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侯爵閣下、婚約者辞めるってよ

EX_王子の呟き3

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「嘘だろ…」
 シルベールは、ミラナから届いた手紙を見て思わず顔を覆った。
 どういう経緯でそうなったのか、詳しい事は書かれていないので解らない。ただ、どういうわけかアイラックがファランに対して大いに怒っており、謝罪の場など設けられそうにないと嘆く手紙が届いたのだ。
(アイラックがグローリア侯に怒りを覚えるような事が何かあったか?)
 何度か事業計画書を修正させながらやり取りをしていた間、シルベールの目から見てアイラックは現実を理解し始めたように見えた。自身の生活にかかる費用とそれを稼ぐ現実的な手法。良く学んでいたと思う。
(逆ならいくらでも思い付くのだが………いや、とにかく…ミラナ様と、アイラックにも会うか)
 折角良い方に向かっていたと感じていたのだ。シルベールは何とかしようと、ミラナと会う段取りを立て、アイラックへも連絡を取った。
 そして、一息吐いたところで、ユールティアの訪問を受ける。
「遅い時間にすみません」
「夜中というわけでなし構わないぞ。だがまぁ、お前にしては珍しいな。何か急ぎの用事か?」
 夕食は終わっているが、まだ寝るには早い時間だ。成人してからというものこんな時間に弟の訪問を受けたのは初めてだが、シルベールとしては特に気にならない。着席を促し、お茶など勧めてみた。
「正式には父から伝わると思うのですが。廃嫡を願い出ました」
 すぐに出ていくからとお茶を断った弟の対面に座って、本来なら驚くようなその言葉にシルベールは僅かに微笑むだけだ。
「ああ、ついにか」
「先ほどの事なので、しばらくはまだ王太子として動きますが」
 あまり感情を表に出さない弟の穏やかな微笑に、シルベールは頷く。
「妙なものだが、おめでとう、というべきなのだろうな」
 廃嫡を願い出たという事は、本来ならば何一つめでたくない。だが、ユールティアにとって、王太子を辞めるという事は、彼の願いが叶ったという事だろう。
「ありがとうございます」
 真っ直ぐに兄を見て、ユールティアは深く頭を下げた。
「それで…兄上には大いに迷惑をかけるだろうと思い、こうして前もって謝罪と謝意をお伝えしたくやって来ました」
 男子が居れば男子が王位を継ぐのが普通であるので、今、王の後を継ぐ可能性のある王子は三人いる。そして、今、ユールティアがそこから外れる事を願い出ている訳だ。つまり、長兄のシルベールと末弟のユリウスだけが残る。しかしながら、末弟は少々病弱で、かつ現時点でまだ六歳だ。実質、次の王太子はシルベールに決まっていた。
「なんだ、そんな事。気にするな。しかし…迎夏祭で踊っているのを見た時から上手く行っているのだとは思っていたが。まとまったのだな」
「はい。今日籍を入れてきました」
「ははは………早くないか?」
 求婚しました、ではなく、入籍しました、と言われた事に気付いたシルベールがはたと笑いをおさめた。
「そうですか?」
 迎夏祭直前は確か、仕事で関わっていると中々言い出す機会が無い、という悩みを聞いたはずだった。それが、わずか二週間ほどでなぜ入籍まで進んだのだろうか。
「早いだろう…」
「まぁ、親戚などへの根回しや挨拶がないので」
「いや、当人同士の意思疎通のみと考えても早い気はするんだが。まぁ、当人同士が納得しているなら、外野が言う事ではないか」
「それは、勿論。本人から許可を頂きましたよ?」
「ああ、それはそうだろうな」
 兄の反応に不思議そうにしている弟を見て、シルベールは微笑を返しつつ、内心で溜息を吐いた。
(なんというか、ユールティアとアイラックの現実主義な部分と夢見勝ちな部分を足し引きできれば、良かったのだろうな。ユリウスには、中庸であってもらいたいものだ)
 初めに言った通り、すぐに退室したユールティアを見送って、シルベールは僅かに姿勢を崩して背もたれに背を着けた。
 アイラックにも、おめでとう、と言える日が早く来ると良い。
 そう考えていた、シルベールがミラナに会ったのは昨日。
 そして、今日は、いつものレストランでアイラックに会っている。
「ミラナ様から簡単には聞いたのだが…グローリア侯がお前に無礼を働いたというのは、何の事だ?」
 シルベールがミラナから事前に聞いた話は、手紙に書かれていた事以上のものではなく。正直に言って何も解らなかった。ただ、彼には確信している事がある。ユールティアがファランの側に居る以上、アイラックとファランが接触する事は有り得まいという事だ。
「迎夏祭での事です」
「ん?」
 今アイラックはミラナの実家に籍も入っている。なので、貴族に該当するため、迎夏祭に参加していてもおかしくはない。ただ、シルベールが記憶する限り、会場ではそれこそ開幕からずっとユールティアが傍らに居たはずだ。
(接触した訳ではないのか…?)
 もしかして、ユールティアがすげなくあしらうなりして、その事を怒っているのだろうか、とも考えた。だが、それならばファランに怒りを感じているのがおかしい。
「ユールティア兄上と踊っていたのを見ましたか?」
「ああ、それなら俺も見たが」
 それがどうした、というシルベールの言葉は口から発せられる事はなかった。
「あの女は兄上とグルだったのですよ!」
 アイラックの非難の叫びが、半個室に響いたために。
「は?」
「初めからそうだったんです! 意に沿わない婚約を破棄するために、何もかもあの女の企みだったんです! マーヴェラス家の執事を名乗ったクレイターという男も、全てあの女の差金だったんだ! こちらが非を負うように…兄上が謀ったのです!」
「おい、落ち着け」
 シルベールが声をかけるが、感情が高ぶっているアイラックには届かない。
「全部自分達のためだったんだ! まさか…そうだ! 横領事件も仕組まれていたのかもしれません!」
「アイラック!」
 刺すような鋭い声で名前を呼ばれ、ようやくアイラックはシルベールを見た。
「黙れ。それから席に座れ」
 普段の柔らかな雰囲気を全て消したシルベールは潜めた声で告げる。心配そうに様子を見に来た従業員に手で、謝罪と構わないで欲しい旨とを伝え、長兄の初めて見る厳しい顔に怯えたアイラックを見返した。
 シルベールはただ見ていただけだが、普段との差が激しいため、アイラックは睨まれているという感覚だ。腰が砕けたように椅子に座り込み、肩を竦めて固まっている。
「まず、はっきりしている事を伝えておく。ユールティアとグローリア侯が面識を持ったのは、今年の春の事だ。それまでは交流は無い」
「…では、きっと、兄上は関わりなかったのかもしれません…きっとあの女の謀で」
 埒も無い妄想を言い募るアイラックの前で、シルベールは深々と溜息を吐いた。
「自分でも解っているんだろう? お前の言う『謀』は辻褄が合っていないただの想像だ」
「…ですが」
「なぁ、アイラック。お前は自分が何をしたかちゃんと解っているか?」
「え?」
「お前がグローリア侯にした仕打ちの話だ」
「………」 
 アイラックの戸惑うような眉間に、シルベールは今度こそ溜息すら出ない。
「お前がどんな考えを持っていようと、誓紙を交わした婚約は陛下が承認していた法に則ったものだった」
「それは! 周りが勝手に」
「最初に! 『お前がどんな考えを持っていようと』そう言ったな」
「………」
「その婚約者の面前で堂々と愛し合っていると言ったそうだな、ニールベス家の令嬢と」
「それは…それが、テスティアとの愛こそが僕の真実だったのです。だから」
「先だってニールベス家の令嬢が貴族令嬢から評判が悪いと言ったのは、その行為故だ。お前が真実の愛だと本当に思っていたのなら、何故まず婚約破棄を陛下に願い出なかった?」
「聞いていただけると思えませんでしたから…」
「聞き入れられるかどうかが問題だと考えているのか? 通すべき筋が有ったはずだと俺は思うが」
「それは…」
「お前はグローリア侯の何がそんなに気に入らなかったんだ?」
「違うんです兄さん! あの女が学園にいた時は」
「容姿が悪かった、か?」
「っ…!?」
「俺は見た事はないがニールベス家の令嬢はよほど美しいのだろうな」
「そ、それだけではありません。テスティアは心根も優しくて思いやりのある女性です」
「まるでグローリア侯には思い遣りが無いというような言いようだが、お前は、自分が誰のおかげでここにいられるのかを知らないのだな」
「何の話ですか?」
「復籍の条件付きで除籍された事について、陛下は『王立学園の厳粛なる場を騒がせた』事によって、と言わなかったか?」
「仰っていましたが」
「では、何故、お前は『婚約の誓紙違反』でも『虚偽告訴』でも裁かれていないんだ?」
「あの証拠に虚偽が混在していたのは、僕ではなくクレイターとかいう男がした事で」
「誓紙違反もその男がしたとでも言うのか?」
「…いえ…それは」
「お前が何を言おうとも、王家は皆考えていたぞ。ユグルシアの家名を名乗る者が、愚かにも守るべき臣下の娘を虚偽によって貶め、その身代を乗っ取ろうとした、と」
「ちが」
「他の臣下の事も鑑み、極刑に処すべきとの話もあった」
「…まさか」
「その話が立ち消えたのは他ならぬグローリア侯がお前の意に沿うよう取りはからってくれと言ったからだ」
「嘘です」
「そう考えるならそれで構わないが」
 シルベールはアイラックの事業計画書を鞄から取り出し、テーブルに置いた。
「俺はこの事業に金は出せない。ではな」
「兄さん!」
 引き留めようとアイラックが叫んだが、シルベールはそのまま歩き去った。
(やり直しの機会を与えるのは一度だけだ。それでも改まらないのなら後は自力で何とでもしろ)
 激励を言葉にして伝える気にもなれず、シルベールは腹の中に蟠る不快感に眉を寄せて帰路につく。
 ミラナが説明をしなかったとは思えない。つまりはアイラックに聞く気がなかったのだろう。だから知らなかったのだ。シルベールは、アイラックは除籍をされた事で頭が冷えたもの、と思っていた。だが、実際は何一つ変わっていなかった。
 知ろう、学ぼう、としないのならば、機会などあったところで無駄だ。
 シルベールは一連の事態でアイラックだけに非があり、悪だ、とは考えていない。だが、非も悪も無いとも考えない。
「結局あいつは未だに自覚していないのだな現実を…」
 おめでとう、と言える日が来る事を祈りつつ、シルベールは馬車の中で瞼を閉じた。

□fin(EX_王子の呟き 完)
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