花交わし

nionea

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8.光の訪い

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 何もなかった初夜から半年経った。
 相変わらず氷冴尾と海春は本当の夫婦にならぬまま過ごしている。
 七夜参りの薬の影響で月に一度巡って来る子を身篭り易い日も離れと母屋で別々に過ごす二人を、一度二度は当人同士の考えや思いもあるだろうと見守っていた族長だったが。さすがに三度目を迎える頃には、海春へ声をかけた。
 だが、
「あちらが離れから出て来ようとしないのですから無理強いをする訳にもいかないでしょう」
と、言われれば、強く言う事も出来ない。
 確かに、大切な虎猫からの嫁に無体を強いる訳にもいかない。子は授かりものであるし、夫婦の事に他所から口を挟むのはむしろ拗れる元だろう、とも思うため、貴冬にそれとなく仲を取り持つよう言うくらいで、口出しは控えた。
 しかしながら、焦れる思いは、族長だけではなく犬狼族全体に募っていた。
 そんな折、一通の手紙が犬狼の里へと届いた。この手紙のもたらした報せで、里は歓喜に包まれる。
 虎猫の里へと嫁いだ春陽がめでたく懐妊したというのだ。
「良い報せだ」
 その知らせを告げる文に同封されていた、爪刃から氷冴尾に当てた手紙を貴冬に託して、族長はここ半年で最も相好を崩していた。
「準備をしなくてはな」
 文には、里帰りを望む内容があった。春陽にとっては初産である。そして、虎猫の里にとっても、犬狼族のお産は初めての事だ。互いに慣れぬ場で何かあってはまずい、という事で、身動きがとりにくくなる前に里帰りをしたいというのだ。
 無論、族長に否やはない。
 犬狼の里はこの慶事と、慶事をもたらす春陽の里帰りに、沸きかえった。
(なるほどね)
 距離が有っても、屋敷全体が騒がしければ気付く。
 氷冴尾は貴冬から受け取った従兄からの手紙で、何が起きたのかを理解した。ついでに、何やら言うべきかどうか口ごもっている貴冬の言いたい事も解った。いや、貴冬から氷冴尾に言うように言われた事、だろうか。
「春陽って、どんなやつなんだ?」
「え?」
「俺じゃできない面倒な役割を代わりにやってくれた相手だし。感謝くらいしたい。どんなやつなんだ?」
「…穏やかな子だ。海春の気性が荒い分、宥め役に回る事が多かったからかもしれないが。芯はしっかりしていて決して柔弱ではない、優しい子だ」
「ふぅん」
 貴冬がそう言うならそうなのだろう、と思いながら、氷冴尾は従兄の側に穏やかで芯の強い優しい嫁を並べてみた。
(お似合いだな)
 優しい夫婦の元に、産まれた子供なら、きっと二つの一族を優しく結んでくれるだろう。
「重畳」
 呟けば、氷冴尾は体から力が抜けるのが解った。ここに居るだけでも大きな歩み寄りだったが、従兄は更に歩を進めたという。それらば、今後もし海春と仲違いをするような事になっても、一族の結び付きは崩れない。心の底から、安堵が湧き出し、吐息になって出て行った。
 氷冴尾の安堵の吐息と穏やかな表情を見て、貴冬の頬がひきつった。彼はそれをごまかすように、口を開く。
「近くお産のために戻るようだから、話をする機会はいくらもあると思うぞ」
「いや、別に」
 春陽と話をしたい訳ではないが、と首を振る。
「虎猫の族長殿だ。共に来るそうだから」
「爪兄が」
「ずっと滞在する訳ではないだろうが。少なくとも、送るとあったらしい」
「へぇ」
 なら久しぶりに顔を見れるか、と氷冴尾の口元が緩む。
 心の中で、自分で口に出しておいて阿呆じゃないか、と己を詰り、貴冬は耐えられれなくなって立ち上がる。
「いつ頃になるのか、確認して来よう」
「あ? 別に良い、来たらすぐ解るし」
 氷冴尾が歓迎の宴などを開く訳ではない。前もって知らなくとも何の問題も無いため、正直にそう言ったが。
 貴冬は労わるような笑みで、
「いや、訊いて来る」
と、離れを出て行った。
(別に、良いのに…)
 自分に対して、いちいち気を遣う必要などない。氷冴尾はそう思うが、そう言って気を遣わなくなる相手なら、言いたくなるような事にもならないだろう。族長か海春あたりと板挟みにでもなっているのではないだろうか、とつい同情心が湧いた。従兄もそうだが、優しい者ほど氷冴尾の事を気にして、誰かと要らぬ対立をしたりする。
(俺が悪いんだろうな…)
 本当に放っておいてもらいたければそう言えば良いのだ。構われれば喜ぶから、優しい彼等は放っておけなくなる。
「解ったぞ」
 貴冬は早ければ五日後には爪刃が訪うという報せを持って戻って来た。何でそんなに嬉しそうにしているのだろうかと氷冴尾が不思議に思うほどの笑みである。
(俺が爪兄に会えると嬉しそうにしたからだ)
 潔く、独りで良いと、構わなくて良いと言い切れれば、誰も困らずに済むと解っている。解っているのに、できない。
「あ、そう」
 興味が無いような振りで返事をするのがせいぜいだ。そんな見せかけだけの振りでは内心が透けて見えて、結局気遣われるのだと解っていても、優しくされれば、やはり嬉しい。
「良かったな」
「別に」
 早ければ、という前提の五日後に、本当に訪れる事が確定したのは、その翌日だった。
 トントンと調子よく進む話に、いかにこの慶事が喜ばれているのかが解る。僅かに申し訳なく思いながら、氷冴尾もその日を心待ちにしていた。
 そうした期待のためなのか、虎猫の里から一行が来る日。氷冴尾はどうにも朝から落ち着かずにいた。
(いや、屋敷全体が騒々しいからだ、たぶん…)
 屋敷どころか里全体が騒がしい雰囲気になっている。だからあてられて落ち着かないのだ、と考えて、氷冴尾はそうした喧騒と距離を取るため、また離れ近くの木に登った。
「ふぅ」
 そよそよと吹く風に吹かれながら、木の幹にもたれかかりまぶたを閉じる。木漏れ日と微風、青い葉の匂いに木の肌触り、遠くの喧騒。氷冴尾は、朝から浮き足立っていた心が、大人しくなるのをゆっくりと待った。
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