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第5話
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それでも、朝1番に雪の笑顔で『おはよう』と言われ、それにいつも通りに『おはよう』と返せたことで、大丈夫の自信がついた。
雪は機嫌がよく、旦那様は大きなテーブルの部屋の片隅に据えてあるフカフカの応接セットに腰かけ、新聞を見ながら少しだけ眠そうだ。
大人の性愛の色々はまだ自分にはわからないけれど、きっと人それぞれの『ソレ』があるのだろう、と思い至る。
朝食は今まで食べてきたこともなかった『洋食』が多くて馨は好きだった。
この家でお世話になってまだまだ日は浅いが、朝食はパンと果物を絞ったジュース、コォヒィという苦く黒い飲み物、そして卵を焼いた目玉焼きとソーセージを焼いたものが多く、それは馨にとって至福である。
雪の采配で、馨は雪と共に朝食を取ることが多い。
しかし旦那様がいる時は流石に…と遠慮していたら、旦那様自らが呼んでくれて一緒に食べることになった。
「昨夜はゆっくり話せなかったからね。私は今日も仕事なので今しかないから」
と、例の苦い黒いものを飲みながら、頼政は大らかに破顔する。
昨夜と聞くと少し高鳴ったが、馨も極力笑ってーはいーとだけ返事をした。
「勉強を、雪に教わるそうだね」
「はい、年齢なりの学力が無いみたいだから…雪さんに教えてもらおうかなと」
ソーセージは美味しいが、このナイフとフォークというのは使いにくいな…とムキになってキコキコやっている姿を、雪も頼政も好意的に見つめている。
(ソーセージは棒状のものではなく、ソーセージマフィンのアレと思ってください)
「そう言ったマナーも、ゆっくりでいいさ。慣れれば簡単だよ」
頼政はそう言って綺麗な所作で目玉焼きを切り、器用に折ってフォークで刺し、口に運んだ。
「頑張ります…」
「頑張らなくてもいいよ、慣れるよすぐに」
雪が笑って、パンを取ってくれる。
このパンも、今までたまに食べてきたものよりもはるかに美味しくて好きだ。
「馨は、先々何を目指すとか夢みたいなものはあるのかい?」
不意に頼政に問われて、考える。
「あまり考えたことなかったです。金を稼ぐのが精一杯で」
思い起こせば、9歳で祖母が亡くなった後母親1人で仕立ての仕事をしなければならなくなり、より生活が大変になった。
馨も新聞配達を朝夕やって、昼間は商店の手伝いなどをして生活費を母親に渡していたが、母は無理が祟って病気がちになり生活の全てが馨の肩にかかって来ることになる。
当然仕事も増やすこととなり、将来の夢を考えることなど思いもしなかったと言うのが本当だ。
10歳の暮れに母も亡くなり、持ち家だったがとっくに担保になっていた家も追い出され、街を彷徨ううちに掏摸集団の仲間となり2年が経ったのが今である。
「そうか、じゃあここで暮らして何か見つかるといいな。できるだけ色々見聞を広めて、自分に合うものを探すのもいいだろう」
馨はーありがとうございますーと頭を下げた。
まだ2、3日しかここにいないが、本当に嘘なんじゃないかと思う生活だ。
この恩は絶対に返さなければいけないなと肝に銘じる。
見聞…今までの経験じゃ世の中渡って行けないのも自覚しているが、実際見当もつかない。
けどこれを機会に、それこそ恩に報いるように色々できたらいいなと思う。
「じゃあ出かける」
頼政はナプキンで口元を拭い立ち上がった。
雪もそれに倣い立ち上がり、ついて行こうとするが
「あ、そうだ」
と立ち止まった頼政の背中に、ぷっとぶつかってしまう
「ああすまない」
笑って振り向いた頼政は、財布を取り出し
「これで、馨の身なりを整えてあげなさい。あの髪は結構すごい」
切りっぱなしで、癖なのか持ち上がっている髪を輪ゴムで結えているのを見かねたらしい。
「着るものも、適当に普段用と外で食事ができる程度のものを用意してやってくれ」
財布から、見た感じあの日一晩では稼ぐのは無理だと嘆いていた30円ほどを雪に渡し、頼政は馨に目をやると
「今度会うときはもう少し小綺麗になってるのを期待している」
と大きく笑って部屋を出て行った。
雪に続いて部屋を出て、玄関でお見送りをする。
「あ、ありがとうございます。何から何まで」
「この家にいるのならそれ相応の格好をして欲しいだけだよ。私のエゴだから気にしないでくれ。あ、それと出かける時には藤代を置いていくから同行させなさい」
と最後に雪にそう言って、頼政はー行ってきますーと玄関を出ていった。
その後ろ姿に頭を下げていた2人だったが、雪は頭を上げた途端に
「お出かけだ!楽しみだね。ああ、何を着せようかな。こういうのウキウキするね」
といきなり嬉しそうに微笑んで馨の手をとり、その後踊るように大きなテーブルの部屋へ戻っていく。
「馨くん、早く食べて!出かける準備しよう」
旦那様がいる時の雪と、いない時の雪が違いすぎて少々戸惑ったが昨夜の事などは頭から抜け、雪の笑顔に乗せられてテーブルに残った食事を綺麗に食べ終わらせた。
お出かけは、片付けの手伝いが終わって各部屋の掃除を終わらせてからにすると雪に伝えると、
「え~、遅くなっちゃうよ~はやくいこうよ~…あ、でも!『カフェ・プランタン』でお昼ご飯もいいな。そうしよう!お掃除ゆっくりでいいよ!」
1人で盛り上がって、1人で納得して1人で部屋へ戻っていってしまった雪をみて、トキさんは
「随分とはしゃいでおられて。今まで一緒に出かける人もいませんでしたからね、馨さんがいてくれてきっと楽しいんですよ」
姉さんかぶりの手拭いの中で、そう言って笑う。
「俺もなんだか嬉しいです。今までなかったし…」
そう言ってみたが、トキさんの言葉にまた昨夜のことが思い起こされてしまった。
「馨さん?」
「はい」
「色々あるお宅だけれど、お願いしますね」
その『お願いしますね』の中に含まれる意味のなんと多いことか…
余計なことは言わないように、余計な干渉はしないように、余計な…
馨が『余計な事』の一部を知っていると知っているトキの言葉に馨は頷くしかできなくて、早く掃除を終わらせるために『はたき』を手に持った。
そんなドタバタして掃除も始まってしまった今、さきほど旦那様の言った解らなかった言葉を聞きそびれたことを思い出した。『エゴ』とはなんぞや?
雪は機嫌がよく、旦那様は大きなテーブルの部屋の片隅に据えてあるフカフカの応接セットに腰かけ、新聞を見ながら少しだけ眠そうだ。
大人の性愛の色々はまだ自分にはわからないけれど、きっと人それぞれの『ソレ』があるのだろう、と思い至る。
朝食は今まで食べてきたこともなかった『洋食』が多くて馨は好きだった。
この家でお世話になってまだまだ日は浅いが、朝食はパンと果物を絞ったジュース、コォヒィという苦く黒い飲み物、そして卵を焼いた目玉焼きとソーセージを焼いたものが多く、それは馨にとって至福である。
雪の采配で、馨は雪と共に朝食を取ることが多い。
しかし旦那様がいる時は流石に…と遠慮していたら、旦那様自らが呼んでくれて一緒に食べることになった。
「昨夜はゆっくり話せなかったからね。私は今日も仕事なので今しかないから」
と、例の苦い黒いものを飲みながら、頼政は大らかに破顔する。
昨夜と聞くと少し高鳴ったが、馨も極力笑ってーはいーとだけ返事をした。
「勉強を、雪に教わるそうだね」
「はい、年齢なりの学力が無いみたいだから…雪さんに教えてもらおうかなと」
ソーセージは美味しいが、このナイフとフォークというのは使いにくいな…とムキになってキコキコやっている姿を、雪も頼政も好意的に見つめている。
(ソーセージは棒状のものではなく、ソーセージマフィンのアレと思ってください)
「そう言ったマナーも、ゆっくりでいいさ。慣れれば簡単だよ」
頼政はそう言って綺麗な所作で目玉焼きを切り、器用に折ってフォークで刺し、口に運んだ。
「頑張ります…」
「頑張らなくてもいいよ、慣れるよすぐに」
雪が笑って、パンを取ってくれる。
このパンも、今までたまに食べてきたものよりもはるかに美味しくて好きだ。
「馨は、先々何を目指すとか夢みたいなものはあるのかい?」
不意に頼政に問われて、考える。
「あまり考えたことなかったです。金を稼ぐのが精一杯で」
思い起こせば、9歳で祖母が亡くなった後母親1人で仕立ての仕事をしなければならなくなり、より生活が大変になった。
馨も新聞配達を朝夕やって、昼間は商店の手伝いなどをして生活費を母親に渡していたが、母は無理が祟って病気がちになり生活の全てが馨の肩にかかって来ることになる。
当然仕事も増やすこととなり、将来の夢を考えることなど思いもしなかったと言うのが本当だ。
10歳の暮れに母も亡くなり、持ち家だったがとっくに担保になっていた家も追い出され、街を彷徨ううちに掏摸集団の仲間となり2年が経ったのが今である。
「そうか、じゃあここで暮らして何か見つかるといいな。できるだけ色々見聞を広めて、自分に合うものを探すのもいいだろう」
馨はーありがとうございますーと頭を下げた。
まだ2、3日しかここにいないが、本当に嘘なんじゃないかと思う生活だ。
この恩は絶対に返さなければいけないなと肝に銘じる。
見聞…今までの経験じゃ世の中渡って行けないのも自覚しているが、実際見当もつかない。
けどこれを機会に、それこそ恩に報いるように色々できたらいいなと思う。
「じゃあ出かける」
頼政はナプキンで口元を拭い立ち上がった。
雪もそれに倣い立ち上がり、ついて行こうとするが
「あ、そうだ」
と立ち止まった頼政の背中に、ぷっとぶつかってしまう
「ああすまない」
笑って振り向いた頼政は、財布を取り出し
「これで、馨の身なりを整えてあげなさい。あの髪は結構すごい」
切りっぱなしで、癖なのか持ち上がっている髪を輪ゴムで結えているのを見かねたらしい。
「着るものも、適当に普段用と外で食事ができる程度のものを用意してやってくれ」
財布から、見た感じあの日一晩では稼ぐのは無理だと嘆いていた30円ほどを雪に渡し、頼政は馨に目をやると
「今度会うときはもう少し小綺麗になってるのを期待している」
と大きく笑って部屋を出て行った。
雪に続いて部屋を出て、玄関でお見送りをする。
「あ、ありがとうございます。何から何まで」
「この家にいるのならそれ相応の格好をして欲しいだけだよ。私のエゴだから気にしないでくれ。あ、それと出かける時には藤代を置いていくから同行させなさい」
と最後に雪にそう言って、頼政はー行ってきますーと玄関を出ていった。
その後ろ姿に頭を下げていた2人だったが、雪は頭を上げた途端に
「お出かけだ!楽しみだね。ああ、何を着せようかな。こういうのウキウキするね」
といきなり嬉しそうに微笑んで馨の手をとり、その後踊るように大きなテーブルの部屋へ戻っていく。
「馨くん、早く食べて!出かける準備しよう」
旦那様がいる時の雪と、いない時の雪が違いすぎて少々戸惑ったが昨夜の事などは頭から抜け、雪の笑顔に乗せられてテーブルに残った食事を綺麗に食べ終わらせた。
お出かけは、片付けの手伝いが終わって各部屋の掃除を終わらせてからにすると雪に伝えると、
「え~、遅くなっちゃうよ~はやくいこうよ~…あ、でも!『カフェ・プランタン』でお昼ご飯もいいな。そうしよう!お掃除ゆっくりでいいよ!」
1人で盛り上がって、1人で納得して1人で部屋へ戻っていってしまった雪をみて、トキさんは
「随分とはしゃいでおられて。今まで一緒に出かける人もいませんでしたからね、馨さんがいてくれてきっと楽しいんですよ」
姉さんかぶりの手拭いの中で、そう言って笑う。
「俺もなんだか嬉しいです。今までなかったし…」
そう言ってみたが、トキさんの言葉にまた昨夜のことが思い起こされてしまった。
「馨さん?」
「はい」
「色々あるお宅だけれど、お願いしますね」
その『お願いしますね』の中に含まれる意味のなんと多いことか…
余計なことは言わないように、余計な干渉はしないように、余計な…
馨が『余計な事』の一部を知っていると知っているトキの言葉に馨は頷くしかできなくて、早く掃除を終わらせるために『はたき』を手に持った。
そんなドタバタして掃除も始まってしまった今、さきほど旦那様の言った解らなかった言葉を聞きそびれたことを思い出した。『エゴ』とはなんぞや?
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