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13年目の「好き」
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しおりを挟む「精が出るね~!遠野っ♪」
9時15分。
いつもより早い時間に田上くんは勝手口を開け、焙煎室でピッキング作業中の私に話しかけてきた。
「『精が出る』なんて言葉、久しぶりに聞いた」
「なんだよー、俺がおっさんだって言うわけ?」
田上くんが何故いつもより早く私に声を掛けてきたのか、私はちゃんと理解していたので
「ちょっと待っててね。お財布取ってくるから」
バックヤードへサッと移動した。
「値段はいつもと同じ600円だよ」
「今回も安くしてくれてありがとうね」
「どう致しまして」
壁越しでも田上くんと定例的な会話を交わして
「はい、600円」
「まいどあり♪」
数十秒後にこうして店内で600円と小菊の花束を交換をしていると「明日が皐月の月命日なんだなぁ」という事をしみじみ感じる。
「明日も天気が良いみたいだね。朝もそんなに寒くないってさ」
「そうなんだ……」
「でも来月入ったら急に気温下がるって。朝香ちゃん達は熱海に温泉旅行だったっけ? 寒い都心から離れておいて正解かもね!」
「そうね……良い誕生日旅行になるといいわね」
「なんで来週末に朝香ちゃんカップルが温泉旅行へ出掛ける事を知ってるんだろう?」なんて疑問が浮かんだのだけれど「どうせ一昨日亮輔くんにカラブランカを配達した時にでも世間話的な会話を交わしたのだろう」と自己解決させた。
毎月22日は亮輔くんが皐月の墓参りをして、24日の月命日に私が墓参りをする。
従って田上くんは21日に亮輔くんと、23日に私と客商売をしているのだからその程度の情報共有くらいされていて当然なのだ。
「ところで遠野は昨日結局『おひとり様DVD鑑賞』とやらが出来たわけ?」
「へ? ……って、えっ……それは」
そして「日曜日は1人DVD鑑賞するから100gの豆を一気に挽いた」と朝香ちゃんについた嘘まで田上くんに知られていたようで、私は額から汗をタラリと流す。
「その感じだと叶わなかった感じだ♪」
「……」
「それもその筈だよね~♪ 昨夜ジュンくんからメッセージ来たもん『ユウちゃん、めちゃくちゃ可愛かった』って」
「……」
「いつの間に『ユウちゃん』なんてニックネームで呼ばせる仲になってんのさ? ジュンくんに『めちゃくちゃ可愛い』なんて言わせるような楽しい事までしちゃってさぁ♡」
さっき自分で「おっさん扱いするな」というニュアンスの言葉をぼやいていたのに、結局はおっさんみたいな思考で私を小突くのだから手に負えない。
「…………」
「俺の前では『穂高純仁はチャラ男』とか言ってジュンくんをウザがっていたっていうのに」
無言で明後日の方向へ目線を動かしている私を、彼は盛大に揶揄いたいようだ。
「ニックネームは穂高くんが勝手に呼んだのよっ! 私はただ容認しただけっ」
無言でいても意味をなさないと諦めた私は仕方なく小菊の花束を焙煎室の片隅に立てかけ、小さなバケツに水を汲みながら彼の揶揄いを潰しにかかる。
「容認しただけぇ~? マジで~?」
「マジよ。あと、穂高くんがどんなテンションで田上くんにメッセージ送ったのかは知らないけど、田上くんが妄想するような展開は全く起こってないのっ!」
「でもさぁジュンくんの部屋に行ったんでしょ? 『いっぱいユウちゃんの話聞けて楽しかった』って言ってたけど」
(もうっ……穂高くんも穂高くんよっ! なんで田上くんに何でも話しちゃうのよっ)
田上くんにもイラっとくるけれど穂高くんの口の軽さにもムカついてくる。
「あれはねっ! 要するに仕事っ!!
穂高くんに出張を頼まれたから珈琲屋さんの仕事をしたまでなの」
「えっ? そういう事なの?」
「コーヒーを提供する繋ぎの時間に身の上話をしたっていう、それだけの事よ。
穂高くんが私をめちゃくちゃ可愛かったと評したのは勝手だけど、実際は田上くんが期待するような事は全くなかったんだから! 勘違いしないでよね」
「なんだぁ~」
私の解答とも呼べる返事に、田上くんはカウンター席に腰掛けながらため息をつく。
「っていうか、ちょっと考えたら分かるでしょ。私は他の誰かと何かしらの関係を築く気はないの、田上くんは知ってるじゃない」
田上くんの着席を合図に私はポテトサラダとコーヒーの用意を始めた。
「そうだけどさぁ」
「だからこそ私は『脳内家族』を楽しんでるんだし、それを崩すつもりも壊す気もない」
「恋くらい、すれば良いのに」
「嫌よ。『脳内』の邪魔になるもの」
「……邪魔になるんだ?」
「なるでしょ。当然」
「……」
私の「当然」に田上くんはまたため息をついて
「ジュンくんなら……遠野の色んな部分を理解してくれそうな雰囲気あるんだけどなぁ」
というお節介をぼやく。
「……」
私は、そのぼやきを右から左に受け流しつつも……
ーーー
『ユウちゃんの事をもっともっとたくさん知りたい』
ーーー
昨日私にそう言った穂高くんの表情を思い出していた。
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