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2月の陸橋
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しおりを挟む「終わった……」
時刻は21時過ぎ。
締め作業をやり終え、一日の終わりに安堵の息をつく。
「私……ちゃんと出来ていたのかな。頑張れたかな」
ロッカーミラーに自分の顔を映しながら、お客様や朝香ちゃん達を心配させる事なく仕事が出来たかもう一度振り返ってみた。
「頰の筋肉が怠い……無理に笑い過ぎたのかも」
ミラーの前で自分の頬をグニグニと動かした後、スリスリ撫でて自分自身を労う。
「美味しいものを食べに行こうかなぁ……」
本音を言うなら、ジュンの明るい笑顔に癒されたい。ジュンのオススメ料理をお腹いっぱい頬張ってみたい。
「けど、今日は特に無理でしょ。なんたって清さんの退院祝いっていう大イベントやる日なんだから。家族水いらずで」
一瞬ジュンが明るく笑いかける姿を思い浮かべたのがまずかった。
「っ……」
私の頬に涙が何筋も伝う。
ジュンから直接話を聞いてないしメッセージも入っていないけれど、私は今夜彼に最も甘えてはいけないのだと気付き悲しくなった。
「ドライブ……してみようかな」
悲しみの底に沈んでしまわないよう、残った力を振り絞って言葉にしてみる。
(土曜日ジュンと行ったサービスエリアでなくてもいい。綺麗な夜景を観てボーっと過ごしてみよう……)
そう思い直して、ロッカーの扉を閉めてバックヤードを出ると
「ユウちゃん」
開け放っていた勝手口からジュンの声が聞こえた。
「えっ?」
目を見開く私に彼は
「入っても平気?」
と訊いてくる。
「何してんのジュン、あなた今日ご家族と水いらずの時間を過ごさなくちゃ」
「うちの従業員さん達に代わって、店の片付けしてたんださっきまで。
従業員さん達を親父の退院祝いに行かせてやんないといけなかったから」
ジュンは勝手口まで近付いた私の手を取り、グイッと引き寄せながら真っ直ぐ見つめてくる。
「何よ……だったらジュンも行かなきゃいけないでしょ? 清さんの息子なんだもの。
こんなところに寄ってる場合じゃない……」
「昼間のアレで親父、俺にも顔向け出来ないっぽい。俺もちょっと今親父の顔見てニコニコ退院祝い出来る気分じゃないし」
「でも大事な家族なんだから……血の繋がった親子なんだから、嫌でも一緒に居てあげなさいよ」
それでも強い口調で彼を突き放そうとしたら、それも遮られて
「大好きな人が泣きそうな顔してんのに行くわけねぇじゃん……」
ジュンは私を優しく抱き締めた。
「ジュン……」
「ユウちゃん、偉かったね」
ジュンは私の耳元で労いの囁きを施し、スリスリと頭を撫でる。
「何が偉いのよ。私は」
「だって、頑張ったじゃん。仕事も、お姉さんとしての振る舞いも」
さっき私が自分でやった頬への労いとそれとは、温かさの規模が違った。
「お姉さんとしての……振る舞い……」
「今まで……敢えてユウちゃんにこの話題を振らなかったけど、健人から聞いていたんだよ『脳内家族』のこと。
特に朝香ちゃんや亮輔くんに対して、ユウちゃんはずっと『お姉さん』でいたんでしょ?」
「……」
「そしてユウちゃんは、これからもずっとその関係で2人を見守りたい……大事にしたいって思ってる。そうだよね?
今日は特に辛かったでしょ? よく頑張ったと思うよ。ユウちゃんは」
まるで子どもをあやすようにゆっくりと撫でるジュンの手は、とても温かい。
「頑張ってないよ。あれからあんまりお客さん来なくて、むしろ私が居ない時間朝香ちゃんがいっぱい接客してたし」
「でも、その朝香ちゃんに辛い顔は見せなかったんでしょ?」
「ジュンは私の仕事っぷり見てない癖に。適当な事言わないでよ」
手だけじゃなくて、かけてくれる言葉も優しくて……すごくすごく温かくて
「見てなくても分かるよ。だって今のユウちゃん、めちゃくちゃ頑張った顔してるから」
温かすぎて……涙がとめどなく溢れる。
「私……ちゃんと出来てたかな?」
「大丈夫。心配しなくていいよ」
「本当に?」
「ほんと。だってユウちゃんは真面目で頑張り屋さんなの、ずっとずーっと前から知ってるから。
よく頑張ったねユウちゃん、いい子だよ」
私が彼に一番してもらいたかった事甘えたかった事を、ジュンはそのまま体現してくれていて……それがすごくすごく嬉しくて……
私は、駅で泣いた時よりも大きな声で……子どもみたいにわあわあ泣いた。
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