とある隠密の受難

nionea

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 先輩隠密へ送った手紙は、ミツマが思っていたよりもすぐに返事が届いた。
 曰く、
「キョートウ国の王家に常識は通じませんが、話は意外と通じます。面と向かって呼び出すのを止めるよう頼んでみてはどうですか」
との事だ。
(………まじで?)
 何度か読み返したり、炙り出しかと思い炙ったりしたが、内容は変わらなかった。
(いや、でもフツイさんが言う事だしなぁ)
 フツイは、今でこそ偶々ミツマと広義で同じ職場に居るが、十歳で一人前の認定を受け、既に二十二年隠密をしている大ベテランである。
「っし、そう…ぐぇほっごほっ」
 そうと決まれば行動だ、と気合を入れたかった。床が突然無くなり温かなお湯に顔面が包まれるまでは。
「すまん」
 自分を抱え上げる腕の存在を感じながら、ミツマは本当に常識が通じない相手に話が通じるものだろうか、と疑った。
 そんな訝るミツマの表情を、恨みと受け取ったリーグクラットは、流石に申し訳なさそうな顔で彼を腰掛けられる石の上に乗せながら、再び謝る。
「すまなかった」
 石に腰かけても着衣の状態で胸までお湯に浸かっているミツマは、正直もう何もかもがどうでもよくなっていた。固めた決意も、冷静さを心掛ける普段の意識も、何もかも吹っ飛んでいった。無である。もう正直無感情である。
(もうどうでもいいし、どうでもいいから、フツイさんの言った通りにしよう…)
 全裸でお湯に浸かっている事は常識的な事なのだが、全裸の人間相手に真面目に話をしなくてはならない状況が常識外過ぎて、ミツマの顔は思わず半笑いになる。
「あの、ご存知かとは思いますが、私は隠密です」
「ああ」
 ふんだんに灯を使い、明るく照らし出された浴場で、全裸の対象者相手に面と向かって自分は何を言っているんだろうという思いは、今だけは瑣末に感じる。
「指輪の効果がどういったものなのか解りませんが、殿下の意思でどうにかなるのでしたら、このように突然呼出すのを止めていただきたいのです。仕事にならないので」
「そうだな。すまない。はしゃぎ過ぎた」
 心持ち落ち込んだように項垂れるリーグクラットに、一瞬何を言われたのか解らず、ミツマは言葉が止まる。というか、息が止まった。
「………止めていただけるのですか?」
「ああ」
 呼吸の再開に合わせて重要な事を再確認した。ミツマの心の重さに大して返事があまりに軽い事だけは気になるが、それでもその内容が肯定である事は動かぬ事実だ。
(………さすがフツイさんだ!)
 頼った他力の偉大さに感動したミツマは、苦悩からの開放と先輩への憧憬によって、無からの脱却を果たした。もし、このタイミングで果たせていなかったら、上手く頭が回らず最悪の事態を引き起こしていただろう。とは、後の本人の回顧である。
「何時ならいい?」
「………え?」
 言われた言葉の意味が全く分からず聞き返してしまった。
「俺が、一人の時なら良いかと思ったが、それではお前の仕事の事を考慮できていなかったのだろう。だから、教えてくれ、何時なら呼び出しても問題ないんだ?」
 呼び出すな、と言いたかった。
 だが、その時ミツマの脳裏には未だかつてないスピード感でとある場面が再生された。第二王子が側近と言い争っていた場面だ。
「お前は結局俺が何をしようと小うるさく文句をつけるのだろう? だったら俺は俺のしたいようにしかせん」
 彼は確かにそう言って、好き放題していた。
(ここで呼び出すなって言ったら、折角譲歩したのに結局のところ何時呼び出しても駄目って事でしかないならもう俺が好きな時に呼び出す、って話になるのでは…? いや、まずい! それだけは駄目だ。何としても回避だ! でも実際ほいほい呼び出されたら困るんだよ。何処だ? 何時だ? どういう状況なら呼び出されても問題ないんだ? 考えろ俺、考えろ!)
 呼び出すな、という回答をしなかったミツマは、正解であると言えた。ただ、その後、本当に馬鹿正直に呼び出されても問題無いのが何時なのかを答えた彼は、ちょっと考えが足りていなかった。
「殿下が就寝される際であれば」
(この人が寝る時って、俺の仕事終わりだからな)
「そうか、解った。ではそうしよう」
「お願いします」
 ミツマはリーグクラットがやたらいい笑顔を浮かべていた事に、もう少し注意を払うべきだった。そもそも、生命と貞操の危機を感じて寝室から逃げ出しておいて、その寝室に呼び出してくれと頼むのだから、ミツマの頭はまだ正常な状態であるとは言い難かった。
(良かった! これであと五日、乗り切れば帰れる!)
 何一つ根本は解決していないのだが、その事にミツマが気付くのは、この後リーグクラットの寝室に呼び出されてからの事だ。
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