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手中の花を生かすも殺すも、人間(ひと)次第

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「鍋焼きうどん、熱い?」
「熱いけど美味しい。花ちゃんいつもありがとう」
「どういたしまして♪」

 花ちゃんは夜食を食べる僕の向かいに座って微笑む。

「……眠くはないの?」

 僕の帰宅直後にあんな会話やり取りをしたのだから余計に、まだ僕に付き合ってくれている花ちゃんの行動に引っかかった。

「あのね、ちょっと相談したいことがあって」

 ほんの少しだけ、花ちゃんの表情が曇る。

「相談って何?」

 大好きな人にそんな表情をされてしまったら、気にならない筈がない。

「太ちゃんが食べ終わってから喋る」

 花ちゃんは視線を僕かららし、更に気になるようか仕草をしたから、僕は話の内容が気になり過ぎてウズウズしてきた。

「食べながらでも構わないよ? 相談事がなんなのか分からないけど、鍋焼きうどんだから食べ終わるの遅くなるかもだし」

 つい僕本来のせっかちな性格が出て、花ちゃんにとっては不快な対応になってしまったかもしれない。
 とはいえ今も麺の箸揚げをしてフーフー息を吹きかけている僕の様子は明らかに時間がかかり、相談事をしようものなら相当時間眠気を我慢しなければならなくなるのも事実。

「じゃあ……話すね、太ちゃんに相談したい内容を」

 花ちゃんは麺を持ち上げたまま聞き耳を立てる僕を見つめながら、ゆっくりと話し始めた。

「昨日さ、私が生活費を渡そうとしたら……太ちゃん、受け取らなかったでしょ?」
「……うん」

(なんだ、相談というからなんなのかと気にしたらその事か……)

 重みのなさそうな内容に安堵あんどして麺をズルズルと力強くすすり、モグモグと咀嚼そしゃくしながら軽い相槌あいずちを打つ。

「でもやっぱり居候いそうろうじゃなくてルームシェアだし、ちゃんと私もお金出した方がいいと思うんだ。そもそもこのアパートは新婚さんがお隣に住んでるくらいの広さがあるし家賃だって単身用の倍はかかってるし」
「……うん。だけど、1人で住むからっていって安いところに移る気はなかったんだよねー。快適過ぎて」
「大学生に月8万の家賃は高いよ」
「安い方だよ。最初に話した通り家賃8万は想定内だったからね、東京で大学生やってると思えば全然……」
「ここは東京じゃないじゃない」
「そりゃそうだけど、奨学金とバイトで賄えてるからまぁ別に……」
「太ちゃんに負担かかり過ぎでしょ」

「負担……じゃ、ないよ」

 レンゲでうどんの汁をすくい、僕は小声で返事をする。

「え?」

 聞き返してきた花ちゃんに僕は顔を上げて

「だって家事を丁寧にしてくれてるから」

 と、花ちゃんにも理解しやすいよう答えた。

「花ちゃんはこの前まで、家事をおろそかにしたくないから専業主婦してたんでしょ?
 1週間……いや、もう10日になるけどさ、花ちゃんと一緒に生活しててそれを物凄く実感しているんだよね」

 花ちゃんの家事っぷりは几帳面と称される僕から見ても100点満点に近い。
 たとえまだ10日であっても、花ちゃんがそれまでどんな結婚生活をしてきたのかを知る事が出来た。

 朝起きたら洗濯機が回っている音やパンをトーストする匂いが2階まで伝わっていて、リビングに入るなり「おはよう」と呼びかけてくれる。
 大学へ行く時には「いってらっしゃい」と花ちゃんに見送られ、午後4時頃帰宅すると早めの夕食を用意してくれている。
 それを食べ終えたら、洗濯及びアイロン掛けの済んだ仕事用の白い服を手渡され、17時前に2度目の「いってらっしゃい」を言ってもらえる。
 そして23時半過ぎに帰宅すると夜食を用意してもらっていて、今まさに温かいもので冷えた身体を癒してくれている。

 こんな至りつくせりな状況なのだから、やはりお金を貰う方が申し訳ない……実は樹くんと別れてからこのアパートに戻るまでの道のりを歩きながらそういう事を考えていて、改めて「無職の花ちゃんから生活費を貰ってはいけない」という結論に至ったばかりだった。

「私、太ちゃんの負担にならないレベルでちゃんと出来てるかな?」
「出来てる。っていうか、出来過ぎててヤバいレベル」
「うーん……でもそれじゃ私の気がおさまらないっていうか、モヤモヤするっていうか」
「現実問題家政婦雇ったとしたら僕はその相手に給料渡さなきゃいけないんだよ。それを無償でやってもらってると思えば負担どころか僕が申し訳ない」

 会話のやり取りの間に冷めた1人用土鍋の中身を全部啜って腹の中に収めた僕はそう結論付けたのに、向かいに座ったままの花ちゃんはそれでもまだ「うーん」とうなっている。

「でもなんか……うーん……」

 1人に落ちない表情をする花ちゃんに、僕は溜め息をついた。
 
(僕がこれだけ花ちゃんの仕事ぶりを褒めてるっていうのに……一体何が不満なんだろう?)

 僕のついた溜め息は明らかにそのイライラが含んでいて、そのまま目の前の花ちゃんに伝わっただろうと思う。
 花ちゃんはスウゥッと息を深く吸った後で……

「太ちゃんは、やっぱりお金出さないっていうのが申し訳なさ過ぎるよ」

 僕から顔を逸らし、またゆっくりとした口調でそう言ったんだ。

「…………」

 彼女でも奥さんでもない。
 彼氏でも夫でもない。

 短時間に2度も似たような言葉を花ちゃんから言われて、僕は肉体からだを引き裂かれるような痛みを内側から感じた。
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