エレガントエレファンツ

うらや 

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1章

6話

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 ラッパを吹く。大きなボールの上に一輪車で乗って、客の歓声を煽る。とぼけたジャグリングで笑いを誘い、紙吹雪の中で腹を抱えて笑うふりをした。
 今日の仕事は古着屋の宣伝だった。道行く通行人に看板を見せ、芸を見せ、興味を惹き、店へと誘導する。特に子連れは良かった。風船を見せるだけで子供が引っ掛かって、一緒にいるのが母親だったらほとんど間違いなく古着屋に吸い込まれていった。
 中には芸を見るだけ見てとっとと他所に行く者もいたが、それに構う必要がないほど盛況だった。あまりに順調だ。ここ最近の不運は全部今日のためだったのかと思うほど。
 通行人の目を引く。調子の悪い日は無視されるが、今日はそうじゃない。やれる、ツイてる、俺の人生は今日軌道に乗る。そう思わなくちゃ。
 ぐちゃ、とこめかみに何かがぶつかる。悪臭、ぬめり。笑いながら走って行く子供の気配。腐った卵だ。そう認識した瞬間、鳥肌が全身に走った。だめだ、我慢しろ、笑顔を崩すな。ドーランが落ちてないだろうか、髪に臭いがつくだろうか、初めてじゃない、今までも何かをぶつけられることなんて何度もあった。平気だ。
 不意に、手に持っていた店の看板が引っ張られる。驚いて視線を動かせば、振り向きざまに衝撃。地面に倒れ込み、痛む顔に殴られたのだと遅れて気づく。さっきの子供よりもちょっと低い、けど若い笑い声が響く。
 通行人が笑ってる。そうだ、ピエロは不幸や痛みを笑われるのが仕事だ。これが当たり前だ。俺はまだピエロの皮が剥がれてない。ただ看板を持って行かれるのはまずい。あれは店からの借り物で、無くしたり破損したら弁償ものだった。
 看板を取り戻さなくちゃ、そう思って立ちあがろうとしたら、今度は横からの衝撃。一瞬息が止まって、思わず咳込んだ。なんだ、何が起こった? 眩む視界の中で人影が俺を見下ろしている。
「よおピエロ! ボクシングしようぜ!」
 耳がぐわんぐわんと揺れる。今何か言われた。何を言われた? とにかく立たなくちゃ、立って看板を取り戻して、仕事を再開して、見てもらって……。衝撃。また顔を殴られた。背後にあった古着屋がひっくり返る。一拍置いて、ひっくり返ったのが自分だと気づくと同時に今度は腹に衝撃が走った。
「おい、まずくないか? 警察……」
 警察? だめだ! 俺は被害者じゃない! ピエロだ、ピエロは殴られても蹴られても、とにかく笑われなくちゃいけない。嘲って笑われなくちゃいけない、それがピエロの本来の役割なのだ。同情されたら笑ってもらえない!
 立ち上がる間も無く暴力は続く。野次馬の笑い声は次第に止んでいき、不意に甲高いホイッスルの音が響いた。
「ずらかるぞ!」
 若者の笑った声がしたかと思うと、最後のトドメと言わんばかりに頭に看板を振り下ろされる。ベニヤ板で作られた軽いもので痛みはあまりなかったが、その衝撃で看板は割れてしまった。
 笑い声が走り去っていき、ホイッスルが近づいてくる。硬い革靴の音だった。
「君! 君、大丈夫か? 名前は!」
 視界が白く濁って行く。今上下左右のどこに向いてるかわからない。警察だろうか、制服を着ているように見える人に抱き抱えられる。体がぴくりとも動かない。
「まずい、脳震盪かもしれん。おい、救急車! あと冷やすもん持ってこい!」
 不意にこめかみの腐った卵の臭いが鼻を掠める。五感の全てが鈍くなっているのに、それだけは鋭敏に感じ取って、今度こそ酷い吐き気を抑えられなかった。
 吐瀉物が競り上がる。ごぽ、と空気が混ざる音と一緒に口角から生暖かいものが溢れた。俺を支えていた手が一瞬驚いたように震え、すぐに体を回される。口の中に溜まっていた吐瀉が舌の上をざらざらごろごろと転がって、更に溢れ出た。
 こめかみに何かが乗っかる。耳鳴りが酷くてほとんど何も聞こえない。さっき言っていた冷やすものだろうか。温度も感じない。視界がどんどん霞んで、自分の心臓と呼吸の音だけに支配されて行く。
 服が揺れる。脱がされているのだろうか。その行動がスノウを彷彿とさせて、夢現に手足を突き出した。いやだ、離せ、おそらく呂律の回ってない舌で繰り返す。白い影が俺の頭を覆って行く。頬をたたかれている。ずいぶん狭くなった視界で、誰かの口が大きく開いて、閉じてを繰り返している。
 遠くから、黒い影が俺を見ていた。

ーーーーーー

 気づいたら、そこは病院だった。もう日はとっくに暮れ、俺はあちこち包帯を巻かれていた。
「ヴェローナ!」
 父と母が見舞いに来て、父は何も言わず、母は泣き崩れるように俺を抱きしめた。
「どうして? どうして何も悪いことしてないうちの子が……!」
 そう言って母があまりに泣くので、その背中を抱きしめる。ギプスに固められているが、手は自由に動くのでそのまま母の背中をさすろうとした。肘が曲がらないので空を掻くに止まった。
「失礼、こちらカークリンドさんの病室でお間違えないですか?」
 おざなりなノック音ともに、壮年の二人組が出入り口から顔を出した。服装から見るに警察だった。
「申し訳ありません、少々、息子さんにお話を聞いても?」
 二人組の、眼鏡をかけた物腰が柔らかな方が母と父に声をかける。母はほとんど泣き叫ぶように、後にしてください! と言った。
「お気持ちはわかりますが、奥様。どうかご理解ください。今回の事件は被害者が非常に多く、ただでさえ事情聴取が長引いています。どうかご協力を」
「ならうちの子を最後にしてください! 目覚めたばかりの子に何を聞くんですか!」
「ママ、いいよ」
 母が信じられない、という顔でこちらを見る。
「俺、確かにちょっと怪我は酷いけどもう平気だからさ。話を聞くだけでしょ? 平気だよ」
「ヴェローナ……、……私たちが一緒に話を聞くわけには行かないんですか?」
「申し訳ありませんが、ご両親は退室をお願いします」
 母は再度、信じられないという顔をした。また何かを言おうとしたところで、父が母の肩を抱く。
「わかりました。ですがどうか、ヴェローナに負担をかけないでください。わかってるとは思いますが、我々はあなた達警察ではなく、我が子の味方です」
 父が厳粛にそう言うと、警察が神妙な面持ちで頷いた。母が振り返り、俺の手の甲を撫でながら、何かあったらすぐ言うのよ、と囁いた。それに頷くと、母はやっぱり心配そうな、曖昧な微笑みを浮かべるのだった。
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