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Chapter1:出会い

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 思ったよりも時間がかかってしまった。
 私やチャコ叔母さんは店の関係者だから良いけど、通報して下さった男性にとっては無駄な時間を過ごさせちゃったから申し訳なく思う。

「長い時間本当にありがとうございます」

 チャコ叔母さんは男性に深々と頭を下げたから、私も慌ててお辞儀する。

「いえ、物凄く怖い思いをしたでしょうし……」

 男性はにこやかな表情でチャコ叔母さんの方を一度向き、それから

「従業員さんが無事で、本当に良かったです」

 私の方を体ごと向き直り、優しく微笑みながらやわらかな口調でそう言ってくれた。

「ありがとうございます……」

 優しい態度や言葉に私はまた涙を溢れさせる。

「華ちゃん……」

 チャコ叔母さんは心配そうに背中を撫でてくれたけど

「本当に……本当にありがとうございます! あなたが店長を呼んで下さらなかったら私、どうなっていたか……」

 子どもみたいに泣きじゃくってはいけないって踏ん張りながら、男性に何度も何度も頭を下げた。

「あ、そうだ。お名前を伺っておりませんでしたね。警察から通報者の名前確認等があるかもしれませんから、宜しかったらお名前と連絡先を控えさせていただいてもよろしいでしょうか?
 私はここでオーナーを務めさせていただいております栗山くりやまと申します」

 チャコ叔母さんは男性に自分の名刺を渡して男性の名前と連絡先を事務的に確認していた。

(あっ! そうだ! 私、自分の名前を名乗ってなかった……)

 男性が名刺を受け取った瞬間にハッとする。
 長時間私の為に色々と付き合って下さっていたのに、名前も言わないで帰らせるだなんて失礼じゃないかって思ったんだ。

栗山久子くりやまひさこさんですね、この度はお世話になりました」

 男性は丁寧で美しいお辞儀をして

「自分は、阪井蒼さかいあおと言います。連絡先の携帯番号は……」

 続いてチャコ叔母さんに連絡先を書いたメモを渡していた。

「なるべく阪井さんにはご迷惑のかからないようにします。道中暗いですからタクシーを呼びましょうか?」
「いえ、近くですし自転車で来てましたからこのまま帰ります」
「そうですか……では、お帰りお気をつけて」

 チャコ叔母さんと阪井蒼さんの丁寧なやり取りを目で追いながら、私は自分の名前を名乗るタイミングをはかる。

(あっ……阪井蒼さんが帰っちゃう! どうしよう!!)

 阪井蒼さんがきびすを返して自転車の置き場所までスタスタ歩いていくのを目の当たりにしていたら、居ても立っても居られなくなっちゃって

「あのっ! わ、私っ!!」

 急いで阪井蒼さんを追いかけた。

「華ちゃん」

 チャコ叔母さんが呼び止めたけど、それを振り切って……

「えっ?」

 キョトンとしている阪井蒼さんの前に立ち

「私、ここのコンビニで週四日バイトしている長岡華子ながおかはなこって言いますっ!」

 大きめの声でハッキリと名乗った。

「長岡……華子、さん?」

 驚いた様子で目を大きく見開かせながらも、ちゃんと私の名前を復唱してくれた阪井蒼さんの優しさが嬉しくて胸がいっぱいになって……

「今度っ! 改めてお礼させて下さいっ!!」

 先程の酔っ払い2人とは全然違う、この優しい人とのご縁を繋ぎたいだなんて、大それた事を強く思ってしまった。

「お、お礼……?」
「ダメ……ですか?」
「いや……ダメ、では……ないですけど」

 阪井蒼さんは戸惑った様子で慌てふためいている。

(あれっ? グイグイ行きすぎちゃったかな? 迷惑だった? 間違えちゃったかな……)

 好意のつもりで発言したつもりだったんだけど、阪井蒼さんの態度を見て「やり過ぎた」と反省した。

「はいはい華ちゃんっ! ちょっとだけ落ち着こうね」

 するとチャコ叔母さんが追いかけてきて私の頭を軽く小突く。

「んっ」

 ちょっと痛かったけど、私も悪いのだから反論は出来ない。

「阪井さんは洋食って好みかしら?
 実はこの長岡に今日、この先にある商店街の洋食屋さんの割引券を渡してて。不躾なお願いで恐縮なのですが、この子と食事してもらえないでしょうか?」

 痛む頭をスリスリ撫でていると、チャコ叔母さんが私よりも突飛なお願いを阪井蒼さんにしていたものだからビックリする。

「えっ……洋食、屋さん?」

 案の定、私の名乗りよりも戸惑っていたんだけど

「ええ、『jolie manteジョリー・マント』っていう店名で、エビグラタンがすごく美味しくてオススメなんですよ♪ 良かったらいかがでしょうか?」

 叔母さんが店名を口にした途端に阪井さんは目をキラッと輝かせて

「はいっ、よろしくお願いします!」

 にこやかに笑い、誘いに乗ってくれた。

(わぁ……良かったぁ)

 あんなに驚いていたのに了承してくれたのが意外ではあったけれど、結果的には嬉しい。

「はい、こちらこそよろしくお願いします。楽しみにしていますね」

 私も頬を弛ませながらニコニコで返事を返した。


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