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第三章
第29話
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「これを着た君が見たいんだけどね」
結局、アーベルさんの私情じゃないか。
私に着せたいって、何を考えているのかしら。
正直に言って、私なんかよりサビトラさんに着せてあげる方がよっぽど可愛く見えると思うけど。
「あの~。アーベルさん、非常に有り難いのですけど、そういうのはもっと似合う人にあげた方がいいと思います。私じゃ荷が重いというか、折角のドレスを台無しにするというか」
やんわり別の角度でお断りすると、アーベルさんもサビトラさんもきょとんとして私の方を見てしまった。
アーベルさんなんて、指をかけたカップから紅茶が垂れている。
え? 私、またなんか変なこと言っちゃいました。
「サビトラ……」
「はい」
「彼女にわからせてやってくれないかな」
「かしこまりました」
恭しくサビトラさんは頭を下げる。
すると、暗殺者みたいに私の方へとすり寄ってきたと思ったら、私の背後を取った。
「ミレニア様」
「は、はい。な、何か……」
「これからミレニア様の真の姿を見せて差し上げましょう」
サビトラさんは、私に顔を寄せながら宣言した。
向かったのは、王宮の中にある化粧室だ。
そこにドレスをはじめとした衣類や化粧品、香水など一通り揃っていた。
またしても場違いな場所につれてこられた私は、緊張した面持ちでドレッサーの前に座る。
自分で言うのも何だけど、ちょっと冴えない田舎娘が鏡に映っていた。
そんな私と一緒にサビトラさんが映り込む。
やや焦点が合いづらい瞳は、鏡に映った私に向けられていた。
「普段、お化粧は?」
「えっと……。ほとんどしません。家にいる時も、お姉様に軽く……」
「そうですか。髪の手入れもあまりされていない様子ですね」
サビトラさんはややがっかりした様子で私の赤毛を触った。
「ミレニア様」
「は、はい」
サビトラさんの声は静かなのだが、冷たいというか独特の緊張感がある。
名前を呼ばれる度に、背筋を刃物の先でなぞられているような独特の空気感があって、思わず息を呑んでしまう。
「魔術師として名を上げ、勉強するのは決して悪いことではありません。またミレニア様がどうお考えかは存じ上げませんが、外見を繕うことに抵抗があるのは多少理解できます」
「はあ……」
サビトラさんが何を言いたいのかちょっとわからなかった。
「ですが、女性として増して貴族の令嬢として生まれたからには、美しさを磨かないのは損だと私は考えます」
「損?」
「貴族の生活において、もっとも重要なのはコミュニケーション能力です。そしてそのコミュニケーション能力を最大限に引き出すためには、美しさは欠かせません。ただ美人というだけで、場の空気は華やかになりますし、男性に至っては心の防御が格段に下がります。つい本音が飛び出てしまうなんてことはざらにあることなのです」
「な、なるほど。お化粧をしたり、着飾ったりすることも、コミュニケーションの1つの道具なんですね」
考えたこともなかった。
どっちかというと、お化粧することも着飾ることも、贅沢だと思って忌避していた。
そうしないことによって、自分のありのままを見てもらおうなんて考えていた節が私の中にはあった。多分、それは私だけではないはずだ。
でも、サビトラさんの言うことはあっている。
そこで前世の私のことを振り返ってみる。
冷静に考えてみて、私は果たして女としての魅力はあったのだろうか。
聖女としては戦いに明け暮れた時はともかく、勇者や王子の心が離れて行く時、女としての油断はなかっただろうか。ずっと旅をしてきて、ずっと暮らしていたことによって、心を通わせていたと勝手に思っていなかっただろうか。
人の心は移り気だ。
それは聖女である私もよく理解している。
全く同じ心であることは難しい、いやあり得ない。
アーベルさんだって、いつか別の何かに興味を持つかもしれない。
だって、人間は完璧ではないのだから。
それが分かっていて、絶対に変わらない愛があるなんて思う方が馬鹿なのかもしれない。
多分、聖女だった時私は、人間を過剰評価しすぎていたのだわ。
「ありがとう、サビトラさん」
「いえ。こちこそ出過ぎたことを申しました。申し訳ありません」
「ううん。勉強になったわ。……それじゃあ、続きを教えてくれる」
「かしこまりました」
サビトラさんは頭を下げると、早速私の赤毛をぬるま湯で洗い始めた。
2時間後……。
「これでよろしいかと」
サビトラさんはドレスのスカートの裾の修正を終えると、そう言った。
私と一緒に姿見の前に立つ。
まるで私の両親みたいに微笑んだ。
「お美しいですよ、ミレニア様」
「これが私……」
姿見に映った自分を見て、私は息を呑む。
驚くのも無理はないだろう。
姿見には、別世界の中のミレニア・ル・アスカルドが映っていたからだ。
劇的に変わったのは、髪だろう。
山火のように燃え広がっていた癖の強い髪が、ピシッとまとまり、綺麗に結わえられている。サビトラさんのシャンプーとトリートメントのおかげだろうか。王冠を巻いたように髪が光っていた。
顔の化粧も、受ける印象ががらりと変わっている。
サビトラさんは最低限というが、やや締まりのない顔がキリッと吊り上がったような気がする。眉にかかっていた前髪を切ってもらったことと、化粧のおかげで全体的に明るくなったような気がした。
そして最後はなんと言っても、ドレスだ。
蝶の羽根を巻いたように軽く、着心地もいい。
スカートが斜めにカットされていたり、肩口が大胆に出てたり、ちょっと露出度強いけど、それが気にならないぐらい可愛い。
糸1本1本に染め抜いたような瑠璃色も見事だ。
最後にサビトラさんが付けてくれた大きな白薔薇のコサージュが、いいアクセントになっていた。
前世でもドレスを着ていた。
王宮住まいだったから、ほぼ日常的にだ。
でも、その生活の時とは違う。あの時はやはり「着させられていた」という感覚に近い。
今、姿見に映った私は違う。前世の私でも、聖女としての私でもない。
今夜、親睦会に臨む今の私が映っていた。
私はそのまま軟禁されているアーベルさんの私室に戻る。
ヒールの靴がなかなか歩きにくくて大変だったけど、いの一番にドレス姿を見せてあげたかった。
部屋に戻ってくると、座って待っていたアーベルさんが柔らかく微笑む。
「綺麗ですよ、聖女様」
目を細めて、私のことを褒めてくれた。
我がごとのように嬉しそうな表情を見て、胸がいっぱいになる。
私は理解した。
これもまた人と人との会話なのだと。
結局、アーベルさんの私情じゃないか。
私に着せたいって、何を考えているのかしら。
正直に言って、私なんかよりサビトラさんに着せてあげる方がよっぽど可愛く見えると思うけど。
「あの~。アーベルさん、非常に有り難いのですけど、そういうのはもっと似合う人にあげた方がいいと思います。私じゃ荷が重いというか、折角のドレスを台無しにするというか」
やんわり別の角度でお断りすると、アーベルさんもサビトラさんもきょとんとして私の方を見てしまった。
アーベルさんなんて、指をかけたカップから紅茶が垂れている。
え? 私、またなんか変なこと言っちゃいました。
「サビトラ……」
「はい」
「彼女にわからせてやってくれないかな」
「かしこまりました」
恭しくサビトラさんは頭を下げる。
すると、暗殺者みたいに私の方へとすり寄ってきたと思ったら、私の背後を取った。
「ミレニア様」
「は、はい。な、何か……」
「これからミレニア様の真の姿を見せて差し上げましょう」
サビトラさんは、私に顔を寄せながら宣言した。
向かったのは、王宮の中にある化粧室だ。
そこにドレスをはじめとした衣類や化粧品、香水など一通り揃っていた。
またしても場違いな場所につれてこられた私は、緊張した面持ちでドレッサーの前に座る。
自分で言うのも何だけど、ちょっと冴えない田舎娘が鏡に映っていた。
そんな私と一緒にサビトラさんが映り込む。
やや焦点が合いづらい瞳は、鏡に映った私に向けられていた。
「普段、お化粧は?」
「えっと……。ほとんどしません。家にいる時も、お姉様に軽く……」
「そうですか。髪の手入れもあまりされていない様子ですね」
サビトラさんはややがっかりした様子で私の赤毛を触った。
「ミレニア様」
「は、はい」
サビトラさんの声は静かなのだが、冷たいというか独特の緊張感がある。
名前を呼ばれる度に、背筋を刃物の先でなぞられているような独特の空気感があって、思わず息を呑んでしまう。
「魔術師として名を上げ、勉強するのは決して悪いことではありません。またミレニア様がどうお考えかは存じ上げませんが、外見を繕うことに抵抗があるのは多少理解できます」
「はあ……」
サビトラさんが何を言いたいのかちょっとわからなかった。
「ですが、女性として増して貴族の令嬢として生まれたからには、美しさを磨かないのは損だと私は考えます」
「損?」
「貴族の生活において、もっとも重要なのはコミュニケーション能力です。そしてそのコミュニケーション能力を最大限に引き出すためには、美しさは欠かせません。ただ美人というだけで、場の空気は華やかになりますし、男性に至っては心の防御が格段に下がります。つい本音が飛び出てしまうなんてことはざらにあることなのです」
「な、なるほど。お化粧をしたり、着飾ったりすることも、コミュニケーションの1つの道具なんですね」
考えたこともなかった。
どっちかというと、お化粧することも着飾ることも、贅沢だと思って忌避していた。
そうしないことによって、自分のありのままを見てもらおうなんて考えていた節が私の中にはあった。多分、それは私だけではないはずだ。
でも、サビトラさんの言うことはあっている。
そこで前世の私のことを振り返ってみる。
冷静に考えてみて、私は果たして女としての魅力はあったのだろうか。
聖女としては戦いに明け暮れた時はともかく、勇者や王子の心が離れて行く時、女としての油断はなかっただろうか。ずっと旅をしてきて、ずっと暮らしていたことによって、心を通わせていたと勝手に思っていなかっただろうか。
人の心は移り気だ。
それは聖女である私もよく理解している。
全く同じ心であることは難しい、いやあり得ない。
アーベルさんだって、いつか別の何かに興味を持つかもしれない。
だって、人間は完璧ではないのだから。
それが分かっていて、絶対に変わらない愛があるなんて思う方が馬鹿なのかもしれない。
多分、聖女だった時私は、人間を過剰評価しすぎていたのだわ。
「ありがとう、サビトラさん」
「いえ。こちこそ出過ぎたことを申しました。申し訳ありません」
「ううん。勉強になったわ。……それじゃあ、続きを教えてくれる」
「かしこまりました」
サビトラさんは頭を下げると、早速私の赤毛をぬるま湯で洗い始めた。
2時間後……。
「これでよろしいかと」
サビトラさんはドレスのスカートの裾の修正を終えると、そう言った。
私と一緒に姿見の前に立つ。
まるで私の両親みたいに微笑んだ。
「お美しいですよ、ミレニア様」
「これが私……」
姿見に映った自分を見て、私は息を呑む。
驚くのも無理はないだろう。
姿見には、別世界の中のミレニア・ル・アスカルドが映っていたからだ。
劇的に変わったのは、髪だろう。
山火のように燃え広がっていた癖の強い髪が、ピシッとまとまり、綺麗に結わえられている。サビトラさんのシャンプーとトリートメントのおかげだろうか。王冠を巻いたように髪が光っていた。
顔の化粧も、受ける印象ががらりと変わっている。
サビトラさんは最低限というが、やや締まりのない顔がキリッと吊り上がったような気がする。眉にかかっていた前髪を切ってもらったことと、化粧のおかげで全体的に明るくなったような気がした。
そして最後はなんと言っても、ドレスだ。
蝶の羽根を巻いたように軽く、着心地もいい。
スカートが斜めにカットされていたり、肩口が大胆に出てたり、ちょっと露出度強いけど、それが気にならないぐらい可愛い。
糸1本1本に染め抜いたような瑠璃色も見事だ。
最後にサビトラさんが付けてくれた大きな白薔薇のコサージュが、いいアクセントになっていた。
前世でもドレスを着ていた。
王宮住まいだったから、ほぼ日常的にだ。
でも、その生活の時とは違う。あの時はやはり「着させられていた」という感覚に近い。
今、姿見に映った私は違う。前世の私でも、聖女としての私でもない。
今夜、親睦会に臨む今の私が映っていた。
私はそのまま軟禁されているアーベルさんの私室に戻る。
ヒールの靴がなかなか歩きにくくて大変だったけど、いの一番にドレス姿を見せてあげたかった。
部屋に戻ってくると、座って待っていたアーベルさんが柔らかく微笑む。
「綺麗ですよ、聖女様」
目を細めて、私のことを褒めてくれた。
我がごとのように嬉しそうな表情を見て、胸がいっぱいになる。
私は理解した。
これもまた人と人との会話なのだと。
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