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6話 持たざる者の矜持

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 銀色の紋が彫られた校章。それを指で弾いては、宙で捕まえる。

 薄暗いダーツバーの一角にいるのは、先ほど雛子が成敗したチンピラたちだ。その一人が、雛子の校章を手にしていた。

「よくそんなモン拾ってたな。それがあれば、セレブ御用達の店とか出入りし放題なんだろ?」
「ああ。限られたデータベースにも入れるできるから、お偉いさんの機密情報なんかも覗き見できるかもな。せっかくのオモチャだ、せいぜい遊んでやろうぜ」

 その時、扉がけたたましい音を立てて開いた。立っていたのは、肩で息をする雛子だ。
 雛子は、チンピラの一人が宙に投げ上げた校章が西日に反射するのを見ると、声を上げた。

「返しなさい!」
「おいおい、拾ってやったんだからもう少し礼儀ってもんがあるだろ。ありがとうございます、返してくださいって」
「くっ!」

 雛子は校章を持った相手に飛びつこうとしたが、すんでのところで仲間にパスされてしまった。
 何周かそれを繰り返し、校章は元のリーダー格の男に渡る。

「俺は元々、魔力保持者ってのは好かねぇんだよ。ちょっと珍しいからってチヤホヤされてよぉ、時代が違えば裁判で火あぶりだってのに」
「このっ……!」
「おっと、入学前から喧嘩騒ぎ起こしていいのかよ」

 魔力を発動しようと構えた雛子が、その言葉に手を下ろす。その頬を、何かが掠めて飛んでいった。
 雛子の頬に一筋赤いものが走る。足元に落ちたのはビール瓶の蓋だった。

「俺もちょびっとだけ魔法が使えるんだよな。指先に溜める力が強いって、それくらいだけど。なのに親父とお袋が変な期待かけちまってさぁ……魔法士学校の試験受けたけど、結果はボロボロ。何の役にも立ちゃしねえって、見限られて……いい迷惑だよ」

 雛子の動きを制圧するかのように、二度、三度、蓋による攻撃が続く。まるで銃弾のようなそれは、ガラス戸を撃ち抜いてガシャンと音を立てた。

「だから気にくわねぇんだよなぁ、ちょっと恵まれた環境に生まれて、いい制服着てふんぞり返ってるやつらがさぁ。お前らがどんだけえらいんだ? 魔力があるってだけで俺らよりどんだけえらいんだよ!」

 男が声を荒げ、ビール瓶の蓋を無数に飛ばしてくる。
 雛子は怯んだ。ここで先ほどのように壁を作れば、跳ね返った弾はチンピラたちに当たるだろう。そうすれば雛子自身が危害を加えたことになりかねない。
 雛子が思わず両腕で顔を庇った時。

 鈍く重たい音が数発、続いて金属の落ちる音。雛子が顔を上げれば、そこにいたのは斑鳩だった。

「おじさま!」
「やめてくれその呼び方、背中が痒くなる」

 斑鳩が掲げたのは、ビールに浸かって色の濃くなったジャケットだった。濡れた布で蓋の銃弾の衝撃を吸収したのだ。

「あーあー、俺のジャケットこれ一丁なのによう」
「んだ、テメエ!」
「おっと」

 声を荒げたチンピラに、斑鳩が軽く手を上げた。

「さっきガラスが割れて人が集まり始めてる。騒ぎになったら困るのは、お前らも一緒じゃねえのか。それと」

 斑鳩がリーダー格にビシッと指を立てた。

「制服でふんぞり返って歩けるのは、学区が決まってる学生の頃までだぞ。社会に出たら休日だってどこに上司がいるか分からねぇし、なんなら市民の皆さんから警察の態度が悪いってご意見をいただいたりするんだからな」

 呆気に取られるチンピラを前に、人のざわめきが斑鳩の耳にも届いた。

「おい、行くぞ」
「え? ええ」

 ジャケットを肩に引っかけ、斑鳩は雛子を促した。表に集まり始めた野次馬をかき分け、その場を出ていく。

「ほら、探し物」
「え? あっ!」

 斑鳩から放られたのは、雛子の校章だった。雛子は慌ててそれを受け取った。

「これ、いつのまに?」
「奴らが表の騒ぎに気を取られてる間にな。真っ向勝負で取り返すには分が悪いだろ」

 その場を離れながら、斑鳩はマホタイ所属当時のことを思い返していた。

 きっかけは公務員だったが、人の役に立ちたいと思っていたのも事実だ。
 だが現実は甘くなかった。魔力保持者による事件の現場に行った際、犯人は取り押さえたものの、魔力保持者を恨んだ被害者側の家族の強襲に遭ったのだ。犯人を庇った挙句、斑鳩は現場に戻れない怪我を負った。

 見た目の華々しさとは別に、自分が守ろうとした相手に背中から刺されることもある職業だ。年月が経つたびに、斑鳩の心は擦り切れていった。

 だから、あまりに眩しかったのだ。自分とは違い、真っ直ぐで汚れを知らない少女の瞳が。

「おっさんの私情を、若いモンに押しつけるのは筋違いだよな」
「なんですの?」
「いーや、独り言だ」

 斑鳩は雛子を振り返って、頭を掻いた。

「さっきは悪かったな。あんたは俺と違って前途有望なんだろうし、たくさんの人の役にも立てるだろうさ。おっさんのやっかみは忘れて、精進してくれ」

 そう言う斑鳩を、雛子はじっと見つめていた。そこへ、遅まきながら隼人が合流した。

「雛子さん!」
「あら、隼人」
「また勝手に突っ走って……俺みたいな付き人が困るんですからね。今日はもう懲りたでしょう、行きますよ」

 隼人に促されても、雛子はその場を動こうとしない。それこそ雛鳥のように、斑鳩からじっと目を離さない。
 そして雛子は、突拍子もないことを言い出した。

「おじさま、いえ、斑鳩様とおっしゃいましたわね。どうか、私の家庭教師になってくださいませんこと?」
「ハァ!?」

 斑鳩が頓狂な声を上げた。

「先ほどの身のこなし、やはり現場を経験された方にしかできない動作でしたわ。それに含蓄のあるお言葉!なにより斑鳩様なら体術も魔法も複合的にご指導いただけますもの、こんなに適任の方はいらっしゃいませんわ!」
「あんたなぁ、今日会ったばっかりのおっさんに何言って」
「いや、いいかもしれませんね」

 意外にも口を挟んだのは隼人である。

「元マホタイ所属で身元もしっかりしてるし、雛子さんが姿くらましても追っかける人手が増えるのはありがたいです」
「そんな適当な……」
「それに、斑鳩様にも悪い話ではないでしょう? 働き口をお探しなのですから、十分な待遇でお迎えいたしますわ」

 それを言われると斑鳩は弱い。外堀を埋められた挙句、とどめは雛子のいたずらっぽい笑顔だった。

「いかがでしょう、斑鳩様。未来ある若者を育てるのも、年長者の役目ではなくって?」

 返す言葉もない。
 かくしてどんな運命の悪戯か、斑鳩はマホタイを退職したその日、マホタイ所属を目指すお嬢様の家庭教師になることになったのだった。
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