心臓の歌

四季織姫

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心臓の歌

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冷たいベッドの上で薄暗い夢をみる。

 温かい冬花の手の感触だけが微かに感じられる。

 あの日、誓った二人の約束のために、二人の未来のために、俺は今、現在という時間に抗っている。

 行き着く先は決まっている。

 あとはただ前に進み続けるだけのはずなのにその一歩が続かない。

 あと少しと思えば思うほどに足は重くなる。

 冬花の待つ、あの日々に帰るために俺は。ただその為だけに。



 桜の蕾の多くが花咲かせる頃、俺の学校の始業式が執り行われた。

 俺は、悪友、篠原惠と並んであくびを片手間に校長の話を聞き流している。

 俺は自分で言うのも何だが不良である。

 と言うのも、退屈な授業の時間を有意義に使っていたらそのうち不良という評判が定着してしまった。

 なので、はっきり言って始業式に出ているのも奇跡なのだが担任に言われちゃあ仕方がない。

 担任はこの学校で唯一信用している大人だ。

 校長に続き、生徒指導部まで話し始めた。

 こうなると長いのである。

 隣の篠原は完全に寝ている。

 ようやくのことで始業式が終わると教室に返された。

 教室では担任の自己紹介と今後の予定の説明があり、おわらうとすぐに解散ということだった。

 担任の朱里先生は何事にも一番になりたい人らしく、ホームルームも一番早く終わらせたいそうだ。

 今日は用事があるということで昇降口で篠原と別れた。

 そして一人で帰路についていると帰り道の桜並木に一人の少女が立っていた。

 その子は制服を着ており、桜をじっと眺めていた。

 俺も彼女に見入ってしまっていたのだろう。気が付けば彼女はこちらを振り返っていた。

「あの、どうかしましたか?」

 彼女が聞いてくる。

「いや、君がやけに桜に見入っているものだから気になってしまって。」

 俺はそう答える。

「君は新入生?それとも二年生?」

「どうして、三年生という選択肢がないんですか?」

「ん?そりゃあ、見たことないし。」

 普通、同じ学年の人の顔くらいはそこそこ覚えているものではないだろうか。

「先輩は不良の割にすごいですね。」

「君も春のことを知っているのか。悪い噂だろう。」

「そうですね。とっても悪い噂です。私と一緒ですね。」

 一緒とはどういうことだろうか。

「一緒とはどういうことなんだって思いましたか?私も昔荒れてたんですよ。」

 全然そうは見えないけど。

「で、結局どっちなんだい?」

「えっと、あ、二年生です。」

 二年生か、つまり朱里ちゃんは一番ではなかったということか。

「そうか、まぁまた何かの機会に会うことがあったらよろしくな。」

「はい、こちらこそよろしくお願いします。」

 そう言って彼女の横を通り過ぎる。

 いい匂いがした気がした。



 夕方、篠原が家に遊びに来た。

 家と言っても寮なので部屋自体は広いものじゃないのだが。

 八畳だった気がする。

 二人でゲームやらビデオやらを楽しんでいると部屋の扉がノックされる音がした。

「どうぞ。」と返事をすると扉が開かれる。

 そこから入ってきたのは寮母の神崎茜さんと妹の碧ちゃんだった。

 碧ちゃんはまだ中学生なのだがしっかりとしている。

 茜さんの年齢はまぁ秘密だそうだ。

 ただ年齢の話をすると怒るし、怖いということだけがわかっている。

 篠原が来るのは茜さん目当てということもある。

 その逆、篠原のことが好きなのは碧ちゃんだったりする。

 篠原は碧ちゃんのことは妹みたいだとウザがっている。

 不思議な三角関係だった。

「どうかしましたか?茜さん、碧ちゃん。」

「ううん、楽しそうな声が聞こえてきたから来ちゃった。」

「来ちゃいました。」

 なるほど。

 彼女の手の上には山盛りの唐揚げが皿一杯に乗っていた。

 適当な理由をつけて差し入れを持ってきてくれたんだろう。

 茜さんは何かと俺のことを可愛がってくれる。

 茜さんは俺の隣に座り、碧ちゃんは篠原の隣に座った。

 篠原の顔を見るとすごいしかめっ面をしている。

 みんなでビデオを見ていると、あっという間に時間がたっていた。

 日が沈むと篠原は帰って行った。

 茜さんに作ってもらった晩御飯を食べて、風呂に入って、布団に潜る。

 さっさと寝てしまおう。

 翌朝、朝日がカーテンの隙間から差し込んできて、俺の眠りを妨げようとする。

 だが、布団から出ることができない。

 遅刻しそうなギリギリの時間になると茜さんが起こしに来てくれる。

 朝起こしに来てくれる彼女が欲しい。



 ある週末、学校も順調に進んでいたある日、篠原と公園にやって来ていたらベンチに座ってアイスを食べる桜の少女がいた。

「おーい、桜の子。」

 そう呼ぶと、桜の少女がこちらを向く。

「私のことですか。」

「そうそう。名前をまだ聞いていなかったから。」

 自分で言ってて気づいた。

 彼女の名前をまだ知らない。

「おい、その子は誰なんだ?雪兎の知り合いか?」

「この前、帰り道に会ったんだ。ずっと桜を眺めていて気になったんだ。」

「そうでしたね。私は遠藤冬花って言います。先輩たちの名前はなんていうんですか。」

 遠藤冬花さんっていうのか。

 桜を見ていた割に名前は冬なのか。

「俺は篠原惠だよ。よろしくな。それにしても冬花ちゃんか、雪兎とはお似合いだな。」

「何でだよ、篠原。」

「何でって、雪と冬だろう。相性ぴったりじゃん。」

「先輩とお似合いってちょっと複雑です。篠原やめてください。先輩は何ていうんですか。」

「俺は近衛雪兎。雪兎でいいよ。」

「わかりました。よろしくお願いしますね。雪兎先輩、篠原。」

「いや、俺のことは呼び捨てなのかよ。」

「うそです、篠原先輩。」

 それより、

「冬花、アイス溶けてるぞ。」

「え、あ、ほんとだ。」

 冬花の手の元を見るとアイスが溶けてしまっている。

 アイスは手にかかってはいなかったが残念なことになっていた。

「それどこで買ったんだ。」

「噴水の奥で、売ってましたよ。」

「ちょっと待ってろ、買ってくる。お前の分もな。」

「そんな、いいですよ。」

 冬花は遠慮している。

「いいよ。俺らのせいで溶けちゃったんだし。」

「そうですか。ありがとうございます?」

 そういうわけで篠原と一緒に少し先のアイス屋さんにまでアイスを買いにいく。

 俺は抹茶を、篠原はチョコを、冬花にはストロベリーを頼んだ。

 両手にアイスを持って冬花の下に帰る。

「いちご味…ですか。」

「そうだ。嫌いだったか?」

「好き嫌いしちゃダメなんだぞ。」

 横から口を挟んでくる。

「いえ、そんなことないですよ。」

 そう言って、俺からアイスを受け取る。

 俺は冬花の隣に座り、さらに隣に篠原が座る。

 三人並んでアイスを食べる。

 今度は溶かしたりしないように早く食べ切ってしまう。

 アイスを食べ切った後、俺たちはすこしだべることにした。

 春の桜の散り始めている頃のことである。

 すでにそこそこ暖かくなっている。

 心地の良い日差しを感じながら喋り続けている。

 会話の内容は単純だった。

 学校は楽しいかとか、いつも朝どう起きているかとか、弁当は自分で作るのかとか。

 ちなみに俺らは全部NOだった。

 学校はつまらないし、朝は自分で起きられないし、弁当は茜さんに作ってもらっているし。

 ああでも、朱里先生の授業はちゃんと聞いている。

 冬花は学校自体は好きというわけじゃないが夢のために頑張っているらしい。

 朝も、弁当も。

 夢についても過去の荒れていたことについても聞くことはできなかったがなかなか楽しい時間だった。

 途中まで一緒に帰ることになった。

「そういえば、先輩たちは何であの公園にいたんですか?」

「いや、散歩にしていたんだよ。散歩をするといいアイディアが浮かぶんだ。」

「アイディア?何のだ?」

 まぁ普通はそうだろうな。

 普通はこんなこと言われても理解できないだろう。

「こいつはな、小説家なんだ。」

 篠原が説明してくれる。

「まぁ、本を出してもらっているだけだがな。」

「それでもすごいんじゃないんですか。」

「そんなことはないよ。」

 そうなのだ。

 本を出してもらうこと自体は何もすごいことじゃない。

 自費出版って形もあるしね。

 だから、何もすごいことはない。

「一応、売れてんだから自信持てよ。」

 嬉しいことを言ってくれる。

「何を書いているんですか?」

「俺の人生を少し誇張して書いてるよ。」

「授業のサボり方とかですか?」

「違う違う。もっとロマンチックなものだよ。」

「雪兎とは全然違うんだよ。」

 うるさいやつだな。

「頑張ってくださいね。篠原も。」

「俺が呼び捨てなのは変わらないのかよ。」

 篠原は家にまでついてきた。

 今日は晩御飯も一緒に食べるらしい。

 篠原の家は時々ご飯を一人で食べることがあるんだよな。

 なのでたまに茜さんに誘われてうちで食べて行くんだよ。

 今日の晩御飯は豚の生姜焼きだった。



 週明け、教室に入ると話しかけてくる男女がいた。

「あら、今日は朝から来たのね。」

「ほんとだ、朝からいるなんて珍しいな。」

 こいつら何言ってやがる。

「うるせえな、今日はっていうか俺は授業をサボるが遅刻はあんまりねぇだろうが。」

「あんたのあんまりは普通の人の結構なのよ。」

 こんなことを言うのは坂本愛華、野郎の方は緒方鶴城。

 俺の世話を何故か焼いてくれる人と悪友その二だ。

「坂本姉、そんなに口うるさいと彼氏もできないぞ。」

「うっさいわね。あんたには関係ないでしょ。」

 何故か、怒られた。

 鶴城はすげぇ笑っている。

 今、後頭部を殴打された。

 もちろん、坂本に。

 夫婦漫才を始めた二人を無視して席に向かう。

 席に座ると一人の女の子が声をかけてきた。

「お姉ちゃんがすみません。雪兎くん。」

「いや、お前が謝ることじゃないよ。坂本妹。」

 坂本には妹いるのだ。

 あいつに似ているが可愛いのである。

 大変に腹立たしい。

 だって双子の妹が可愛いということはあいつを可愛いと言ってるようなものだしな。

 そんな感じで喋っていると授業が始まる。

 今日も面倒な授業は内職や睡眠の時間に充てる。

 三限目、退屈な授業に飽き飽きして、外を見ていると、体操服姿の冬花が見えた。

 しばらく見ていると冬花も俺の視線に気付き、視線が交差する。

 冬花はベーっと舌を出し、何かを喋っている。

 読唇術を持っているわけではないが多分授業に集中してくださいとか言っているのだろうか。

 なんて考えていたら、今度は隣から丸めたノートのページが飛んできた。

 中には集中しろと書いてある。

 多分書いたのは坂本姉だろう。

 と言うかお前も言うんかい。

 なんて考える。

 あと、お前も集中しろ。

 今度は先生からの罵声が飛ぶ。

 いつもは俺のことなんて無視しているのに今日に限ってこんなに色々言われるんだ。

 散々な日だ。



 その日の昼休み、教室に来客がやってきたようだ。

 下級生だったようで教室の前の方で騒いでいる。

 と思ったら、全員が俺たちの方に向いた。

 何故かと思っていると、人だかりから冬花が出てきた。

「雪兎さん、今日はどこでお昼ご飯を食べますか?」

「お昼?それなら、ここで食べるが。どうしてだ。」

「じゃあ、ここで一緒に食べてもいいですか。」

 こいつは何を言っているんだろうか。

「いや別に、それはいいが。他に食べるやついないのか。」

「いませんよ。言いましたよね。私昔荒れていたんですよ。それを知っている人がいるんです。」

「ああなるほどなぁ。それじゃ無理かぁ。」

「先輩って彼女いるんですか?」

「いないけど、それがどうした。」

「じゃあ、私じゃダメですか?」

「いや、何でだよ。」

「先輩のこと昔から知っていたんです。好きなんですよ。」

「…冬花は夢ってあるのか?」

「ありますけど。」

「どんな夢なんだ。」

「生徒会長になって、この街を守りたんです。」

「守りたいって何から?」

「この街は開発のために一気に自然が壊されそうになっているんです。それから守りたいんです。」

「じゃあ、生徒会長になったら、付き合おうか。」

「その言葉忘れないでくださいね。」

「二人とも、僕がいること忘れてない?」

 完全に忘れていた。



 あれから、数週間毎日のように冬花が教室にやってきた。

 さらには俺たちの弁当まで用意し始める始末だった。

 篠原の弁当は泣きながら土下座をしたことで何とか作ってもらうことになった。

 つまりは泣き落とし、冬花が折れたのである。

 それから、今日は生徒会選挙の日である。

 今、隣には冬花が座っている。

「冬花は他にいるべき場所があると思うのだが?」

「いいんだよ。私は雪兎の隣にいたんだ。」

 この数週間で冬花の話し方は随分砕けたものになった。

 だが立場は全然違うものになってしまった。

 とはいえ初めから俺らは全然同じではなかったんだけど。

 生徒会長候補にまでなってしまった。

 そんなふうに時間が流れていくと、チャイムと一緒に放送が流れ始める。

「遂に始まったな。」

「ああ、そうだな。楽しみだがちょっと緊張もしている。」

 すると、放送で、生徒会長の名前が挙げられる。

「生徒会長、遠藤冬花。」

「やったー。やったぞ、雪兎。」

「そうだな。おめでとう。」

 本当になりやがった。

「じゃあ約束通り、私を彼女にしてくれるよな。」

「まぁ約束だからな。」

 そんなわけで俺たちは付き合うことになった。

 冬花は本当に喜んでくれている。



 あれから、数日が経ち、生活がガラリと変わってしまった。

 朝は毎日、冬花に起こしてもらえ、弁当も引き続き作ってもらい、授業の内容を教えてもらえることになった。

 特に、テスト勉強に付き合ってもらえるようになった。

 冬花は三年分の勉強を予習済みだったらしく、俺より賢かった。

 そして生徒会長になった冬花は有名人になった。

 朝、一緒に歩いていると、噂されたりする。

「遠藤さん、何であの人たちと一緒にいるのかしら?」

「知らないの、遠藤さん、あの人たちと仲良いらしいのよ。」

「そうなの?大丈夫なのかしら?」

 全く好き勝手言いやがって。

「全く、すげぇ人気者になったな。冬花ちゃん。」

「そうだな、生徒会長の肩書きってのはすげぇな。」

「確かに。」

 冬花は生徒たちに捕まってしまったので俺たちは教室に入る。

 これから先、俺たちは多くの壁に阻まれることになるだろうと俺はこの時確信した。



 休日はよく冬花が遊びにきてくれた。

 今まで、平日はお弁当を作ってくれていたが、何と休日のお昼にまでご飯を作ってくれた。

 ご飯を作ってくれている時以外はゲームや勉強をするようになった。

 まぁ、勉強の方は全然だけど。

 ゲームの方は冬花があまり得意ではないらしい。

 結構何でもできる冬花が珍しいとも思った。

 ちなみに、お昼ご飯を作ってくれている時はエプロン姿だった。

 流石の俺もその姿にはちょっとドキッとした。

 もちろん可愛いかったからである。

 冬花の手際は驚くべきものであっという間にご飯を完成させていく。



 生徒会の初めての仕事である文化祭の準備が始まった。

 俺は適当に参加するつもりだったのに、ホームルーム中に寝てしまったら、俺は文化祭実行委員になってしまっていた。

 まぁ、冬花はすごく喜んでくれたけど。

 超面倒である。

 篠原はこの瞬間だけは起きていて、実行委員を免れやがった。

 今日は最初の実行委員会があった。

 実行委員では生徒会副会長が進行役を務めていて、何やら時々コチラを睨んできていた。

 実行委員長には他のクラスの女子がなっていた。

 俺は自分の仕事だけ確認してあとはボケェと聞いていた。

 会議が終わったあとある二人が順番に俺のところを訪ねてきた。

 一人は男子で、コチラを睨んでいた副会長だった。

「おい、お前。遠藤さんの恋人なんだってな。」

「ああ、そうだが、ちょっと先輩に対して生意気すぎやしないか。」

「うるさい、お前みたいなろくでなしに見合うような女性じゃないんだよ。あの人は。」

「何だ、嫉妬か?」

「違うね、興味があるんだよ。あの人は自分の夢を叶えられるような人だ。お前みたいな何もしないクズとは違う次元を生きている人なんだよ。それをお前は全然理解していない。全くだ。それは彼女の夢を阻むことに繋がるんだよ。」

「そうかもな、それでもあいつが今の関係を望んだんだ。邪魔をしてやるな。」

 こいつの思想にはあいつへの配慮が全くない、最低な人間だ。

 俺と同じな。

「話はもういいか、何かあるならあいつに伝えてみろよ。」

「チッ、クズの分際でイキがりやがって。」

 副会長は踵を返し、早歩きで帰っていく。

 それと交代するかのように女子がコチラに向かってきた。

「近衛くんだよね。ちょっといいかな。」

「乾さんか、どうかした?」

 この子は確か、乾楓さん。

 俺と同じ三年生のはずだ。

 生徒会は通例、二年生までしかいないので文化祭の実行委員長は三年生が担当し、実質の権力者になる。

「近衛くん、ほら、ちょっと噂があれだから。ちゃんとしているかなって。さっきの話も聞いてなかったでしょ。」

「初対面だよな。いきなりひどくないか?それに自分の役割ぐらいは聞いていたよ。」

「本当かなぁ。近衛くんは普段の行い的に信用ないんだよね。あと初対面じゃないよ。一年生の時同じクラスだったよ。」

「嘘、それはごめん。」

「いいよ、私影薄かったから。」

 それでも、乾さんは常に学年トップという秀才なのだ。

 忘れていたのは申し訳ない。

 それに学年トップが影薄いわけないと思うんだが。

 実際、実行委員の委員長も立候補しているわけだし。

「まぁ、ちゃんと聞いていたんだったらいいんだ。近衛くんは少し危なっかしいから。これからよろしくね。」

 この子もまた振り返って走っていく。

「走っちゃダメだぞー。」

「そうだった。」

 乾さんが帰っていくと俺も冬花のことを迎えにいくことにする。

 冬花は生徒会長の仕事が残っているらしく生徒会室に行ってしまった。

「冬花、仕事終わったか?」

「すまない、もう少しで終わるから待っていてくれないか?」

「わかった。待っているよ。」

「すまないな。」

 時計の針の音だけが響く部屋でスマホを叩く。

 すると、十五分も経つ頃には仕事も終わったのか、フーッと息をついていた。

「終わったー。」

 終わったらしい。

 俺もスマホゲームをやめ、帰る支度をする。

 冬花も大量の書類の山を退けて帰り支度をしている。

 校舎を出て、帰り道を歩いていると、冬花が楽しそうに喋っている。

「これからは一緒に帰れないかもね。ちょっと残念ですけど。」

「そうかもな。まぁ、できる限りは迎えにいくよ。」

「嬉しいよ、雪兎。」

「はぁ、全く。」

 冬花は本当に楽しそうだ。

 俺はこいつとの日々を心から楽しめられるのだろうか。

 こいつのことを楽しませられるのだろうか。

 俺は冬花を寮に誘う。

 冬花は喜んでついてきてくれる。

 部屋の前には篠原が座っていた。

 碧ちゃんとおしゃべりをして待っていたようだ。

 そんなことなら管理人室で待たせて貰えばよかったのに。

 部屋の前の篠原を回収し、三人で部屋に入る。

 部屋では、俺と篠原がゲームで遊び、冬花はそれを後ろから眺めている。

「冬花、それで本当に楽しいのか?一緒にやらなくていいのか?」

「私はこれでいいんだ。二人の遊んでいるところ見ているだけで十分に楽しめているよ。」

 冬花は本当に楽しそうに笑った。

 冬花がそれでいいならいいんだけど。

 それから夕食の時間までひたすらゲームをやって、三人で駄弁っていた。

 今日の夕食はカレーだった。

「私、カレー大好物なんだよ。」

「そうだったのか。それならちょうどよかったな。」

 すでに日は沈み、外は真っ暗になっている。

 なので、冬花を送っていくことになった。

 篠原はとうに家に帰っていた。

「ちゃんと送ってやれよー。」

 という言葉を残していった。



 それから、数日間、文化祭実行委員の仕事が忙しくなった。

 今まで毎日来てくれた冬花も一緒にお昼ご飯を食べられなくなってしまった。

 ただ、俺たちの弁当だけは忘れずに置いていってくれる。

 放課後は暗くなるまで仕事に励んでいる。

 おかげさまで小説も書けなくなってしまった。

 暗くなった道を冬花と二人で歩くのが最近の日課である。

 それと一緒に毎日のように副会長がいちゃもんをつけてくる

 あいつもあいつでめんどくせぇやつだな。

 俺は生徒会組とは別で動いており、大体は乾さんの元で働いている。

 冬花は「ずるいー。」なんて言っていたが。

 篠原はたまにちょっかいを出してきので、勝手に仕事を振ってやらせていた。

 ようやく文化祭が始まろうとしていた。



 文化祭当日、俺は冬花ともに文化祭の見回りの仕事があった。

 乾さんが何やら画策してくれてたらしく見回りの仕事のシフトを合わせてくれたらしい。

 そんなわけで一緒に学校中を回っている。

 俺のクラスの屋台に行くと、篠原が焼きそばを焼いていた。

 俺たちは一声かけてから別の場所に行く。

 篠原からは

「デートかよ、羨ましいなぁ。」

 というお言葉をいただきました。



「雪兎、このあと時間あるか?」

「あるけど、どうかしたか?」

「話したいことがあるんだ。聞いてくれるか?」

「それはいいけど。なんか買っていこうぜ。」

 そう言って、俺たちは俺のクラスの焼きそば屋行くことになった。

 篠原はもうおらず、坂本姉妹と緒方が作っていた。

 そいつらから焼きそばを買う。

 自分のクラスに自分で金を払うってのはいかに。

 坂本姉に言ったら店に貢献しろって言われた。

 買った焼きそばを両手に持って中庭の物陰に移動する。

 花壇の縁に座り込むと投下が話し始める。

「私には大切なものというのがわからないんだ。。昔の話だけどな。私の親は昔から喧嘩ばかりで物心ついた頃から仲のよかったことなんてなかったんだ。私はそれに呆れてよく家を抜け出して遊び回っていた。私にちょっかいをかけようとしたり、喧嘩をふっかけてくる奴もいたからよく喧嘩をしていた。いや、喧嘩なんて可愛いものじゃないな。一方的に殴っていったんだ。私に勝てるやつはいなかった。そんなふうに毎日を過ごしていた時、子供が轢かれそうになっていたんだ。何でかな、私は考えるよりも先に体が動いていてその子供を抱きしめていたんだ。まぁ、当然轢かれてしまうわけだけども。それから、次に目覚めたときには病院のベッドの上だった。隣には涙を目に浮かべている両親が立っていたんだ。私は一週間ほど眠っていたらしいんだが、まぁ目覚めた後はたくさんの人が病室にやってきてくれたんだ。私一人のためにたくさんの人が動いてくれた。そして、あんなに仲の悪かった両親がこの日を機に笑い合うようになったんだ。そして家族で、この街を一望できる、自然公園の展望台に行ったんだ。私は車椅子だったから父親に押してもらいながらな。そのとき見たこの街が本当に美しかったんだ。だから私はこの街の自然を守りたいんだ。」

「そうか。」

 こいつも荒れていたって言っていたが本当だったんだな。

「長々と話してしまってすまないな。」

「いいよ、何でお前が頑張っているのか知りたかったからな。」

 冬花が頑張っている理由が知れてよかった。

「このあとはもう仕事はなかったよな。一緒に文化祭を回ろう。」

「そうだな。楽しむか。」

 それからは一緒に、食べ物の屋台を周り、射的やお化け屋敷を行ったりした。

 また、冬花は仕事に戻ってしまい、篠原を探していると違うやつを見つけてしまった。

 そいつは生徒会副会長だった。

「お前、まだ、あの人の周りをうろちょろしているのか?そろそろ武を弁えた方がいいんじゃないのか。どっか行けよ。」

「それはこっちのセリフだ。お前、まだあいつに付き纏っているのか?邪魔なんだよ。」

 ブーメラン発言が大好きなのだろうか?

 もう少し自分の発言を見直した方がいいんじゃないのだろうか。

 それだけ言うと副会長は帰っていった。

 そのあとは篠原や坂本姉妹や緒方たちと一緒に文化祭を楽しむことにした。

 そんな時、見覚えのある顔があった。

 よく見ると茜さんと碧ちゃんだった。

「どうしたんですか?ふたりとも。」

「どうしたんですかってうちの寮生たちの文化祭だって言うから見にきたのよ。」

「私はその付き添いです。」

 何やら二人ともおしゃれをしてやってきている。

 二人も巻き込んで俺たちは文化祭を楽しんだ。

 そして、文化祭は終了した。

 俺たちの仕事は文化祭が終わっても少しだけ続いていった。

 片付けがあったのだ。

 文化祭実行委員と言いながら片付けまで仕事があったのだ。

 実行委員としての片付けとクラスの片付けとが一緒にあって俺は人一倍働くことになった。

 他の実行委員はそんなことは無かったらしいけど。

 まぁ、そのために一日授業が潰れたのは嬉しかったけど。

 授業を聞くより、体動かしていた方が気持ちがいい。

 片付けが終わったのはすでに夕方だった。



 うちの学校には恐ろしい風習がある。

 それは学園祭と体育祭が同じ時期にあるのである。

 これがどう言うことかお分かりだろうか。

 生徒会や実行委員のみものすごい労力がかかるのである。

 普通の生徒はいいのだ。

 体育祭なんてものは準備なんてほとんどないのだから。

 でも、実行委員は違う。

 しかも、実行委員とは文化祭の時と同じメンバーとなるから、大変だ。

 事前準備として、ポスターを作ったり、備品を買い集めたりしていた。

 そこでは冬花と一緒になることはなかった。

 ただ、帰り道は一緒に帰っていた。

 前日には男の子はテントはりを、女の子は放送マイクのコード設備などをしていた。

 それも、放課後に。

 宿題とかもサボっている俺はともかく、勉強や宿題をしている人はどうしているのだろうか?

 何と考えながら仕事をする。



 体育祭当日、空砲?が打ち上がっている。

 いや、学校の体育祭でここまでするか?

 俺たちはグラウンドにクラス順に並ばされている。

 そこで、選手宣誓や準備体操をすることになっている。

 選手宣誓には冬花と乾さんが行っていた。

 準備体操はどっかの体育委員がやっていた。

 それらが終わると、全員解散させられ、テントの下に帰される。

 それからは徒競走や玉入れ、パン食い競争などがあった。

 俺は実行委員を理由にサボりまくっていたので、最後のリレーにだけ参加となっている。

 冬花やみんなの応援だけをしてあとはその辺でぼーっとしていた。

 冬花は出場するあらゆる競技で全力を出している。

 流石に彼女の頑張る姿は格好良かった。



 九月、学園旅行がある。

 うちの学校は五月に二年生の修学旅行があるのだが、九月には学校全体で旅行に行く行事があるのである。

 と言うのも、うちの学校は生徒数が少ないので、全員で二百人行かないので上下の交友を作るためにこの行事があるらしい。

 俺たちは俺、篠原、冬花、坂本姉妹、緒方、乾さんの七人で行動することになった。

 放課後、冬花の仕事がない日に集まって、どこに行くか相談している。

 そうして、いざ、京都へ。

 まずは伏見稲荷大社に行くことになっている。

 社を回り、千本鳥居をくぐる。

 永遠とも思えるような長さの真っ赤な鳥居は壮観だった。

 みんなで写真を撮ったりする。

 みんなの後ろを陣取っていたら、冬花が下がってきて、手を繋いでいきた。

「おい、冬花。これはまずいだろ。」

「何でだ。みんなも私たちの関係を知っているんだからいいじゃないか。」

 そう言って、冬花はぎゅっと手を握る。

 次に来たのは二条城だった。

 大きな堀を跨ぎながら、城の前にまでくる。

 真っ白い城壁と真っ黒な瓦はとても美しかった。

 城内に入り、順路を辿る。

 撮影が大丈夫な場所でみんなで写真を撮る。

 今日だけでたくさんの写真を撮ることができた。

 あとでみんなで写真を共有した。

 二日目はみんなが気を利かせてくれて、冬花と二人きりで回ることになった。

 嵐山のあたりを散策した。

 そんな時間の終わりに俺は冬花にある話をすることにした。

「冬花、別れよう。」

「は?…そう言う冗談はやめてくれ。辛くなるだろう。」

「冗談じゃない。もうお前と一緒にいるわけにはいかなくなった。」

「何でだよ。何でそんなこと言うんだよ。」

「俺はお前の庇護対象でしか無かったんだよ。だから、もうお前の隣を歩けない。」

「もういい、わかった。じゃあな。元気で。」

「ああ、お前もな。」

 俺がそう言い終わると、冬花はバスの方に向かって歩いていった。

 俺は一人になった。

 そうなると、俺の中にはいろんな想いが溢れてくる。

 冬花はすごいやつになった。

 文化祭が終わってから、冬花はどんどん新しいことにチャレンジしていった。

 いろんな人と関わって、自分の夢を叶えるために全力で走っている。

 一歩一歩、いや一歩なんてスピードじゃない、もっと速いスピードで冬花は進んでいく。

 俺みたいなクズと一緒にいると冬花の夢が遠のいていく。

 だから、俺から冬花の元を去る必要があった。

「冬花ぁ、冬花ぁ。」

 俺の目元から涙が溢れていく。

 俺から振ったのに、それなのに涙が溢れていく。

 泣いちゃだめだ、泣いちゃだめだ。

 もっと一緒にいたかった。

 でも、俺はクズだから、それに…。

 俺は涙をぬぐい集合場所に向かう。



「僕は、雪兎は冬花ちゃんと結婚するんだと思っていたよ。」

 篠原が俺の部屋に来てそんなことを言う。

「そんな簡単なものじゃねぇだろ。」

「でもさぁ、それだけじゃないんだろ。」

「何が?」

「別れた理由。」

「そうだな。俺、こないだ病院に行ったんだ。」

「それで?」

「心臓の難病だってさ。もう治んないかもしれないんだとよ。」

「それで?」

「それでって。もうあいつに大切なものを失う経験をさせるわけには行かないだろ。」

「大切な存在ってことは自覚してるんだな。なのに振られる悲しみまで与えちまったのか。」

「そんな言い方はないだろ。」

「でも、そういうことだぜ。振られようとも彼女の気持ちは変わんないんだからさ。」

 確かにその通りだ。

 結局、俺の自己満足でしかない。

「それで、お前は大丈夫なのか?」

「どっちが?」

「どっちも。」

「病気の方は体がだるい。冬花の方は全然大丈夫じゃない。本当ならもっとあいつと一緒にいたかった。今もあいつと一緒にいたかったよぉ。」

 また、俺の目から涙が溢れる。

 篠原が背中をさすってくれる。

 見かねた茜さんが俺の好きなものを晩御飯に作ってくれた。



 私は本当にバカだった。

 ただただ京都の旅行を楽しんでいた。

 雪兎がどんなに辛い思いをしていたかも理解せずにバカみたいに遊んでいた。

 私が手を繋いだ時、雪兎はどんなことを思っていたのだろうか。

 多分、雪兎は色々考えていたのだろう。

 最後まで、私とどうなろうとか考えていたに違いない。

 雪兎はすごく優しいやつだから。

 雪兎から別れを告げられたあと、帰り道を振り返ると涙を流している彼がいた。

 どこですれ違ってしまったのだろう。

 雪兎が副会長から色々言われていたのは知っていた。

 私は頑張れば頑張るほど雪兎の笑顔の裏に辛い表情を隠していることも知っていた。

 私の一歩が彼との距離を狂わせていることに気づいていながら私は何もせずにただただ歩いてしまっていた。

 私は彼と一緒にいたい。

 けど、彼は多分、私が夢を叶えることを望んでいる。

 だから私は進まなくちゃいけない。

 彼が何を隠していようとも。



 ある日、ついに俺は学校で倒れてしまった。

 そこには冬花もいて救急搬送される時に付き合ってくれたらしい。

 俺が病院で目を覚ますと隣には篠原や朱里先生、坂本姉妹、緒方に乾さん。

 そして冬花がいた。

「冬花、なんで?」

「何でじゃない。大切な人が倒れたのにそばにいないわけには行かないだろう。」

「俺なんかに構うな。お前はお前の夢を叶えるために進むべきなんだよ。」

 そうだ、俺なんかのために立ち止まらせるわけにはいかないんだ。

「なんかなんていうな。私が決めたことだ。お前であっても否定することは許さない。それに私はすごい人だぞ。夢と大切な人との時間くらい両立してみせる。」

「うぅ、うぅ。ごめん、ごめんよぉ。俺、お前に酷いこと言ってしまった。ごめん、ごめん。」

「いいんだ。そんなことは。それよりも私はこんな大事なことを黙っていたことに怒っている。」

「それは、本当にごめん。冬花に心配をかけたく無かったんだ。」

「全くもう、水臭いやつよね、あんたは。」

「お姉ちゃん、空気読んで。」

 外野がうるさいが。

 冬花がそばにいてくれて本当によかった。

 そこで病院の先生が入ってきた。

「近衛さん。あなたの病気は手術をすれば治る可能性があります。」

「可能性ですか?」

「はい、それも本当にごく僅かな確率です。ですが成功すればもうその病気に怯える必要はありません。」

「なら、やらせてください。俺はもっと冬花といっしょにいたいんです。」

 そこで冬花が泣き出してしまった。

 さっきまであんなにも凛々しい表情をしていたと言うのに。

「雪兎ぉー。私も一緒にいたい。」

「ああ、一緒にいよう。」

「ああもう、イチャイチャしちゃって。」

「お姉ちゃん、空気読んで。」



 病院にいる間は冬花は毎日来てくれた。

 闘病中は武術家の先生が病院に来てくださって、手術用に体力作りが始まった。

「近衛雪兎くん、大丈夫かい?一旦休憩した方がいいよ。いきなり無理したらだめだ。」

 それほど大した運動では無かったが、今の僕の体では全くついていくことができなかった。

 すぐに息が上がってしまって、運動にならなかった。

 先生は僕の体を心配して声をかけてくれるが、こんなところで躓くわけには行かない。

「大丈夫です。俺はこんなところで倒れるわけには行かないんです。こんなところで倒れているわけには行かないんです。たとえどれだけ這いつくばっていようとも手術を超えられるだけの体力をつけて冬花と一緒にいられる時間を作らなきゃいけない。」

 後ろで冬花の顔が赤く染まる。

 先生の顔が少し変わる。

「本当か。なら、もう少しだけ行くぞ。ついてきなさい。」

「はい。」

「雪兎、頑張れ。応援している。」

「ああ、あと少しの努力だ。」

 それから、一通りの練習をこなした。

 一呼吸おくたびに冬花がお茶を淹れてくれる。

 それで何とか体力を食い繋いでいた。



 残りの時間はベッドの上でオンラインで授業を受けて課題をして過ごした。

 最近は進路がまずいと思って、冬花に勉強を教えてもらいながら知識をつけている。

 でも、今更勉強を頑張ってももう遅いらしく、全然頭に入ってこない。

 授業の出席率もだめだったらしく今更頑張ってもなと先生に怒られた。

 それを冬花に伝えたら、こちらもすごく怒り出した。

 勉強と体力作りの間の時間を使って、人生最後になるかもしれない小説を書いている。

 多分、死ぬかもしれない病気に罹るなんて滅多にないからな。

 なんて言ってたら、冬花や坂本姉がぶん殴ってくる。



 病室でゆっくりしていると、冬花が入ってくる。

「あれ、今日も一人か?」

「ああ、私一人だ。雪兎のことが心配でな。」

「悪いが俺はここから動けないぞ。」

「わかっているよ。」

 冬花は俺の隣に椅子を持ってきてそこに座る。

「で、今日はどうしたんだ?」

「言ったじゃないか、雪兎のことが心配だったんだ。」

 そう言って俺のことを抱きしめる。

 彼女のふくよかな胸があたる。

 しばらく、なされるがままになっていると音が聞こえてくる。

 それは冬花の心臓の音だった。

「聞こえるか?私の鼓動。綺麗な音だとは思わないか?」

「そうだな、今の俺にはない歌だ。」

「歌か、綺麗な言葉だな。だが、俺にはないなんて悲しいこと言うなよ。泣いてしまうだろ。」

「でも、事実だ。お前みたいなきれいな歌を俺は歌えない。」

 本当に冬花は泣きそうな顔をしている。

「ご、ごめん。大丈夫。いつかお前を同じ歌を歌えるようになるから。」

 そう俺が言うと、うんと言って病室から出ていく。



 病室から出たところで涙が溢れてきた。

 雪兎がいなくなるかもしれない。

 そう思うと拭っても拭っても涙が溢れて止まらない。

 扉越しに雪兎に声が聞こえないように頑張って口を縛っている。

 嗚咽が混じりそうになるのを必死に抑える。

 そんなとき、乾先輩がこちらにきていた。

「大丈夫?冬花ちゃん。」

「乾センパーイ。私どうしたらいいんでしょうか。」

「ど、どうしたの?」

「雪兎がいなくなっちゃうかもって思ったら涙が出てきてこれから先雪兎にどう顔を合わせたらいいんでしょうか。」

「そ、そうねぇ。私にはどうしたらいいかわかんないんだけど。それでも冬花ちゃんが泣いてたら近衛くんが心配しちゃうよ。」

「そうですよね。私、頑張ります。」

 乾先輩の声に私は自分に鼓舞を入れる。

 私が泣いちゃ雪兎の努力が報われない。

 と、思うと自分に力が入る。



 あれから数週間が経ち、いよいよ、手術の日がやってきた。

 俺の体は日に日に明らかに弱くなっていっている。

 今じゃ前を見ることさえ難しいのである。

 そして今は手術室に入れられている。

 冬花は外から見守っている。

 そして、これから手術が始まろうとしている。

 麻酔を打たれ、意識が薄暗い闇の中に入っていく。

 だんだん闇が深くなっていって、体が冷たくなっていくのを感じる。

 意識が闇にもってかれそうになり、自分の命が小さくなる。

 大きかった光がだんだん小さくなる。

 そこで俺は冬花との約束を思い出す。

 手術室に入る前に病室で冬花と約束したんだ。

 手術を成功させて、一緒に冬花が家族と見た自然公園の展望台からの光景を見に行こうって。

 意識の光が見えている。

 行き着く先はそこだ。

 あとは一歩一歩進んでいくだけだ。

 でも、その一歩がものすごく重い。

 その場所にたどり着いた時、俺はベッドの上で目を覚ました。

 周りにはたくさんの人がいる。

 みんなが俺におはようって声をかけてくれる。

 冬花や坂本姉は泣いてしまっている。



 あれから一週間が経った頃、俺は冬花とともに展望台にまでやってきていた。

 自然公園には大人のカップルや家族連れが多かった。

 自然公園の方には植物園が広がっていて、美しい光景が広がっていた。

 それと同じくらい展望台からの景色が綺麗だった。



 数年後、高校を卒業して上京して小説家になった。

 何冊か小説を出し、有名人になった。

 メディア化も進み、いくつかアニメやドラマになった。

 冬花は何と有名大学に行って、出版社の編集者になった。

 冬花は俺の担当編集にまで登った。

 今では一緒に住んでいて、身の回りの世話を冬花がしてくれる。

 高校最後の年の一年は俺の人生にいい刺激となり、俺の本に生きている。

 そんな感じで俺たちは今を生きている。
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