【完結】雨上がりは、珈琲の香り②

チャフ

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朝に香る

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「そうですよね……分かりました。りょーくんと相談して日程が決まり次第母に電話します」


 夕紀さんのお引越しお祝いを渡した日から数日後、夕紀さんから突然夜に電話がかかってきた。

「はあぁ……そういえば4月に連絡しとくのすっかり忘れてた……」

 通話を切った私は大きな溜め息をつく。

 夕紀さんが夜21時なんていう時間帯にわざわざ電話をかけてくるなんて通常ではあり得ない。私達のプライベート時間を考慮してくれ、仕事に関する事なら翌朝にメッセージを一本入れてからの電話になるからだ。

 「いつもとは雰囲気が違う」と察した私は、ソファで一緒にコーヒーを飲んでいたりょーくんを置いて自分の部屋にこもり夕紀さんからの電話を受けたんだけど、その行動は正解だったみたいだ。

(りょーくんになんて切り出そう? 嘘偽りなく話すしかない内容ではあるんだけど)

 リビングに戻っても私は肩を落としたままの状態になってしまい

「あーちゃんどうしたの? 何か困り事でもあった?」

 当然のこと、りょーくんに心配されてしまう。

「うん……」
「大丈夫?」

 ワザと落ち込んでみせてりょーくんの気を引こうなんてつもりはない。

「あのね……私が3月末でアパートの契約を切って住民票をここに移した事、うちの親に伝え忘れてて」

 だけど、私が未熟な所為でそれをどう上手に取りつくろってりょーくんに伝えれば良いのか分からないんだ。

「えっ……あ……」

(りょーくん狼狽うろたてる。やっぱりストレートに伝えるべきじゃなかったなぁ)

 それまでアイスコーヒーを小気味良く飲んでいたりょーくんのグラスに結露が浮かび、彼の指をビショビショに濡らしてる。

「私のミスなんだよね。夕紀さんは当然のこと私の親に住所変更した件は伝え済みだと思い込んでて、私のお母さんとの会話の流れで『朝香ちゃんが笠原亮輔さんと同棲してる』って内容を会話の中に悪気なく含めて喋っちゃったみたいで……」
「そ、それで……あーちゃんのお母さんは何て?」

 りょーくんは青ざめた表情をしてきて唇は震えている。

「それがね……『なるべく早いうちに帰って来なさい』って事に……なってしまって」

 青ざめ震えるりょーくんにこんな事伝えたくない。
 でも、言わないとこの件はどうにもならなかった。

「それってもしかして…………あーちゃんが広島の実家に帰るっていう」
「うん……出来れば、りょーくんと2人で帰って私の両親とちゃんと説明っていうか、話をしたい……みたいで」
「…………」

 りょーくんが狼狽え無言になるのも当然だ。
 だってこれは私の犯したミスなんだから。

 りょーくんとの同棲をスタートしたのは去年の秋。
 だけど、上原さんの提案で「最初の半年はお試し同棲としてアパートの契約は3月末にしよう」という事になった。
 私の誕生日プレゼントを両親が広島から送ってくれた時は私がアパートに一旦戻って受け取りをしたし、年賀状だってアパートのメールボックスから受け取って返信の宛名欄もアパートの住所を書いた。
 笠原亮輔さんとお付き合いしている事も言ってないし、同棲してるという報告も私から一切していない……なのに、アパートの契約を切って3ヶ月近く経った後に娘の口からではなく弟子から間接的に明かされるとは。

(そりゃ、お母さんだって嫌な気持ちになるに決まってるよね……)

 お母さんはきっとガッカリしているだろうし、お父さんは激怒しているはずだ。

「そうだよね……普通にあーちゃんと住んでいるからそれが当たり前になってたけど『あーちゃんのアパートの契約が切れる3月に挨拶行こうな』って俺も約束したんだった……」

 私の話にりょーくんはかなり責任を感じているようだった。

「……」
「3月どころかもう6月下旬になっちゃう……よね」

 結露でビショビショのグラスをテーブルの上にコトッと置き、りょーくんは項垂うなだれる。

「りょーくんが責任を感じる必要はないの。私が忘れてたんだから」
「でも……」
「私1人が帰ればいいなら、次の土日に1泊2日で帰ろうと思うの。だけどりょーくん、来週の月曜日に大事なレポート提出があるでしょ? 今度の土日できちんと仕上げるつもりでいる、単位取得に大事なレポートが」
「それは確かに……そうなんだけど」

 両親への伝え忘れが起きてしまったのは仕方がない。出来るだけ早く帰省した方がいいんだと私も理解している。
 だけどりょーくんは前期試験前に提出しなければならないレポートを控えていて、平日はゼミや授業に追われている彼にとってこの土日は貴重で大事な2日間だった。
 ……となると、一緒に土日に帰るとしたら来週末以降になってしまうわけで……。

「いいよ。この土日、一緒にあーちゃんのご実家へ行こう!」

 ずっと頭を垂れ下げていたりょーくんは当然ムクッと起こし、キリッとした眼差しを私に向けた。

「えっ? レポートは??」
「そんなの今から睡眠時間を削って書けばいいっ! 今日を含めたら金曜日まで3日間。間に合わせる事は可能だから!」
「えっ??! 私の親に会う為に睡眠時間削るの?!」

 りょーくんからの突然の言葉に私は両目を見開かせた。

「当たり前だよ! だってあーちゃんのご両親に会いに行くんだよ? レポートよりもそっちの方が重要だよ! 来週以降に広島行くのを延ばすなんて俺、絶対嫌だし考えらんないから!!」

 私の驚きに対し、りょーくんは力強い目線を真っ直ぐ私に向け続ける。

「分かった……今の時間ならお母さんのスマホに電話繋がるから、今すぐ『この土日に帰るね』って伝えるよ」

 りょーくんの強い目ヂカラに根負けした私は、またパタパタと廊下を通ってリビングから離れるとお母さんのスマホに電話を掛け、また自分の部屋に入りながら3日後の土曜日に泊まりで帰省する旨を伝えた。



「じゃあ、そういう事だから……」

 21時半に電話を掛け、久しぶりにお母さんの声を聞き言葉を交わす。

(お母さん……声のトーンはいつも通りだったけど、電話の奥側からめちゃくちゃな威圧感を感じたなぁ……)

 スマホ越しから威圧感をバシバシと感じるだなんて初めての経験だ。

(お父さん……やっぱり怒ってるんだろうなぁ)

 お母さんの声の間に漏れ聞こえる、お父さんの咳払いや大きな溜め息……それがもうめちゃくちゃ怖い。
 きっと数十分前夕紀さんが電話をしていた時もお父さんの咳払いや吐息はあったんだろうし、だからこそ夕紀さんはその危険を察して私に急いで電話を掛けたんだろうと状況の全体図を掴む事が出来た。

(りょーくんはお部屋でレポート作成していてるのかぁ)

 廊下に出るとりょーくんの部屋から照明の灯りが扉の隙間から漏れている事に気付いて、ソファで飲んでいたアイスコーヒーのグラスは、1つは綺麗に洗い終えキッチンに伏せられており、私の飲みかけグラスは結露を綺麗に拭われた状態でダイニングテーブルの真ん中に置かれていた。

(私も、土曜日帰省に向けて色々と準備しなくちゃいけないなぁ)

 取り敢えず土曜日の珈琲店勤務はお休みもらわないといけない。
 そう思った私はすぐに夕紀さんにお休み申請のメッセージを入れ、飲みかけの温くなったコーヒーを一気に飲み干したのだった。



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