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18.6限目 大家ともう1人の同居人(後編)
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「白宮!」
俺は声を上げて、呼び止めた。
運動不足の身体があちこち悲鳴を上げている。
膝に手を突き、とにかく息を整え、「待って……」とかろうじて言葉を絞り出す。
やれやれ……。
こんなことなら、サッカー部に混じってランニングでもなんでもするべきだったな。
一方、白宮はぴくりと肩を動かす。
しかし振り返ることはない。
目玉焼きの黄身みたいに、トロトロになった夕日の方向を見つめている。
長い影法師が、まるで俺を刺すように伸びていた。
人通りは少なく、1台のバイクが駆け抜けていくだけ。
妙に静かだ。この世に俺と白宮しかいないというよりは、世界が静かに熱気を失っていくような感覚を覚えた。
「なんですか?」
いつも通りの白宮の声だった。
けれど、これまで聞いた事のないほど、その言葉は寒々しく俺の耳朶を打つ。
ようやく息を整えた俺は、言葉を吐き出した。
「ああ……。ホント何なんだろうな。こうやって、なんでお前を走ってまで追いかけてきたのか。俺にもわからねぇよ。でも、もっとわからないのはお前だ、白宮」
「…………」
「お前がなんで俺みたいな冴えない教師とご飯を一緒に食べたいかなんてわからねぇ。けど、お前がそれにこだわっていることだけはわかった。普段、仙人みたいに心穏やかなお前が、人前で感情をむき出しにするぐらいなんだから、それは相当なものなんだろう」
「…………」
「だから、俺が宮古城と一緒に食べたらっていう発言に対して、お前が傷ついたなら謝る」
「そうですか……。私は別に気にしてませんよ」
思いっきり気にしてるじゃないか。
そう思うんだったら、こっちを向けよ、白宮。
全く……。
意外とややこしいヤツなんだな。
いや、最初っからか。
ただ部屋の蜘蛛を追い払っただけで、ご飯を食べさせてくれて。
さらに寂しいからといって、毎晩ご飯を一緒に食べてほしいとせがまれて。
それから部屋の掃除をしたり、スマホを一緒に買いに行ったり。
そうだ。
白宮このりは才女でも、美少女でもない。
男の俺からすればややこしい。
1人の女の子なのだ。
そう理解しても、白宮の態度は変わらない。
醸し出す空気も、些か衰えはあるものの、踵を返し、綺麗なショートが揺れることはなかった。
はあ……。
俺は思わず息を吐き出す。
やっぱこれを言わないとダメか。
ダメなのか。
仕方ないよな。
「なあ、白宮。俺はお前の心を察せられるほど、お人好しでもエスパーでもない。けど、俺は俺の心だけは理解してる。だから、1回しか言わないから、よく聞け。俺はな――」
白宮と一緒に『いただきます』が言いたいんだ。
「お前と一緒に、お前が作る料理が食べたい。そう思ってる」
あーあ。言っちまった。
これで逃げられなくなっちまったな。
俺はずっとどこかで言い訳をしていた。
白宮を孤独から救うためだと。
でも、違うんだ。
俺はたぶん、白宮と一緒にご飯が食べたいんだと思う。
教え子を救うとかそういうは抜きで。
ただ純粋に……。
白宮と。
もう引き返せない。
俺から一緒に食べたいっていっちまったんだ。
「玄蕃先生……」
そう言った白宮の声は、何か久しぶりな響きがあった。
やっと俺が知る教え子が帰ってきたような気がする。
すると、ゆっくり白宮は振り向く。
まるで天岩戸が開くように。
「私が先生と一緒に食べたいって思う理由を知りたいですか?」
真っ直ぐに俺を見つめる。
逆光にあっても、そのブラウンに近い瞳は奇妙なほど輝いていた。
半分は笑顔。半分は緊張してる。
そんな微妙な表情だった。
事実、その時の白宮の唇はかすかに震えていた。
そして、白宮は心を整えるようにそっと胸に手を置く。
抜き身の真剣を抜いたような緊張感が、場を貫き、俺の身体も自然と揺れていた。
ごくり……。
白宮の料理を前にしたかのように、俺もまた大きく喉を動かす。
「玄蕃先生、私は先生のことが……す――――――」
お嬢さま……!
鋭い。
鞭を打つような声が、静かな道路に響く。
ヘッドライトを付けた車が2台、側を横切り、自転車に乗った小学生たちがキャッキャッいいながら、車と同じ方向へと走っていった。
まるで世界の時が、再び動き始めた――そんな気分だった。
俺は振り返ると、宮古城が立っていた。
シートの上に座っていた時と同じ恰好をしている。
しかし、アスファルトの上に立つ彼女の姿は、どこか中世ヨーロッパの騎士のような雰囲気があった。
かつっ……。
靴音が響く。
ハッとした時、すでに白宮は俺の脇を抜け、宮古城の方へと歩いていた。
すると、ニコリと宮古城に向かって微笑む。
「宮古城さん。その呼び方は止めてください、と言ったでしょ?」
「…………。すみません、白宮さん」
たった2つの台詞なのに、何か無数のやりとりが行われたような凄まじい重厚感があった。
白宮は俺の方へと振り返る。
「玄蕃先生、ほのめさんに頼まれたおつかいですが、先生に頼んでいいですか? それで今日のことは許してあげます」
「お、おう。それでいいなら」
「私もですよ。先生」
「え?」
「私も玄蕃先生と一緒に食べるのが、大好きなんです」
キュッ……!
一瞬息が詰まる。
何か身体の中で音がしたようが気がした。
それは腹音なのか。
それとも俺の心臓なのか。
何か判然とはしなかった。
「だから、『俺なんか』なんて言わないでください。玄蕃先生は、私にとってヒーローなんですから」
「ひ、ヒーロー? 大げさだろ。たかだか俺は子蜘蛛を退治しただけで……」
悪の結社から守ったわけでもなく。
世界を救ったわけでもない。
そんなものでヒーローを呼ばわりされたら、世の男性の半数はヒーローに違いない。
「ふふっ……」
白宮はただ笑うだけだった。
明らかに俺を小馬鹿にしたような笑みだ。
だが、その顔を見て、何故か俺は心底ホッとしていた。
~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~ ※ ~
毎日更新はここまでになります。
他作品の書籍化作業のため、
しばらく更新をお休みさせていただきます。
再開についてはTwitterなどでお知らせさせていただきます。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
今後もよろしくお願いします。
俺は声を上げて、呼び止めた。
運動不足の身体があちこち悲鳴を上げている。
膝に手を突き、とにかく息を整え、「待って……」とかろうじて言葉を絞り出す。
やれやれ……。
こんなことなら、サッカー部に混じってランニングでもなんでもするべきだったな。
一方、白宮はぴくりと肩を動かす。
しかし振り返ることはない。
目玉焼きの黄身みたいに、トロトロになった夕日の方向を見つめている。
長い影法師が、まるで俺を刺すように伸びていた。
人通りは少なく、1台のバイクが駆け抜けていくだけ。
妙に静かだ。この世に俺と白宮しかいないというよりは、世界が静かに熱気を失っていくような感覚を覚えた。
「なんですか?」
いつも通りの白宮の声だった。
けれど、これまで聞いた事のないほど、その言葉は寒々しく俺の耳朶を打つ。
ようやく息を整えた俺は、言葉を吐き出した。
「ああ……。ホント何なんだろうな。こうやって、なんでお前を走ってまで追いかけてきたのか。俺にもわからねぇよ。でも、もっとわからないのはお前だ、白宮」
「…………」
「お前がなんで俺みたいな冴えない教師とご飯を一緒に食べたいかなんてわからねぇ。けど、お前がそれにこだわっていることだけはわかった。普段、仙人みたいに心穏やかなお前が、人前で感情をむき出しにするぐらいなんだから、それは相当なものなんだろう」
「…………」
「だから、俺が宮古城と一緒に食べたらっていう発言に対して、お前が傷ついたなら謝る」
「そうですか……。私は別に気にしてませんよ」
思いっきり気にしてるじゃないか。
そう思うんだったら、こっちを向けよ、白宮。
全く……。
意外とややこしいヤツなんだな。
いや、最初っからか。
ただ部屋の蜘蛛を追い払っただけで、ご飯を食べさせてくれて。
さらに寂しいからといって、毎晩ご飯を一緒に食べてほしいとせがまれて。
それから部屋の掃除をしたり、スマホを一緒に買いに行ったり。
そうだ。
白宮このりは才女でも、美少女でもない。
男の俺からすればややこしい。
1人の女の子なのだ。
そう理解しても、白宮の態度は変わらない。
醸し出す空気も、些か衰えはあるものの、踵を返し、綺麗なショートが揺れることはなかった。
はあ……。
俺は思わず息を吐き出す。
やっぱこれを言わないとダメか。
ダメなのか。
仕方ないよな。
「なあ、白宮。俺はお前の心を察せられるほど、お人好しでもエスパーでもない。けど、俺は俺の心だけは理解してる。だから、1回しか言わないから、よく聞け。俺はな――」
白宮と一緒に『いただきます』が言いたいんだ。
「お前と一緒に、お前が作る料理が食べたい。そう思ってる」
あーあ。言っちまった。
これで逃げられなくなっちまったな。
俺はずっとどこかで言い訳をしていた。
白宮を孤独から救うためだと。
でも、違うんだ。
俺はたぶん、白宮と一緒にご飯が食べたいんだと思う。
教え子を救うとかそういうは抜きで。
ただ純粋に……。
白宮と。
もう引き返せない。
俺から一緒に食べたいっていっちまったんだ。
「玄蕃先生……」
そう言った白宮の声は、何か久しぶりな響きがあった。
やっと俺が知る教え子が帰ってきたような気がする。
すると、ゆっくり白宮は振り向く。
まるで天岩戸が開くように。
「私が先生と一緒に食べたいって思う理由を知りたいですか?」
真っ直ぐに俺を見つめる。
逆光にあっても、そのブラウンに近い瞳は奇妙なほど輝いていた。
半分は笑顔。半分は緊張してる。
そんな微妙な表情だった。
事実、その時の白宮の唇はかすかに震えていた。
そして、白宮は心を整えるようにそっと胸に手を置く。
抜き身の真剣を抜いたような緊張感が、場を貫き、俺の身体も自然と揺れていた。
ごくり……。
白宮の料理を前にしたかのように、俺もまた大きく喉を動かす。
「玄蕃先生、私は先生のことが……す――――――」
お嬢さま……!
鋭い。
鞭を打つような声が、静かな道路に響く。
ヘッドライトを付けた車が2台、側を横切り、自転車に乗った小学生たちがキャッキャッいいながら、車と同じ方向へと走っていった。
まるで世界の時が、再び動き始めた――そんな気分だった。
俺は振り返ると、宮古城が立っていた。
シートの上に座っていた時と同じ恰好をしている。
しかし、アスファルトの上に立つ彼女の姿は、どこか中世ヨーロッパの騎士のような雰囲気があった。
かつっ……。
靴音が響く。
ハッとした時、すでに白宮は俺の脇を抜け、宮古城の方へと歩いていた。
すると、ニコリと宮古城に向かって微笑む。
「宮古城さん。その呼び方は止めてください、と言ったでしょ?」
「…………。すみません、白宮さん」
たった2つの台詞なのに、何か無数のやりとりが行われたような凄まじい重厚感があった。
白宮は俺の方へと振り返る。
「玄蕃先生、ほのめさんに頼まれたおつかいですが、先生に頼んでいいですか? それで今日のことは許してあげます」
「お、おう。それでいいなら」
「私もですよ。先生」
「え?」
「私も玄蕃先生と一緒に食べるのが、大好きなんです」
キュッ……!
一瞬息が詰まる。
何か身体の中で音がしたようが気がした。
それは腹音なのか。
それとも俺の心臓なのか。
何か判然とはしなかった。
「だから、『俺なんか』なんて言わないでください。玄蕃先生は、私にとってヒーローなんですから」
「ひ、ヒーロー? 大げさだろ。たかだか俺は子蜘蛛を退治しただけで……」
悪の結社から守ったわけでもなく。
世界を救ったわけでもない。
そんなものでヒーローを呼ばわりされたら、世の男性の半数はヒーローに違いない。
「ふふっ……」
白宮はただ笑うだけだった。
明らかに俺を小馬鹿にしたような笑みだ。
だが、その顔を見て、何故か俺は心底ホッとしていた。
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