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21限目 屋根の下のミルフィーユ鍋

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 白宮と一緒に、二色ノ荘へと帰り、俺たちは一先ず自分の部屋へと戻った

 熱めのシャワーを浴びて、部屋着に着替える。
 濡れたワイシャツを洗濯機に突っ込むと、俺はいよいよ白宮の部屋に入っていった。
 すでにいい匂いが立ちこめている。
 空きっ腹には応えたが、この匂いを醸し出す料理を今から食べると思うと、期待の方が強かった。

 白宮もシャワーを浴びたらしい。
 ショートの髪はまだ少し濡れている。
 かすかにシャンプーに香りがしたが、もうそれぐらいでは動揺したりはしない。

 白宮の部屋で食べるようになって、もうすぐ1ヶ月が経とうとしている。

 なんだか慣れてしまった。
 白宮の部屋を我が家のように感じるのは、決して部屋のレイアウトが似ているという理由だけではないだろう。

 ぐつぐつ……。

 短い廊下を抜けて、キッチンに出ると、土鍋が歓迎の音を立てていた。
 白宮は慌てて火を止める。カチンというコンロの音が鳴る。
 桃色のミトンをはめ、白宮は土鍋の取っ手を握った。
 ととととっ、とテーブルにまで持ってくる。

「あ。すみません、玄蕃先生。鍋敷きを出してくれますか」

「おう。わかった。えっと……」

「戸棚の右の方に」

「あ! あった」

 テーブルに鍋敷きを敷くと、白宮は鍋をその上に下ろした。

 いよいよ土鍋の蓋を開ける。
 お鍋の中からヽヽヽヽヽヽぼわっとヽヽヽヽ、という国民的アニメの歌詞にあるように、白い湯気が天井まで昇った。
 直後現れたのは、鍋に整然と立てられた豚バラと白菜である。

 香りも極上だ。
 おそらくごま油を使っているのだろう。
 香ばしい香りが、鼻を抜け、胃にも腸にも届きそうだ。
 だが、一番は豚バラと白菜の上に載った柚子の香りである。

 すっきりとした香りが、血管を通って、身体中の隅々にまで行き渡るのがわかるようだった。

 見た目にも鮮やかだ。
 層状に兼ねられた豚バラと白菜の上に、輪切りにされた柚子が花火のように開いていた。

 ごくり……。

 喉を鳴らさずにはいられない。
 自然と涎が口内に浮かび、圧倒されたお腹は静かにその時を待っている。

「玄蕃先生、取り皿です」

 我に返ると、白宮が俺に皿を差し出していた。
 薄い唇を閉じ、雅に微笑んでいる。
 どう? おいしそうだろう? と心で思っていても、二色乃高校の才女は決して口にしない。そこがまた小憎たらしい、ところだった。

「食べないんですか? 冷めちゃいますよ」

「わかってるよ」

 本当言うと、感謝の言葉を述べたい。
 いつもありがとう、と――。
 でも、いつも挑発的で、教師の俺をからかうような白宮に対し、素直になれない自分がいる。

 ――ああ。もう……。

 俺はこんなにも心の狭い人間だっただろうか。
 いや、違うな。
 たぶん、白宮の前だからだ。

 何故か、俺は白宮の前だと不必要に教師であることを誇示してしまう。
 事実、白宮は俺の教え子だし、そういう態度を取るのは何も間違っていない。
 教師として、よくやっていると褒めるべきなのだろう。

 けど、なんか違う。

 白宮の前では、自分が小さくなったような気がしてならない。

 ――いかんな。腹が空きすぎて余計なことを考えてしまう。

 食べよう。
 今日は鍋だ。
 熱いうちに……。

 いつも通り、俺たちは手を合わせる。
 傘の下ではなく、同じ屋根の下で。


「「いただきます」」


 鍋に向かって箸を伸ばす。
 鍋には豚バラと白菜がぎっちりと詰められている。
 いわゆる豚肉と白菜のミルフィーユ鍋だ。
 柚子がかかっているから、柚子仕立てといったところだろうか。

 CMなどでは見たことがあるが、こうして食べるのは初めてだった。

 俺は鍋の中に差し挟まれた本のような豚肉と白菜のミルフィーユを摘まみ上げる。

 ――重っ!

 思ったよりも重量感がある。
 挟まった豚肉に、スープを吸って重たくなった白菜のせいだろう。
 俺はまるでクレーンのように引き上げる。
 その様を、白宮が目で追いかけていた。

 もしかして、それを一気に行くのだろうか。

 驚きと期待が入り交じったような目をしている。
 正直に言うと、俺は一旦取り皿に置いて食べるつもりだった。
 だが、そんな目で見られては、期待に応えずにはいられない。

 ――白宮の教師としてな!

 俺は大きく口を開ける。
 やばい! ちょっと欲張りすぎたか。
 ええい! ままよ!!

「あ。先生!」

 白宮が何か言おうとする。
 だが、もう遅い。
 俺は無理矢理口の中に豚肉と白菜のミルフィーユを入れた。


 あっつ! 熱ぅうううううう!!


 めちゃくちゃ熱かった。
 思わず俺は箸を引き、ミルフィーユを撤退させる。
 取り皿に着地させた。

「大丈夫ですか。熱いから気を付けて下さいって言おうしたのに」

 遅い。遅いぞ、白宮。
 もうちょっとそういう忠告は早くほしかった。
 いや、考えてみればそうだろう。
 先ほどまでぐつぐつと煮えたぎっていた鍋なのだ。
 というか、今もその余韻は残らず、ぐつぐつという音を鳴らしている。

 忠告すべきだったのは、俺の方だったというわけだ。

 気を取り直す。
 取り皿の上で食べやすいように分けた。
 白菜2枚に豚バラを1枚挟み、再チャレンジを決行する。

 今度はフーフーと冷まし、慎重に舌の上に載せた。

「う~ん!」

 自分では確認できないが、きっとその時の俺は高いワインでも飲んだように、満足した表情をしていただろう。

 白菜に味がよく沁みている。
 胡椒と塩、あとはおそらく醤油を加えているのだろう。
 味付けは実にシンプルだが、そこがいい。
 白菜は決して旬の野菜ではないが、よく煮立てたことによって、白菜本来の甘みがよく出ていた。

 だし汁は散らばっている干し椎茸から取ったのだろう。
 良い旨みと、干し椎茸独特の風味を感じることができる

 豚バラも申し分ない。
 薄く切っていても、白菜と一緒に食べると肉厚のお肉を頬張ったような食感を得ることができる。
 こちらも出汁がよく沁みていて、特に脂身の部分がトロトロで、舌と歯の上をツルツルと滑る感触がたまらない。

 濃いめの味付けだが、白菜と豚バラの上に載っている柚子が、さっぱりとした味を演出していて、食べやすい。ごま油も入っているからか、合わせ1本で俺はすっかりミルフィーユ鍋の虜になってしまった。

 それに涙が出るほど白飯に合う。
 主な味付けが塩、胡椒、醤油だからだろう。
 どの調味料をとっても、白米のお供にぴったりなものばかりだ。

 俺はミルフィーユに、さらに白米を重ねるようにして、豪快に頬張る。
 これがまたうまい。
 ギュッと噛んだ時に溢れる出汁と肉汁がたまらなかった。
 うますぎて、犬のように遠吠えを上げたいぐらいだ。

 気がつけば、俺が伸ばした箸は鍋の底をついていた。
 鍋の中には何もなくなっていたのだ。

 もう食べてしまったのか、俺。いかんな。
 白宮のご飯がおいしすぎて、早食いになっているような気がする。
 改めなければ……。23歳にして、デブるぞ、俺。

「夢中で食べてましたね、玄蕃先生。今日は特に……」

 うふふふ、とばかりに白宮が微笑んでいた。
 勝利の笑みだ。
 今日も、俺の胃袋は白宮によって征服されてしまったのである。
 1度は勝利してほしいものだが、はっきり言ってきっかけすら思い浮かばなかった。

「あ、ああ……。おいしかったよ。なあ、白宮」

「はい?」

「ま、また作ってくれないか?」

 敗北したにもかかわらず、俺は恥を忍んで懇願する。
 思えば、白宮にこうやっておかわりをリクエストするのは、初めてのような気がする。
 それほど、俺にとって今回の料理は胃袋に刺さったのだ。

「そんなに気に入ってくれたんですか。わかりました。そのうち、また……」

「あ、ああ……。あとな」

「まだあるんですか?」

 きょとんと白宮は1度瞼を瞬かせる。

 俺は唇を震わせた。
 緊張している以前に、何か羞恥心に似た感情がこみ上げてくる。
 自然と膝が笑った。

 それでも、俺は白宮にあまり言ったことのない言葉を告げた。


「いつも、ありがとな。……ごちそうさまでした」


 頭を下げる。

 またきっとからかわれるのだろう。
 俺はそれを覚悟したのだが、待てど暮らせど白宮からも反撃は来ない。
 そっと顔を上げる。

 何故か、白宮の顔が真っ赤になっていた。

「お、おい! 白宮! お、お前また顔が赤――」

「いいいいいいえ! そんなことはないですよ」

「いや、目も赤いぞ」

「(ごしごしごしごし)だ、だからそんなことはないって言ってるじゃないですか」

 とうとう白宮はそっぽを向く。

 何故だ?
 勇気を持って、教え子に感謝の言葉を告げたのだが。

 俺はなんで怒られているんだ。

 ……女心って、わからんなあ。


~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ 

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