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9限目 待ち合わせ

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「あ。そうだ、玄蕃先生。RINE交換しましょうよ」

 玄蕃先生と一緒にご飯を食べるようになって、早2週間が過ぎようとしていた。

 相変わらず玄蕃先生は私の部屋に慣れないようだ。
 部屋に入っては、キョロキョロと見渡す。
 落ち着かない。そして若干いやらしい。

 それでも、ご飯を食べるとなると別だ。
 お気に入りの玩具を与えられた赤ん坊のように落ち着きを取り戻すらしい。
 今日もお味噌汁のお椀を持ちながら、幸せそうな顔を浮かべていた。

 そんな玄蕃先生の顔を見ながら、私は藪から棒に発言した。

「なんだ? 藪から棒に……」

「忘れたんですか? 私と連絡が取れなくなって、困ったことがあったじゃないですか?」

「ああ。だから、番号は交換したじゃないか」

「しましたけど……」

 そう。
 前に玄蕃先生が遅く帰った時に、私は密かに携帯番号をゲットしていた。
 その時は小躍り――もちろん家に帰ってからだが――したものだが、いざ電話をかけるとなると、なかなか勇気が出ない。

 そもそも電話というのは、密にコミュニケーションを取る時に使うものだ。
 短文三行で終わるようなものには向かない。
 例えば……。

『先生、今日は何を食べたいですか?』

『ん? カレーかな』

『かしこまり!』

 こんなやりとりを電話でするなんて悲惨すぎる。
 するならもっと玄蕃先生の声を聞きたい。

「……というわけで――」

「何がというわけなんだよ」

「RINE交換してください」

 私はQRコードを画面に出す。

 しかしだ――。

「わかったわかった。ちょっと待て。……あれ? えっと…………」

「どうしました、玄蕃先生?」

「うーん。なあ、白宮……」


 俺のガラケーでどうやってRINEするんだっけ?


「え?」

 私は思わず絶句した。
 玄蕃先生が黄門のように掲げる1機のガラケーを見つめる。
 そこにはガラス張りの大きな液晶はない。
 無残に折りたたまれ、小さな画面と番号がまるで乙姫と彦星みたいに別れたガラパゴス携帯電話が、先生の手に収まっていた。

「玄蕃先生、まだガラケーだったんですか?」

「まあな。大学1年から使ってる。まだまだ現役だぞ」

 何を自慢げに笑ってるんだろうか、この人は。
 先生の大学1年って今から4年前でしょ。
 4年前なら、もうスマホの全盛期に突入してるでしょうが!
 なんでそんな時にガラケーを買ってるのよ、この人は……!!

 私は脳裏で悶えながら、表情にはおくびにも出さずに玄蕃先生に尋ねた。

「玄蕃先生……。確か生徒や保護者の連絡に、RINEが使われていたと思われますが」

「ああ。あれは学校のスマホだからな」

「それはどこに?」

「学校だが……」

 意味ないじゃん!
 それ連絡手段として意味ないじゃん!

「じゃ、じゃあ、そのスマホでいいですから、RINE交換を」

「さすがに特定の学生と交換するわけにはいかないだろ」

 そうだった。
 さすがにグループが見つかったら、やばいことになる。

 落ち着け、白宮このり。
 ファイトよ。
 こうなったら玄蕃先生には決断していただくしかないわ。

「玄蕃先生、来週末もサッカー部の試合ですよね」

「あ、ああ……」

「先週みたいに午前中の試合……。場所も同じですよね」

「よく知ってるな」

「これでも生徒会メンバーなので。各クラブの予定は把握しています」

「なるほど。で――」

「午後からお時間があると考えてもいいですよね」

「ま、まあな……」

「話は変わりますが、玄蕃先生すでに給料はもらっていますよね。そして忙しくて使ってる場合がなく、使い道を持て余している」

「そうなんだよ。よくわかったな」

「この前の掃除の時に、なんとなく。……わかりました」

 すべての条件はクリアした。
 他にもいくつか問題はあるけど、些細なことだろう。
 私はお箸を銃のように突きつけながら、玄蕃進一に宣戦布告――するような感覚で言い放った。


「玄蕃先生、2人でスマホを買いに行きましょう」


「ちょ! なんでお前と2人で! 俺が幼稚園出たての子どもにでも見えるのか?」

「見えませんよ。けど、私と一緒にスマホを買いに行くなら。おいしい、カレーを作ってあげます」

「おいしい…………カレー………………」

 ぐぅ……。

 玄蕃先生のお腹が鳴る。

 私はくすりと笑った。

「そんなに私のカレーが食べたいですか?」

「うるさい。生理現象だ」

「どうやら玄蕃先生は大人でも、お腹はまだ子どもみたいですね」

 こうして私たちは一緒にスマホを買いに行くことになった。


 △ ▼ △ ▼ △ ▼


 ――どうして、こうなった……。

 俺は地元を出て、都心近くの駅前に立っていた。
 さすがに人通りが多く。
 何人もの人が俺の目の前を通り過ぎていく。
 車の排気音とトラクション。
 ティッシュ配りの人の声が聞こえた。
 如何にも都会と入った喧騒だ。

 何より暑い。
 気温は朝からぐんぐんと伸びていて、午後2時現在で29度。
 30度まで今1歩、いや、今1度というところである。

 首に浮かんだ汗を拭いながら、なんで俺がこんなところにいるかというと、ここが白宮との待ち合わせ場所なのだ。

 二色乃高校の生徒に見つからないために、遠くの街を選んだ。
 わざわざ二色ノ荘から時間差で出て行くという徹底ぶりである。
 なんだかスパイ映画じみて来たな。

 しかしながら、俺の役はイーサン・ハントではなく、ベンジー・ダンが関の山だろう。

 待ち合わせの15分前に到着したのだが、白宮はまだ来ていない。
 俺の方が先に出てきたのだが、時間的には余裕があるはずだ。
 しかし、待ち合わせ時刻2分前になっても、白宮の姿はどこにもなかった。
 真面目な白宮に限って、遅刻はない。
 問題は場所だろう。
 これだけの人通りだ。
 俺を見つけられていないのかもしれない。

 俺はその辺を軽く回ることにした。

「キャッ!」

「おっと……。すみません」

 俺は女性とぶつかる。
 しまった。周りを見渡していて、前方をよく見てなかった。
 慌てて、手を差し出す。

「大丈夫ですか?」

「はい」

 女性は俺の手を取って立ち上がった。

「すみません。怪我はないですか?」

「ふふ……」

 突如、女性は笑う。
 しかも、聞いたことがある声だった。

「玄蕃先生、私ですよ」

「し、白宮……!」

 俺は声を上げた。

 無理もない。
 何せ白宮は変装をしていた。
 ロングの髪のウィッグに、やや縁の厚い眼鏡をかけている。
 おかげで、こうやって近づくまで、俺は白宮だと気付くことはできなかった。

 すると、白宮は「しー」と人差し指を唇に当てる。
 薄い唇にはルージュが入っていて、俺は思わずドキリとした。
 いつもの白宮とは違って、ただそれだけで色っぽく見えたのだ。

「さっきクラスの女子を見たんです」

「な、なにぃ! どこだ?」

 俺は慌てて辺りを見渡す。
 だが、それらしい姿はない。

「この辺にはもういません。たぶん、アミューズメント施設が入ったビルに遊びに行ったんだと思います。そっちには寄りつかないようにしましょう」

「こういうことなら、地元でも良かったんじゃないか?」

「地元の方がもっと危険ですよ。それとも、私たちの関係をばらしちゃいます?」

「遠慮しておく」

 もうここまで来たなら仕方ない。
 作戦を続行するしかない。

 しかし――。

 俺はちらりと白宮に視線を向けた。
 グレーのロングスカートに、真っ白なTシャツ。
 足は動きやすいスニーカーを履き、頭に夏らしいペーパー素材のクロッシェハットを被っていた。

「玄蕃先生、あまりじろじろ見ないでください」

「え? あ、いや、すまん……。つい――」

「そんなに私の私服が珍しいですか?」

「いや……。学生服と、家にいるときの家着しか見たことなかったから。その……。珍しいなって」

「学校一の美少女の私服が見られて、眼福だと……」

「自分でいうのかよ」

「本音は……?」

「はい。その通りです。白状します」

 はあ……。
 なんで俺は、こんなにも教え子に攻められっぱなしなんだ?

「玄蕃先生?」

「なんだ? 今からランウェイでも歩くのか?」

「何かいうことは?」

 白宮はニヤリと俺の方を見て笑う。
 大いに勝ち誇った表情を俺に向けた。

 何を言って欲しいのか、鈍い俺でもわかる。

「似合ってるぞ、白宮」

「ありがとうございます、玄蕃先生」

「ああ、あとその“先生”はやめようか」

 先生と声かけられるだけでドキリとする。
 ここには生徒だけではない。
 教師だっているかもしれないのだ。

 ――そう言えば、この近くだったよな。以前、猪戸先生と飲んだお店……。

 まさかいないよな。
 いないことを祈る。

「うーん。そうですね。玄蕃っていうのは、何か不敬な響きがありますね。じゃあ、思い切って、し、しししししし……」

 なんだ? いきなり白宮が壊れ出したぞ。
 めちゃくちゃ顔が赤いし。
 大丈夫か? 熱でもあるのか?

「進一……………………さ、ん…………とか――――」

「ん? 何か言ったか?」

「いいいいいいいえ。何も! 呼び名どうしましょうか?」

「玄蕃さんか、呼び捨てでもいいぞ。俺も『白宮』だしな」

「そ、そうですね。そうしましょう!」

 白宮は歩き出した。
 スカートを揺らし、前を歩く教え子の後ろに俺は付いていく。

 こうして俺と白宮の前途多難な…………。

 多難な……。

 たな……。

 ……。

 ぬお! なんと言えばいいんだ。

「玄蕃さんヽヽ

 長い髪を揺らし、振り返った白宮の顔は、元に戻っていた。
 満面の笑みを浮かべ、悪気もなくこう言ったのだ。


 まるでデートみたいですね、って……。
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