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第四章

第44話

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 手はある。

 即ちこの場から今すぐ逃げることだ。
 厄災竜ジャガーノートは破壊力こそ凄いが、動きそのものは鈍重。
 魔術を使えば、逃げるのは難しくない。

 今ここで私が逃げれば、きっと厄災竜ジャガーノートは第一師団に根絶やしにし、ボロボロのゼクレア師団長にとどめをさすだろう。
 それだけじゃない。
 王宮は破壊され、国王陛下は家臣とともに消失し、国そのものの機能が失われる。

 最悪ロードレシア王国は滅亡してしまうかもしれない。
 求心力を失った国の機能は止まり、国民は難民となって他国の国境に押し寄せる。
 絶望的な状況だ。でも、それを挽回する手立てはある。

 私だ。

 ミレニア・ル・アスカルドが大聖女であったことを公表し、世界に呼びかけるのだ。
 厄災竜ジャガーノートを倒せ、と……。
 1000年前の聖女の伝説と活躍は、その最期以外、語り継がれている。
 伝説の復活となれば、幾万の兵が私の下に集い、厄災竜ジャガーノートを倒さんと向かって行くだろう。

 厄災竜ジャガーノートを倒し、そして私は名実とともに聖女として認められる。

 世界を救い、祖国の仇を討った救国の人間として……。
 そして私はまた吊されるかもしれない。
 祖国から背を向けた人間として。

 そして、私はまた転生する。

 もうそれでいいじゃないか。
 15年も生きた。確かに短かったが、それなりに普通の暮らしができた。
 少なくともアスカルド家にいた時、私は貴族の子女だった。

 魔術学校には行けなかったけど、ほんの短い間友達と呼べる人間に出会えた。
 私を慕って、紅茶を入れてくれる穏やかな勇者とお話しした。
 その勇者を慕う上司になる人の意外な一面を見ることができた。

 なんだ。こうして列挙してみると、ちゃんと私ってば人生を楽しんでるじゃないか。

 十分だ。願わくば、この経験が次の転生に活かさればいいな。
 今回の転生では得るものも多かったしね。

『人間よ』

 一瞬、誰が喋っているかわからなかった。
 でも、口を開けた姿を見て、私はすぐにピンと来る。

 厄災竜ジャガーノートだ。
 目の前の巨竜が口を開けて私に向かって語りかけていたのだ。

 そうか。忘れてた。
 私には『翻訳チート』なるスキルがあったんだっけ。

『ほう。その反応……。我の言葉がわかるようだな』

「そうよ。神様からもらったら、どうしようもなく迷惑なスキルよ」

『問おう。人間よ。そなた――――』


 何故、泣いている?


 え?

 私は反射的に手を頬に当てる。
 指先を確認すると、確かに濡れていた。
 気付かなかった。私はずっと色々な想いを錯綜させながら泣いていたらしい。

 ははは……。

 まさか世界の災厄に教えてもらうなんてね。
 何故、泣いてるですって、そんなの決まってるじゃない。
 今まで生きてきたすべてが、ぶち壊されようとしているからじゃない。

 やっぱり愛おしい。
 たとえ、短くても、たった一瞬でも。
 この世界で経験したこと、出会った人たちが、私は愛おしいと思う。
 だから、手放すなんて以ての外だ。

 逃げるなんて私の性に合わない。

 何故なら、私は聖女だから……なんて言わない!

 でも、今ここで目の前の人を救える人間が、私1人しかいないなら。
 私は喜んで、英雄にでも、救世主でも、大聖女にだってなってあげるわ。

『なんだ? 何を見た、人間? 一気に目つきが変わったぞ』

「あなたのおかげで目が覚めたわ。ありがとう。感謝ついでにこのまま退いてくれると嬉しいんだけど……」

『そうはいかんよ。我はこの世界を破壊するためだけに生まれたのだからな』

 悲しい子……。
 悪を悪として配役された悲しい生物か。
 同情はするけど、手加減はしない。
 できないのよね。残念ながら、私の方が圧倒的ピンチだし。

『さあ、来い。娘……』

「吠え面かかせてあげる」

 挑発する厄災竜ジャガーノートに向かって、私は微笑む。

 その時、謎の声が聞こえた。

『いいの、ミレニア』

「待たせたわね。やっとあなたの出番よ」

『待ちくたびれたよ。君の声がやっと聞けるんだ』

「ありがとう。今までずっと私の側にいてくれたのよね。姿を見せなかったのは、私の正体を隠すため」

『まあね。でも、もう覚悟は決まったんだね』

「ええ……。さあ、一緒にやっつけるわよ」

 私は手を掲げる。

 そして10年分の想いを込めて、私は懐かしい名前を呼んだ。


 契約の名において命ずる。――出でよ、ムルン!!


 瞬間、黒煙に包まれた空が光る。
 帚星に似た輝きが落下してきたと思った時には、厄災竜ジャガーノートの背中は大きく二つに折っていた。
 巨体が大きく歪む。不意の一撃を食らった厄災竜ジャガーノートは、溜まらず前へと倒れ込んだ。

 必殺の一撃といっていいだろう。
 想像超える破壊力に、私は思わず「おお!」と歓声を上げて、拍手を送った。

 次に私の耳朶を打ったのは、力強い羽ばたき。
 目に下は獰猛な爪と嘴だった。
 意外に愛嬌ある目をクリクリと動かし、ゆっくりと地面に降り立つ。

 私は神々しさすら窺える白い神鳥を見て、目を細めた。

「あえて言わせて。おかえり、ムルン」

『ただいま、ミレニア」

 神鳥シームルグ――ムルンが私の下に帰還した。
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