【完結】雨上がりは、珈琲の香り②

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【番外編】夕紀さんのお引越し

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 夕紀さんの新しいお住まいは、マンションの中階層の2LDK。

「いらっしゃい、朝香ちゃん亮輔くん」

 インターフォンを押すとすぐに白い玄関扉が開き、微笑み顔の夕紀さんが私達を出迎えてくれた。

「こんにちは夕紀さん」
「こんにちはお姉さん、これ、お引越し祝いです」

 私も同じく笑顔で挨拶をし、りょーくんもニコニコ顔で夕紀さんに大きなプレゼントやフラワーアレンジメントを夕紀さんに手渡す。

「わぁ~ありがとう! お祝いの愛が重いわねぇ2人共っ!!」
「えへへ~♡」
「お祝いですから♪ お花は田上さんご夫妻の愛の大きさでもありますけど」

 プレゼントは勿論私達からの気持ちだし、お花も私達がお金を出し合って購入しているんだけど、お花の予算以上にボリュームのあるアレンジメントになっているのは夕紀さんの元同級生の田上さんの手腕によるものだ。

「明日田上くんにも御礼の言葉言わないとね♪ ほら、2人共上がって上がって♪」

 夕紀さんは私達からの贈り物を嬉しそうに受け取り、それから笑顔で中に招き入れてくれる。

「お邪魔します」

 私達は靴を脱ぎ……

「お姉さん、まずはへご挨拶をしても良いですか?」

 りょーくんは突然、夕紀さんに不思議な声掛けをした。

(先生……皐月さんのお部屋?)

 りょーくんの言う「お姉さん」は「夕紀さん」、「先生」は「皐月さん」をそれぞれ指している。
 という事は、夕紀さんのこのご新居には特別に遠野皐月さんの為のお部屋が用意されているという意味になるわけで……

 私は、ニコニコ顔の夕紀さんに見送られこれまたニコニコ顔のりょーくんと一緒に、ダイニングテーブルが置かれているスペースの右隣に位置し引き戸を開け放っている洋室に足を踏み入れた。

「わあ……素敵なお部屋……」

 私は一度も遠野家へ訪れた事がない。
 けれども、白や淡いグリーンで統一されたそのお部屋は生前の皐月さんの存在を思い起こされるような明るくて素敵なお部屋作りとなっていた。

「あーちゃん、今日俺ね、先生にもちょっとしたお土産を持ってきたんだ。先生のお仏壇の前にお供えしても良いかな?」

 りょーくんは私に優しい口調で断りを入れ、身に付けいたボディバッグの中から小さな直方体の箱を取り出した。

「うん、私も手を合わせたい」
「うん」

 それから2人で頷き合い、モダンなミニ仏壇の前でおりんを鳴らし静かに手を合わせた。

 合掌を解いて目を開けるとちょうど窓から西日が差し込む。
 夏の時期の陽の光であってもそのオレンジの明かりはやわらかく穏やかで、やはり皐月さんが嬉しそうに微笑んでくれているような気がした。


「その部屋の窓ね、真西なの。
 夏場や冬場は陽の光がしんどくなるかな~なんて感じたんだけど、『夕方に明るい方がいいな』って思い直したのよ。家族4人で住んでいたあの一軒家は、昼過ぎちゃうと陽の光が周囲に遮られて居間は照明をつけないと薄暗くなっていたから」

 私達は夕紀さんに再び手招きされ、ダイニングテーブルの席へと促されると、食前のコーヒーを出してくれた。

「そう……だったんですか?」

 遠野家に一度も訪れた事のない私の反応の隣で、りょーくんは少し寂しそうな表情を浮かべて静かに頷く。

「亮輔くんは知ってるもんね……」
「はい。和洋折衷の一軒家で、築年数もそれなりにあったんですよね。台所も居間も夕方になると薄暗くて、中学生の俺は少し寂しく感じました」
「……」
炬燵こたつはあったかくて好きだったなぁ。先生のお部屋はすっごく簡素になっててね、夜は月明かりが綺麗だったけど……あのお部屋とは真逆な感じだね」

 りょーくんの語る遠野家の詳細は、言葉だけでもそのリアルさが伝わりゾクッとする。

「父や母が居た頃はまだ明るく感じたのよ。でもやっぱり……18歳と12歳の2人だけ残されちゃうと、色んなところに気を回す余裕がなくて。
 私1人でお金稼がなくちゃって、そればかり考えてお庭の手入れとか怠っていたら余計に暗いお部屋になっちゃった」
「……」
「中学生の亮輔くんが寂しいと感じる家にしてしまったのは私。
 私がもう少し気を遣って色々と出来てたら、皐月も愛に溺れる事はなかったのかなぁ~なんて思うよ」
「……夕紀さん」

 夕紀さんは、温かな家族の団欒だんらんを中学3年生でようやく経験出来た。だけどその4人の生活も3年ほどで終わりを告げ、夕紀さんは高校卒業してすぐに昼も夜も働かなければならなくなった……中学生になったばかりの皐月さんをお家に残して。
 そんな生活が始まって……6年も7年も経ったらお庭の木々も荒れてくる。ご実家が遠野家とご近所さんだった「もりやま青果店」の初恵はつえさんが以前私に「夕紀ちゃん達のお庭のお手入れを時々しに行ってた」って話してくれたんだけど、今日ようやくその背景を知る事が出来た。

 私はりょーくんの話にも夕紀さんの話にも上手い返しが出来ない。
 けれどそれはやむを得ない状況で仕方がなかったのだと理解出来ていた。

「だからその罪滅ぼしっていうのかなぁ……これから住む場所には、ちゃんと皐月にも明るい陽の光を感じてもらおうと思ったんだ。今からの時期は西日の光がより強くなるだろうけど、カーテンで少し遮ってあげればよいし、普段から皐月の部屋の戸は開けっ放しにしているんだけど朝は爽やかなちょうど良い明るさで過ごせるの。西側の窓も悪くないし、1人で暮らしてても全然寂しさを感じないのよ。すっごく快適に過ごせてるの」
「お姉さんと一緒にこの部屋の内見を午前中と夕方に2回やってね、俺もその点に関して凄くいいなって感じたよ。
 本当はリビングがすっごく広いんだけどここのダイニングのすぐそこに引き戸が何故か作られてて完全に仕切れるんだ」

 夕紀さんもりょーくんも落ち着いた表情でコーヒーカップに口をつけ、私にこの部屋の間取りを優しく教えてくれる。

「えっ……あ、向こう側もお部屋あるんだ?」

 りょーくんが指差す方向は戸で仕切られていて、そこで私は初めてまだ向こう側に部屋のスペースがある事を知る。

「戸で仕切れるから正確には2LDKじゃないんだろうね。逆になんでここを仕切れるようにしたか謎っていうか」
「夕紀さん、あの戸を開けてもいいですか?」
 
 私はその向こう側のスペースを知りたくなり、夕紀さんに伺いを立てる。

「勿論いいわよ♪ ちゃんとお掃除してるし洗濯物も片付け済みだから」

 夕紀さんは私に優しく微笑み、手で「開けて部屋を見て回って良いよ」という合図を送ってくれる。

「では……遠慮なく」

 私だけ席を立って引き戸をカラカラと開けてみると、そこは更に広くて開放的な空間が広がっており、大きなテレビやシックなソファはラグジュアリーさを感じさせた。

(ダイニングスペースと合わせたらすっごく広いのが分かる!)

 私は新居のスペースの広さに感嘆し……

(確かにさっきの間仕切りがあるからこそ、1人で暮らしてても寂しさを感じないんだなぁ)

 私がりょーくんと喧嘩して3LDKのスペースを持て余して寂しさを感じていた数日間を思い出しながら、以前りょーくんが話してくれた「1人で暮らしてても寂しさを感じない」の意味を理解する。

「この戸が謎だなぁって内見の時に思ったんだけどさ、実際住んでて実感してるのよ。この謎の戸が私の気持ちを和ませてるんだなって」

 いつの間にか夕紀さんは私のそばに来てくれていて、引き戸をカラカラと開け閉めしながらそう話す。

「戸をつける事で、気持ちを和ませる……かぁ」
「そう。私1人だから、本当は寝室とこのダイニングスペースさえあればこと足りる。けど、それじゃあ狭く感じすぎちゃうでしょ? 引き戸の開閉で1人でも、朝香ちゃんや亮輔くんが遊びに来ても、いつでもちょうど良いスペースが作れるようにこの部屋はなってるみたい」
「なるほど……」
「本当に、ここに住む事を決めて良かったって私は思うの」

 今私の目に映っている夕紀さんは、とっても幸せそうな表情をしていた。



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