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【番外編】執着的で盲目的な(夕紀side)
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しおりを挟む次の日の土曜日。
朝香ちゃんは朝早くから笠原亮輔とアパートの部屋の整理や掃除をしたらしく、少し疲れた様子で17時40分に店のエプロンをキュッと身に付ける。
「朝からお部屋の整理に追われて疲れてるでしょ、今日は接客辞めとく?」
私は彼女の疲れた身を案じてみたんだけれど
「いえっ! プライベートはプライベートっ! 仕事は仕事ですからっ!」
と、すぐに表情をシャキッとさせてやる気を私に見せつける。
「無理はしないでね、忙しくなったら私も接客手伝うから」
「はいっ! 閉店後は焙煎機の見学や手伝いもやりますねっ!」
そして尚も元気で明るい顔を私に向けてくる彼女の健気さや若さに感服する。
「あっ、夕紀さん相談なんですけど……」
「なぁに? 朝香ちゃん」
閉店時間が過ぎ、締め作業を終えた私に朝香ちゃんが可愛らしい眼差しで私に相談を持ちかけてきた。
「今日、彼とアパートの整理をしながら色んな約束事を決めたんです。食費や生活費の支払いの事とか、家事の細かい分担とか」
「食費や生活の支払いは彼に任せちゃえばいいんじゃない? だって朝香ちゃんは3月までアパートの家賃を支払わなければならないんだもの」
「上原さんから事前に沢山お金いただいてるんでそんなわけにはいかないんですよ! そのお金は家賃の引き落としに使うつもりでいて……」
「そうなんだ」
「はい。っていうか、そうでもしないと減らないくらいの金額なんで」
「…………」
9月の初め頃に上原俊哉が「家賃値引き2年分♪」とか言いながら朝香ちゃんにお金を渡した話は先日彼女の口から聞いたし、昨夜の話にも出てきたから把握してたんだけど、家賃半年分でも余る程の大金という事実に私はゾッとする。
(敵わないけど、やっぱり怖いなあの男……)
「それで食費は彼が負担して、光熱費は折半、家事は各々得意なものを分担して時々協力しながらやる事に決めたんです」
「なかなかしっかりしてるのね、朝香ちゃん達。彼も真面目な態度でいいんじゃない?」
私は他人とのルームシェアも同棲も……まして一人暮らしさえ経験が無い。
広島で修行してた頃も現在も、居候しかしてないのだ。
なのに、一回りも歳下の朝香ちゃんも笠原亮輔も自立した考えを持っていて逞しいと感じるし、20歳そこそこの若いカップルが夢見心地なふわふわとした同棲生活を思い描いているのではないという考え方に拍手を送ってあげたい。
「……ですが、問題はマンションのお金です」
「へ?」
「マンションの名義は彼なんですが、既に上原さんが購入して彼に譲渡しちゃってて。彼は管理費と税金を支払えば良いだけになっちゃってるんです」
「うん」
「私も上原さんに何かした方がいいんじゃないか? って思うんです。でもそんな事を彼に相談したら『俺もお金いくらか渡す』って言い出しかねないし、そもそも上原さんは私達のお金なんか受け取らないかもしれないなぁって」
「まぁ……そうかもしれないわね」
「そこは彼と一緒じゃなく、私の個人的な考えとして上原さんに何かしたいなって思ってて」
「うーん……それはしなくてもいい気がするけど。だって上原さんは朝香ちゃんに笠原亮輔さんとの同棲をお願いしてる立場になるんだもん」
「私だって自分の意思で彼との同棲生活をしたいんです!」
「……」
「同棲のきっかけは上原さんからのお願いではあるんですけど、私も私で金銭的リスクを負わなきゃあのマンションに堂々と住めない気がして」
私は一般的な大人の考え方として、その辺は強かに甘えちゃえば良いんじゃないかと思った。朝香ちゃんの言う通り、上原俊哉は上原俊哉で朝香ちゃんから金銭を受け取る気は一切持っていない筈だから。
でも、朝香ちゃんの純粋な考えも分かる。私が朝香ちゃんと同じ立場ならきっと似た考えを持ち、愛する人と対等な気持ちで生活したいと望むだろうから。
「そっか……じゃあ、こういうのはどう?」
だから私は大事な弟子であり大事な妹みたいな存在の彼女に、1つの提案をしてみた。
「なんでしょう?」
「月に一度、私は皐月の月命日にグアテマラアンティグアを焙煎するでしょ?店では常連さんにも明かしてないけど、私はその日だけ、村川夫妻から教わった焙煎方法で丁寧に煎っている」
「……はい」
「それをさ、毎月、最終金曜日の夜に朝香ちゃんが上原さんにお届けするの。1ヶ月分の焙煎豆を朝香ちゃんが購入して」
「?」
「朝香ちゃんは幼い頃からご両親から教わってきているネルドリップの使い方を丁寧に教えてあげた上で、その日に初めの一杯を上原さんに提供してあげるのよ」
「私が……ですか?」
「そうよ、出張の珈琲屋さん。今ね、オフィスとかで流行ってるのよそのサービス。
朝香ちゃんにとっては自分の技術を磨く事にも繋がるし、愛する彼のご親戚に丁寧な接客をする事も良い勉強になる筈」
朝香ちゃんは目を見開いて「なるほど!」と私のこの提案に素直に乗っかろうとしたみたいだけれど
「でも、それって金額に見合いませんよね?1ヶ月分の焙煎豆を購入した金額に私の時給を上乗せしても5000円にも満たしません……」
と、朝香ちゃんは消極的な表情になる。
「ネルドリップやドリップポットとか、コーヒーの道具類もプレゼントしちゃえば?」
「うーん……」
「勿論、上原さんが珈琲に興味を持ってくれれば……が前提になるけどね」
私は、朝香ちゃんには敢えてそう言ってみたものの「必ず上原俊哉はこの提案を喜んでくれるだろう」と確信していた。
笠原亮輔に対して執着的で盲目的。
爬虫類的な目付きやジトッとした声色で私に話しかける男だけれど、私や朝香ちゃんが幼い頃から大好きなコーヒーの香りを恍惚的な表情で鼻から吸い込み、高揚感溢れるセクシーな唇や舌をチロリと見せる彼の事だ。
きっと朝香ちゃんの愛情溢れる温かなコーヒーを純粋に喜んでくれると信じているから。
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