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第三章:そんなの聞いてないっ!
14.根回し
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今、ミネルヴァは結婚準備のために必要な事を書き出したリストを見つめている。
この世界には、結婚する事を誓う神も報告する神もいないので、教会でも神殿でも寺院でも式を挙げる事はない。
国に書類を提出して許可をもらい、あとは家族や友人知人にお披露目する会を開くだけだ。その会の規模は個人の自由だが、最低でも新郎新婦の親族、三親等くらいは招いて宴をするのが貴族の慣例となっている。
ギリットは勘当されてはいるが別に親族と不仲なわけではないので、招待するかと思ったが、体面上不要だと言われ、ミネルヴァはあまり調整する必要が無くなった。グリッツ家は元々親戚が少ないので、曾祖母の体調面を考慮してライネッツ領へ赴く事にすれば、親族は簡単に集まれるのだ。
(どうしてかしら…やる事がないわ?)
忙しさにもうやだ、とか言いながらも嬉し楽しい準備の日々を妄想していたのだが、気が付けば今やれる事は全て終えてしまった。
「ねぇ、リーネ。私、何かし忘れてる事があるんじゃないかしら?」
「そんな事はないと思いますが」
リーネアッラはミネルヴァの手元のリストを覗き込みながら首を傾げる。リストの作成にあたってはアイリーンやスティアンにも確認を取ったので、漏れはないだろう。
「でも、のんびりお茶を飲んでいるのよ?」
「時にはお休みになる事も必要な事ですよお嬢様。イーグルだって飛び続けてはいませんでしょう」
ちょうど室内に来ていた侍女長がいう言葉に、ミネルヴァは頷く。ただ、首を傾げて考え込む素振りはそのままだった。
ミネルヴァの様子に侍女長とリーネアッラは苦笑して目を見合わせる。
あと一ヶ月もすればシーズンが始まり、三ヶ月以内にはミネルヴァとギリットの婚姻届も提出される運びだ。現時点で揃えられる必要書類と手回しの類は終え、シーズン後に行う披露宴の会場の手配や招待客の出欠についてもまとまっている。
仕事があるギリットからも、既にサフ=ジーノに許可をもらったと手紙が来ているから、ミネルヴァが何かする事はない。
何度首を捻っても、ミネルヴァにもその周りの人間にも特に問題や失念は無いように思える。
(でも、仕事をしながら結婚の準備って、なんだか、もっと忙しかったような気がするのだけど。あぁ、でも、そうね、リットのご両親にご挨拶をしてないから、緊張とか時間的な制約とかが緩いんだわ。体面上不要だって言ってたけど、感情的にはご挨拶したいところよね。お手紙だけだとなんだか…お会いできないか、リットに訊いてみましょうか)
一休みする癖は付いたものの、基本が真面目な働き蟻のミネルヴァは暇になるとついあれこれやりたくなってしまう。
(そういえば、クシャ様に来年の結婚式に参加して欲しいって言われているし、その時にお会いするのならお互い畏まる必要もないのではないかしら)
リストとのにらめっこを止め、ミネルヴァが手紙を書き出した事で、侍女長とリーネアッラは安堵した。侍女長は出ていき、リーネアッラは控えて静かに手紙を書くミネルヴァを見つめる。
リーネアッラはまだ知らない。
自分の日常が順調に回りだすと他所事が気になり出し、しかも、こと色恋にどっぷりハマっている主人が、今どんな手紙を書いているのかを。書いても書いても書き終わる素振りが無く、最終的に二十八通に及ぶ手紙が、自分に関わってくる事など全く知らない。
(えーっと、ニムとアンゼーナ様、ガゼル伯夫人にミッテナー伯夫人とジーノへも書いておきましょうか)
楽しそうに手紙を書く主人を微笑ましい思いさえ抱いて見つめているリーネアッラだが。この時の二十八通に及ぶ手紙が原因で、後日、主人に向かって怒鳴り声を上げる事になる。
(そうだわ、確かビンスの婚約者だったのよね、アスラシア様にも書きましょう)
まさか主人が、現在ひたすら告白を断り続けている続けている相手との恋路を応援するべく動き出すなどと、予想できるはずもない。
(そういえば先日のミクイラ夫人への返事もお出ししないとよね)
これから訪れる誕生日に、季節外れの赤い薔薇を一輪渡され、今までとは違う真剣な告白に思わず絆されて頷いてしまう事になる自分など知らない。そして、物陰から飛び出してくる主人とその友人に、何やってるんですか、と怒鳴ることになるなんて、今はまだ全然知らない。
(後は、お祖母様と曾祖母様にもお出ししておけば良いかしら)
更に言うなら、その数日後、今度は自分が主人と一緒になって、主人の友人に大目玉をくらう事になるのだが。その事だって知らない。
「ねぇリーネ、好きな人の事を考えるのって楽しいわね」
「はい、然様でございますね、お嬢様」
ミネルヴァの言う好きな人が、ギリット一人を示していると思っているリーネアッラは、気付かない。怖くなるほど順調な主人が言う、好きな人、とは、自分を含めた親愛の情を示す相手全ての事であると。本当にお元気になって、良かったと微笑むだけだ。
(私にできる恩返しなんて、根回しをする事くらいだけど。喜んでもらえるかしら)
楽しそうに笑い合う主従の穏やかな時間は、ただ穏やかなままに過ぎ去っていく。
フォーリエント王国で公爵家と呼ばれる家に大なり小なりの違いはあれど、凡そ常識人と呼べる人間は居ない、という現実は、職務上公平な思考能力を獲得する訓練に励むフリッツ候爵家くらいしか気付いていない。この、はた迷惑を巻き起こす事もしばしばな公爵家の現実は、当人達さえ無自覚なのだ。フリッツ家の人間が、公爵家の人間と話をすると微妙に遠い目をするのはこのためである。
(楽しいわ、本当に)
この世界には、結婚する事を誓う神も報告する神もいないので、教会でも神殿でも寺院でも式を挙げる事はない。
国に書類を提出して許可をもらい、あとは家族や友人知人にお披露目する会を開くだけだ。その会の規模は個人の自由だが、最低でも新郎新婦の親族、三親等くらいは招いて宴をするのが貴族の慣例となっている。
ギリットは勘当されてはいるが別に親族と不仲なわけではないので、招待するかと思ったが、体面上不要だと言われ、ミネルヴァはあまり調整する必要が無くなった。グリッツ家は元々親戚が少ないので、曾祖母の体調面を考慮してライネッツ領へ赴く事にすれば、親族は簡単に集まれるのだ。
(どうしてかしら…やる事がないわ?)
忙しさにもうやだ、とか言いながらも嬉し楽しい準備の日々を妄想していたのだが、気が付けば今やれる事は全て終えてしまった。
「ねぇ、リーネ。私、何かし忘れてる事があるんじゃないかしら?」
「そんな事はないと思いますが」
リーネアッラはミネルヴァの手元のリストを覗き込みながら首を傾げる。リストの作成にあたってはアイリーンやスティアンにも確認を取ったので、漏れはないだろう。
「でも、のんびりお茶を飲んでいるのよ?」
「時にはお休みになる事も必要な事ですよお嬢様。イーグルだって飛び続けてはいませんでしょう」
ちょうど室内に来ていた侍女長がいう言葉に、ミネルヴァは頷く。ただ、首を傾げて考え込む素振りはそのままだった。
ミネルヴァの様子に侍女長とリーネアッラは苦笑して目を見合わせる。
あと一ヶ月もすればシーズンが始まり、三ヶ月以内にはミネルヴァとギリットの婚姻届も提出される運びだ。現時点で揃えられる必要書類と手回しの類は終え、シーズン後に行う披露宴の会場の手配や招待客の出欠についてもまとまっている。
仕事があるギリットからも、既にサフ=ジーノに許可をもらったと手紙が来ているから、ミネルヴァが何かする事はない。
何度首を捻っても、ミネルヴァにもその周りの人間にも特に問題や失念は無いように思える。
(でも、仕事をしながら結婚の準備って、なんだか、もっと忙しかったような気がするのだけど。あぁ、でも、そうね、リットのご両親にご挨拶をしてないから、緊張とか時間的な制約とかが緩いんだわ。体面上不要だって言ってたけど、感情的にはご挨拶したいところよね。お手紙だけだとなんだか…お会いできないか、リットに訊いてみましょうか)
一休みする癖は付いたものの、基本が真面目な働き蟻のミネルヴァは暇になるとついあれこれやりたくなってしまう。
(そういえば、クシャ様に来年の結婚式に参加して欲しいって言われているし、その時にお会いするのならお互い畏まる必要もないのではないかしら)
リストとのにらめっこを止め、ミネルヴァが手紙を書き出した事で、侍女長とリーネアッラは安堵した。侍女長は出ていき、リーネアッラは控えて静かに手紙を書くミネルヴァを見つめる。
リーネアッラはまだ知らない。
自分の日常が順調に回りだすと他所事が気になり出し、しかも、こと色恋にどっぷりハマっている主人が、今どんな手紙を書いているのかを。書いても書いても書き終わる素振りが無く、最終的に二十八通に及ぶ手紙が、自分に関わってくる事など全く知らない。
(えーっと、ニムとアンゼーナ様、ガゼル伯夫人にミッテナー伯夫人とジーノへも書いておきましょうか)
楽しそうに手紙を書く主人を微笑ましい思いさえ抱いて見つめているリーネアッラだが。この時の二十八通に及ぶ手紙が原因で、後日、主人に向かって怒鳴り声を上げる事になる。
(そうだわ、確かビンスの婚約者だったのよね、アスラシア様にも書きましょう)
まさか主人が、現在ひたすら告白を断り続けている続けている相手との恋路を応援するべく動き出すなどと、予想できるはずもない。
(そういえば先日のミクイラ夫人への返事もお出ししないとよね)
これから訪れる誕生日に、季節外れの赤い薔薇を一輪渡され、今までとは違う真剣な告白に思わず絆されて頷いてしまう事になる自分など知らない。そして、物陰から飛び出してくる主人とその友人に、何やってるんですか、と怒鳴ることになるなんて、今はまだ全然知らない。
(後は、お祖母様と曾祖母様にもお出ししておけば良いかしら)
更に言うなら、その数日後、今度は自分が主人と一緒になって、主人の友人に大目玉をくらう事になるのだが。その事だって知らない。
「ねぇリーネ、好きな人の事を考えるのって楽しいわね」
「はい、然様でございますね、お嬢様」
ミネルヴァの言う好きな人が、ギリット一人を示していると思っているリーネアッラは、気付かない。怖くなるほど順調な主人が言う、好きな人、とは、自分を含めた親愛の情を示す相手全ての事であると。本当にお元気になって、良かったと微笑むだけだ。
(私にできる恩返しなんて、根回しをする事くらいだけど。喜んでもらえるかしら)
楽しそうに笑い合う主従の穏やかな時間は、ただ穏やかなままに過ぎ去っていく。
フォーリエント王国で公爵家と呼ばれる家に大なり小なりの違いはあれど、凡そ常識人と呼べる人間は居ない、という現実は、職務上公平な思考能力を獲得する訓練に励むフリッツ候爵家くらいしか気付いていない。この、はた迷惑を巻き起こす事もしばしばな公爵家の現実は、当人達さえ無自覚なのだ。フリッツ家の人間が、公爵家の人間と話をすると微妙に遠い目をするのはこのためである。
(楽しいわ、本当に)
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