君を守るため、今日も俺は君を壊す

蒼崎 旅雨

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一章

研究室

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 俺は今、神崎かんざきあきらの研究室にいる。
 
 外の白色灯とは違い、この部屋のライトは暖色に近い色をしていた。研究室といっても、ここは普段神崎が机仕事をするための部屋なのだろう。
 
 10畳くらいの部屋に、壁一面に書類や本の入った棚が並んでいる。そのせいか、部屋に入った途端、なんとも懐かしいような匂いがした。きっと古い紙の匂いだろう。
 
 入って左の奥に、普段神崎が使っているだろうデスクがあった。
 デスクの上はパソコンと、その左にタブレットの様な小さなディスプレイ。その他の置けそうな面は全て、それを覆い隠す様な資料の山で埋もれていた。
 
 その荒れ果てたデスクの前。きっと来客用だろう。正方形の机にソファが二つ、向かい合う様に置かれている。
 
 神崎は俺をソファに座らせると、インスタントコーヒーの瓶に手を伸ばした。
 
「ミルクと砂糖、いる?」
 
「……大丈夫です」
 
「あ、そう」
 
「……すみません、やっぱりお願いします」
 
「そう。アタシも、その方がいいと思う」
 
 神崎は簡単に返事をすると、棚からマグカップを二つ取り出す。そこにコーヒーの粉を入れ、お湯とミルク、砂糖をそれぞれ入れクルクルと回し始める。
 
 コーヒーの香りが、部屋中に漂った。
 
 神崎は出来上がった一つを俺の前に置くと、向かいのソファに深く腰掛ける。
 
 俺は出されたコーヒーを息を吹きかけて冷ましながら、少し置く。それから冷めてきただろうタイミングで、ゆっくりと啜った。
 
 びっくりするくらい甘かった。
 
 普段なら受け付けないくらいの甘さも、この時だけは有り難かった。口から身体中に広がる様に、甘みと温かさが染み渡っていく。
 
「落ち着いたかい? 少年」
 
「……はい」
 
「なら良かった。じゃ、そろそろ聞かせてもらおうか。何が起きた」
 
 神崎は鋭い目でこちらを注視した。
 
「えっと。まず、あいつに突然呼び出されて……」
 
 俺は起きた事を、なるべく順番通りに話していった。
 
 話を進めるにつれ、神崎の表情が強張っていく。
 
 話が終わると、眉間を指で押さえ、天を仰ぎ始めた。そのまま「そうかー。そうなるかー。なるよなー」などと一人でぶつぶつと呟いている。
 
「えっと、やっぱり、俺のせい、ですか?」
 
 俺は恐る恐る尋ねた。
 
「そうだねー。簡単に言うと、君のせいだねー」
 
 神崎はこちらに視線を戻すと、そう答えた。
 しかし、今回の対処に思考を巡らせているのか俺の事は眼中になさそうであった。
 
「結局あの時、何が起きたんですか?」
 
「そうだねー。聞いた限りだと、考えられるのは感情の入力と出力によるエラーだろうね」
 
「と、言うと?」
 
「あの子のAIには今、『全ての人から愛されるように』と感情の入力をしているんだ。そうやって、一人一人に合わせて対応を変化させるように指示を出している」
 
「なるほど」
 
 やはり、俺の見立てのように対応をその都度変化させていたようだ。
 
「でも、君はそれを断った。で、そこでエラーが発生した。『全ての人から愛される』事を望まれているのに、『愛さない』人間が現れた。その結果がこれだろうね」
 
「そんな。そんな些細な食い違いで壊れてしまう物なんですか?」
 
「そうだ。彼女はAIだからね。矛盾する結果になった場合、受け入れられずに自己崩壊を起こす。人間ならこうはならないが、AIは合理的な理論で設計されているからね。現に、そうなってしまった」
 
「……そうですか」
 
「とはいえ、愛されるように仕向けるにはこうするしか無いし、ここまで露骨な拒否はアタシも想定していなかった。正直、アタシもどうして良いかが分からないのが現状だね」
 
 それから神崎は俺を鋭い目で見つめ、こう続ける。
 
「とは言え、少年はあの子の存在を受け入れる気は無いんだろう?」
 
「……」
 
 俺は何も言えなかった。
 
「無言は肯定ってね。まぁ、そこまではアタシも強制出来ないからね。仕方ないさ。君からの宣戦布告だと思って受けてあげよう」
 
 それからまた天井を仰ぎ、「どうしたもんかなぁ……」とぶつぶつと呟き始めた。
 
「それで、あの虹葉もどきはどうなるんですか?」
 
「あぁ、それなら心配ないよ。っと、間違えた。心配してるのはアタシだけだったね。あの子が停止した前後の記憶を少しだけ消せば、また変わらずに動き出すはずだ。体が壊れたわけじゃないからね」
 
「そう……ですか」
 
 俺が壊したような物なので、直ると聞いてホッとしたのは事実である。とはいえ、あいつの体より自分の責任を心配するのは自分でもどうかと思う。自分の矮小さが浮き出して来たようで、目を背けたくなった。
 
 ダメだダメだ。気持ちを強く持たないと。そう思い、初めから気になっていた事を思い切って聞くことにした。
 
「あの、一つ聞いてもいいですか?」
 
「何?」
 
「『全ての人から愛される』じゃなきゃダメなんですか?」
 
「と、言うと?」
 
「『全ての人に嫌われない』とかじゃ、ダメなんですか?」
 
 俺がその質問をした途端。
 
 神崎の目の色が変わった。
 
 部屋の空気が一瞬にして張り詰める。
 
 やってしまった。俺はそう直感し、今にも逃げ出したい衝動に駆られた。
 
「君はさぁ、きっと、普通の家庭で、普通に愛されて、育ったんだろうね」
 
 神崎は口を開いた。怒りを押し殺すような口振りで、一言ずつ選びながら口に出しているようだった。
 
「そんな君には想像が出来ないと思うけど、世の中には家族にすら愛されなかった人種ってのがいるんだよ」
 
 神崎は俺の目を凝視しながら、テーブルを超えてゆっくりと近づいてくる。
 
「そういう人間がどれだけ嫌われないようにって生きて来たか。分かる? そうやって生きていくのが、どれだけ惨めで、苦しいか。分かる?」
 
 俺は神崎の空気に圧倒されて、何も言えなかった。
 
「いいよ、分からなくて。分かるなんて言われたら殺したくなっちゃうから」
 
 神崎の顔がもう目の前まで近づいている。
 
 瞬きひとつせず俺を見つめている。大きく開かれた瞳孔の中に光は無く、まるで深淵を見つめているような感覚に陥る。
 
 怖い。目を逸らせない。指一本でも動かしたら殺されるのではないか。そう思えるほどの殺気を振り撒いていた。
 
 そんな緊張が3秒ほど続いた後。
 
 神崎は突然ニコッと笑い。
 
「って事で、アタシが作る物にそんな思いはさせたくない訳。だから、嫌われないだけはダメな訳」
 
 ソファに勢いよく体を放り出し、始めの場所に収まった。ニヤニヤとこちらを伺っている。
 
「……よく、分かりました」
 
「そう、分かればよろしい」
 
「あと、すみませんでした」
 
「へぇ、ちゃんと謝れるんだ。そういう所、嫌いじゃないよ」
 
 そう言うと、神崎はコーヒーを啜った。

 ……本気で、殺されるかと思った。

 まだ心臓がバクバクと音を立てて鳴っている。

 跳ねる心臓を落ち着けようと、俺もコーヒーを口に含んだ。
 
 コーヒーはとっくに冷め切っていた。
 
「付き合わせてすまなかったね。そろそろ君も帰るといい。大丈夫、ちゃんと送っていくよ」
 
「ありがとうございます」
 
 お礼を言い、目の前のコーヒーを一気に飲み干す。

 そして最後に俺は、ある質問をした。 

 きっと初めに聞いておかなければいけない所だっただろうが、今更になってしまった。
 
「ところで、ここって何なんですか?」

 尋ねると、神崎は待ってましたと言わんばかりに満面の笑みを貼り付けて答える。
 
「あぁ、ここ? すごいよねー。都内有数の公園の真下に、こんな空間が広がってるなんてさ」
 
「は、はぁ」
 
「ここはね、日本中から様々な分野の学者が集められた、国のトップなシークレットの研究機関、さ!」
 
 神崎はキメ顔でそう言った。
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