」
「........」
リナリアは即答できなかった。幼い頃だったら、なんのてらいもなく言えたはずなのに。いつからかリナリアは自分の言葉を声にする前に、よく考え、吟味する癖ができていた。
今回はどうしよう....とリナリアはアミナを見る。少し緊張したように動きがそわそわと落ち着かなく、きょときょとと視線を左右に動かしながらリナリアの言葉を辛抱強く待っている。
その様子にリナリアの強ばった背中からすとんと力が抜け落ちた。
「.....ええ。好きよ」
久しぶりに素直な気持ちを声にした彼女は、しかしその事実に気がつくことなく、冷静にアミナの反応を伺っていた。
「わ、私も本読むのが好きでっ.......あの、あの、もし、よかったら....」
瞬間、リナリアの心にすうっと冷たい風が吹いた。
なるほど。共通の趣味で私に取り入ろうってわけね?友達ならいるし、もうまっぴらなのよ。上澄みだけさらって言葉を交わす関係は。
リナリアは意図的に口角を上げた。
「ごめんなさい。父が来たようだから、もう行くわ」
実のところ父親の姿など見えていないのだが、リナリアはアミナにそう言うとさっさと図書館を出ていってしまった。
「あ……」
リナリアを向こうへ隠した扉に手をあげたアミナは、そっとその手を下ろした。そして、彼女が借りたいと言っていた本を見つめ「....借りなくてよかったのかな...?」と呟いた。
図書館を囲む煉瓦の塀の前でしゃがみこんだリナリアはぼんやりと薄い水色の空を眺めていた。白く軽そうな雲を通る風が緑の香りをリナリアに届ける。
「こら。お嬢さんがこんな所にしゃがみこんで。行儀が悪いよ?」
リナリアが横目で声の主を視界に入れた。
「お父さん」
「本は借りたのかい?」
立ち上がりロングスカートの皺をぱんぱんと払うリナリアにランドンはにこやかに話しかける。リナリアは首を振った。
「ううん。修道院の図書館で借りるからいいわ」
「修道院の蔵書だと偏りがあると言っていたじゃないか」
「いいのよ」
目を伏せて諦めたように笑うリナリアにランドンはこの子はいつからこんな表情をするようになったのだろう、と彼女を見つめた。
「ダイアナちゃんとは今も仲良いのかい?」
薄く口を開いて、何か言おうと動かしたがきゅっと閉じてしまった唇をリナリアはまた再度開けて「......うん。うまくやっているわ....」と返した。
うまくやっている?リナリアの言葉に違和感を覚えたランドンだったが、何故か暗い表情の娘に明るい話題を、と笑顔で話した。
「そうだ!アミナちゃんに会ったかい?」
「...え?....ああ。会ったわ。やっぱりすごく可愛い子だったわ」
「やっぱり?」
「この前カフェで見かけたのよ」
「そうだったのかい」
ランドンとリナリアの前に春の風に巻き込まれた桜の花びらがひらひらとじゃれつく。ランドンはその可愛らしい花片に目を細めた。
「アミナちゃんは聖の言望葉使いなんだそうなんだけど、なぜかアストライアに仮登録の状態らしい。力が不安定だから、毎日言望葉の練習をしているようだよ」
「.......そう、なの...」
リナリアの表情が沈んだことにランドンは気づかず、話を続ける。
リナリアは心にじわりと薄墨が広がるのを感じていた。
私も立派な癒し手になって、冒険するのよ!
幼い頃の自分の声に彼女は眉を寄せて首を振った。
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