小烏は鳥居の中で歌う

ともき

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1.神様との出会い

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お山にゃのぼっちゃあいかんよ。彼処におるのはホンモノの神様だからね――

そう言い含める言葉すらも娯楽の足りない幼い私達には充分な肝試しのひとつで。
私たちはキャアキャアと声を上げながら入るなと言われた山に入った。
ほんの探検。オトナになれるような気がしたから。

けれど、はばたきがひとつ聞こえた頃には一人の姿はすっかり見えなくなっていた。




寒い日だった。
いつの間にかごうと冷たい風に捕らまえられて、藤岡春歌は知らないところにいた。周りで騒いでいたはずの奴らも見当たらない。
迷ったのだろうか?
「おーい」
適当な方角に向けて、手をメガホンのように口に当てて声を上げる。
おーいい、と声が反射して返ってきた。こだまになった声は自分のものには聞こえず、どこか不気味だった。ぱきりと足元で霜柱の砕ける音がした。
「どこだ、ここ……」
心なしか周りの温度も下がってきたようで、春歌はコートの中の身を震わせた。さっきまで真昼間の明るい広葉樹林に囲まれていたはずだが、今はどこか薄暗い。
一歩進むたびに霜柱か、枯れ葉が音を鳴らした。
さく、さく、さく……
幸い、「冒険」のつもりだったのでたっぷりとお弁当は持ってきていたし、お菓子も水筒もリュックの中だ。けれど寒い山の中に一人というだけで随分と恐ろしく思えた。
「おーい」
おーぉい。
時折声を上げるが、やはりこだまだけが響いて山の中に消えていく。

さく、……ざく、さく、おーぃ、おおーい。
とにかく下に向かいさえすればどこか道にはたどり着ける。来年には中学三年生になるのだから、それぐらいのことはわかる。だから大丈夫だ。
内心では「本当に自分が今まで登った分はこんなに長かっただろうか」「こんなにも木が生い茂っていただろうか」と不安な自分ばかりが叫んでいたけれど、春歌はそれら全部をはねのけるようにして、大丈夫だ、大丈夫だ、とつぶやいた。
そして一際大きなシダの葉を腕で払いのけた時だった。
「――――神社?」
ぱっと目の前が開けた。
所々が白く染った山の中でその朱色は随分浮いて見える。大分傾き、錆びかけた姿ではあったが二本の朱の柱は確かに鳥居のようだった。
「すごい!」
さっきまでの疲労や恐怖は忘れてしまったように春歌は神社の鳥居に駆け寄った。触れてみればつるりとして冷たい。かかっていた四角の紙のつらなりはもうぼろけていたけれど、鳥居の先には小さなお堂があった。その横には一頭の狛犬が鎮座している。
古い神社、狛犬、謎めいた鳥居。
もうすっかりわくわくしてしまって、春歌はとりあえず勢いよく手を合わせた。
迷ったかいがあるというものだ。
肝試しには充分すぎる。
あのお山には神社があったぞ、と言えばしばらくはみんなのヒーローになれてしまう。
祖母には怒られるだろうが知ったことではない。

春歌は周りを見渡してなにか証拠になりそうなものを探した。
嘘つき扱いされたらたまらない。冷えた手に息を吹きかけながらガサガサと漁る。けれどめぼしいものは見当たらなかった。狛犬はどう見ても大きすぎたし、賽銭箱はとうに持ち去られたのかそこには無かった。
「なんでもいいんだけどなあ」
あーあ、と声を上げて苔むした石段に座り鳥居を見上げた。
目に入るのは鮮やかな朱色。
あ、と伸ばした溜息を切って膝を打った。
「……鳥居の端っこ削る、とか?」
何せ、朱の色はこの崩れかけた神社とは思えないほどに鮮やかだった。あのオレンジとも赤ともつかない色はなかなか他ではお目にかからない。
その辺の石で塗料を剥ぎ取れば十分すぎる証になるだろう。
そう思って春歌が鳥居に向かって石を振り上げたその時だった。

「そこまでにしとけ?」

低い、――しかしどこか愉快そうな声が響いた。
とっ、と何かが落ちる音。
聞こえた音の方を見上げれば、鳥居の上に黒い羽根を生やした何某かがケラケラと笑っていた。
「ホンモンがいるって、言われたんだろう?」
最近の子供は何も信じないからね。いけないね。
そんなら信じない奴には罰をやらねえと。
罰、という不意に投げられた重たい言葉にぞっとする。
それにあの背中の翼はどういうことだろうか。

立ち尽くす間にも、何某はペラペラと喋って、一人でケラケラ笑った。
だんだん俺は怖くなって手に持った石を捨てた。
それから何某がまた話を続けようとしたその瞬間に、背を向け、地面を蹴った。
けれど、遅かった。



「逃げちゃあおしまいだ」

背中に指のかかる感触。
ざ、と羽根の鳴る音がした。

頬を柔らかな何かがなぞる。
「あ」
はくりと呼吸をしたその一瞬で、目の前に琥珀色の瞳をした男が現れた。にいっと笑う唇は紅く色づき、瞳は猛禽類のように煌々と光っていた。そして見間違いであれと願った背中の翼は意志を持っているようにばさりと羽ばたいている。
「小さいな、お前」
俺もどこかでは似たようなものだったけれど、と。
そう一瞬空を見上げたがまたすぐに男は俺に視線を戻した。
「小さい……そうだな、お前にはこれで十分だ」
りん、と音がする。男の手にはいつの間にか錫杖のようなものが握られていた。
「お前が遊びだと思ってたものがどんなに違うか知ってごらん」
小烏(こがらす)。

そう言って男が手の中の錫杖を春歌に手渡した。
思わず受けとってしまってからはもう、世界に上も下もなかった。
「やめ……! ――――カァ、かぁ」
男を呼んだはずの声は情けない声に変わり、錫杖を受け取ったはずの手はいつのまにか黒い翼になった。
冗談じゃない!
「カァ!」
男に駆け寄ろうとすれば、どんどんと男が大きくなっていく。
――――違う、春歌が小さくなっているのだ。
腕を振ろうとしたときにぱさりと情けなく自分の体の横で翼が揺れているのをみて泣きたくなった。男はそれを見て愉快そうに笑っている。
「いつになったら戻れるか? うーん、俺が外に飽きたら? まあ、せっかい焼きはちゃーんといるから…なんとかなるでしょ」
ああ、この翼を広げるのも久しぶりだ、と男は呟いて、ぐんと背をそらす。
まるで準備運動のように何度か翼を動かしてから男は口笛ひとつを吹いて消えてしまった。
しゃん、と手の支えを失って錫杖が落ちる。
その頃にはすっかり春歌はまさしく小烏の姿になってしまっていた。目に入る己の足は木の枝のよう。広げた腕は翼で。けれど、飛び方なんてちっとも分からない。
ぶるりと身体をふるわす。日は段々と傾き始めていた。心無しかさっきよりもずっと寒い。
「カァ……」
鳥は凍え死ぬのだろうか。
巻いていたはずのウールのマフラーも、暖かなコートもないままどうすればいいのだろう。
かみさまにバチを当てられた。
そんな言葉だけが頭をこだまする。
そんな時だった。

「…………完全に置いてきやがったなあいつ…………」
男の声でも、知っている誰の声でもない声が聞こえた。
ぴょん、と慣れない体で振り返る。
するとそこには緑の着流しを着て空を睨む見慣れぬ風体の男がいた。頭にはフードのように布をかぶっている。すっと視線がこちらを向いて春歌は背筋を(体感)伸ばした。射すくめるような緑色の瞳には先ほどの男とはまた違う恐ろしさがある。
取って食われるのでは、と思うほどに顰め面をしている男に震えていたのだが、目の前の男は意外にも長い溜息をついて、春歌に目線を合わせるようにしゃがんでくれた。
「厄介なもんに目えつけられたなぁお前も」
ぼふり、と大きな手が頭に乗る。
「……カァ(……誰ですか?)」
「ああ、俺はあれだ。そこの神社の狛犬。名前は適当に呼べ」
「カァ?!(聞こえてる?!)」
まさかの友好的な言葉と、どうにも自分にもカラスの鳴き声にしか聞こえていなかった声を聴いてくれたことに飛び上がるほどうれしくなった。
ぴょんと跳ねるとえおえおと名乗った男はかりかり耳の横を掻いた。
「人じゃねえからな。神社のやつは基本的に耳がいいんだ。願いも恨みも聞くものだから」
まあ、しょうがねえからこっちに来い、と差し伸べられた手は暖かかった。
春歌は何もわからぬままぴょい、と男の手に留まり、もうどうにでもなれ、という気持ちで空を見上げた。
冬の空はきれいに晴れ渡っていた。
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