【完結】雨上がりは、珈琲の香り②

チャフ

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「思うのはあなた一人」

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「…………なるほど」

 私が急に3LDKの分譲マンションの高層階に住むようになった理由の一つに、4年7ヶ月前に夕紀さんがりょーくんに言い放った「あの発言」が絡んでいる事も正直に説明しなければならず、全てを話したところで夕紀さんはその場にしゃがみ込んで大きな溜め息をついていた。

「あのっ! 夕紀さんを責めるつもりは無いんですよ、私も……それから、彼も」
「朝香ちゃんは良い子だからそう言ってくれるけどさぁ……でもやっぱり私の所為でしょ。笠原亮輔さんの心が不安定なのも、ド派手な金髪ウェーブも、引く程ジャラジャラつけてるピアスも」
「それは」
「あの時私があんな態度を取ったから……だから、彼の人生が変わってしまったのね」

 夕紀さんの声がロートーンになっていき、本格的に落ち込んでしまったので私は焦って椅子から飛び降り、夕紀さんがしゃがみ込んでるキッチンへと回り込む。

「いえ! 笠原亮輔さんは夕紀さんを責めてませんでした。
 彼は皐月さんのことが大好きで皐月さんの状況をなんとかしようとしたかったけど結果その行動が皐月さんの死を招いてしまったからって……とにかく彼は自分自身を責めていたんです。
 今朝、彼と話をしてる時だってそうでした! 『皐月さんだけでなく夕紀さんにも申し訳ないことをした』って、ずっと言ってて。
 お付き合いしていた方や彼よりも……『皐月さんは誰よりも夕紀さんが一番大事だって言ってたから』って」
「えっ……?」

 今朝出掛ける前に、りょーくんが夕紀さんに「これだけは必ず伝えて欲しい」と言われていた言葉を 夕紀さんに伝えた。

「皐月が『彼氏よりも私が大事』って笠原亮輔さんに……そう言ってたの?」

 夕紀さんの目には涙が浮かんでいた。

「彼は『自分の恋が成就する代わりに皐月さんが本当の意味で幸せでいてほしい』と考えていたそうです。当時はまだ中学生で、皐月さんを救いたくても救えない状況や自身の幼さをものすごく嘆いていました。
 『お姉さんとこれから過ごす幸せな時間を奪ってしまってごめんなさい』と……いつも皐月さんの墓前に話しかけていたそうです」

 りょーくんが涙を流しながら寝言を言っていたのは、りょーくん自身が皐月さんを幸せに出来なかったことを悔やんでいるのではなく……皐月さんの本当の心の支えだった夕紀さんと一緒に暮らしてあげられなかったことを悔やんでいたからだと、私は彼から伝え聞いた。


「そんな……」

 しばらく夕紀さんは顔を俯かせ、静かに泣いていた。
 そんな哀しい師匠の背中を、弟子の私は撫でる事しか出来ない。

 皐月さんにとっての『思うはあなた一人』は多分夕紀さんの事で、皐月さんは夕紀さんが広島に行っている間ずっと一人寂しく待っていたんだと思う。

 夕紀さんが、この珈琲店で、あのグアテマラアンティグアを焙煎して美味しいコーヒーを淹れて……そして姉妹2人で幸せなコーヒータイムを過ごす日の事を。

 だけど、皐月さんだってまだ若い学生だったから……その寂しさに耐えられなかったんだ。

(だからきっと……皐月さんは藁を掴むような気持ちで、夕紀さんでもりょーくんでもない人を頼ってしまったんだ)

 それで気が付いたらもう、危険な恋愛から逃れられなくなってしまったんだと思う。

「私、彼が皐月さんを深く愛していた事を『素敵だ』って思いました。悲しい恋だったかもしれないけれど、私は彼のその想い含めて愛してあげたいって思うんです」

 りょーくんは私を「大好き」「愛してる」って言葉でも態度でも示してくれるけど、彼が皐月さんを私と同じかもしくは私以上に大好きでいる事を否定したくはないし、毎月のお墓参りも続けて欲しいと思っている。

「朝香ちゃんが彼と一緒に暮らしたいって気持ちは……そのくらい本気って、意味?」

 夕紀さんは昂ぶる気持ちを抑えながら、私の方を振り向きそうたずねる。

「はい! 本気です! だって私は……今まで夕紀さんに内緒にしてましたけど、の中学生の男の子の幸せをずっと願っていましたし、それは今までも変わらないですから」

 私は自分の本気の気持ちを、初恋になぞらえて夕紀さんに伝える。

「……」
「私は頭に包帯を巻いた……皐月さんを深く愛していた男の子の事を密かに想っていたんです。それが笠原亮輔さんだって……今の彼だって知って、とても幸せな気持ちでいるんです」

「知ってる」
「へ?」

 夕紀さんから、サラッとそう返されてしまい拍子抜けた。

「朝香ちゃんの初恋が『あの少年』だって事。
 だって広島に戻ってからの朝香ちゃん、しばらくボーッと物思いにふけっていたでしょ。私になるべく見せないように頑張ってたよね」
「あっ……」
「朝香ちゃんが私を励まそうと『喫茶店ごっこ』してくれてた時、私は私で自分のことでいっぱいいっぱいになってはいたんだけどさぁ、朝香ちゃんのボーッとしてる瞬間を何度も見かけていたの。その事を裕美さんに相談した事もある」
「えっ? お母さんに私の事を?」

 私も私で、夕紀さんが今まで内緒にしていた内容を明かされてビックリする。

「朝香ちゃんの密かな恋心を裕美さんが義郎さんに話したかどうかは私も知らないよ。義郎さんもあの頃は私の代わりにこの店の準備に携わってくれてて、広島とこっちを数えきれないくらい行き来して忙しくしてたでしょ?」
「そう……ですよね。お父さん、私達の事大好き過ぎるから」

 お父さんは、皐月さんの死後塞ぎ込みがちになっていた夕紀さんの代わりに広島とこの場所を新幹線で何度も何度も往復していて忙しくしていた。
 娘の片想い事情なんて知ったら、お父さんの事だからめちゃくちゃパニックを起こしていたに違いない。お父さんがあの頃忙しくしてて良かったという見方もある。

「なんか不思議な縁ね。あの時朝香ちゃんが密かに想っていた『彼』が大人っぽく成長して、あのアパートに住んでて、それで朝香ちゃんがたまたま隣に住んで、朝香ちゃんの焙烙ほうろく焙煎の香りに彼が惹かれて、2人が恋に落ちるなんて」
「…………ですね」

 私が掻い摘んで話した内容そのものとは言え、師匠の口で反芻されて耳にするとちょっと恥ずかしい。

「まぁ、『出逢いは必然』って考えも、無きにしも非ずだもの」

 夕紀さんはしばらく無言で何か考えるような素振りを見せたんだけど、すぐに表情を微笑み顔に変える。

「朝香ちゃん、私が悪い発言を彼にした所為で色々と苦労が絶えないだろうけど、楽しく仲良く同棲生活を過ごしなさい」
「はい……」
「勿論、抱え込み過ぎはダメよ。何かあったらちゃんと私に相談する事!」
「ありがとうございます! 夕紀さんっ!」

 その微笑み顔に、私は嬉しくなって自然と笑顔になれた。

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