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12年の恋と良い子でいなきゃならない私
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しおりを挟む今夜ご馳走になったのは焼き鳥が人気という居酒屋……とは言っても、お互いノンアルコールビールを2杯ずつ飲んでお開きだ。
「まさか会社でも『ジュン』って呼ばれるようになっていたとはね……」
「そうそう。ユウちゃんが会社辞めてすぐくらいかなぁ~♪ 原田さんが急に俺を『ジュンくん』って呼ぶようになったんだよ」
「えっ? 原田さんが?」
今日は主に会社のメンバーの話を私が聞く形となった。
そして今、居酒屋を出たところで私のかつての先輩の名前が出て来てより懐かしさをおぼえる。
「そう。俺さぁ、意識してないんだけど仕事にグーッと集中してる時と普段の時とで声の高さやテンションが違うみたいなんだよね」
「まあ、昔から貴方はそうよね」
(無意識だったのね……営業マンとしての態度とチャラ男としての態度がまるで違っていた事……)
「社内……特に第一営業所の中でさぁ、『普段のテンションに名前かなんか付けときたいよね』って意見になってたみたいなんだよね~。
それで、原田さんが『純仁の純の字を取ってジュンって呼んじゃおう』って言ってさぁ~、そっから俺の別名はジュンな訳よ」
「なるほどね。呼びやすいもんね、『ジュン』って」
しかも「ジュン」の呼び名の由来が「商店街の皆さんが呼んでいるから」ではない事も面白い。
「そうなんだよねー! 『ジュン』ってさぁ、めちゃくちゃ呼びやすいみたい。
それきっかけで先輩後輩からも『ジュン』って呼ばれるようになったんだよ」
「後輩もなんだ?」
「そうそう。広瀬っていう28歳の後輩がいるんだけどね業務部に。ソイツも俺を『ジュン先輩』って呼んでる」
「業務部って……思いっきり他部署じゃない。第一営業所ですらないし」
「まぁ、俺が広瀬と仲良くてちょいちょい遊んでるからなんだけどね」
「へぇ~」
「本社で『ジュン』呼びするのは、今のところ広瀬と高橋さんかなぁ」
「高橋総務部長かぁ……確かに呼びそうな感じよね。逆に逢坂業務部長は呼ばなさそう」
「うんうん♪ ご名答だよユウちゃん♡」
「高橋総務部長はやわらかな物腰でフレンドリーな感じだけど、逢坂業務部長はキリッとしてかっこいい感じだから」
会社を辞めて既に7年経過しているのだから、私の知っている人が何人程度役員に残っているか分からない。
だから、今ジュンの口から出た部署の部長2名の特徴を思い出しながら予想してみたんだけど当たっていたようで嬉しくなる。
(コネ入社だったし5年半しか在籍してなかったけど、なんだかんだいって私もあの会社が好きだったんだろうなぁ)
あの会社に入ったのは、夜の仕事のみに徹していた私の社会的地位の向上と皐月との将来の為に資金を稼ぐ事が理由だった。
けれども会社の面々は皆優しく温かくて居心地が良いものでもあったのだ。
「ユウちゃんはさぁ……会社員時代、楽しかった?」
「えっ?」
マンションのエントランス前に辿り着いたところで、ジュンは私の顔を見つめながらそんな質問を投げかける。
「ユウちゃんの顔、今すっごくイイ顔してるから。懐かしそうっていうか……なんか嬉しそうっていうか……そんな風に見えたから。今」
「そう……?」
「うん」
また、エントランスの灯りにジュンの綺麗な顔が照らされる。
「楽しかったか……どうかは」
「……」
「どうかしらね…………私は、会社員よりも珈琲の仕事に携わりたかったし」
けれど私は、その綺麗な顔から目を背ける。
(ダメだ……「懐かしい」と思っても「楽しい」とか思ってはいけなかったんだ……私)
私は思い出した。
私は7年前に棄てたあの日々を「楽しい」と思ってはならなかったのだと。
「そっか……」
「うん」
もし、「楽しい」と感じてしまったのならば……
「私はあの時、ちゃんとした『夢』があっ
たんだもの」
目の前の、この人とのキスを肯定する事に繋がるから。
「……だよね! ユウちゃんにとっては『今』が、夢を叶えたって事になるんだもんね♪」
「うん」
今度は私が首を垂れる。
「だよね!」
地面に目線を移した私の耳に、ジュンの明るい声が響いて、大きな手のひらがポンと私の垂れた頭を温める。
「うん……でも、懐かしかったのは事実よ。ジュンの話は聞いてて嫌じゃなかったし」
「分かるよ」
彼の声が、一瞬、低くて落ち着いたトーンに変わって
「ユウちゃんの表情、今日は特に良かったから♡ 俺はすげー楽しかった♪」
ポンポンと優しく軽く、私の頭を叩き、声をチャラ男っぽく戻した。
「ジュン……」
見上げると、満面の笑みでいる彼の綺麗な顔が視界に入って
「明日は木曜日だよね♡ 集会の日だから、昼にもユウちゃんに会える♪」
「……」
「すっげー嬉しいよ♡ 私服のユウちゃんもいいけど、珈琲店で働いてる雰囲気を出すユウちゃんは最高にかっこよくて集会ではそれが見れちゃうからねー♡♡♡」
声はチャラいのに、その顔はとても眩しく見える。
「そうね……でも、私は集会の10分が過ぎたらすぐに店に戻るんだから。ジュンと喋ってる暇なんかないんだから」
私には敵わなくて、もったいないとすら感じる。
「分かってるよそんなの~♪ それでもさぁ、手くらいはフリフリし合おうね! こう……ヒラヒラ~って♪」
「手かぁ……」
「いいじゃん♪ そのくらいなら♪ 健人だけじゃなくて商店街のみんなからは俺とユウちゃんが会社の元同僚って事くらいは認知されてるんだからさっ♡」
「まぁ……そのくらいならしてもいいわよ。私が振り返すかどうかはわかんないけど」
だから余計に、素っ気ない言葉を口から出してしまって不安な気持ちになって
「もぉ~ユウちゃんったら♪」
「……」
「そんなところも好きだよ♡」
ジュンの機嫌を損ねてないと知り、ホッとする。
「じゃあまた明日ね♡ ユウちゃん♡」
「うん……イヤリングに焼き鳥、ありがとう」
「どう致しまして♡ バイバイ♡」
「うん……また、明日」
ジュンとエントランス前で別れ……自分の部屋に帰宅をして「意気地なし」と己を罵った。
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