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第2話
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今から500年程前、俗に吸血鬼と言われるものたちが巷を騒がせていた時期があった。
一部にはポルフィリン症という病気が、光を嫌ったり陽に当たると皮膚が被れるという点で吸血鬼の噂の元になったと言われているが、大昔には確かに居たという言い伝えはある。
主に若い女性の生き血を吸い、その人間を徐々に仲間に加えていくという類のもの。
しかし、恐怖されこそすれ恐れるものなどないに等しい彼等にも、恐れるものは存在した。
本来上流意識の強い彼等の、それ以上に上をゆく貴族たち。
それが、彼等が唯一恐れる彼等の神たる存在だった。
貴族たちは、配下の者たちの血を吸い生気を吸い取って、その者等より強大な魔力を身に纏っている。
一般の人間の生き血を求めない訳でもなかったが、普通の血は生きるための力にしかならないのだ。
魔力を維持するためにはどうしても吸血鬼と呼ばれるものの血が必要だった。
しかし一般の民衆の中に、至極稀にその身に宿す血流で貴族たちの魔力を満たすものがいる。それを『トランシェリアン』と言い、遺伝でもなんでもなくただ突発的に発生する因子であった。
そんな子供を持ってしまったことは親でさえ気づかず、それとわかるのは吸血貴族のみなのである。
その貴族の生き残りがイフリムたち3人である。
数百年前、若い娘たちばかりを犠牲にしてきた者達に憤った当時の領主が、大掛かりな吸血鬼狩りを行った。
魔物とはいえ弱点はあって、そこをつかれれば命を落とすこともある。
正式な祈りと聖水によって清められた十字架は、確実に彼等の肌を焼き、当てられ続ければ命にも関わってくる。
吸血鬼狩りは凄惨を極め、木の杭で地面に穿たれた者達に祈りを捧げて聖水で清めた十字架をもった者達が、その十字架で心臓を刺して回るという事態にまでなった。
それでも魔物達も仲間を増やし対抗をしたが、人間達は倒されても倒されても後から後から挑んでゆきついにはその戦いに勝利した。
それは長い長い戦いで、終結までに200年の月日を費やしたという。
その時の貴族を取りまとめていた長が、最後の力で結界を張って守り抜いたのが、今を生きるイフリム達3人とその他10数名の配下及び僕と言われる吸血鬼達であった。
3人の他は、エナジーとしての血を蓄えられないことに嘆き苦しみ、元々100名ほどいた吸血鬼たちも、300年のうちに次々とエナジー切れで蒸発してしまい、今残っている10名は随分と頑張って生き延びてきている方だ。
今はそこそこ平和に暮らしているが、300年もの間の3人の心痛もかなりのものがあったはずである。
イフリムの部屋からでたバレンティンは、そのままエルセイウの部屋へ向かった。
「エルセイウいる?」
「ああ」
部屋の前で軽くノックをして、今度は返事を待ってからドアを開ける。
「ヒイロの所にいると思ったよ」
入って来ざまにそう言って、バレンティンはそのままドアに寄りかかった。
「思うことがあって、早々に引き上げさせてもらった。…で、何か用なのか?」
「なんか用なのかってさ、君あの2人どうするつもりだい?」
「どうというと?」
バレンティンは少し焦れたように、書斎デスクに座っているエルセイウに近寄り、机を挟んで対峙した。
「仲間に入れる算段は立っているのかって聞いているんだよ」
そう言って、机に腰を寄りかからせる。
「それを今考えてた所だ」
ーなんにしろー
と、続けて傍の花瓶に生けられたトランシェの花弁を一枚口にする。
「ジョウは邪魔なんだ」
「ジョウ?彼は僕たちが適当に配下にしちゃったらいいんじゃない?そんなに邪魔かな」
バレンティンも振り向いて一枚摘んで口にした。
「あの2人でいたら、ヒイロがリムだけのモノにならないぞ」
「どう言うこと?」
眉を顰め、デスクに手をついてエルセイウへと体を向ける。
「我々のしきたりなどは彼らには理解できないだろう。いくらジョウが配下でヒイロが貴族だと言ったところであの2人は離れない」
「つまりリムの思い通りにさせられないってことか…」
エルセイウは腕を組んで深く座り直した。
「ヒイロが自ら仲間に加わってくれれば…ありがたいんだが」
バレンティンの目が怪訝に歪められる。
何を言っているのかと思った。
我々の仲間になることを誰もが望んでくれたなら、こんな楽なことはない。
今までだって、無理矢理に血を奪い抵抗もさせぬまま仲間を増やしていったはずではないか。
「何言ってんの?そんな都合のいい事…」
そこまで言ってバレンティンは遠い過去、エルセイウが味わった苦い恋を思い起こした。
エルセイウとともに生きていきたいと、自ら自分たちに血を捧げる覚悟を決めた少女。
エルセイウが愛した人間の少女だった。
少女はエルセイウを探し求めて森を彷徨ううち、貴族でもその属性の配下でもない吸血の魔物の手にかかった。
先にも記したが、吸血貴族は吸血鬼全体の上流部分にいる。しかしその『貴族』となる吸血鬼を作れるのは、イフリムの血筋だけなのだ。
このバレンティンとエルセイウの2人には『貴族』を作る力はない。
貴族と呼ばれる者たちには多少なりと魔力が備わっていて、この2人も空間移動や念動力等使えるし、配下と呼ばれる者たちにも血を吸う際に相手を朦朧とさせ痛くないようにという魔術くらいは使えるのだ。
吸血されるのがが気持ちいいという噂はこの辺りからなのだろう。
バレンティンとエルセイウが作れるのはその配下なのである。
その少女は、その力さえ持たない下流の吸血の魔物に襲われ、『ただの』吸血鬼になってしまった。
エルセイウはイフリムの父親に、その少女エイダの血を汲んで欲しいと頼みその了承を得ていたのにだ。
迎えにいったエルセイウは
「あなたと同じになれたわ…嬉しい…」
と抱きついてきたエイダの首に二つの牙の跡を見つけ驚愕した。
我々は決して跡を残さない…。
配下とも添えない貴族階級なのに、ましてそれ以下の者などとは目にするのも穢らわしいとさえ思う者たちだ。
愛する少女が自分と添えない…王に許可ももらっていたのに何故…。エルセイウは苦悩した。
自分の吸血貴族としての血を恨んだりもした。長に逆らって彼女を助け、自分の血を高級エナジーとして長に差し出す気持ちも湧いてくる。
しかし、自分にはイフリムのそば付きという地位もあった。その職務は放棄はできない。
結果、エルセイウは彼女をその辺の野良にすることもできず、まして自分の伴侶にすることもできないまま、王の元へ差し出したのだった。
それから2度と会ってはいない。どうなったかも聞かないし訊いてもいない。
野良のままなら、狩りにあい悲惨な最後を遂げただろうが、エルセイウからの捧げ物として王へ渡されたなら、苦しまずに…と思うしかなかった。
そんな恋を経験したエルセイウに、バレンティンはため息をつく。
「エリー、ヒイロはエイダとは違うよ。仲間になると言うことを嫌悪こそすれ望んだりはしないさ。まして彼は君を愛しているわけじゃあないからね。まさかヒイロが仲間にしてくれって言うまで待ってるわけでもないだろ?」
わざとエルセイウが嫌いな呼び方をして、バレンティンは再び背を向けた。
エルセイウは黙っている。
バレンティンの言っていることは真っ当で、自分が妙な感傷に浸っていたことを反省した。
「ともかく早いほうがいい、って僕は思うな」
バレンティンがドアに向かってあるきながら、言う。
「何を焦ってるんだ?とりあえず今日は陽も暮れたし引き止めるには好都合だろう。明日1日あるんだぞ?」
「ん…、ちょっとね…中々勘の良さそうな子達だからねえ…」
意味深にそう答えて、また後で~ とバレンティンは部屋を出ていった。
ヒイロの容体もだいぶ良くなりはしたが、結局一晩泊めてもらうことになってしまった。
2人は食事の用意が整ったと言うことで、広間に通されて再びその広さに唖然とした。
「まったくさぁ、あるところにはあるってのはこのことだよな」
と小声で丈が紘に呟く。
「全くだよ、どこが落ちぶれ貴族なんだか…」
ため息混じりに紘もそう呟いて、促されるがままに席へついた。
食事の世話は、白く能面のような顔の右頬に一筋の傷がある男性が甲斐甲斐しく見てくれた。
その綺麗な顔と傷のギャップを、見るともなしに見ていた2人にエルセイウが微笑んで
「彼は私たちの身の回りの世話をしてくれているイゴールと言う者だ。よくやってくれるので助かっている。君たちも用があったら頼むといい」
と教えてくれた。
イゴールは紘達にも頭を下げておいてあったワイングラスにワインを注いでくれた…が
「あの、僕らはお酒は飲めませんが…」
と告げるとエルセイウが
「そうか、そうだったなすまない。イゴールお茶か何かを用意してあげてくれないか」
手のひらを上に紘達を示しながら指示すると、イゴールはー畏まりましたーと一旦部屋を出て行った。
その姿を確認しながら、2人一緒に
『アレ者みたいだな…』
と密かに冷や汗をかいていた。
食事も終わり、部屋へ戻ろうとする2人をバレンティンが呼び止めた。
家の中だからだろうか、背中半分ほどの長さの髪を後ろで高く結えている。
「部屋を2つ用意したから、1人ずつゆっくり休んでよ」
「え…いや俺たち一部屋でいいですよ」
泊めてもらうのでさえ烏滸がましいのに、まして1人一部屋だなんて恐れ多いにも程がある。
「一晩だけだし、ほんと気を遣わないでください。街まで送ってもらう件もあるし」
片手を顔の前でぶんぶんと振って、紘は丁重に辞退した。…が、
「うちはベッドが二つある部屋はないんだよ。まさかソファに寝てもらうわけにもいかないしさ、一晩だけって思うんだったら2つ使ってよ」
にっこり笑ってそう言われて2人は戸惑う。
普段は畳の上でガーガー寝てしまうものだから、今回もそんなつもりでいたのだが、ここまで言われたらどうしようもない
「それじゃ…ぁ、お言葉に甘えて…」
あまりしつこくするのも失礼に当たるかも、と考え折角用意してくれてのだからとふたつつかわせてもらうことにした。
「おやすみ」
そう言ってバレンティンは出て行ったが、スマホを見るとまだ20時だ。
「おやすみって言われてもなぁ…」
ベッドへ腰掛けて部屋を見回すと、中世ヨーロッパ特有の『華美』な装飾とベッドの頭上には天蓋…
男の子でも聞かせられた、女の子大好きな『姫』がいるような部屋、
「お姫様じゃないっつーの」
そう呟いて、ベッドへ身を投げた。
スマホもなぜか圏外だし、テレビもパソコンも何もない状態では、流石に暇つぶしはむずかしい。
丈を探そうにも、あっちはエルセイウが案内して連れて行ったので、どこにいるかすらもわからないのだ。
「取り敢えず…風呂入るか」
こう言う時は前向きな思考が1番だ、と考えて紘は浴室へと向かった。
客室までもが華美な装飾に見舞われていたことを思うと、お風呂場もなんだか怪しいもんだと思いながら入ってゆくが、思っていたより普通で安堵する。
なんか猫足のバスタブが置いてあって、こう…細い棒に支えられたおしゃれなシャワーが設置してあって…とかじゃなくてよかった…。
紘はゆっくりと浴槽に浸かって、今日1日を考える。
『なんだったんだ今日は…』
伝説の村を探しに来て道に迷ってしまったことから始まり、いきなり知らない家にお邪魔してるわ、生まれて初めての貧血は起こすわ、あまつさえそのお宅に一泊してしまうという…。
ツアーの添乗員、今頃血相変えてるだろうな…と言う考えに及び、明日戻ったら土下座して謝るしかないな…と心底反省をした。
なんせスマホが使えないのだから、連絡のしようもない…
男のくせにヒステリックな添乗員を思い浮かべてうんざりししたが、自分たちが全面悪いので仕方ない。
謝るしかないんだよな~、と思って浴槽からあがった。
お風呂から出ても、これと言ってすることもなく紘はしばらくぼんやりしていたが、貧血を起こすほどならまず体を休めるか、と言うことに思い至りさっさと寝ることにした。
寝る気になればすぐにでも…な紘は案の定、布団に潜り込んで1分ほどで静かな寝息をたて始めていた。
一部にはポルフィリン症という病気が、光を嫌ったり陽に当たると皮膚が被れるという点で吸血鬼の噂の元になったと言われているが、大昔には確かに居たという言い伝えはある。
主に若い女性の生き血を吸い、その人間を徐々に仲間に加えていくという類のもの。
しかし、恐怖されこそすれ恐れるものなどないに等しい彼等にも、恐れるものは存在した。
本来上流意識の強い彼等の、それ以上に上をゆく貴族たち。
それが、彼等が唯一恐れる彼等の神たる存在だった。
貴族たちは、配下の者たちの血を吸い生気を吸い取って、その者等より強大な魔力を身に纏っている。
一般の人間の生き血を求めない訳でもなかったが、普通の血は生きるための力にしかならないのだ。
魔力を維持するためにはどうしても吸血鬼と呼ばれるものの血が必要だった。
しかし一般の民衆の中に、至極稀にその身に宿す血流で貴族たちの魔力を満たすものがいる。それを『トランシェリアン』と言い、遺伝でもなんでもなくただ突発的に発生する因子であった。
そんな子供を持ってしまったことは親でさえ気づかず、それとわかるのは吸血貴族のみなのである。
その貴族の生き残りがイフリムたち3人である。
数百年前、若い娘たちばかりを犠牲にしてきた者達に憤った当時の領主が、大掛かりな吸血鬼狩りを行った。
魔物とはいえ弱点はあって、そこをつかれれば命を落とすこともある。
正式な祈りと聖水によって清められた十字架は、確実に彼等の肌を焼き、当てられ続ければ命にも関わってくる。
吸血鬼狩りは凄惨を極め、木の杭で地面に穿たれた者達に祈りを捧げて聖水で清めた十字架をもった者達が、その十字架で心臓を刺して回るという事態にまでなった。
それでも魔物達も仲間を増やし対抗をしたが、人間達は倒されても倒されても後から後から挑んでゆきついにはその戦いに勝利した。
それは長い長い戦いで、終結までに200年の月日を費やしたという。
その時の貴族を取りまとめていた長が、最後の力で結界を張って守り抜いたのが、今を生きるイフリム達3人とその他10数名の配下及び僕と言われる吸血鬼達であった。
3人の他は、エナジーとしての血を蓄えられないことに嘆き苦しみ、元々100名ほどいた吸血鬼たちも、300年のうちに次々とエナジー切れで蒸発してしまい、今残っている10名は随分と頑張って生き延びてきている方だ。
今はそこそこ平和に暮らしているが、300年もの間の3人の心痛もかなりのものがあったはずである。
イフリムの部屋からでたバレンティンは、そのままエルセイウの部屋へ向かった。
「エルセイウいる?」
「ああ」
部屋の前で軽くノックをして、今度は返事を待ってからドアを開ける。
「ヒイロの所にいると思ったよ」
入って来ざまにそう言って、バレンティンはそのままドアに寄りかかった。
「思うことがあって、早々に引き上げさせてもらった。…で、何か用なのか?」
「なんか用なのかってさ、君あの2人どうするつもりだい?」
「どうというと?」
バレンティンは少し焦れたように、書斎デスクに座っているエルセイウに近寄り、机を挟んで対峙した。
「仲間に入れる算段は立っているのかって聞いているんだよ」
そう言って、机に腰を寄りかからせる。
「それを今考えてた所だ」
ーなんにしろー
と、続けて傍の花瓶に生けられたトランシェの花弁を一枚口にする。
「ジョウは邪魔なんだ」
「ジョウ?彼は僕たちが適当に配下にしちゃったらいいんじゃない?そんなに邪魔かな」
バレンティンも振り向いて一枚摘んで口にした。
「あの2人でいたら、ヒイロがリムだけのモノにならないぞ」
「どう言うこと?」
眉を顰め、デスクに手をついてエルセイウへと体を向ける。
「我々のしきたりなどは彼らには理解できないだろう。いくらジョウが配下でヒイロが貴族だと言ったところであの2人は離れない」
「つまりリムの思い通りにさせられないってことか…」
エルセイウは腕を組んで深く座り直した。
「ヒイロが自ら仲間に加わってくれれば…ありがたいんだが」
バレンティンの目が怪訝に歪められる。
何を言っているのかと思った。
我々の仲間になることを誰もが望んでくれたなら、こんな楽なことはない。
今までだって、無理矢理に血を奪い抵抗もさせぬまま仲間を増やしていったはずではないか。
「何言ってんの?そんな都合のいい事…」
そこまで言ってバレンティンは遠い過去、エルセイウが味わった苦い恋を思い起こした。
エルセイウとともに生きていきたいと、自ら自分たちに血を捧げる覚悟を決めた少女。
エルセイウが愛した人間の少女だった。
少女はエルセイウを探し求めて森を彷徨ううち、貴族でもその属性の配下でもない吸血の魔物の手にかかった。
先にも記したが、吸血貴族は吸血鬼全体の上流部分にいる。しかしその『貴族』となる吸血鬼を作れるのは、イフリムの血筋だけなのだ。
このバレンティンとエルセイウの2人には『貴族』を作る力はない。
貴族と呼ばれる者たちには多少なりと魔力が備わっていて、この2人も空間移動や念動力等使えるし、配下と呼ばれる者たちにも血を吸う際に相手を朦朧とさせ痛くないようにという魔術くらいは使えるのだ。
吸血されるのがが気持ちいいという噂はこの辺りからなのだろう。
バレンティンとエルセイウが作れるのはその配下なのである。
その少女は、その力さえ持たない下流の吸血の魔物に襲われ、『ただの』吸血鬼になってしまった。
エルセイウはイフリムの父親に、その少女エイダの血を汲んで欲しいと頼みその了承を得ていたのにだ。
迎えにいったエルセイウは
「あなたと同じになれたわ…嬉しい…」
と抱きついてきたエイダの首に二つの牙の跡を見つけ驚愕した。
我々は決して跡を残さない…。
配下とも添えない貴族階級なのに、ましてそれ以下の者などとは目にするのも穢らわしいとさえ思う者たちだ。
愛する少女が自分と添えない…王に許可ももらっていたのに何故…。エルセイウは苦悩した。
自分の吸血貴族としての血を恨んだりもした。長に逆らって彼女を助け、自分の血を高級エナジーとして長に差し出す気持ちも湧いてくる。
しかし、自分にはイフリムのそば付きという地位もあった。その職務は放棄はできない。
結果、エルセイウは彼女をその辺の野良にすることもできず、まして自分の伴侶にすることもできないまま、王の元へ差し出したのだった。
それから2度と会ってはいない。どうなったかも聞かないし訊いてもいない。
野良のままなら、狩りにあい悲惨な最後を遂げただろうが、エルセイウからの捧げ物として王へ渡されたなら、苦しまずに…と思うしかなかった。
そんな恋を経験したエルセイウに、バレンティンはため息をつく。
「エリー、ヒイロはエイダとは違うよ。仲間になると言うことを嫌悪こそすれ望んだりはしないさ。まして彼は君を愛しているわけじゃあないからね。まさかヒイロが仲間にしてくれって言うまで待ってるわけでもないだろ?」
わざとエルセイウが嫌いな呼び方をして、バレンティンは再び背を向けた。
エルセイウは黙っている。
バレンティンの言っていることは真っ当で、自分が妙な感傷に浸っていたことを反省した。
「ともかく早いほうがいい、って僕は思うな」
バレンティンがドアに向かってあるきながら、言う。
「何を焦ってるんだ?とりあえず今日は陽も暮れたし引き止めるには好都合だろう。明日1日あるんだぞ?」
「ん…、ちょっとね…中々勘の良さそうな子達だからねえ…」
意味深にそう答えて、また後で~ とバレンティンは部屋を出ていった。
ヒイロの容体もだいぶ良くなりはしたが、結局一晩泊めてもらうことになってしまった。
2人は食事の用意が整ったと言うことで、広間に通されて再びその広さに唖然とした。
「まったくさぁ、あるところにはあるってのはこのことだよな」
と小声で丈が紘に呟く。
「全くだよ、どこが落ちぶれ貴族なんだか…」
ため息混じりに紘もそう呟いて、促されるがままに席へついた。
食事の世話は、白く能面のような顔の右頬に一筋の傷がある男性が甲斐甲斐しく見てくれた。
その綺麗な顔と傷のギャップを、見るともなしに見ていた2人にエルセイウが微笑んで
「彼は私たちの身の回りの世話をしてくれているイゴールと言う者だ。よくやってくれるので助かっている。君たちも用があったら頼むといい」
と教えてくれた。
イゴールは紘達にも頭を下げておいてあったワイングラスにワインを注いでくれた…が
「あの、僕らはお酒は飲めませんが…」
と告げるとエルセイウが
「そうか、そうだったなすまない。イゴールお茶か何かを用意してあげてくれないか」
手のひらを上に紘達を示しながら指示すると、イゴールはー畏まりましたーと一旦部屋を出て行った。
その姿を確認しながら、2人一緒に
『アレ者みたいだな…』
と密かに冷や汗をかいていた。
食事も終わり、部屋へ戻ろうとする2人をバレンティンが呼び止めた。
家の中だからだろうか、背中半分ほどの長さの髪を後ろで高く結えている。
「部屋を2つ用意したから、1人ずつゆっくり休んでよ」
「え…いや俺たち一部屋でいいですよ」
泊めてもらうのでさえ烏滸がましいのに、まして1人一部屋だなんて恐れ多いにも程がある。
「一晩だけだし、ほんと気を遣わないでください。街まで送ってもらう件もあるし」
片手を顔の前でぶんぶんと振って、紘は丁重に辞退した。…が、
「うちはベッドが二つある部屋はないんだよ。まさかソファに寝てもらうわけにもいかないしさ、一晩だけって思うんだったら2つ使ってよ」
にっこり笑ってそう言われて2人は戸惑う。
普段は畳の上でガーガー寝てしまうものだから、今回もそんなつもりでいたのだが、ここまで言われたらどうしようもない
「それじゃ…ぁ、お言葉に甘えて…」
あまりしつこくするのも失礼に当たるかも、と考え折角用意してくれてのだからとふたつつかわせてもらうことにした。
「おやすみ」
そう言ってバレンティンは出て行ったが、スマホを見るとまだ20時だ。
「おやすみって言われてもなぁ…」
ベッドへ腰掛けて部屋を見回すと、中世ヨーロッパ特有の『華美』な装飾とベッドの頭上には天蓋…
男の子でも聞かせられた、女の子大好きな『姫』がいるような部屋、
「お姫様じゃないっつーの」
そう呟いて、ベッドへ身を投げた。
スマホもなぜか圏外だし、テレビもパソコンも何もない状態では、流石に暇つぶしはむずかしい。
丈を探そうにも、あっちはエルセイウが案内して連れて行ったので、どこにいるかすらもわからないのだ。
「取り敢えず…風呂入るか」
こう言う時は前向きな思考が1番だ、と考えて紘は浴室へと向かった。
客室までもが華美な装飾に見舞われていたことを思うと、お風呂場もなんだか怪しいもんだと思いながら入ってゆくが、思っていたより普通で安堵する。
なんか猫足のバスタブが置いてあって、こう…細い棒に支えられたおしゃれなシャワーが設置してあって…とかじゃなくてよかった…。
紘はゆっくりと浴槽に浸かって、今日1日を考える。
『なんだったんだ今日は…』
伝説の村を探しに来て道に迷ってしまったことから始まり、いきなり知らない家にお邪魔してるわ、生まれて初めての貧血は起こすわ、あまつさえそのお宅に一泊してしまうという…。
ツアーの添乗員、今頃血相変えてるだろうな…と言う考えに及び、明日戻ったら土下座して謝るしかないな…と心底反省をした。
なんせスマホが使えないのだから、連絡のしようもない…
男のくせにヒステリックな添乗員を思い浮かべてうんざりししたが、自分たちが全面悪いので仕方ない。
謝るしかないんだよな~、と思って浴槽からあがった。
お風呂から出ても、これと言ってすることもなく紘はしばらくぼんやりしていたが、貧血を起こすほどならまず体を休めるか、と言うことに思い至りさっさと寝ることにした。
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