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2月の陸橋
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しおりを挟む年甲斐も無くわあわあ泣いてしまったけれど、しばらくジュンに温かく抱き締めてもらったおかげで冷静さを取り戻す。
ジュンは私にいつものように笑顔で
「美味しいもの食べに行く?」
と車へと誘ってくれたんだけど
「今から電車に乗ってもいい?」
私はアーケードの向こうを指差しながら彼に提案した。
「えっ……だってユウちゃん、電車が」
ジュンは目を大きく開いて狼狽える。
「うん……田上くんが昼に言ってた通り、私はあの先生がかつてやってしまった事で電車に乗れなくなっていたの」
私はジュンが今頭に浮かべているであろう内容を正直に告げ、苦笑した。
「じゃあ……無理する事ないよ。よりにもよって、昼にあんな事があったすぐでなくても」
ジュンは底抜けに優しい。
私が今人生で指折りくらいの不幸に陥っていると予想した上で心配してくれているのだから。
「ううん、だからこそ電車に乗りたいしトラウマを克服しようかなって思って」
「ユウちゃん……」
私はジュンの温かな手をしっかりと握り
「ジュンと一緒なら何だって大丈夫だと信じてるんだ、私。
勇気が出なくて一度も行けなかった皐月の最期の場所を、今日なら見に行けそうな気がするから」
私と同じ高さに居てくれる彼の目を見据えて決心した。
(広島とはやっぱり違うなぁ……)
ジュンと一緒に列車に乗り込んですぐ、私は都会さながらの圧を感じた。
「久しぶりだから人に酔わないかな? 無理しなくていいからね」
今日は休前日。
時刻的にも酒酔いでホワホワと良い気分になっている会社員の波に私達は塗れる形となった。
「ありがとう、ジュン」
偶然にも私達は高身長の男性に囲まれ、更に圧迫を感じる……けれども、ジュンはジュンなりに私を守ろうと車内の壁に寄せてくれた。
「座らせられなくてごめん」
「気にしないで」
私は壁を背にし、ジュンは私と相対するよう車窓へ顔を向けたのは偶然だろうか……?
(これなら、そこまで怖くないかも)
10分後に車窓に映り込むであろう建物を直接見ずに済む事に感謝をした。
10分経って……
……私の視界の隅っこに、ターミナル駅の電子掲示が流れた。
「ねぇ、ジュン」
私は車窓を何げなく眺めている彼に小さく呼び掛け
「なぁに?」
「今、そこから陸橋とタワーマンションが見える?」
駅を降りた後も心が痛まないよう、準備の意味で彼にそれを質問した。
「うん……見えたね」
ジュンは何となくそれが何を意味するのか理解したようで、すぐに目線を私の方に向け優しく微笑みかける。
「どんな感じ?」
恐らく彼が見たのはこの地域で一番目立っていて大人気のタワーマンションだった筈だ。
「どんな感じって言われてもなぁ……普通の、どこにでもある感じじゃない?」
けれどもジュンはニコニコを崩さず「どこにでもある」という表現をしていた。
「そう? 普通??」
私は首を傾げ
「うん、普通だと思うよ。俺はね」
「……そう?」
「うん」
ジュンの反応がマジなのか私を想ってのものなのか分からず更に困惑したまま彼と駅に降り立つ羽目となった。
温かい手を握ったまま階段を昇降し、幾多ある人波を避けながら出口前に聳え立つ建物を自分の視界に入れたのだけれど……
「ユウちゃんはどう感じる?」
「……」
私はその場から1分少々動く事が出来なかった。
「怖い……かな?」
ジュンの問いに、私は首を左右に振って
「そんなに怖くは感じてない」
彼の言っていた感想の通りだ。と、私は安堵した息をつく。
(広島からこっちに来る時はあんなに怖く感じたのに……窓からこれと陸橋がチラッと見えた時は怖くて怖くて義郎さんの大きな体にしがみついたほどだったのに)
私の目の前に建つのは確かに、皐月の心身をボロボロに傷付けた男がかつて住んでいたタワーマンションで夜間だというのに下から突き上げるような灯りがビカビカとしていて妖しく輝いている……けれど、「妹を死に追いやった恐怖の象徴」とまでは感じなかった。
「陸橋まで……行ってみても、いい?」
私は胸の鼓動を激しく打たせながらジュンに訊くと
「いいよ。ユウちゃんに勇気が出たのなら」
ジュンはニコニコとした笑顔を向け、私と歩みを合わせてくれた。
「この陸橋の向こう側で、皐月は落ちたらしいの」
私は階段の前で足を止め、反対側の階段を見つめながらジュンに説明する。
「駅とは反対側へ行ったんだ?亮輔くんは」
ジュンも私と同じ方向へ目線を向けながら一つの疑問を投げかけると
「駅方面へ行ったらすぐに追いつかれるんじゃないかって恐怖が亮輔くんにあったみたい。
駅へはマンションのエントランスからほぼ直結で、さっきの長い階段を通らなきゃいけないでしょ? 美術部で鍛えていない中学生の細い脚で階段を昇降したって大学生に勝てないと思ったんだって」
「だからこっちの、あまり人の利用の少ない陸橋を使って?」
「そう。階段を上がりきった長い直線を全速力で走って、向こうにたまたま停まっていたバスに乗ろうと思ったって、亮輔くんは言ってたの」
私は数ヶ月前に聞いた亮輔くんの話を思い出しながら答えた。
「バスかぁ……中学生らしいっちゃらしいのかな」
「うん……まだ中学生だからね。でも、それが亮輔くんの精一杯だったんだと思う」
ジュンに説明すると同時に亮輔くんがとても悲しそうに申し訳なさそうに過去を語る様子が思い出される。
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