彼の心配、彼女の事情

伊月千種

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彼との折り合いの付け方

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「俺とアイドルとどっちが大事なわけ?」

 前の彼氏に振られた時に言われた言葉。

 これを言われた時、おそらく真奈はものすごく間抜けな顔をしていたと自分で思う。

 ドルオタは真奈が真剣にやっている趣味で、恋愛とは関係のないまったくの別物。

 比べられないことはわかりきっているし、彼もわかってくれていると思っていたのに一年半の付き合いはその言葉で終了。

 以前からコンサートの遠征や真奈の部屋に溢れかえるグッズにいい顔はしていなかったけれど、あっちにだってお金をかけている趣味があった。その趣味に真奈は一度だって文句を言ったことはない。

 それなのにこちらの趣味にばかりケチを付けられれば真奈もいい気はしない。くわえてあの言葉。

 「私と仕事、どっちが大事なの?」と聞かれてウンザリする男の心情がこのときの真奈には心底理解できた。

 ドルオタは真奈にとって一生ものの趣味で、これから誰に何を言われようとやめる気はない。

 とはいえやはり前の彼氏のこともあったし、その前にはドルオタだとばれて付き合う前に振られた過去もある。

 なので数か月前に付き合いだした彼氏に真奈は自分がドルオタであることを必死に隠していた。

 もちろん折を見て本当のことを話そうと真奈なりにタイミングを計っていたところでもある。

 それがこんな形でばれるなんて……。

 推しのいるアイドルグループのコンサートを無事終えた夜。

 本当だったらオタ仲間と会場近くのバーか居酒屋で飲みながら今日のステージについてあれこれ感想を述べ合って楽しんでいたはずの時間。

 その時間帯に真奈はなぜか重苦しい空気で彼氏と一緒に電車に乗っていた。

 会場近くの飲み屋街でばったり会ってしまった彼氏、康正 こうせいは、真奈のことを足のつま先から頭の天辺までまじまじと見ると「帰ろう」と手を差し伸べてきた。

 オタ仲間に白い目で見られている気がして焦りながらも、今までドルオタだと隠していた康正への言い訳が頭の中を駆け巡る。

「じゃあ真奈、また連絡するね」

 オタ仲間で一番仲の良い香也がいち早く事情を察し背中を押してくれたので真奈はそのまま康正の手を取った。

 それから康正は真奈の手をしっかり握って友人らしき男性と短くあいさつを交わすとまっすぐ駅へと向かった。

 真奈の家まで電車で一時間と少し。

 電車内は真奈と同じようにうちわやグッズを携えたコンサート帰りの女性客で溢れかえっている。

 どの子たちの顔もキラキラしていて、今日のコンサートについて興奮気味に友人たちと話しているのがちらほら聞こえてくる。

 ああ、いいな。私も存分に今日の推しについて語り合いたい。どこが可愛かったとか、メンバー同士の絡みとか、あの曲の時に見せた切なげな表情の意味はとか。

 唇を噛みしめながら今頃心置きなく語り合っているだろうオタ仲間に思いを馳せる。

 と、電車の急なカーブに体がよろめいて目の前に立つ彼に抱きすくめられ、真奈は現実に引き戻された。

「ありがと」

 小声で礼を言うと康正は真奈の肩に手をまわしたまま「ん」と短く答える。

 さっきまで見ていたキラキラな世界とはかけ離れた少し色あせた灰色の現実。

 電車内の薄暗い明かりに照らされる彼のまつ毛の先を見る。

 なんでこの人こんなにまつ毛長いの。ずるい。

 先ほどとは違う意味で自分の唇を薄く噛む。

 真奈が康正と出会ったのは前の彼氏と別れて間もないころ。

 自分はもうドルオタとして一生を過ごすんだと覚悟を決めたとき、同僚に合コンに誘われた。

 最初は断っていたのだが、どうしても人数合わせにと頼み込まれて行ったのが同じビル内の別会社の男性との合コン。

 イケメン営業マンが参加するらしい。しかも巷では「王子」なんてあだ名を付けられているらしい。そう聞いて真奈が真っ先に思い出したのは推しているアイドル。

 「芸能界の最後の王子」なんて異名を持つ、まさに白馬の似合う中性的な甘いルックス。男性にしては少し長めの柔らかくて薄い色素の髪質。スラッと細身な体躯。恥ずかしげもなくキザなセリフをさらっと言えてしまう天然な王子様キャラ。

 格好良くて可愛くて、常に画面を隔てて向こうにいる彼に、失恋したての真奈は日々癒されていた。

 別にアイドルと恋愛をしたいわけではない。キザなセリフだって実際に素面で言われたら引いてしまう。

 でもルックスがちょっとくらいあのアイドルに似た感じのイケメンがいたらいいな、なんて軽い気持ちで合コン会場へ行くと現れたのが康正。

 切れ長の目に浅黒い肌。背が高く一目で筋肉がついてるとわかる広い背中に短く整えられた硬そうな黒髪。

 確かにイケメンはイケメン。王子と言われればそうだが、真奈の推しが白王子だとしたら康正は真逆の黒王子。

 ああ、理想とは違うわ。ま、そんなもんよね。

 康正の登場に盛り上がる女性陣の中、一人冷静に酒を飲みながら「あ、でもこの声は好きかも」なんて思っていたらいつの間にか隣に座っていた彼。

 見た目のいかつさとは違い、その低い声の出し方は柔らかくて心地よい。気が付いたら初対面なのにすっかりリラックスして真奈は彼に身の上話を披露していた。

 真奈のつまらない話の間も嫌な顔一つせずお酌までしてくれて、飲みすぎたかなと思っていたら良いタイミングで水を頼んでくれる。

 至れり尽くせりで気分が良くなって、そして気づいたらいつの間にか手をつないで一緒に帰っていた。

 後から同僚に「あんたら二人、ホストとその太客みたいだったよ」と呆れ気味に言われたのも今となれば笑い話だ。

 電車の中で真奈の肩を抱いたままどこか遠くを見ていた彼がちらりと真奈に目線を送ると、真奈の目をその大きな手でそっと覆う。

「ちょっと、見すぎ……」

 照れたように小さくつぶやく彼にきゅんとして反射的に顔をそらす。

 やっぱりずるい。全然可愛くないくせにすごく可愛い。

 矛盾した思いを抱えて胸が締め付けられたところで乗り換えの駅に着いた。


-----


 最寄りの駅から徒歩二十五分。買い物の利便性もそんなに良くない場所に立つ五階建てのマンション。

 二人でエントランスをくぐり、三階にある真奈の部屋の前まで言葉も少なめに歩く。

 少し古いし角部屋のわりに日当たりもそんなに良くないけれど、一人で住むには広めで収納スペースの多い部屋をどうしても借りたかった理由が、このドアの先にある。

 鍵を開けて電気をつけると、まっすぐ伸びる廊下の壁のそこここに笑顔でこちらを見つめるアイドルのポスターが貼られているのが目に入る。

「おお……」

 後ろに続く康正が低く声を漏らした。

 ああ、とうとうこの部屋の本当の姿を見せる時が来てしまった。

 今まで彼を部屋に呼ぶときは事前に計画してオタグッズはすべて隠してから招待していた。

 しかしこの部屋の本当の姿は所狭しと飾られるポスター、グッズ、コンサートでの戦利品に推しの好きなキャラのぬいぐるみやお気に入りブランドのアイテムなどだ。

 歴代の彼氏は誰もがこの部屋に引いていた。「ガチすぎて怖い」と玄関で帰った人もいた。

「とりあえず入って。中でゆっくり話そう」

 靴を脱いで奥へと促すと、彼はまるで初めて来たかのように物珍しそうにきょろきょろしながら進んだ。

 奥の部屋に入ってまた「うおう」と唸った彼。リビングダイニングにあたるその部屋にはさらに濃いオタグッズが揃っている。オタ仲間に見せるのは自慢だが、一般人には刺激が強いことは重々承知だ。

「隠してましたが重度のアイドルオタです。何か質問は?」

 部屋の真ん中で二人で正座して向き合い、覚悟を決めて彼の目を見る。

 康正は少し拍子抜けしたように「はあ」とつぶやくと、少し不満そうに部屋をまた見回した。

「あの人が特に好きなアイドル?」

 部屋の中で一番大きなポスターに写る、満面の笑顔の推し。指さされたそのポスターを見て真奈は「はい。そうです」と簡潔に答えた。

「ああいうのが好きなんだ……」

 そう言うと康正は顎に手を当ててしげしげとポスターを見つめる。

「いや、でも推しと実際のタイプは違うというか、あれは萌えであって恋愛とは違うというか……」

 急に不安がこみあげて慌てて言い訳をすると、康正は今度は真奈のほうをちらりと見た。

「今日の格好いつもと違うね」

 突然話が変わって「ふへ?」と間抜けな声を出し、真奈もとっさに自分の服装を確認する。

 確かに推しのコンサートの日には真奈はいつも着ないような可愛い系を意識した服装をする。それもこれも、推しがインタビューなどでことあるごとに好みの女性の服装を「可愛い系」と答えているからだ。

 真奈自身はどちらかと言えばクールな顔立ちなのであまり可愛い服が似合わない自覚はある。なので推しのイベントの時以外はキレイ目ばかりだ。

「これは推しのイベント限定っていうか……」

「ふーん」

 しどろもどろに答えた真奈に、食い気味の相槌。その相槌の冷たさに真奈は一瞬肩を揺らした。

 怒っている。何に怒っているのかはっきりしないけれど、康正の不機嫌は見て取れる。

 ああ、なんだろう。なんかよくわからないけどこの人には嫌われたくない。

「黙っててごめん。何でもするから許して」

 今までの彼氏にはドルオタであることを馬鹿にされたり非難されたりしたらすぐに喧嘩腰で言い返していたのに、なぜか康正にはそんなことをしようと思えない。

 弱気に下手に出ると、康正が眉を上げて「何でも?」と聞き返してくる。黙ってうなずくと、彼は少し考えるようなポーズをとった。

「じゃあそのまま目つぶって」

 え、何されるの? ビンタ?

 戦々恐々としながら目を軽くつぶると、正座した膝の上に温かい重み。

「え?」

 目を開けて下を見ると、膝の上から真奈をまっすぐ見上げる康正と目が合った。

「限界まで膝枕な」

 さっきまで不機嫌だと思っていた康正が無邪気に笑う。

「あ、えー。うん」

 呆気に取られてうなずくと、康正が真奈の頬に手を伸ばした。

「本当はちょっとショックだったけどな。真奈の好きなアイドル、俺と真逆の見た目じゃん。しかも俺以外の男のためにこんな可愛い格好してるとか……」

 不貞腐れたように真奈から顔を背けた康正は少しだけ唇を突き出してぶつぶつとつぶやく。

「でも真奈にこうやって触れられるのは俺だけだし、まあいっかなって」

 そう言って次の瞬間にはとろけるほど甘い笑顔を見せた康正に真奈は目を見張った。

「うん。ありがとう」

 ああ、やっぱりこの人の声が好き。

 見た目とギャップのある柔らかくて穏やかな喋り方が好き。

 意外とやきもち妬きで、でも人をそのまま受け入れてくれるこの性格が好き。

 康正の笑顔に笑顔で答えながら、真奈はその唇に自分の唇を落とした。



 その後、本当に足の感覚がなくなるまで膝枕させられた真奈は、康正のどSな一面を垣間見ることになった。
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