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女の子
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コンビニから帰った戸叶は、事務所に入った途端固まった。
事務所に入ってすぐの所に、簡単なお客を通す簡単な応接セットが簡単に置いてあるのだが、そのテーブルに床に直座りした3~4歳の女の子がテーブルにピンクのクマさんを置いて遊んでいる。
「んん?」
戸叶はとりあえずそこをスルーして、応接セットが目に入る一応佐伯のデスクとされているところへ向かった。
「あれ…一体どうしたんすか?」
佐伯はテーブルの上のクマをみて、
「クマだろ?俺にもわかんねえのよ。昨夜仕留めた相手が持ってたのは覚えてんだ。子供にでもやるんだったんかな、なんて思ったからさ。で、朝来たらそこにあるから、おっかねえなと思って触れないでいる」
タバコをふかして、あまり怖がっていなそうな雰囲気でいう佐伯に、クマしか見えてないんか?じゃああの子は…
戸叶が恐る恐るそちらに首を回してみると、その女の子と目が合ってニコォっと微笑まれた。
『可愛いんだけどさ…可愛いんだけどあの子…』
「人じゃねえよな…」
買ってきた弁当やチョコを冷蔵庫に入れようと歩きながら、つい口に出た言葉を、パーテーションの端に立っていた姫木に聞かれた。
が、姫木は
「お前にも見えるのか」
と顎でテーブルをしめす。
「え…姫木さんもっすか」
姫木はうなづいて、頼んでいたチョコレートを受け取った。
「佐伯には見えてねえみてえだけどな…」
2人してテーブルを見つめている光景が可笑しかったのか、佐伯は能天気にも
「そんなにあのクマ欲しかったら持って帰っていいぞ。なんかおっかねえし」
などと笑っている。
「佐伯さん姫木さんニュースでてます」
昨夜の一件が、『午前10時にして漸くニュースになった』か…と嘲って、佐伯は隣の部屋へと向かった。
「あの子どうします?」
「どうって言ってもな…おもてなしのしようもないし…ジュースでもおいとくか?」
流石の姫木も少々戸惑っている。こんなにはっきりと見えるのは初めてだから。
戸叶は自分の弁当を冷蔵庫にしまいがてら、コップにリンゴジュースを入れて、クマの前に置いてみた。
女の子は、両手でグラスを持ってコクコクとジュースを飲み、再びにこぉっと戸叶に微笑む。
「美味いか?」
と、問うと、こくっとうなづいてコップを置きーありがとうーなどという声がどこからともなく、脳に直接聞こえてきてそれにはちょっとビビった。
しかし、実際量の減っていないグラスを見るにつけ、水とか備えるけどちゃんと飲むんだな…などど妙に納得して見つめてしまう戸叶だった。
姫木にもその声は聞こえたらしく、笑ったかわからないほどの微妙な口元で、隣の部屋へ戻って行った。
昼になり、佐伯と姫木が外に食べに行くと言うので戸叶と佐藤もついて行かなければならなくなった。
「お前弁当買ってたじゃん、いいんだぞ昼飯いくらいはついてこなくたって」
佐伯が持ち物を確かめながら戸叶に言うが、ーそう言うわけにも行かねっすー
「大体さきさんたち大抵出かけるんだから、弁当を先回りする方が悪いよな」
と佐藤に嗜められて、戸叶は弁当を奥にいる若い子に誰か食っていいぞと言い残し、一緒に部屋を出た。
その時気になったのは、朝から応接セットについていた女の子。見ると佐伯の足元でちょこちょこと歩いている。
ー佐伯さんに憑いてんのか…ー
時々振り返っては戸叶に微笑む少女は、自分が見えている人物が嬉しいのかも知れなかった。
近くのカフェに入り、2組離れて座る。
離れてと言ってもほぼ隣で、食事の邪魔をしない、でも有事にはすぐに対応できる距離、をもう体感で覚えていた。
女の子は佐伯の隣にちょこんと座っていて、姫木も戸叶にどうしようか…的な目を向けるが、お互いどうしようもない。
店員さんも、水を持ってきてくれたが案の定3カ所に水を置き、佐伯は
「お姉さん、あんま怖いことしないで」
と笑いながら水を返そうとしたが、姫木が
「俺が飲むからいい」
とみずを佐伯の隣へ置いた。
「なに?そこになんかいんのか?」
ちょっと椅子から身を離して、佐伯は姫木を見る。
女の子は水を遊ぶように、ちみちみと舐めるように飲んだりしてる。
「ん…いる」
「え?まじで?ちょっ、お前席替わって」
人間に対して最強なくせに、やはりこう言うのは怖いんだな…と戸叶が見ているが
「替わったっていいけど、そいつお前のそば離れねえぞ」
「ええ~?」
佐伯はしょうがねえな、とあげた腰を下ろし、隣を見る。
「いんの?」
「いる」
「何歳くらい」
「見たとこ…3.4歳か…女の子だ」
佐伯は少々考えた。
「お前、水子とか、無体なことした女いるんじゃねえのか?」
疑う目というか、ほぼ確信に近い目で見られて、佐伯は背もたれに寄りかかる。
「それはねえな…ほら、俺失敗しないし。お前にだって…」
姫木は足を踏みながら
「失敗しようがねえだろ、バカか」
笑いながら眉間を寄せるという器用な顔をして足をバタバタさせる佐伯に、
「じゃあ、変なとこ行ったか…」
女の子は水で遊ぶのも飽きたのか、今では佐伯の膝に乗って寄りかかって懐いている。
姫木はその現状をあえて言わないおこうと決め、
「行ったか?」
と再度聞いてみた。
「変なとこ…かぁ…大抵お前と行動してるしな…」
しばし考えて、ーあ…ーと何かを思い出したように顔を上げる。
「昨日、俺昼間に田所さんに頼まれて一緒に郊外の団地に行ったわ。薄っくらい団地でな、取り立ての手伝いだったんだ。相手ごねごねにごねてて手に負えないから、とっ捕まえて売ろうってことになってな、なんで俺かわかんなかったけど面白そうだから行ってきたんだ」
佐伯の膝の上で女の子が、うんうんと頷いて佐伯の胸をポンポンと叩いている。
姫木は不思議になってついそこにいるような感じで
「そこがお前んちなのか?」
と佐伯の胸の辺りに向かって話しかけてしまった。
「なんだよ!ここにいんのか!えええ」
シートに埋もれるように体を引いた佐伯は、それでも振り払うような真似はせずに、じっと自分の腹のあたりを見つめる。
「あ、今お前に座ってるんだがな…大丈夫だ……いまのとこは…」
今のとこはって…
そんな中運ばれてきたオムライスとナポリタンとプリン
「いまどかすから」
と言って姫木はプリンを佐伯の隣の席の前に置くと、女の子はニコニコして席へ移っていった。
「どいたぞ。プリン食い始めた」
何も変化のないプリンを見つめ、ーお…おうーと返事をして佐伯もナポリタンを引き寄せる
「どういうことなんだ」
佐伯は何もかも受け入れるぞ!と言ってから、そう聞いてきた。
「どういうことなのかは知らねえけど…」
と前置きしてもう一度
「さっきの団地ってお前んちなん?」
と誰もいないところへ話しかけてみた。
女の子はプリンを食べながら頷く。
「やっぱりその団地みたいだな…お前何したよ」
「別になんもしてねえけどな…」
色々思い起こしているようだが、皆目見当がつかない。
その時
「お花に手を合わせてくれた て言ってますね」
隣の席の戸叶が不意に言ってくる。
「お前会話できんのか」
佐伯が呆れたようにみるが、姫木は戸叶が会話できると知って、こっちに来いと呼びつけた。
姫木には見えるし言葉も届けられるが、向こうの話す声はあまり聞き取れないようだ。たまに聞こえてくるのは断片的な言葉だけで。
そして取り残された佐藤は
「あの…さっきからなんの話をしてんです?」
「ああ…今な佐伯さんの隣の椅子に女の子座ってんだわ。その子さっき事務所にもいてさ、ずっと佐伯さんにくっついてるから、少し話聞いてくるわ」
席を移りがてら佐藤に簡潔に説明してみたが、佐藤にはまるでわからない
「幽霊…ってことか?」
「まあ有り体に言えばそうだな」
戸叶は苦笑して姫木の奥の席へと移動していった。佐藤は触らぬかみに…とぶつぶつ言いながら、サンドイッチとナポリタンを交互に口に入れ、悪霊退散と唱えていた。
「花に手を合わせたって言ってるようだが」
そう言われても…花?花ねえ…と考えるが
「ああ…階段の踊り場の隅っこに花が供えてあったな。なんかあったのかなと思ってそこには手を合わせた気がする」
姫木と戸叶が女の子を見ると、頷いていた。
「それみたいだな」
やっと腑に落ちたと、姫木もオムライスを一口口にするが、その後戸叶の様子が変わる。
「いや、ダメだぞそれは。やっちゃだめなことだ」
と急に声を荒げたのだ。
「どうした?」
姫木が問うと
「この子、佐伯さんを連れて行きたいって…」
「どこに?」
ナポリタンを食べながら佐伯が能天気に言ってくるが
「この子、ずっとあそこに1人だったから。この優しいお兄さんと一緒にあそこにいたいって…言ってて…」
「はあ?」
流石の姫木も声が出て、隣の席の佐藤の「悪霊退散」の声はますます大きくなってゆく。
「戸叶(お前)ならわかるけど、何もしてねえだろ、佐伯は」
いや、解らないで…と内心思う戸叶だが、佐伯も連れて行ってもらっては困る。
「そう言うことじゃなくてですよ。大体佐伯さんがその辺の献花に手を合わせるからこう言うことになるんすよー」
そう言われて、ナポリタンを咀嚼し終えて紙ナプキンで唇を拭った佐伯は
「俺を連れてくって言ってんのか?こいつ」
隣の何もない椅子を見つめるが、実は目が合っていることには気づかない。
「いっちまう事自体は怖くもなんともないんけど…こう言うのはちょっと不本意なんだよな。わかるか?ちょっと難しいか」
そこに子供がいるかのように話しかけている佐伯はまるで見えているようだ。
「それに俺は優しくはないぞ。一緒に居たってお前と遊ぶかどうかは判らないし」
意外と事態を避けるように動いてる風でもある。
信じてるのか居ないのか、他の3人には見当もつかなかった。
そして佐伯はスマホを取り出して、とある画像を誰もいない空間にまるでその子に見せるように向ける。
「このおじさんな、ごとうさぶろう って言う人なんだけど、子供に優しくていい人だぞ?こいつの方が遊んでくれるかもしれないな」
その画像の後藤三郎という人物は、高遠組の系列の組ではあるが柳井の構成員と繋がっていることが最近判って、佐伯たちに仕事が来ていた人物だった。
「おいおい、お前それは…」
姫木が呆れてやめとけよ、と言ってくるが、
「もし本当なら、俺らの仕事の手間省けるじゃん」
ニヤッと笑って、見えない空間に向かって、
「きちじょうじってとこの…」
住所まで地図で教えている。
女の子は真剣にそれを聞いて、見ていて
「そっちの方がいいだろ?怖い顔してるけど優しいおじさんだぞ」
「そんなので剥がれるとは思えませんよ。これから一度寺に行きましょう。ダメなら神社に…」
戸叶は気が気ではなくなって、食事を終えた佐伯を立たせてお祓いに行こうとひっぱった。
「俺には見えないからわかんねえんだけど、まだいんのか?」
「いますよ、当たり前に。そんな事で騙されないです。さ、行きましょう」
姫木は残ったオムライスを食べ始めるが
「姫木さんも行くんですよ!関わった俺ら全員です!」
女の子は相変わらず佐伯の足元で一緒に歩き、追いつけないのか足に捕まってたりもする。
ー早く追い払わないと…ー
その女の子を見ながら、戸叶の顔に焦り見えてきた。
実際戸叶は今までにもこんなことが何度かあったのだ。
高校の頃、遊びで行った廃墟で友人が取り憑かれたり、車で走ってて運転席の脇のガラスに張り付かれたりと、色々あって今回のことを冷静に対処できているのは『またかよ…』な気持ちでは合ったのだ。
しかし自分のボスを連れて行くと言われてしまうと穏やかではいられない。
取り敢えず戸叶は、友人の時にお世話になった寺に連絡をしてみたが、どうやら今日は住職が不在らしかった。
明日にはいると言われて、解ったとは言ってはみたが間に合うか不安で仕方がない。
「住職いないみたいです…神社も神主さんいないそうで…」
「ま、今日の今日でどうなるってことはないだろ?俺は平気だぜ。さっきもちゃんと話して聞かせたし。な、俺はつまんない兄ちゃんだよな」
足に捕まっている女の子はじっと佐伯を見上げているか、不意に姿を消した。
「あ…」
「お?」
戸叶と姫木が同時に声をあげ、
「消えた…」
とまた同時に言う。
「いなくなったか?」
2人が見る足元を佐伯も見て、俺には最初からいるようには見えなかったけど、そう言われると足が軽くなった気がするな。
「調子いいこと言ってんな」
姫木も安堵した顔で佐伯の肩を拳で押し
「取り敢えずよかった…」
実際の命のやり取りならば自分が守れるが、こう言った場合は手も足も出ない。
姫木は自分が思っていた以上にホッとしてた。
佐藤の『悪霊退散』の呟きも止み、3人は取り敢えず事務所に帰ってくる。
「結局何だったんだかな。俺のわからない所でわからないまま終わった感じで、何か起こってた気がしないんだよな」
事務所へのエレベーターの中で、佐伯は肩を鳴らして首を傾げていた。
「まあ…普通であれば何もわからないまま終わっちゃうんでしょうけどね」
戸叶が姫木をチラチラ見ながら言うと
「たまたま俺と戸叶が『そう言うの』が見えるだけだ」
「まあ…騒いじゃったのは申し訳ないですけど佐伯さん、これからはその辺の献花には絶対に手を合わせないって約束してほしいです…今回連れていかれそうになってたんですからね」
事実がどうかはわからないが、戸叶のように『そう言う』のが見えてしまう人は、普通に事故で…と言うニュースを見てもその事故の原因まで考えてしまうことも多い。
「解ったよ。今度からやらないから。よくわかんねえけど、今回はありがとな、戸叶」
結果的には自主的に向こうが消えただけなので、何もしてはいないから
「いえ、俺は結局何もしてないすから…でもなんで消えたんだろ急に…」
姫木もそれは気になっていた。しかしそれは、エレベーターを降りて事務所に足を踏み入れた瞬間にため息と共に解消された。
佐伯と佐藤の後に入った姫木と戸叶は、簡単応接セットを目にして2人で固まることになった。
応接セットに未だ置かれているピンクのクマで、あの女の子がまた遊んでいるのだ。
「なんで…」
「どっか行ったんじゃなかったのか…?」
2人は意図せず小さな声で会話する。
「でも消えた理由もわからなかったし、何かやってきたんでしょうかね」
「何かってなんだよ、怖いぞ」
入り口でごちゃごちゃしている2人に、佐伯は
「姫木、4時に牧島さんとこ行くことになったぞ」
と、いま榊から入ったラインを告げてくる。
「わかった」
とだけ答えたが、今ここに佐伯を連れて行きたいと言っている幽霊がいる以上、あまり連れ回したくはない…
すると女の子が立ち上がり、2人の前にやってきて
「バイバイ」
と言ってスウっと消えていった。
「え?バイバイ?」
「なんだ?今挨拶していったか?」
消えた場所を見つめてもいないし、部屋を見回してももうその気配もない。
「ええ~~わかんねえ…挨拶に来ただけっすかね」
戸叶も部屋の中へ姫木を通しながら、首を傾げる。
「取り敢えず…本当に佐伯から離れたってことか…まあよかったわ…」
顔に出さない人物だが、姫木が心底安堵した声は戸叶にも感じられた。
本当に、見知らぬお供えや献花には手を合わせないよう、しっかり言おうと決めた。
そうして急にきた霊騒動は数時間で済み、事務所はいつもと変わらず穏やかな午後を過ごしていた。
姫木はソファで雑誌を読み、佐伯はもう一つの長いソファに寝転んで見るとはなしにテレビを眺めている。
佐藤と戸叶は、4時に向かう本家牧島への上納金の計算をし、パーテーションの向こうでは若いものたちが相変わらず馬鹿話をしていた。
佐伯が何げなく見ていたワイドショー。
芸能人がどうのこうの、スポーツ選手があれこれとやっていたが、不意に画面が変わり硬派な背景でアナウンサーがでてきた。
「臨時ニュースです。本日午後2時15分ごろ、吉祥寺の◯◯の交差点で乗用車同士の事故があり、それにより1人が死亡、4人が重軽傷を負いました。亡くなったのは高遠組系暴力団木村組の後藤三郎さんで、横から車にぶつかられ全身打撲で即死だったと言うことです」
4人が一斉にテレビを見つめ、固まった。
「この事故は、ぶつかった車同士が高遠組と柳井組の下部組織と言うことで、これから抗争の恐れもあると、警視庁は警戒を強めております」
「え…」
最初に声を出したのは佐伯だった。
「佐伯お前、後藤って…」
姫木の声に、佐伯はその時に初めて顔を青くした。
全く信じてなんかいなかった。どうせ俺連れてくなんて言ってんなら、後藤にしてくれよ、などというつまらない冗談で言ったつもりだったのだ。
「佐伯さん…」
あの女の子は、本気で佐伯を連れて行くつもりだったんだ、と戸叶も姫木も今更ながらに背筋が凍った。
あの場でも本気だなとは思ってはいたが、どこかやっぱりそんなことがあるわけが…という気持ちもあったのだろう。
こうして佐伯があの子に見せた男が事故で…となると、あの女の子は佐伯と後藤を天秤にかけ、どちらかを…と狙っていたとしか思えなかった。
佐伯がもう少し早く牧島のところに向かっていたら、事故は…と、考えるだに恐ろしい
多分、あの『バイバイ』の瞬間に事故は起こっていたのだろう。
「佐伯さん…無事でよかった…」
戸叶があまりの怖さに涙を溢れさせた。姫木も泣きはしなかったが、ソファに寄りかかり
「お前、ほんっとうにもう余計なことすんなよな。これでわかっただろ」
佐伯はテレビ画面を見つめ、一度深く頷いた。
女の子は、あの団地でDVの父親に放り出された時に階段から落ちて命を落とした子だった。
団地の住人がその踊り場に花を備えてやっているらしい。
1人でそこに座っている姿を見かける人も少なくはなかったが、最近大人の男性が増えたと言う噂が広がっているらしかった…。
事務所に入ってすぐの所に、簡単なお客を通す簡単な応接セットが簡単に置いてあるのだが、そのテーブルに床に直座りした3~4歳の女の子がテーブルにピンクのクマさんを置いて遊んでいる。
「んん?」
戸叶はとりあえずそこをスルーして、応接セットが目に入る一応佐伯のデスクとされているところへ向かった。
「あれ…一体どうしたんすか?」
佐伯はテーブルの上のクマをみて、
「クマだろ?俺にもわかんねえのよ。昨夜仕留めた相手が持ってたのは覚えてんだ。子供にでもやるんだったんかな、なんて思ったからさ。で、朝来たらそこにあるから、おっかねえなと思って触れないでいる」
タバコをふかして、あまり怖がっていなそうな雰囲気でいう佐伯に、クマしか見えてないんか?じゃああの子は…
戸叶が恐る恐るそちらに首を回してみると、その女の子と目が合ってニコォっと微笑まれた。
『可愛いんだけどさ…可愛いんだけどあの子…』
「人じゃねえよな…」
買ってきた弁当やチョコを冷蔵庫に入れようと歩きながら、つい口に出た言葉を、パーテーションの端に立っていた姫木に聞かれた。
が、姫木は
「お前にも見えるのか」
と顎でテーブルをしめす。
「え…姫木さんもっすか」
姫木はうなづいて、頼んでいたチョコレートを受け取った。
「佐伯には見えてねえみてえだけどな…」
2人してテーブルを見つめている光景が可笑しかったのか、佐伯は能天気にも
「そんなにあのクマ欲しかったら持って帰っていいぞ。なんかおっかねえし」
などと笑っている。
「佐伯さん姫木さんニュースでてます」
昨夜の一件が、『午前10時にして漸くニュースになった』か…と嘲って、佐伯は隣の部屋へと向かった。
「あの子どうします?」
「どうって言ってもな…おもてなしのしようもないし…ジュースでもおいとくか?」
流石の姫木も少々戸惑っている。こんなにはっきりと見えるのは初めてだから。
戸叶は自分の弁当を冷蔵庫にしまいがてら、コップにリンゴジュースを入れて、クマの前に置いてみた。
女の子は、両手でグラスを持ってコクコクとジュースを飲み、再びにこぉっと戸叶に微笑む。
「美味いか?」
と、問うと、こくっとうなづいてコップを置きーありがとうーなどという声がどこからともなく、脳に直接聞こえてきてそれにはちょっとビビった。
しかし、実際量の減っていないグラスを見るにつけ、水とか備えるけどちゃんと飲むんだな…などど妙に納得して見つめてしまう戸叶だった。
姫木にもその声は聞こえたらしく、笑ったかわからないほどの微妙な口元で、隣の部屋へ戻って行った。
昼になり、佐伯と姫木が外に食べに行くと言うので戸叶と佐藤もついて行かなければならなくなった。
「お前弁当買ってたじゃん、いいんだぞ昼飯いくらいはついてこなくたって」
佐伯が持ち物を確かめながら戸叶に言うが、ーそう言うわけにも行かねっすー
「大体さきさんたち大抵出かけるんだから、弁当を先回りする方が悪いよな」
と佐藤に嗜められて、戸叶は弁当を奥にいる若い子に誰か食っていいぞと言い残し、一緒に部屋を出た。
その時気になったのは、朝から応接セットについていた女の子。見ると佐伯の足元でちょこちょこと歩いている。
ー佐伯さんに憑いてんのか…ー
時々振り返っては戸叶に微笑む少女は、自分が見えている人物が嬉しいのかも知れなかった。
近くのカフェに入り、2組離れて座る。
離れてと言ってもほぼ隣で、食事の邪魔をしない、でも有事にはすぐに対応できる距離、をもう体感で覚えていた。
女の子は佐伯の隣にちょこんと座っていて、姫木も戸叶にどうしようか…的な目を向けるが、お互いどうしようもない。
店員さんも、水を持ってきてくれたが案の定3カ所に水を置き、佐伯は
「お姉さん、あんま怖いことしないで」
と笑いながら水を返そうとしたが、姫木が
「俺が飲むからいい」
とみずを佐伯の隣へ置いた。
「なに?そこになんかいんのか?」
ちょっと椅子から身を離して、佐伯は姫木を見る。
女の子は水を遊ぶように、ちみちみと舐めるように飲んだりしてる。
「ん…いる」
「え?まじで?ちょっ、お前席替わって」
人間に対して最強なくせに、やはりこう言うのは怖いんだな…と戸叶が見ているが
「替わったっていいけど、そいつお前のそば離れねえぞ」
「ええ~?」
佐伯はしょうがねえな、とあげた腰を下ろし、隣を見る。
「いんの?」
「いる」
「何歳くらい」
「見たとこ…3.4歳か…女の子だ」
佐伯は少々考えた。
「お前、水子とか、無体なことした女いるんじゃねえのか?」
疑う目というか、ほぼ確信に近い目で見られて、佐伯は背もたれに寄りかかる。
「それはねえな…ほら、俺失敗しないし。お前にだって…」
姫木は足を踏みながら
「失敗しようがねえだろ、バカか」
笑いながら眉間を寄せるという器用な顔をして足をバタバタさせる佐伯に、
「じゃあ、変なとこ行ったか…」
女の子は水で遊ぶのも飽きたのか、今では佐伯の膝に乗って寄りかかって懐いている。
姫木はその現状をあえて言わないおこうと決め、
「行ったか?」
と再度聞いてみた。
「変なとこ…かぁ…大抵お前と行動してるしな…」
しばし考えて、ーあ…ーと何かを思い出したように顔を上げる。
「昨日、俺昼間に田所さんに頼まれて一緒に郊外の団地に行ったわ。薄っくらい団地でな、取り立ての手伝いだったんだ。相手ごねごねにごねてて手に負えないから、とっ捕まえて売ろうってことになってな、なんで俺かわかんなかったけど面白そうだから行ってきたんだ」
佐伯の膝の上で女の子が、うんうんと頷いて佐伯の胸をポンポンと叩いている。
姫木は不思議になってついそこにいるような感じで
「そこがお前んちなのか?」
と佐伯の胸の辺りに向かって話しかけてしまった。
「なんだよ!ここにいんのか!えええ」
シートに埋もれるように体を引いた佐伯は、それでも振り払うような真似はせずに、じっと自分の腹のあたりを見つめる。
「あ、今お前に座ってるんだがな…大丈夫だ……いまのとこは…」
今のとこはって…
そんな中運ばれてきたオムライスとナポリタンとプリン
「いまどかすから」
と言って姫木はプリンを佐伯の隣の席の前に置くと、女の子はニコニコして席へ移っていった。
「どいたぞ。プリン食い始めた」
何も変化のないプリンを見つめ、ーお…おうーと返事をして佐伯もナポリタンを引き寄せる
「どういうことなんだ」
佐伯は何もかも受け入れるぞ!と言ってから、そう聞いてきた。
「どういうことなのかは知らねえけど…」
と前置きしてもう一度
「さっきの団地ってお前んちなん?」
と誰もいないところへ話しかけてみた。
女の子はプリンを食べながら頷く。
「やっぱりその団地みたいだな…お前何したよ」
「別になんもしてねえけどな…」
色々思い起こしているようだが、皆目見当がつかない。
その時
「お花に手を合わせてくれた て言ってますね」
隣の席の戸叶が不意に言ってくる。
「お前会話できんのか」
佐伯が呆れたようにみるが、姫木は戸叶が会話できると知って、こっちに来いと呼びつけた。
姫木には見えるし言葉も届けられるが、向こうの話す声はあまり聞き取れないようだ。たまに聞こえてくるのは断片的な言葉だけで。
そして取り残された佐藤は
「あの…さっきからなんの話をしてんです?」
「ああ…今な佐伯さんの隣の椅子に女の子座ってんだわ。その子さっき事務所にもいてさ、ずっと佐伯さんにくっついてるから、少し話聞いてくるわ」
席を移りがてら佐藤に簡潔に説明してみたが、佐藤にはまるでわからない
「幽霊…ってことか?」
「まあ有り体に言えばそうだな」
戸叶は苦笑して姫木の奥の席へと移動していった。佐藤は触らぬかみに…とぶつぶつ言いながら、サンドイッチとナポリタンを交互に口に入れ、悪霊退散と唱えていた。
「花に手を合わせたって言ってるようだが」
そう言われても…花?花ねえ…と考えるが
「ああ…階段の踊り場の隅っこに花が供えてあったな。なんかあったのかなと思ってそこには手を合わせた気がする」
姫木と戸叶が女の子を見ると、頷いていた。
「それみたいだな」
やっと腑に落ちたと、姫木もオムライスを一口口にするが、その後戸叶の様子が変わる。
「いや、ダメだぞそれは。やっちゃだめなことだ」
と急に声を荒げたのだ。
「どうした?」
姫木が問うと
「この子、佐伯さんを連れて行きたいって…」
「どこに?」
ナポリタンを食べながら佐伯が能天気に言ってくるが
「この子、ずっとあそこに1人だったから。この優しいお兄さんと一緒にあそこにいたいって…言ってて…」
「はあ?」
流石の姫木も声が出て、隣の席の佐藤の「悪霊退散」の声はますます大きくなってゆく。
「戸叶(お前)ならわかるけど、何もしてねえだろ、佐伯は」
いや、解らないで…と内心思う戸叶だが、佐伯も連れて行ってもらっては困る。
「そう言うことじゃなくてですよ。大体佐伯さんがその辺の献花に手を合わせるからこう言うことになるんすよー」
そう言われて、ナポリタンを咀嚼し終えて紙ナプキンで唇を拭った佐伯は
「俺を連れてくって言ってんのか?こいつ」
隣の何もない椅子を見つめるが、実は目が合っていることには気づかない。
「いっちまう事自体は怖くもなんともないんけど…こう言うのはちょっと不本意なんだよな。わかるか?ちょっと難しいか」
そこに子供がいるかのように話しかけている佐伯はまるで見えているようだ。
「それに俺は優しくはないぞ。一緒に居たってお前と遊ぶかどうかは判らないし」
意外と事態を避けるように動いてる風でもある。
信じてるのか居ないのか、他の3人には見当もつかなかった。
そして佐伯はスマホを取り出して、とある画像を誰もいない空間にまるでその子に見せるように向ける。
「このおじさんな、ごとうさぶろう って言う人なんだけど、子供に優しくていい人だぞ?こいつの方が遊んでくれるかもしれないな」
その画像の後藤三郎という人物は、高遠組の系列の組ではあるが柳井の構成員と繋がっていることが最近判って、佐伯たちに仕事が来ていた人物だった。
「おいおい、お前それは…」
姫木が呆れてやめとけよ、と言ってくるが、
「もし本当なら、俺らの仕事の手間省けるじゃん」
ニヤッと笑って、見えない空間に向かって、
「きちじょうじってとこの…」
住所まで地図で教えている。
女の子は真剣にそれを聞いて、見ていて
「そっちの方がいいだろ?怖い顔してるけど優しいおじさんだぞ」
「そんなので剥がれるとは思えませんよ。これから一度寺に行きましょう。ダメなら神社に…」
戸叶は気が気ではなくなって、食事を終えた佐伯を立たせてお祓いに行こうとひっぱった。
「俺には見えないからわかんねえんだけど、まだいんのか?」
「いますよ、当たり前に。そんな事で騙されないです。さ、行きましょう」
姫木は残ったオムライスを食べ始めるが
「姫木さんも行くんですよ!関わった俺ら全員です!」
女の子は相変わらず佐伯の足元で一緒に歩き、追いつけないのか足に捕まってたりもする。
ー早く追い払わないと…ー
その女の子を見ながら、戸叶の顔に焦り見えてきた。
実際戸叶は今までにもこんなことが何度かあったのだ。
高校の頃、遊びで行った廃墟で友人が取り憑かれたり、車で走ってて運転席の脇のガラスに張り付かれたりと、色々あって今回のことを冷静に対処できているのは『またかよ…』な気持ちでは合ったのだ。
しかし自分のボスを連れて行くと言われてしまうと穏やかではいられない。
取り敢えず戸叶は、友人の時にお世話になった寺に連絡をしてみたが、どうやら今日は住職が不在らしかった。
明日にはいると言われて、解ったとは言ってはみたが間に合うか不安で仕方がない。
「住職いないみたいです…神社も神主さんいないそうで…」
「ま、今日の今日でどうなるってことはないだろ?俺は平気だぜ。さっきもちゃんと話して聞かせたし。な、俺はつまんない兄ちゃんだよな」
足に捕まっている女の子はじっと佐伯を見上げているか、不意に姿を消した。
「あ…」
「お?」
戸叶と姫木が同時に声をあげ、
「消えた…」
とまた同時に言う。
「いなくなったか?」
2人が見る足元を佐伯も見て、俺には最初からいるようには見えなかったけど、そう言われると足が軽くなった気がするな。
「調子いいこと言ってんな」
姫木も安堵した顔で佐伯の肩を拳で押し
「取り敢えずよかった…」
実際の命のやり取りならば自分が守れるが、こう言った場合は手も足も出ない。
姫木は自分が思っていた以上にホッとしてた。
佐藤の『悪霊退散』の呟きも止み、3人は取り敢えず事務所に帰ってくる。
「結局何だったんだかな。俺のわからない所でわからないまま終わった感じで、何か起こってた気がしないんだよな」
事務所へのエレベーターの中で、佐伯は肩を鳴らして首を傾げていた。
「まあ…普通であれば何もわからないまま終わっちゃうんでしょうけどね」
戸叶が姫木をチラチラ見ながら言うと
「たまたま俺と戸叶が『そう言うの』が見えるだけだ」
「まあ…騒いじゃったのは申し訳ないですけど佐伯さん、これからはその辺の献花には絶対に手を合わせないって約束してほしいです…今回連れていかれそうになってたんですからね」
事実がどうかはわからないが、戸叶のように『そう言う』のが見えてしまう人は、普通に事故で…と言うニュースを見てもその事故の原因まで考えてしまうことも多い。
「解ったよ。今度からやらないから。よくわかんねえけど、今回はありがとな、戸叶」
結果的には自主的に向こうが消えただけなので、何もしてはいないから
「いえ、俺は結局何もしてないすから…でもなんで消えたんだろ急に…」
姫木もそれは気になっていた。しかしそれは、エレベーターを降りて事務所に足を踏み入れた瞬間にため息と共に解消された。
佐伯と佐藤の後に入った姫木と戸叶は、簡単応接セットを目にして2人で固まることになった。
応接セットに未だ置かれているピンクのクマで、あの女の子がまた遊んでいるのだ。
「なんで…」
「どっか行ったんじゃなかったのか…?」
2人は意図せず小さな声で会話する。
「でも消えた理由もわからなかったし、何かやってきたんでしょうかね」
「何かってなんだよ、怖いぞ」
入り口でごちゃごちゃしている2人に、佐伯は
「姫木、4時に牧島さんとこ行くことになったぞ」
と、いま榊から入ったラインを告げてくる。
「わかった」
とだけ答えたが、今ここに佐伯を連れて行きたいと言っている幽霊がいる以上、あまり連れ回したくはない…
すると女の子が立ち上がり、2人の前にやってきて
「バイバイ」
と言ってスウっと消えていった。
「え?バイバイ?」
「なんだ?今挨拶していったか?」
消えた場所を見つめてもいないし、部屋を見回してももうその気配もない。
「ええ~~わかんねえ…挨拶に来ただけっすかね」
戸叶も部屋の中へ姫木を通しながら、首を傾げる。
「取り敢えず…本当に佐伯から離れたってことか…まあよかったわ…」
顔に出さない人物だが、姫木が心底安堵した声は戸叶にも感じられた。
本当に、見知らぬお供えや献花には手を合わせないよう、しっかり言おうと決めた。
そうして急にきた霊騒動は数時間で済み、事務所はいつもと変わらず穏やかな午後を過ごしていた。
姫木はソファで雑誌を読み、佐伯はもう一つの長いソファに寝転んで見るとはなしにテレビを眺めている。
佐藤と戸叶は、4時に向かう本家牧島への上納金の計算をし、パーテーションの向こうでは若いものたちが相変わらず馬鹿話をしていた。
佐伯が何げなく見ていたワイドショー。
芸能人がどうのこうの、スポーツ選手があれこれとやっていたが、不意に画面が変わり硬派な背景でアナウンサーがでてきた。
「臨時ニュースです。本日午後2時15分ごろ、吉祥寺の◯◯の交差点で乗用車同士の事故があり、それにより1人が死亡、4人が重軽傷を負いました。亡くなったのは高遠組系暴力団木村組の後藤三郎さんで、横から車にぶつかられ全身打撲で即死だったと言うことです」
4人が一斉にテレビを見つめ、固まった。
「この事故は、ぶつかった車同士が高遠組と柳井組の下部組織と言うことで、これから抗争の恐れもあると、警視庁は警戒を強めております」
「え…」
最初に声を出したのは佐伯だった。
「佐伯お前、後藤って…」
姫木の声に、佐伯はその時に初めて顔を青くした。
全く信じてなんかいなかった。どうせ俺連れてくなんて言ってんなら、後藤にしてくれよ、などというつまらない冗談で言ったつもりだったのだ。
「佐伯さん…」
あの女の子は、本気で佐伯を連れて行くつもりだったんだ、と戸叶も姫木も今更ながらに背筋が凍った。
あの場でも本気だなとは思ってはいたが、どこかやっぱりそんなことがあるわけが…という気持ちもあったのだろう。
こうして佐伯があの子に見せた男が事故で…となると、あの女の子は佐伯と後藤を天秤にかけ、どちらかを…と狙っていたとしか思えなかった。
佐伯がもう少し早く牧島のところに向かっていたら、事故は…と、考えるだに恐ろしい
多分、あの『バイバイ』の瞬間に事故は起こっていたのだろう。
「佐伯さん…無事でよかった…」
戸叶があまりの怖さに涙を溢れさせた。姫木も泣きはしなかったが、ソファに寄りかかり
「お前、ほんっとうにもう余計なことすんなよな。これでわかっただろ」
佐伯はテレビ画面を見つめ、一度深く頷いた。
女の子は、あの団地でDVの父親に放り出された時に階段から落ちて命を落とした子だった。
団地の住人がその踊り場に花を備えてやっているらしい。
1人でそこに座っている姿を見かける人も少なくはなかったが、最近大人の男性が増えたと言う噂が広がっているらしかった…。
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