95 / 113
2月の陸橋
5
しおりを挟む仕方のない選択だったろうし、亮輔くんの判断は完全に間違ってはなかったのではないかと……また人が大勢吸い込まれていく駅方面を背中に感じながら私は思った。
「確かに、そのまま階段を通って駅に入ったところで逃げ切れるとは思えないよね」
「うん……皐月の体は棒切れみたいに細かったんだけど、亮輔くんと一緒にこの陸橋を走ったそうよ」
2月の寒い夕方に走ったであろう妹と亮輔くんの情景を思い浮かべ……私はジュンと一緒に陸橋の階段をゆっくりと上がっていった。
「亮輔くんは妹さんとバスに乗って……どこへ向かおうとしたのかな?」
ジュンは階段を上がり切ったところで私に問いかけ
「『私のところ』だって、亮輔くんは言ってた」
と、即答する。
「亮輔くんはユウちゃんの修行場所知ってたんだ?」
「知らなかったみたい。私が修行してるっていうのも、もっと専門的な技術職で珈琲豆の焙煎だなんて微塵も思ってなかったんじゃないかな」
「じゃあバスに乗って……妹さんにお姉さんの居場所を聞いてから、飛行機か新幹線を選んで乗せてあげたかったんだね」
「中学生だもん、単純で短絡的よね。
皐月は全身痣だらけだったから最初は私の修行場所まで行くのを嫌がったんだって。あの子もあの子で、自分の傷や痣を私に見せたくなかったのかも。
それでも亮輔くんの熱意に負けて、一緒にここを走ったみたい。私に痣を見られる怖さよりも、死ぬかもしれない自分の状況を救ってくれる若々しい気持ちが勝ったんだと私は思う」
陸橋の真ん中に差し掛かった時、それまでずっと私に引っ張られていたジュンが立ち止まった。
「ここまでに……しとこうよ」
私にそう呼びかけ、グイッと強く引っ張って足を止めようとしてきた。
「私は行きたいの。亮輔くんが切られた地点や、皐月が落ちた場所まで」
ジュンの方を振り向くと、彼は悲しそうな表情で私に首を横に振ってみせる。
「これ以上行ったらユウちゃん……妹さんみたいに落ちちゃうかもしれないし」
「……落ちないし、死ぬつもりもないよ」
真顔でジュンにそう言い返しても、ジュンは私をそれ以上行かそうとしてくれない。
「そのつもりがなくても俺が行かせたくない」
「なんで……?」
「ちょっと今、ユウちゃんの勇気が大き過ぎて怖いんだ」
ジュンは何を言っているんだろう?と不思議に感じた。
「だから……ここで続きを聞かせて」
けれど、きっとジュンは「私が昂ったテンションで何かをしでかすんじゃないか」という疑惑みたいなものを持って怖がっているんじゃないかと思い直す。
「分かった」
私は橋の手すりに体をくっつけ、そこから車が列をなして通って行くのを上から眺める事にした。
「ありがとう」
ジュンは優しく感謝の言葉を口にして、私と横並びになり同じように車を見下ろす。
「私達が立ってる場所を亮輔くんと皐月で通り過ぎた頃、医学部の彼が刃物を持って追い掛けてきた。一方的に別れを告げた皐月が許せなくて逆上して、亮輔くんもろとも傷つける気でいたのよ。
亮輔くんは皐月から先に下へと降りるように言って、亮輔くんも皐月に続いて階段を降りるつもりだったんだけど……亮輔くんの後頭部を鋭利な刃物が大きく掠めてって……亮輔くんはその場に崩れ落ちた。
皐月はその音や周囲の人間の悲鳴に驚いて、後ろを振り返ろうとして足を踏み外したの」
「亮輔くんの目の前で、妹さんは転落してしまったんだね……」
「そう。皐月が階段に頭や体を何度も打ちつけながら転がる音に怖気付いた医学部の彼は逃げて、『自分は無関係だ』と主張した。皐月の痣は転落のものではないとはっきり分かってたのにね」
「そういう事だったんだ……」
「ねぇジュン、清さんが贈ろうとしたお花の送り先って知ってる?」
その場からタワーマンションの方へ振り返りながら、私はそんな質問を投げかけてみた。
「ううん……知らない」
耳元でジュンの髪が揺れる音が聞こえ、背中が彼の体温で温められていくのを感じ
「それ、ほんと?」
「うん、本当だよ」
その上ジュンは私の頭を優しく抱き抱え、「いい子、いい子」と撫でてくれていた。
「田上くんくらいかな、知ってるのは」
「そうかもね。健人は旧姓を聞くまで気付かなかったんだから、きっともうあのタワーマンションにはもう住んでないんだと思うよ」
「それはどうだろう?立派なマンションだし、引っ越してない可能性もあるんじゃない?」
「大丈夫だよ、絶対引っ越してる」
「『絶対』だなんて、そんな事ある?単に私達が都合良くそう解釈したいだけでしょ?」
「都合かぁ……確かに『せめてそのくらいは変わってるといいな』って希望はあるよね」
「……希望?」
「そうそう。そんなとこ」
人目も憚らず背中から抱き締められているというのに、私はジュンがしてくれる行為の心地良さに酔いしれていて……
「ねぇジュン、もう少しだけ……私のそばにいてくれる?」
素直な欲求を彼に告げたのだった。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~
真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。
冷淡だった義兄に溺愛されて結婚するまでのお話
水瀬 立乃
恋愛
陽和(ひより)が16歳の時、シングルマザーの母親が玉の輿結婚をした。
相手の男性には陽和よりも6歳年上の兄・慶一(けいいち)と、3歳年下の妹・礼奈(れいな)がいた。
義理の兄妹との関係は良好だったが、事故で母親が他界すると2人に冷たく当たられるようになってしまう。
陽和は秘かに恋心を抱いていた慶一と関係を持つことになるが、彼は陽和に愛情がない様子で、彼女は叶わない初恋だと諦めていた。
しかしある日を境に素っ気なかった慶一の態度に変化が現れ始める。
麗しのラシェール
真弓りの
恋愛
「僕の麗しのラシェール、君は今日も綺麗だ」
わたくしの旦那様は今日も愛の言葉を投げかける。でも、その言葉は美しい姉に捧げられるものだと知っているの。
ねえ、わたくし、貴方の子供を授かったの。……喜んで、くれる?
これは、誤解が元ですれ違った夫婦のお話です。
…………………………………………………………………………………………
短いお話ですが、珍しく冒頭鬱展開ですので、読む方はお気をつけて。
とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる