とある隠密の受難

nionea

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 ミツマがはっと目を覚ますと、朝日に白み始めた窓の外が見えた。背には人の体温を感じる。ただし、服越しにだが。
(………何もなかった)
 正確には寝ている間中抱えられていたし、寝るまではひたすら視線を合わせられない近距離で話しかけられて、緊張しきりではあったが。せっかく着た下男服を脱ぐはめにはならなかった。
(朝だ…かつてこんなに嬉しい夜明けが有っただろうか………有ったな、夜間訓練明けもそうとう嬉しかったわ、そういえば)
 目を覚ましたのでとりあえず寝台を下りようと動くが、腹部のあたりに回っていた手に引き寄せられる。
「早いな…」
 寝起きらしい少し掠れた声が項に落ちる。鼻先でくすぐるように襟足をなぞられて、慌ててじたばたと手から逃れようともがく。離れるためにもがいたはずなのに、最終的に上体を起こして座ったリーグクラットの両足の間に彼の腹に背を預ける形で座らされた。
(もういいや、姿勢はどうでも。とにかく朝になったんだ、指輪の効果を教えてもらおう)
 指輪についての質問をしようとミツマが口を開きかけた時、二人はほぼ同時にその異変に気付いた。扉の向こう、廊下の遠くが騒がしいのだ。しかも、徐々に騒ぎは大きくなっている。騒ぎの中心が誰であるのかは、扉の直ぐ側に来ていた時に知れた、リーグクラットの側近が王妃陛下と叫ぶ声がしたからだ。
 その声にミツマは素早くリーグクラットの傍を離れ、寝台を下りる。
 素早い動作を目の端で見ながら感心しつつ、リーグクラットは寝台の上でだが、扉に正対した。
「入るわよクラット!」
 リーグクラットの返事を待たずに、扉が開く。朝からきっちりと装いを整えた王妃、リーグクラットにとっては母親であるシィレーナが立っていた。彼女は素早く室内を見回し、寝台を観察して、すたすたと寝起きではあるが乱れた様子はない息子へ歩み寄る。
「貴方、高殿組に手を出したそうね」
「はぁ?」
 高殿組とは上級下男の別称である。
 シィレーナは、王位継承に興味の無いリーグクラットが外で遊んでいる事には寛容だ。だが、そういう後腐れの無い割り切った遊びなら寛恕するが、悶着を生む未来しか予想できない貴族子弟との関係となれば口うるさく成らざるを得ない。もっとも、今、どうやらデマだったなと認識したところだが。
「勘違いだったようね」
 何かあったのならば隠しようもない早朝に突撃してきたのに、痕跡がない。その上、およそ他人に隠し事をしない質の次男が、本気で不審そうにしている。母親として息子の嘘や隠し事は一切見逃さないつもりのシィレーナだ、これは完全に白だなと結論づけた。
 ちなみに、そんな誤解が発生した理由は既にお察しだろうが、昨夜リーグクラットがミツマを押し倒していた際、床に上級下男服が落ちていたからである。
「帰るわ。邪魔したわね、クラット」
「はぁ…」
 早朝から元気かつ自分中心な母を気のない返事で見送って、申し訳なさそうな顔で側近が扉を閉めるのに苦笑した。扉の向こうの気配がちゃんと遠ざかっていくのを確認してから、リーグクラットは寝台の下を覗き込んだ。
「?」
 確かに隠れるために滑り込んだのを見たのだが、そこにミツマの姿は無かった。
「隠密というのはおもしろいものだな…」
 おそらく前回逃げられた時のように隠し扉があるのだろうが、部屋の主であるリーグクラットすら認識していないものを自在に扱っている存在に、興味が湧く。
 一方、リーグクラットの予想通り、寝台下の床から壁側に移動して、既に天井裏に登ったミツマは頭を抱えていた。
(せっかくの魔法の効果を聞く機会が…いや、条件はこなしたんだ、とりあえず、どっかで、隙を見て聞こう)
 その後、リーグクラットの日常とも言える朝稽古のため身支度を手伝う侍従が入室してきた。天井裏から始まったいつもを観察しつつ、だがミツマは好転するはずの事態に浮かれていた。
 そんな浮かれた自分を罰するような事態が起きるとは、夢にも思っていなかったのだ。
(冷静にって、あんなに心に誓ったのに…浮かれた自分をぶん殴ってやりたい)
 ミツマは両手で顔を覆ってさめざめと泣きたかったが、そんな事をしても意味はないので手は大人しく膝の上に揃えて椅子に座っている。
 そう、今、ミツマは、リーグクラットの居間にある円卓を囲む五つの椅子の一つに座っている。
 リーグクラットの朝稽古の間に、昨日置いてくることになってしまった荷物も無事に回収して、柿渋の隠密服に覆面状態で再び天井裏に潜伏していたまでは良かった。軍部に向かうはずのリーグクラットがシィレーナに呼び止められ、何故か王太子であり第一王子であるカシオニアまで加わり、居間の机で家族会議が始まったあたりで雲行きがおかしくなった。
 そして、
「隠密! 聞こえているか? 悪いが緊急事態だ、呼ぶぞ!」
と、リーグクラットが叫んだところでミツマの不幸な事故が確定した。
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