花交わし

nionea

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5.乞われぬ七夜

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 陽に当たりながらうとうととしていた耳が足音を捉える。
「!」
 思いの外近い位置でしたために、ぱっと顔を上げ視線を向ける。
 寝ているように見えた氷冴尾が起きた事に驚いたのか、視線に驚いたのか、僅かに目を見開いた困惑顔の犬狼族の青年が数歩の距離に立っていた。
 元々、犬狼族は虎猫族よりも平均的に体格が大きい。虎猫族としては平均的な氷冴尾と海春はあまり変わらなかったが、それは海春がまだ伸びるからだろう。背は変わらずとも手足は大きかった。今、目の前にいる青年は三つか四つは歳が上だろうか、もう犬狼族として立派に成長しきっているらしい体格は、虎猫族としては大柄な従兄に近い。
 族長も似たような体格だったので、犬狼族としては平均的なのだろうが、氷冴尾にとっては見慣れぬ大柄な男だ。つい眉間に皺が寄り、険しい顔で睨みつけてしまう。
「すまない」
 青年は腰からしっかりと体を折り、謝った。
「本当は、表から訪うつもりだったのだが」
 顔を上げた青年が苦笑しながら指先で頬を掻く。その仕草が、従兄が困った時にする仕草と同じで、氷冴尾はなんとなく青年に抱いていた警戒心を緩めた。
「あんたは」
「貴冬という。一応族長の一族だ。傍流だが」
「へぇ…」
 確かに、耳も尾も黒く、族長や海春に目元が似ている。
「貴方の世話役のようなものだ。何か、不都合な事や直接海春に言い難い様な事が有れば言ってもらいたい」
 もしかして、自分を此処に寝かせたのは彼だろうか、と考えて口を開きかけたが、声には出さなかった。はっきりさせたところで、意味があるとは思えなかった。
「さしあたって、昼餉をどうするか、訊いて良いか?」
「…じゃあ、ここで」
「解った。持ってこよう」
 真っ直ぐに目を見てくるのは落ち着かないが、穏やかな表情を浮かべて話すその態度には、好印象を持った。従兄に似ている彼が世話役なのは、ここに来て唯一良かったことかもしれない、と思いながらその背を見送る。
 今頃、虎猫の里に行った花嫁は、どうしているだろうか。きっと従兄が上手くやっているだろう、とは思うが、虎猫族の犬狼族に対する何処か卑屈な負けん気は根深い。
(俺が、気にする事じゃないな…)
 族長を継がずに里を出た。そんな自分が考える事ではないとすぐに思考を止めて、氷冴尾は寝間から広間へ移動した。
 氷冴尾はこの日、儀式のために母屋へ向かうまで、結局離れから一歩も外へ出なかった。
 嬬乞の七夜参りは連日行われる。
 一日目と同じように準備をして、母屋の一室で待つという事を、二度、三度、と繰り返しても相変わらず不快感は消えなかった。
 そして、五日目の夜。
 嫌だという思いが無くなった訳ではないが、もう慣れた四つ這いの姿勢をとった氷冴尾の背を粟立たせる刺激が走る。
 薬が冷たいせいではない。
「っ…!」
 綿枕を握る手も食いしばる口元も、妙に力が入り難い。薬の弛緩成分が効いているからでもない。
(体が変わりだした…!)
 真っ先に氷冴尾が感じたのは、怖い、という思いだ。
 次いで、体が性的な反応を見せる事に、恥ずかしさを覚えた。
 しかしながら、儀式を止める訳にはいかない。そもそも、体を作り変えるための儀式なのだから、作り変わる事が嫌だから止めて欲しいなどと、どうして言えるだろう。
(順調に進んでいるんだ…これは当たり前の事だ)
 氷冴尾が懸命に恐怖に耐えていると、いつも通りに、淡々と作業を終え、海春は部屋を出て行った。
(終わった…)
 だが、氷冴尾はいつもの様に体を横たえて、眠ってしまう事が出来なかった。精神は疲弊しているのに、体は酷く昂ってしまっていて、熱を持て余しているのだ。とはいえ、薬が効いている今、氷冴尾の体は自由には動かない。
(駄目だ…このままじゃ)
 自分が疲れて眠ってしまうと、誰が身支度を整えて運んでくれているのか、氷冴尾はもう確信を持って理解している。だからこそ、こんな状態でいたくなかった。
 だが、完全に薬が効き始めた今は、もう指先一つ動かせない。
 静かに襖を引く音を、遠くに聞きながら、氷冴尾は自分でもよく解らないまま涙を零した。
「っ!?」
 襖を開けて直ぐに、貴冬は耳に届いた音に気付いた。氷冴尾がまだ眠っていない事に戸惑い、屏風の裏に留まって、様子を窺う。荒い息遣いとすすり泣くような音が時折聞こえる。
 嬬乞の七夜参りは、今日で五日目だ。そろそろ体に変化が起きてもおかしくない頃である。貴冬は、海春を呼び戻すために部屋を出た。
 屏風の向こうに居た気配が出て行ったのを理解して、氷冴尾は安堵の息を吐いた。だが、安心したはずの目からは涙がまた幾筋も零れ落ちる。
(何で)
 どれくらいの刻だったのか判然としないが、しばらくして、氷冴尾の昂りは静まり、それと同時に眠気が訪れた。
 次に目を覚ますと、いつもの様に清められた体で、離れの布団に寝ていた。
「ふぅ」
 自然と目を覚ましたが、障子越しの光が眩しく感じられて、手で目を覆ってみた。しばらくその状態で瞬きを繰り返して、手を退ける。体を起こしてのそのそと障子に近付き、開ける。陽が中天よりも傾いていた。
(寝過ぎだな………ん?)
 桟に腕を寝かせてその上に顎を乗せた所で、視界に見慣れないものが有る事に気付いた。そちらへ視線を向けると、壁に背を預けて座り込んだ姿勢で、ひどく気まずそうな横顔を見せている貴冬がいた。
「………」
「………」
「何してるんだ?」
「あ、いや、昼餉の事で来たのだが…まだ寝てるようだったからしばらく待っていようと」
「寝てた、と?」
「…寝る気はなかったのだが」
 結局海春を呼び戻せなかった貴冬は、あの後戻ってきてずっと障子の向こうから氷冴尾の様子を伺っていた。そして、明け方近くになってようやく寝入った彼を離れへ連れて来たのだ。そこから諸々始末をしていたら朝になり、ついに一睡もせずに昼餉の時間となった。起きると開けられる障子が閉まっていたし、耳をそばだてれば規則的な寝息も聞こえたので、起きるまで待っていようと背を壁に座り込んだところ、日差しに暖められて気付けば寝ていたのである。
 起きたのは、氷冴尾が障子を開ける音が聞こえてからだった。
「ふっ…くく」
 笑わなくても良いだろうと言いかけて、初めて笑い声を聞いている事に気付いた貴冬は口を閉じる。笑いに合わせて震える白い髪がキラキラと光を弾くのを見て、眩しいなと目を細めた。
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