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10月18日
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[ちなみにさっきの『モテてはない』も嘘じゃないです]
そして彼はスマホの向こうで呟いた私の言葉を汲む返事をする。
[じゃあ、貴方はこの7年恋人は居なかったの? 結婚してないって言ったけど今してないだけであって離婚歴はあるんじゃない?]
[ないよ。離婚歴なんかあったら親父もお袋も黙ってないよ。噂は遠野さんの耳にすぐ入った筈だよ]
[誰かとの、キスも?デートもない?]
[確かにそれは……]
[やっぱり居たんじゃない。彼女。嘘つき]
[確かにデートはしたんだよ。恋人になるとかそういうのじゃなくて]
[どんなデート?]
[夏の終わり頃に、花火デート]
[ほらやっぱり]
「穂高くんみたいな人、彼女居ない方がおかしいでしょ」
スマホを眺め続けているのに疲れて、私はテレビのリモコンに持ち替える。
「そういえば気になってた深夜ドラマがあったんだっけ……」
リモコンの電源ボタンを押した直後、画面に好みの俳優が現れて私は秋ドラマスタート時期であった事を思い出した。
「声がいいのよね、この人」
穂高くんとは真逆の低音ボイスで声質そのものに温かみがある、名も知らない脇役俳優。
「朝香ちゃんは『声が良いのは分かるけど顔がおじさん過ぎる』っていうのよね。確かに主演を張るタイプではないのよねぇ……」
私は頬杖をつきながら画面を見つめ続けていたのだけれど
「なんだぁ、もう2話になっちゃってる。気付くの遅かったかぁ……」
オープニングテーマ曲と共に表示された「第2話」の文字に、私は肩を落とした。
「完全に乗り遅れちゃった……初回の話を確認出来ない」
ドラマ初回の見逃し配信も終わっちゃってるし、この第2話だって落胆してるこの瞬間にも私を置き去りにしてストーリーがどんどん進んでいく。
「朝香ちゃん、初回放送消してないといいんだけどな」
朝香ちゃんはドラマを観るのが大好きで、初回を観てから視聴を続けるか決めるタイプの子だからもしかしたら残してくれてるかもしれない。
「訊いてみようかなぁ、今」
同棲してる亮輔くんのラブラブ時間を邪魔するのはどうかと思いつつ、さっきテーブルの上に投げ置いたスマホをまた手に取ってロックを解除する。
「…………既読付けてないんだから連投するのやめてほしいのに」
ため息混じりに呟きながらも、そこに表示された穂高くんからのメッセージにまた目を奪われる。
[でもそれは遠野さんが辞めちゃって遠いところへ行っちゃったから]
[遠野さんが居ない日々が、辛くて辛くて]
[会社の人達みんな、社長に訊いても遠野さんがどこへ行ってしまったのかを知らないみたいだったし]
画面には、穂高くんからの言い訳で埋め尽くされていた。
ズラズラと並べられた文字列からさっきの3件をサラッと読み拾い
[誰にも話してなかったから]
と文字を打つ。
[それって、第一の所長にも?原田さんにも?]
「第一」とは私がかつて在籍していた「関東第一営業所」の事で、「原田さん」とは同じく関東第一営業所で営業事務を務めているベテランだ。懐かしいワードが穂高くんからポンポン出てきたので複雑な心境に陥る。
[勿論。一応、社長と所長には入社してすぐに「5年しか働きません」とは説明してはいたんだけどね]
[入社してすぐ?]
[そう。珈琲店を開く事が私の夢だったから]
だけど、今この場で感情に流されている場合じゃない。当時の私には夢があったのだから。
[そうだったんだ。知らなかった]
[だって本当に、誰にも話した事なかったんだもの]
[それで、お店出したんだ。すごいね]
[両親は事故で死んじゃってたし、私が入社した頃妹はまだ中学生だったから大学まできちんと出してあげなきゃって]
[そっか、そういえば「妹が居る」って言ってたもんね遠野さん]
[妹と一緒に両親の好きだった珈琲のお店がやりたくて。それが夢だったから]
[夢、叶ったんだね。それで妹の朝香ちゃんとお店してるんだ。おめでとう]
「……」
一瞬、皐月の笑う顔を思い出し
[叶わなかったよ]
と、送信した。
[え?]
穂高くんが驚くのも無理はないだろう。私が商店街の中で「朝香ちゃんは妹で亮輔くんは弟」という発言を繰り返しているから、そのように感じてしまっている人も今や少なくはない。
[妹も亡くなったから]
[朝香ちゃんが妹さんじゃないの?]
[朝香ちゃんは修行先の娘さん。血縁でもない、ただの他人です]
朝香ちゃんのご両親と私の父は大学時代の友人で、私達がこっちに引っ越してからも唯一連絡を取り合っていた。
私達家族が好んで飲んでいた珈琲は厳密にいうと朝香ちゃんのお母さんが焙煎した珈琲豆で、私がわざわざ遠方へ出向いて修行したのはその味になるべく近付きたいという思いがあったからだった。
[じゃあ、妹さんも事故で……?]
という穂高くんの質問に私は
[事故]
の2文字を送信した直後
[という事になってる」
とまた送信した。
[どういう意味?]
[これ以上は教えたくない]
相手に興味を引かせる表現をしておきながら「教えない」とする自分はズルイと思う。
穂高くんは皐月の死に関係ない赤の他人なんだから「事故」と言ってしまっても良かった。
警察から最終的に判断されたのも「事故」だったんだし。
[ご家族の事だからこそ他人の俺に言いたくない内容もあるよね。ごめんなさいしつこく訊いちゃって]
穂高くんはそれ以上詮索することはなかった。
「穂高くんはちっとも悪くないのに、謝られちゃった」
テレビの画面に再び目を向けるとエンディングテロップが曲と共に流れていて、時間の経過を感じさせた。
「0時か……」
今年も10月18日が終わってしまった。と、切ない気持ちに浸る。
そして彼はスマホの向こうで呟いた私の言葉を汲む返事をする。
[じゃあ、貴方はこの7年恋人は居なかったの? 結婚してないって言ったけど今してないだけであって離婚歴はあるんじゃない?]
[ないよ。離婚歴なんかあったら親父もお袋も黙ってないよ。噂は遠野さんの耳にすぐ入った筈だよ]
[誰かとの、キスも?デートもない?]
[確かにそれは……]
[やっぱり居たんじゃない。彼女。嘘つき]
[確かにデートはしたんだよ。恋人になるとかそういうのじゃなくて]
[どんなデート?]
[夏の終わり頃に、花火デート]
[ほらやっぱり]
「穂高くんみたいな人、彼女居ない方がおかしいでしょ」
スマホを眺め続けているのに疲れて、私はテレビのリモコンに持ち替える。
「そういえば気になってた深夜ドラマがあったんだっけ……」
リモコンの電源ボタンを押した直後、画面に好みの俳優が現れて私は秋ドラマスタート時期であった事を思い出した。
「声がいいのよね、この人」
穂高くんとは真逆の低音ボイスで声質そのものに温かみがある、名も知らない脇役俳優。
「朝香ちゃんは『声が良いのは分かるけど顔がおじさん過ぎる』っていうのよね。確かに主演を張るタイプではないのよねぇ……」
私は頬杖をつきながら画面を見つめ続けていたのだけれど
「なんだぁ、もう2話になっちゃってる。気付くの遅かったかぁ……」
オープニングテーマ曲と共に表示された「第2話」の文字に、私は肩を落とした。
「完全に乗り遅れちゃった……初回の話を確認出来ない」
ドラマ初回の見逃し配信も終わっちゃってるし、この第2話だって落胆してるこの瞬間にも私を置き去りにしてストーリーがどんどん進んでいく。
「朝香ちゃん、初回放送消してないといいんだけどな」
朝香ちゃんはドラマを観るのが大好きで、初回を観てから視聴を続けるか決めるタイプの子だからもしかしたら残してくれてるかもしれない。
「訊いてみようかなぁ、今」
同棲してる亮輔くんのラブラブ時間を邪魔するのはどうかと思いつつ、さっきテーブルの上に投げ置いたスマホをまた手に取ってロックを解除する。
「…………既読付けてないんだから連投するのやめてほしいのに」
ため息混じりに呟きながらも、そこに表示された穂高くんからのメッセージにまた目を奪われる。
[でもそれは遠野さんが辞めちゃって遠いところへ行っちゃったから]
[遠野さんが居ない日々が、辛くて辛くて]
[会社の人達みんな、社長に訊いても遠野さんがどこへ行ってしまったのかを知らないみたいだったし]
画面には、穂高くんからの言い訳で埋め尽くされていた。
ズラズラと並べられた文字列からさっきの3件をサラッと読み拾い
[誰にも話してなかったから]
と文字を打つ。
[それって、第一の所長にも?原田さんにも?]
「第一」とは私がかつて在籍していた「関東第一営業所」の事で、「原田さん」とは同じく関東第一営業所で営業事務を務めているベテランだ。懐かしいワードが穂高くんからポンポン出てきたので複雑な心境に陥る。
[勿論。一応、社長と所長には入社してすぐに「5年しか働きません」とは説明してはいたんだけどね]
[入社してすぐ?]
[そう。珈琲店を開く事が私の夢だったから]
だけど、今この場で感情に流されている場合じゃない。当時の私には夢があったのだから。
[そうだったんだ。知らなかった]
[だって本当に、誰にも話した事なかったんだもの]
[それで、お店出したんだ。すごいね]
[両親は事故で死んじゃってたし、私が入社した頃妹はまだ中学生だったから大学まできちんと出してあげなきゃって]
[そっか、そういえば「妹が居る」って言ってたもんね遠野さん]
[妹と一緒に両親の好きだった珈琲のお店がやりたくて。それが夢だったから]
[夢、叶ったんだね。それで妹の朝香ちゃんとお店してるんだ。おめでとう]
「……」
一瞬、皐月の笑う顔を思い出し
[叶わなかったよ]
と、送信した。
[え?]
穂高くんが驚くのも無理はないだろう。私が商店街の中で「朝香ちゃんは妹で亮輔くんは弟」という発言を繰り返しているから、そのように感じてしまっている人も今や少なくはない。
[妹も亡くなったから]
[朝香ちゃんが妹さんじゃないの?]
[朝香ちゃんは修行先の娘さん。血縁でもない、ただの他人です]
朝香ちゃんのご両親と私の父は大学時代の友人で、私達がこっちに引っ越してからも唯一連絡を取り合っていた。
私達家族が好んで飲んでいた珈琲は厳密にいうと朝香ちゃんのお母さんが焙煎した珈琲豆で、私がわざわざ遠方へ出向いて修行したのはその味になるべく近付きたいという思いがあったからだった。
[じゃあ、妹さんも事故で……?]
という穂高くんの質問に私は
[事故]
の2文字を送信した直後
[という事になってる」
とまた送信した。
[どういう意味?]
[これ以上は教えたくない]
相手に興味を引かせる表現をしておきながら「教えない」とする自分はズルイと思う。
穂高くんは皐月の死に関係ない赤の他人なんだから「事故」と言ってしまっても良かった。
警察から最終的に判断されたのも「事故」だったんだし。
[ご家族の事だからこそ他人の俺に言いたくない内容もあるよね。ごめんなさいしつこく訊いちゃって]
穂高くんはそれ以上詮索することはなかった。
「穂高くんはちっとも悪くないのに、謝られちゃった」
テレビの画面に再び目を向けるとエンディングテロップが曲と共に流れていて、時間の経過を感じさせた。
「0時か……」
今年も10月18日が終わってしまった。と、切ない気持ちに浸る。
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