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一章

出会い

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 ——一週間後、月曜日——
 
 教室へ足を踏み入れると、それはもう虹葉ななはの席に座っていた。
 
(落ち着け、俺。あれは虹葉じゃない。落ち着け)
 
 そう自分に言い聞かせ何事も無かったかのように装い、自分の席へとなるべく後ろを通って近づく。今だけは窓際の席を恨んだ。
 
 何とか辿り着き、バッグを机の上へと下ろす。自分手がかすかに震えていた事に、俺は驚いた。
 
 が、流石に隣の席。どんなに静かに近づいても、机の上ににバッグなんて置けばすぐに気付かれてしまう。
 
 それはこちらに目線を移すと、「おはよう! 今野いまのくん」と何食わぬ顔で挨拶をして来た。
 
「——」
 
「今野くん?」
 
 それは不思議そうにこちらを見つめる。
 
「——おはよう」
 
 何とか返事を絞り出し、俺はバッグもそのままに、トイレへと走った。
 
 着くなり、個室へと飛び込み鍵を閉める。
 
 涙が止まらなかった。
 
 俺と同じくらいの、虹葉と同じ身長。虹葉と同じ焦茶色の髪を、虹葉と同じ様にポニーテールに纏め、虹葉と同じ声で声をかけられた。

 その時の笑顔ですら、虹葉にそっくりで。
 
(あいつは、虹葉じゃないのに)
 
 虹葉にすり替わったそれは、どう見ても虹葉と酷似していて。
 
 虹葉の事を思うと怒りと、憎しみが湧き上がって仕方がないのに。
 
 それでも。
 
 心のどこかで、嬉しがっている自分がいた。
 
(気持ち悪い)
 
 虹葉とすり替わったそれよりも。
 今はこの気持ちが、心底気持ち悪かった。
 
 涙が止まらなかった。
 
 
    *    *    *
 
 
 もうすぐホームルームの時間だ。溢れ出る涙をなんとか押さえ込み、教室へと戻る。自分の席に着くなり、それは俺の方を向いて。
 
「ねぇ、大丈夫?」
 
 と、俺に声をかけて来たが、「大丈夫だ。だから、あまり俺に話しかけないでくれ」と返し、会話を終わらせた。
 
 神崎からは、口外するなと言われただけだ。別に仲良くなれとは言われていない。
 
 大丈夫、あれにはなるべく関わらなければいい。
 
 今にも椅子を窓から放り投げたいくらいの怒りは湧いているが、仕方がない。なるべく会話をせず、関わらず。自然に、何事も無かったかのように。
 
 ギリッと軋む音が頭に響いた。どうやら無意識のうちに奥歯を噛み締めていたらしい。
 
 とはいえ、隣の席に座っているのだから嫌でも視界に入り込んでくる。
 
 更に面倒な事に、どうしてか虹葉もどきのそれは、時々俺に話しかけてくるのだ。
 
 今年度が終わるまで話しかけなければいいと思っていた俺の計画は、初日の昼休みで頓挫とんざする事となった。
 
「ねぇ、今野くんって、犬と猫ならどっちが好き?」
 
 昼休みの終わり間際。
 机で外を眺めていた時、それは唐突に話しかけて来た。
 
「……話し掛けるなって、言っただろ」
 
「犬? 猫? どっち?」
 
「……聞こえなかったのか?」
 
「犬! 犬かぁ。いいね、私も犬の方が好き!」
 
「……何も言っていないんだが」
 
 チャイムの音が響き渡る。
 その音が終わるか終わらないかの時間に、先生が教壇に上がる。すかさず日直に礼を始めるよう促した。
 
 俺は授業を聞き流しながら、隣の虹葉もどきについて考えを巡らせていた。
 
 分からない。確かに犬か猫かで言えば犬の方が好きなのは確かなのだが。
 
 いや、そういう事じゃない。
 
 こうやってなんでもない話をするうちに、本当に虹葉と話しているような感覚に陥ってしまうのが問題なのだ。
 
 俺は、こうやって虹葉のフリをするこいつを怒らなければいけないのに。
 
 少しずつ、少しずつ。怒りが小さくなっていく。
 
 虹葉が死んだ事を知っているのは、俺しかいないのに。
 
 俺が認めてしまったら、虹葉が浮かばれないじゃないか。
 
 そこで、神崎の言葉を思い出した。
 
『何で君がそんな事分かるのさ。死んだんだよ? 彼女』
 
 ……神崎の言う通りなのかも知れない。
 虹葉はもう死んでいて。
 知っているのは俺だけで。
 虹葉もどきは見たところ、そう悪いやつではなさそうで。
 
 
 それでも。
 
 きっとこれは、ただの俺のわがままだ。
 
 だから、待ってくれ。まだ消えないでくれ。そう願いながら、掌くらいの大きさまで小さくなった怒りを、慌てて握りしめた。
 
 結局、俺はこの怒りを握り続けることにしたが、この虹葉もどきをまるっきり否定する気持ちにもならなかった、というのが結論か。
 
 仕方ない。様子を見つつ、あいつが何かしでかさないかの観察をする。
 
 今後はそうやって、適当な距離感で有耶無耶にしていくしかない。
 
 俺は弱いから。そんなわがままでしか、虹葉を守れないから。
 
 授業の終わりのチャイムが鳴り響いた。
 
 
 ——数日後——
 
 観察を続ける内に、分かったことがある。
 
 どんなに虹葉に似せていたとしても、中身は虹葉と同じではない、という事だ。
 
 顔と声は、ほとんど虹葉と変わらない。その為、まさかこいつが虹葉本人じゃないなんて。しかも人工のロボットだなんて。最近知り合った程度の人では、夢にも思わないだろう。
 
 実際、虹葉の友達は皆、普段通りにおしゃべりを楽しんでいる。虹葉の記憶は無いはずなのに、疑われもせずうまく溶け込んでいる。
 
(そう言えば、神崎の奴、ああ言っていたっけ)
 
 アタシが目指しているのは、誰からも愛されるアンドロイドを作る事だ、と。
 
(確かに、最近のAIって、すごいんだな)
 
 そこだけは素直に感心した。
 下手したら、俺より人間を上手くやっている。
 
 ……でも。
 
(あぁ、やっぱり、あいつは嫌いだ)
 
 たとえ生み出された側に悪意は無いのだとしても。
 
 俺は、あいつを好きになる事は出来ない。
 
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