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【番外編 その後のお話】 ドア越しの営み
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しおりを挟む「ねぇ、ジュン」
悶々と30分以上考えた後……
迷惑だし聞こえる筈がないと自覚している癖に、私はドアの向こう側の……そのまた何メートルも離れたリビングルームで眠っているジュンに呼びかけた。
「何? 痛くてなかなか眠れない?」
ドアの向こう側から、1秒も立たないうちにそう返事が返ってきて私はビックリする。
「えっ? ジュン、もしかしてドアのそばに居る?」
「もしかしなくても居るよ。ドアに背を向けて座ってる。ユウちゃん眠れない?」
「ジュンこそ、眠れないの?」
「眠れないよ……眠れる訳ない。だってユウちゃんが痛くて辛くてたまらないのを知っているから」
「普段はこの時間グースカ寝ちゃってる癖に」
「あはは……会社ある日は許してよユウちゃん」
「分かってる。今は繁忙期に差し掛かる時期で営業所長様のジュンはめちゃくちゃ忙しいの理解してるから」
「さすが『伝説の事務員さん』だねっ♪」
「その呼び名やめてよいい加減っ」
ドア越しに掛け合う、ちょっと可笑しな私達の会話。
辛さMAXでジュンの話し声にすらイラついていた1時間前が不思議と感じるくらい、今は全く嫌な気分にならないし寧ろ気持ちが安らいできた。
「確かに事務員さんではなくなったけど、俺にとってユウちゃんは昔と変わらず格好良くて『伝説のユウちゃん』だと思ってるよ」
「伝説の……だなんて、大袈裟なのよ昔っから」
やめてと言っているのにジュンはそのフレーズを良く口にする。
「大袈裟なんかじゃないよ。ユウちゃんは今でも頑張り屋さんで何でも1人で解決しようとするじゃないか。責任感も強くて1日仕事休んだくらいでものすごい罪悪感背負ってさぁ『どんなに辛くても痛くても取り敢えず車で店へ行く』なんて俺に言い放っただろ」
「……」
決してジュンは意地悪のつもりで「伝説」の渾名を用いている訳でない事を、私は理解している。
今だって冷静なトーンでジュンにそう言われ、私は黙ってしまった。
「いい?『伝説』って格好良いように感じるけど、その場から居なくなったり離職した人に対して他人が呼ぶ言葉だよ。
俺が敢えて今『伝説のユウちゃん』って言い方したか、理解出来てる?」
「……」
「つわり酷いなら運転したら危険だし、そもそも長時間の立ち仕事や接客はダメだよ。妊娠初期こそ自分の身体を労わってほしい」
「……」
「俺さぁ、心配で心配でたまらないんだよ。店は常に朝香ちゃんが居てくれるし商店街には親父やお袋、初恵さんも宗じいも健人も居る。サポートしてくれる人はいっぱい居てくれるけどさぁ、妻のユウちゃんが痛いの辛いの我慢して倒れでもしたらって考えたら気が気じゃないわけよ」
「……」
「繁忙期とか所長とか、仕事の状況を投げ打って駆けつけるつもりだよ?だけどすぐは出来ないんだよ。大切な命をすぐに救いに行けないの。夫なのに……お腹の子達の父親なのに」
「……」
「俺ね、ユウちゃんに敬意を表する意味で『伝説』って言っちゃうけどさぁ……逆にあんまり言わせないでほしいとも思うかな」
「……」
「『普通の』ユウちゃんでいいんだよ。頑張るユウちゃんも大好きだけど、頑張らないユウちゃんもいっぱいみたいし『普通』がいい」
「…………」
「ユウちゃんの拠り所になってる珈琲の仕事を取り上げるつもりはないよ……さっきは『仕事と家庭どっちが大事か』みたいな時代錯誤な質問してごめん。反省してます」
そしてやっぱりジュンは優しいし、私にないものをたくさん持ってる。
「……私も、意地を張ってごめんなさい。ジュンの言葉を遮るとか酷いことしたのも……反省してます」
わがままオバさんである事は自覚の上で、ジュンの提案に耳を塞いでしまった事を謝ったら、ドアの向こう側からジュンの安堵した吐息が私の耳に届いた。
「明日は土曜日なんだから店は朝香ちゃんと亮輔くんに任せよう。閉店時間に近くなったら車で一緒に様子見に行ってさぁ、4人で何か食べよう。
ユウちゃんに食欲あったら外食で、無かったら村川家で少しだけ食べて休憩しよう」
「うん……」
「土曜日は基本そうした方がいいよ特に亮輔くんは珈琲焙煎以外なら何でも出来る人だから。うちの会社が副業NGな所為で亮輔くんにバイト代を出せないのがユウちゃんにとって気になるポイントなんだろうけど、きっと朝香ちゃんが何かしら亮輔くんにしてあげるんじゃないかな」
「……うん」
軽くて不確かでもあるジュンの言葉なのに、何故か「そうだね」と頷きたい気持ちになる。
確かに朝香ちゃんなら私が支払うべきバイト代と同等かそれ以上の「ご褒美」を亮輔くんに与えてくれるだろう。POP作成や商店街のイベント手伝いでもそれを実感出来ていたから多分今回もそうなんだろうって。
「ユウちゃんには俺なんかよりも商店街の人達に好かれてるし支えてくれる人がたくさん居る。勿論俺だって出来る事は何でもする。
だから今は身体を一番に考えて、動ける時にちょこっと動いて、それからまた休もう。お腹の赤ちゃん達の為にも……さ」
ジュンはいつでも優しい。
妊娠初期の妻を労う夫としてはパーフェクトなんじゃないかと思うくらいの優しさだ。
「ちゃんと休むよ。赤ちゃん達の為にも」
私は納得する声を出して、下腹部に手を優しく添えた。
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