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28.薫り立つ
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「丹野で、再会した時に言っただろう」
けれどその後に側に居ない事を選んだだろうと言いかけて、氷冴尾は言葉を飲み込んだ。目を瞬かせて、顔を隠すように俯き、手で口元を覆う。頬が熱い気がした。
貴冬の言葉が、ただ真っ直ぐ言葉のままに受け止めて良いものだったのなら、今まで思い悩んでいたのは、いったい何だったのだろうか。
氷冴尾は柱にもたれながら、ずるずるとその場に座り込んだ。
「里に…戻って欲しいと望まれているんだろう」
呻くような氷冴尾の声に、貴冬は上がり框へと近付く。
「今は里は関係無い」
片膝を框にのせ、氷冴尾の肩に手を伸ばす。
「答えをくれるのなら、里など関わりなく、氷冴尾の答えを聞かせてくれ」
顔が見たいと思うが、頬に触れ顔を向けさせるような真似はできない。肩に手を置き、何とかこちらを向いてくれないかと祈る。
「俺は…」
肩に触れる手の熱に、氷冴尾は泣きそうになった。鋭く息を吸って、手のひらを貴冬の顔に向ける。
「あっちの話を付けて来い」
「ん?」
「犬狼の里から来てた奴らだ」
「いや、あれは待たせているから」
「あっちの話が付いたら俺も答える」
そう言われてしまえば、貴冬に言葉はなかった。
今ならば色好い返事をもらえそうな期待感があっただけに、家で待つ青年達に八つ当たりめいた感情も湧くが、硬い表情でさっさと行けという氷冴尾に食い下がる意気地はない。
「…すぐに戻る」
「ちゃんと話を聞いてやれ」
もう一度、すぐに戻る、と言って貴冬は再び氷冴尾の家を出た。
貴冬が家に青年達を案内した時点で解散していた住民達はもういない。後ろ髪を引かれながら木戸を開ければ、きらきらとした目の青年達に迎えられ、さすがに八つ当たりをする気も消えた。
貴冬は下駄を履いたまま上がり框に斜めに腰掛け、中に通していた青年達に半身で対する。
「誰の指示で来たんだ?」
「族長の遣いです」
「文もございます」
青年達の言葉に、貴冬は眉を寄せた。
族長には、丹野に着いてすぐの頃に文を書いていた。はっきりと氷冴尾に惚れている事も里に戻るつもりはない事も書いた文だ。だが、考えてみれば返事はもらっていない。
差し出された文を受け取り、手早く中を確認する。文は貴冬が出した文への返事ではなかった。海春の族長就任の会を開くので戻って来て手伝って欲しい、という要請だった。
「………」
貴冬は丁寧に文を畳み直すと、眉間を揉んで溜息を吐く。心の底から氷冴尾との件を中断せねばならなかった事を嘆きたくなった。
本当に手が足りないなどという事はないだろう。おそらくは、貴冬を里に戻す、いや、里に戻れるようにするための建前だ。だが、今の彼にとって里に戻る大義名分など必要がない。
「返事を書く。それを持ってお前達は帰れ」
「貴冬さんは」
「俺は戻る気はない」
「そんな訳にはいかないです。きちんと連れ帰ってくるよう言いつかってますから」
「戻るかどうかは俺が決める事だ」
言い募る青年達を無視して、貴冬は手早く断りの返事を認め押し付ける。
が、青年達もそれを易々と受け取る訳にはいかない。貴冬を連れ戻せときつく言われているのだ。
そんな彼らのやりとりは、木柴側の家の木戸が開け放たれていたため氷冴尾の耳にも届いた。聞くともなしに耳に入るに任せていると、そのあまりに平行線を辿るやりとりが気になってくる。ちらりと自分の足を見下ろして、再び下駄を引っ掛けた。
「とにかく戻ってきてください」
「戻らないと言っているだろう。返事は書いているからこれを持ち帰れ。誰もお前達を責めないだろう」
「責められるのが嫌だとか思っているのではないです」
「そうです。俺達だけじゃない。みんな待ってます」
青年達の熱に比べて、貴冬の対応は木で鼻をくくったようで、とにかく話を切り上げようとしているのがありありと解った。
(もしかして結構な阿呆じゃないか…)
戸口に立ってその様子を見ていた氷冴尾は、ふとそんな考えが頭を過ぎった。里と自分を秤にかけて、どちらを選ぶかなど解りきっているだろうに、貴冬はおかしな選択をしている。その上その選択のおかしさを全く気にしていない。
(何で、俺を選ぶんだ…)
丹野で再会した際。嬬にと請われて、惚れていると告げられた、あの真剣な顔が思い出される。
あの視線と同じように、ただ言葉も真っ直ぐにそのまま受け止めていれば良かったのだ。
(阿呆だな…貴冬も、俺も)
氷冴尾は、目蓋を閉じて一度深く呼吸をしてから、目と口を開く。
「ちゃんと聞いてやれよ」
弾かれたように戸口に立つ氷冴尾に目を向けた貴冬は、溜息を吐いて首を左右に振った。
「話は聞いた。その返答をこいつらが受け取ろうとしないのだ」
突如現れた氷冴尾に、青年達は目を瞬かせる。族長の家に出入りしていた彼等は、氷冴尾の事を知っていた。
「貴冬さんに戻ってもらわないと困るんです」
「お前達がだろう。俺は困らないし、俺が居ない程度で里も困りはしない」
「そんな事ありません。先の例祭だって、段取りが悪くて」
「慣れの問題だ。俺だって昔から滞りなく出来ていた訳じゃない。失敗した訳でもないんだろう」
「それはそうですが」
「貴冬さんが居ないと…」
氷冴尾が現れた事で貴冬は更に話をさっさと切り上げようと試みるが、青年達も諦めない。
「貴冬」
そんなやり取りを少しだけ見て、氷冴尾は声をかけた。
けれどその後に側に居ない事を選んだだろうと言いかけて、氷冴尾は言葉を飲み込んだ。目を瞬かせて、顔を隠すように俯き、手で口元を覆う。頬が熱い気がした。
貴冬の言葉が、ただ真っ直ぐ言葉のままに受け止めて良いものだったのなら、今まで思い悩んでいたのは、いったい何だったのだろうか。
氷冴尾は柱にもたれながら、ずるずるとその場に座り込んだ。
「里に…戻って欲しいと望まれているんだろう」
呻くような氷冴尾の声に、貴冬は上がり框へと近付く。
「今は里は関係無い」
片膝を框にのせ、氷冴尾の肩に手を伸ばす。
「答えをくれるのなら、里など関わりなく、氷冴尾の答えを聞かせてくれ」
顔が見たいと思うが、頬に触れ顔を向けさせるような真似はできない。肩に手を置き、何とかこちらを向いてくれないかと祈る。
「俺は…」
肩に触れる手の熱に、氷冴尾は泣きそうになった。鋭く息を吸って、手のひらを貴冬の顔に向ける。
「あっちの話を付けて来い」
「ん?」
「犬狼の里から来てた奴らだ」
「いや、あれは待たせているから」
「あっちの話が付いたら俺も答える」
そう言われてしまえば、貴冬に言葉はなかった。
今ならば色好い返事をもらえそうな期待感があっただけに、家で待つ青年達に八つ当たりめいた感情も湧くが、硬い表情でさっさと行けという氷冴尾に食い下がる意気地はない。
「…すぐに戻る」
「ちゃんと話を聞いてやれ」
もう一度、すぐに戻る、と言って貴冬は再び氷冴尾の家を出た。
貴冬が家に青年達を案内した時点で解散していた住民達はもういない。後ろ髪を引かれながら木戸を開ければ、きらきらとした目の青年達に迎えられ、さすがに八つ当たりをする気も消えた。
貴冬は下駄を履いたまま上がり框に斜めに腰掛け、中に通していた青年達に半身で対する。
「誰の指示で来たんだ?」
「族長の遣いです」
「文もございます」
青年達の言葉に、貴冬は眉を寄せた。
族長には、丹野に着いてすぐの頃に文を書いていた。はっきりと氷冴尾に惚れている事も里に戻るつもりはない事も書いた文だ。だが、考えてみれば返事はもらっていない。
差し出された文を受け取り、手早く中を確認する。文は貴冬が出した文への返事ではなかった。海春の族長就任の会を開くので戻って来て手伝って欲しい、という要請だった。
「………」
貴冬は丁寧に文を畳み直すと、眉間を揉んで溜息を吐く。心の底から氷冴尾との件を中断せねばならなかった事を嘆きたくなった。
本当に手が足りないなどという事はないだろう。おそらくは、貴冬を里に戻す、いや、里に戻れるようにするための建前だ。だが、今の彼にとって里に戻る大義名分など必要がない。
「返事を書く。それを持ってお前達は帰れ」
「貴冬さんは」
「俺は戻る気はない」
「そんな訳にはいかないです。きちんと連れ帰ってくるよう言いつかってますから」
「戻るかどうかは俺が決める事だ」
言い募る青年達を無視して、貴冬は手早く断りの返事を認め押し付ける。
が、青年達もそれを易々と受け取る訳にはいかない。貴冬を連れ戻せときつく言われているのだ。
そんな彼らのやりとりは、木柴側の家の木戸が開け放たれていたため氷冴尾の耳にも届いた。聞くともなしに耳に入るに任せていると、そのあまりに平行線を辿るやりとりが気になってくる。ちらりと自分の足を見下ろして、再び下駄を引っ掛けた。
「とにかく戻ってきてください」
「戻らないと言っているだろう。返事は書いているからこれを持ち帰れ。誰もお前達を責めないだろう」
「責められるのが嫌だとか思っているのではないです」
「そうです。俺達だけじゃない。みんな待ってます」
青年達の熱に比べて、貴冬の対応は木で鼻をくくったようで、とにかく話を切り上げようとしているのがありありと解った。
(もしかして結構な阿呆じゃないか…)
戸口に立ってその様子を見ていた氷冴尾は、ふとそんな考えが頭を過ぎった。里と自分を秤にかけて、どちらを選ぶかなど解りきっているだろうに、貴冬はおかしな選択をしている。その上その選択のおかしさを全く気にしていない。
(何で、俺を選ぶんだ…)
丹野で再会した際。嬬にと請われて、惚れていると告げられた、あの真剣な顔が思い出される。
あの視線と同じように、ただ言葉も真っ直ぐにそのまま受け止めていれば良かったのだ。
(阿呆だな…貴冬も、俺も)
氷冴尾は、目蓋を閉じて一度深く呼吸をしてから、目と口を開く。
「ちゃんと聞いてやれよ」
弾かれたように戸口に立つ氷冴尾に目を向けた貴冬は、溜息を吐いて首を左右に振った。
「話は聞いた。その返答をこいつらが受け取ろうとしないのだ」
突如現れた氷冴尾に、青年達は目を瞬かせる。族長の家に出入りしていた彼等は、氷冴尾の事を知っていた。
「貴冬さんに戻ってもらわないと困るんです」
「お前達がだろう。俺は困らないし、俺が居ない程度で里も困りはしない」
「そんな事ありません。先の例祭だって、段取りが悪くて」
「慣れの問題だ。俺だって昔から滞りなく出来ていた訳じゃない。失敗した訳でもないんだろう」
「それはそうですが」
「貴冬さんが居ないと…」
氷冴尾が現れた事で貴冬は更に話をさっさと切り上げようと試みるが、青年達も諦めない。
「貴冬」
そんなやり取りを少しだけ見て、氷冴尾は声をかけた。
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