【完結】雨上がりは、珈琲の香り②

チャフ

文字の大きさ
上 下
13 / 251
【番外編】執着的で盲目的な(夕紀side)

5

しおりを挟む



 次の日の土曜日。
 朝香ちゃんは朝早くから笠原亮輔とアパートの部屋の整理や掃除をしたらしく、少し疲れた様子で17時40分に店のエプロンをキュッと身に付ける。

「朝からお部屋の整理に追われて疲れてるでしょ、今日は接客辞めとく?」

 私は彼女の疲れた身を案じてみたんだけれど

「いえっ! プライベートはプライベートっ! 仕事は仕事ですからっ!」

 と、すぐに表情をシャキッとさせてやる気を私に見せつける。

「無理はしないでね、忙しくなったら私も接客手伝うから」
「はいっ! 閉店後は焙煎機の見学や手伝いもやりますねっ!」

 そして尚も元気で明るい顔を私に向けてくる彼女の健気さや若さに感服する。






「あっ、夕紀さん相談なんですけど……」
「なぁに? 朝香ちゃん」

 閉店時間が過ぎ、締め作業を終えた私に朝香ちゃんが可愛らしい眼差しで私に相談を持ちかけてきた。

「今日、彼とアパートの整理をしながら色んな約束事を決めたんです。食費や生活費の支払いの事とか、家事の細かい分担とか」
「食費や生活の支払いは彼に任せちゃえばいいんじゃない? だって朝香ちゃんは3月までアパートの家賃を支払わなければならないんだもの」
「上原さんから事前に沢山お金いただいてるんでそんなわけにはいかないんですよ! そのお金は家賃の引き落としに使うつもりでいて……」
「そうなんだ」
「はい。っていうか、そうでもしないと減らないくらいの金額なんで」
「…………」

 9月の初め頃に上原俊哉が「家賃値引き2年分♪」とか言いながら朝香ちゃんにお金を渡した話は先日彼女の口から聞いたし、昨夜の話にも出てきたから把握してたんだけど、家賃半年分でも余る程の大金という事実に私はゾッとする。

(敵わないけど、やっぱり怖いなあの男……)

「それで食費は彼が負担して、光熱費は折半、家事は各々得意なものを分担して時々協力しながらやる事に決めたんです」
「なかなかしっかりしてるのね、朝香ちゃん達。彼も真面目な態度でいいんじゃない?」

 私は他人とのルームシェアも同棲も……まして一人暮らしさえ経験が無い。
 広島で修行してた頃も現在も、居候しかしてないのだ。
 なのに、一回りも歳下の朝香ちゃんも笠原亮輔も自立した考えを持っていて逞しいと感じるし、20歳そこそこの若いカップルが夢見心地なふわふわとした同棲生活を思い描いているのではないという考え方に拍手を送ってあげたい。

「……ですが、問題はマンションのお金です」
「へ?」
「マンションの名義は彼なんですが、既に上原さんが購入して彼に譲渡しちゃってて。彼は管理費と税金を支払えば良いだけになっちゃってるんです」
「うん」
「私も上原さんに何かした方がいいんじゃないか? って思うんです。でもそんな事を彼に相談したら『俺もお金いくらか渡す』って言い出しかねないし、そもそも上原さんは私達のお金なんか受け取らないかもしれないなぁって」
「まぁ……そうかもしれないわね」
「そこは彼と一緒じゃなく、私の個人的な考えとして上原さんに何かしたいなって思ってて」
「うーん……それはしなくてもいい気がするけど。だって上原さんは朝香ちゃんに笠原亮輔さんとの同棲をお願いしてる立場になるんだもん」
「私だって自分の意思で彼との同棲生活をしたいんです!」
「……」
「同棲のきっかけは上原さんからのお願いではあるんですけど、私も私で金銭的リスクを負わなきゃあのマンションに堂々と住めない気がして」

 私は一般的な大人の考え方として、その辺はしたたかに甘えちゃえば良いんじゃないかと思った。朝香ちゃんの言う通り、上原俊哉は上原俊哉で朝香ちゃんから金銭を受け取る気は一切持っていない筈だから。
 でも、朝香ちゃんの純粋な考えも分かる。私が朝香ちゃんと同じ立場ならきっと似た考えを持ち、愛する人と対等な気持ちで生活したいと望むだろうから。

「そっか……じゃあ、こういうのはどう?」

 だから私は大事な弟子であり大事な妹みたいな存在の彼女に、1つの提案をしてみた。

「なんでしょう?」
「月に一度、私は皐月の月命日にグアテマラアンティグアを焙煎するでしょ?店では常連さんにも明かしてないけど、私はその日だけ、村川夫妻から教わった焙煎方法で丁寧に煎っている」
「……はい」
「それをさ、毎月、最終金曜日の夜に朝香ちゃんが上原さんにお届けするの。1ヶ月分の焙煎豆を朝香ちゃんが購入して」
「?」
「朝香ちゃんは幼い頃からご両親から教わってきているネルドリップの使い方を丁寧に教えてあげた上で、その日に初めの一杯を上原さんに提供してあげるのよ」
「私が……ですか?」
「そうよ、出張の珈琲屋さん。今ね、オフィスとかで流行ってるのよそのサービス。
 朝香ちゃんにとっては自分の技術を磨く事にも繋がるし、愛する彼のご親戚に丁寧な接客をする事も良い勉強になる筈」

 朝香ちゃんは目を見開いて「なるほど!」と私のこの提案に素直に乗っかろうとしたみたいだけれど

「でも、それって金額に見合いませんよね?1ヶ月分の焙煎豆を購入した金額に私の時給を上乗せしても5000円にも満たしません……」

 と、朝香ちゃんは消極的な表情になる。

「ネルドリップやドリップポットとか、コーヒーの道具類もプレゼントしちゃえば?」
「うーん……」
「勿論、上原さんが珈琲に興味を持ってくれれば……が前提になるけどね」

 私は、朝香ちゃんには敢えてそう言ってみたものの「必ず上原俊哉はこの提案を喜んでくれるだろう」と確信していた。

 笠原亮輔に対して執着的で盲目的。
 爬虫類的な目付きやジトッとした声色で私に話しかける男だけれど、私や朝香ちゃんが幼い頃から大好きなコーヒーの香りを恍惚的な表情で鼻から吸い込み、高揚感溢れるセクシーな唇や舌をチロリと見せる彼の事だ。

 きっと朝香ちゃんの愛情溢れる温かなコーヒーを純粋に喜んでくれると信じているから。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

甘過ぎるオフィスで塩過ぎる彼と・・・

希花 紀歩
恋愛
24時間二人きりで甘~い💕お仕事!? 『膝の上に座って。』『悪いけど仕事の為だから。』 小さな翻訳会社でアシスタント兼翻訳チェッカーとして働く風永 唯仁子(かざなが ゆにこ)(26)は頼まれると断れない性格。 ある日社長から、急ぎの翻訳案件の為に翻訳者と同じ家に缶詰になり作業を進めるように命令される。気が進まないものの、この案件を無事仕上げることが出来れば憧れていた翻訳コーディネーターになれると言われ、頑張ろうと心を決める。 しかし翻訳者・若泉 透葵(わかいずみ とき)(28)は美青年で優秀な翻訳者であるが何を考えているのかわからない。 彼のベッドが置かれた部屋で二人きりで甘い恋愛シミュレーションゲームの翻訳を進めるが、透葵は翻訳の参考にする為と言って、唯仁子にあれやこれやのスキンシップをしてきて・・・!? 過去の恋愛のトラウマから仕事関係の人と恋愛関係になりたくない唯仁子と、恋愛はくだらないものだと思っている透葵だったが・・・。 *導入部分は説明部分が多く退屈かもしれませんが、この物語に必要な部分なので、こらえて読み進めて頂けると有り難いです。 <表紙イラスト> 男女:わかめサロンパス様 背景:アート宇都宮様

夜の声

神崎
恋愛
r15にしてありますが、濡れ場のシーンはわずかにあります。 読まなくても物語はわかるので、あるところはタイトルの数字を#で囲んでます。 小さな喫茶店でアルバイトをしている高校生の「桜」は、ある日、喫茶店の店主「葵」より、彼の友人である「柊」を紹介される。 柊の声は彼女が聴いている夜の声によく似ていた。 そこから彼女は柊に急速に惹かれていく。しかし彼は彼女に決して語らない事があった。

肉食御曹司の独占愛で極甘懐妊しそうです

沖田弥子
恋愛
過去のトラウマから恋愛と結婚を避けて生きている、二十六歳のさやか。そんなある日、飲み会の帰り際、イケメン上司で会社の御曹司でもある久我凌河に二人きりの二次会に誘われる。ホテルの最上階にある豪華なバーで呑むことになったさやか。お酒の勢いもあって、さやかが強く抱いている『とある願望』を彼に話したところ、なんと彼と一夜を過ごすことになり、しかも恋人になってしまった!? 彼は自分を女除けとして使っているだけだ、と考えるさやかだったが、少しずつ彼に恋心を覚えるようになっていき……。肉食でイケメンな彼にとろとろに蕩かされる、極甘濃密ラブ・ロマンス!

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~

吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。 結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。 何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】 妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

処理中です...