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私の履歴書
桜の樹の下で
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真冬でも短パンと Tシャツで過ごした、大工カットの黒縁眼鏡の少年が、ダボダボの詰め襟を着て、中学校の校門の前で小学生の頃の姉通し4人で冬のこたつを囲んで麻雀をした男友達と、中学の入学式の写真を撮ったボクの心は野望に燃えていた。少し大人に近づいたであろうその髪は、大工カットの坊ちゃん刈りから、髪の真ん中を分けた、痴漢わけ(センターわけ)になりかけた、大人の一歩であった。何かをしてやるぞという勝ち気な態度が、両手をポケットに入れて撮ったスナップに現在に見ても、それをヒシヒシと感じとれた。何の野望に満ちていたかは、今の私には写真では図り知り得なかった。スポーツで何かを目指すのか、学校でケンカ番長になるのか、はたまたかわいい彼女を見つけるのかは、分からない。ただ覚えているのは、小学4年生の時まで大坂でケンカ上等だったボクが、親の仕事の関係で5年生で名古屋へ来た最初のクラスに好きな子ができた。女番長で休み時間になると校庭で同じ歳の男子を、バッタバッタと背負い投げをする様な子であった。同じクラスのその子と話をする時は、ボクが大阪弁で啖呵を切ってもニコニコ笑ってくれる様な子だった。ジャッキーチェンが大好きだったボクは、同じクラスの親友2人とよく映画を観に行ったものだ。当時はジャッキーチェンの映画は3本立てで、同じようなキャストで2時間の映画を立て続けに3本やるという時代だった。合計6時間に及ぶ3本立てを、目を赤くして硬いイスに座りっぱなしだったため。日の落ちた帰りのバスの中で友達と感想を言いあっても、3人とも内容がごちゃ混ぜで頭がこんがらがったものだ。そんな楽しい名古屋での学校生活も、6年生に進級した時にガラッと変わった。親友2人のうちの1人が、転校して行った。好きだった子も、分校で隣りの小学校へ集団転校して行った。小学6年生になったボクはひたすら父親が持って帰ってきた旧式のパソコンで、ゲームのプログラミングを打ち込むオタク少年になった。ただ唯一の希望が3歳年上の姉が、中学に入ったらまた同じ中学に好きな子と一緒になれるという情報を教えてくれたことだ。姉はかなりませていて、中学に入学してそうそう英語の女教師の髪をハサミで切る大事件を起こした問題児だった。
そのおかげで、ボクの住んでいた地域は
1.5キロ先の隣の中学に行く事になった。
そんなことがあったからボクの中学入学の写真にはその子に会える野望に満ちていたのかもしれない。不良の姉が「アンタ中学入ったらテニス部に入りなさい。3年生のキャプテンがカッコいいから。」とか「ハンドボール部の○○君もカッコいいから。」と、やたらボクを先輩に紹介したがった。母親から聞いた話では姉は学校のナンバー2の裏番だったらしい。先生や先輩から、ヘコ(姉のあだ名)の弟か。とよく言われ、悪い気はしなかった。校門の前で写真を撮った友達はテニス部に入り、後にキャプテンになった。ボクは部活見学で先輩に憧れてハンドボール部に入った。その年の1年生はボクともう1人の2人だった。3年の先輩に憧れみっちりしごかれたボクは、1年生でレギュラーに抜擢された。
ただ2年の先輩達には恨みをかったのか、のちにイジメにあった。今でもトラウマになっている。それと、大阪から転校してきて、もう名古屋弁になったボクが中学で同じクラスを願っていたあの子は隣りのクラスだった。残念だったが来年のクラス替えに期待することにした。思春期に入ったボクは隣りのクラスのあの子と顔を見かけても顔を赤くしておしゃべりすることも出来なかった。その頃はまだ将来の事や高校受験の事などを考えるのはまだまだ先の話だった。中学のクラスで隣りの小学校からきた親友ができた。同じクラスだったのは、1年生の時だけだったが、身長が190センチ以上あるひょろっとした野球部のスポーツ刈りの少年だ。お笑いと音楽が好きな奴でボクと気が合った。そいつの小学校時代の友達も同じクラスで、ボクに嫉妬していたのか、やたらちょっかいをかけてきた。そいつとはよくケンカになり、時には殴り合いになり大人になってからも街中でケンカになった事もあった。1年はあっという間に過ぎ去り、桜の散りだしたあの校門の前で大好きだった先輩の卒業を見送った。親友の野球部の先輩もハンドボール部の先輩と仲が良かったので、親友と先輩2人に1年間のお礼を言った。ボクも3年生の春にはそんな存在になれるのか胸を高めかせた。桜の季節になるとこの時を思い出す青春の1ページだった。2年生のクラス替え春休みが明け登校したボクは真っ先に教室のドアに貼られたクラス名簿を見に行った。親友とは隣りのクラス。好きな子は同じクラスだった。心踊った。でも当時のボクには付き合うとかおしゃべりしたいという願望は無く、同じ空間に毎日生活できるだけでモチベーションが上がったものだ。それは高校生になってもかわらなかった。2年生になったボクは皆が通る道の様に少しずつグレはじめた。きっかけは父親が家に帰ってこなくなり母親もパート先の社長と不倫。姉も高校生なのに彼氏と同棲。母親と2人の家庭生活が始まった。夜な夜な母親は電話で父親とケンカしていて、隣りの部屋でボクは男泣きする日々が続いた。はやく自立したい気持ちが芽生えたが14歳のボクには何もできなかった。学校では部活でイジメを受け、下校時にはカバン持ちをさせられることもあった。至近距離で固いボールを投げられ今でも指は曲がったままだ。
そんな時の唯一の救いが音楽であり、クラスでの生活であった。そんな時、友達と原付きを盗難し、警察に捕まった。他の2人は13歳だったがボクだけ14歳だったので1人家庭裁判所に呼び出され保護観察がついた。暴走族にはなりませんと誓約書を書き、日も落ちた帰りのバスでは母親も無言で何も話さなかった。翌日学校へ登校するとクラスは静まりかえって、腫れものを見るような目で皆んな見てきた。2年の担任は吉田先生ていう体育教師で水泳部とハンドボール部の顧問だった。悪さをすると体罰する先生だったがボクは嫌いではなかった。今まで数々の不良卒業生を体当たりで向き合ってきたのがボクにはわかった。不良の姉が中学生の頃、1つ上に(ちんまん)というハンドボール部の大先輩がたまに族車で中学に顔を見せに来た。姉から話を聞いていた(ちんまん)は、ゴリラの様にゴツく歴代の卒業生の中でも有名で、スポーツテストのハンドボール投げの記録54メートルは、いままで破られていない。姉は(ちんまん)の事を嫌っていたが、ボクは密かにリスペクトしていた。部活のOBだし、(ちんまん)が学校に来ると、上級生下級生関係なく(ちんまん)に不良達が群がり、(ちんまん)の話しを聞きに集まった。何も知らない新米の先生が単車で学校に乗り入れた(ちんまん)を注意すると、(ちんまん)と喧嘩になった。すぐに吉田先生が現れ怒り狂った(ちんまん)を抱きしめて落ち着かせた。体当たりの教師だった。だから嫌われ者の吉田先生の事も、(ちんまん)もボクは好きだった。
そのおかげで、ボクの住んでいた地域は
1.5キロ先の隣の中学に行く事になった。
そんなことがあったからボクの中学入学の写真にはその子に会える野望に満ちていたのかもしれない。不良の姉が「アンタ中学入ったらテニス部に入りなさい。3年生のキャプテンがカッコいいから。」とか「ハンドボール部の○○君もカッコいいから。」と、やたらボクを先輩に紹介したがった。母親から聞いた話では姉は学校のナンバー2の裏番だったらしい。先生や先輩から、ヘコ(姉のあだ名)の弟か。とよく言われ、悪い気はしなかった。校門の前で写真を撮った友達はテニス部に入り、後にキャプテンになった。ボクは部活見学で先輩に憧れてハンドボール部に入った。その年の1年生はボクともう1人の2人だった。3年の先輩に憧れみっちりしごかれたボクは、1年生でレギュラーに抜擢された。
ただ2年の先輩達には恨みをかったのか、のちにイジメにあった。今でもトラウマになっている。それと、大阪から転校してきて、もう名古屋弁になったボクが中学で同じクラスを願っていたあの子は隣りのクラスだった。残念だったが来年のクラス替えに期待することにした。思春期に入ったボクは隣りのクラスのあの子と顔を見かけても顔を赤くしておしゃべりすることも出来なかった。その頃はまだ将来の事や高校受験の事などを考えるのはまだまだ先の話だった。中学のクラスで隣りの小学校からきた親友ができた。同じクラスだったのは、1年生の時だけだったが、身長が190センチ以上あるひょろっとした野球部のスポーツ刈りの少年だ。お笑いと音楽が好きな奴でボクと気が合った。そいつの小学校時代の友達も同じクラスで、ボクに嫉妬していたのか、やたらちょっかいをかけてきた。そいつとはよくケンカになり、時には殴り合いになり大人になってからも街中でケンカになった事もあった。1年はあっという間に過ぎ去り、桜の散りだしたあの校門の前で大好きだった先輩の卒業を見送った。親友の野球部の先輩もハンドボール部の先輩と仲が良かったので、親友と先輩2人に1年間のお礼を言った。ボクも3年生の春にはそんな存在になれるのか胸を高めかせた。桜の季節になるとこの時を思い出す青春の1ページだった。2年生のクラス替え春休みが明け登校したボクは真っ先に教室のドアに貼られたクラス名簿を見に行った。親友とは隣りのクラス。好きな子は同じクラスだった。心踊った。でも当時のボクには付き合うとかおしゃべりしたいという願望は無く、同じ空間に毎日生活できるだけでモチベーションが上がったものだ。それは高校生になってもかわらなかった。2年生になったボクは皆が通る道の様に少しずつグレはじめた。きっかけは父親が家に帰ってこなくなり母親もパート先の社長と不倫。姉も高校生なのに彼氏と同棲。母親と2人の家庭生活が始まった。夜な夜な母親は電話で父親とケンカしていて、隣りの部屋でボクは男泣きする日々が続いた。はやく自立したい気持ちが芽生えたが14歳のボクには何もできなかった。学校では部活でイジメを受け、下校時にはカバン持ちをさせられることもあった。至近距離で固いボールを投げられ今でも指は曲がったままだ。
そんな時の唯一の救いが音楽であり、クラスでの生活であった。そんな時、友達と原付きを盗難し、警察に捕まった。他の2人は13歳だったがボクだけ14歳だったので1人家庭裁判所に呼び出され保護観察がついた。暴走族にはなりませんと誓約書を書き、日も落ちた帰りのバスでは母親も無言で何も話さなかった。翌日学校へ登校するとクラスは静まりかえって、腫れものを見るような目で皆んな見てきた。2年の担任は吉田先生ていう体育教師で水泳部とハンドボール部の顧問だった。悪さをすると体罰する先生だったがボクは嫌いではなかった。今まで数々の不良卒業生を体当たりで向き合ってきたのがボクにはわかった。不良の姉が中学生の頃、1つ上に(ちんまん)というハンドボール部の大先輩がたまに族車で中学に顔を見せに来た。姉から話を聞いていた(ちんまん)は、ゴリラの様にゴツく歴代の卒業生の中でも有名で、スポーツテストのハンドボール投げの記録54メートルは、いままで破られていない。姉は(ちんまん)の事を嫌っていたが、ボクは密かにリスペクトしていた。部活のOBだし、(ちんまん)が学校に来ると、上級生下級生関係なく(ちんまん)に不良達が群がり、(ちんまん)の話しを聞きに集まった。何も知らない新米の先生が単車で学校に乗り入れた(ちんまん)を注意すると、(ちんまん)と喧嘩になった。すぐに吉田先生が現れ怒り狂った(ちんまん)を抱きしめて落ち着かせた。体当たりの教師だった。だから嫌われ者の吉田先生の事も、(ちんまん)もボクは好きだった。
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