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10月18日
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しおりを挟むその日の閉店時間直後。私がいつものように焙煎室の掃除をしていると、ポケットに突っ込んだままになっていたスマホが震えた。
「えー……なんなのよもう。スマホ震えるの、これで何回目?」
いつもならスマホは休憩中に持ち出すくらいで、勤務に入る直前に鞄の中に戻しておく。
飲食を扱う者接客業をする者としての最低限の常識だと私は考えているから。
(突然の再会でうろたえ過ぎたのよ、私。
集会直後に穂高くんから連絡先の交換をねだられて、メッセージアプリのアカウント交換も押し切られちゃって……。
めちゃくちゃ動揺してて、勤務に入る時に鞄の中に戻し忘れてポケットにスマホ入れたまま午後も働いてて……それで締め作業を朝香ちゃんと始める時間まで気がつかなかったというか)
私は掃除用具を片付けながら、頭の中で必死に言い訳文を構築していた。
(朝香ちゃんが明るく笑顔で締め作業してるっていうのに、師匠の私がポケットのスマホを取り出すなんて常識外れな行動を取りたくなかったし。
20時過ぎに亮輔くんが朝香ちゃんを迎えにきてくれた時もスマホのバイブがうるさかったけど表情に出さないようにと我慢していたし……朝香ちゃんと亮輔くんを見送ってすぐにスマホぶん投げたかったけど、掃除をキチンと済ませる方が大事で早く終わらせてしまいたかったし)
「っていうか、メッセージアプリって、メッセージ受信するたびにブーブー震えるの? ウザいんだけど!」
ようやくポケットからスマホを取り出し、「穂高純仁」のアカウント名からのメッセージが5件立て続けに届いている事実にイラッとする私。
[あのさ]
21時04分
自分が最高潮にイラついている事を相手に文字で訴える事にした。
[お宅のパン屋さんは閉店時間ぴったりに帰宅出来るもんなの? 普通は次の日の準備をしたり、掃除したり出納管理したりだとか……やる事山程あるでしょう?]
かつて私と一緒に仕事をした事がある彼ならば、この文字の感じで苛立ちの空気を感じ取ってくれるだろう。
彼はノリが軽くてもその辺に関しては空気を読む営業マンだったのだから。
[あー♡ 良かった♡]
[無視されたかと思った]
私の返事に「穂高純仁」はお気楽なメッセージがを寄越してきたんだけど
[でも遠野さんを怒らせちゃったね。ごめんなさい]
私の予想通り、すぐに察して謝りのメッセージを送ってきた。
[19時半が閉店時間だって聞いてて、純粋に]
[ピュアな気持ちで]
[お仕事終わったかな? お疲れ様ーってメッセージを送りたかっただけだったんで]
ただ純粋にうちの店の閉店時間が過ぎたから連絡を入れてみただけだ。という弁解とも取れるメッセージがその後も単発的にポンポンと受信されていく。
「ふぅ……」
私は断続的にブルブル震えるスマホにため息をつきながら
[今、掃除が終わったところなの。今からまだまだやる事があるから、終わったらこちらからメッセージ送ります]
そう、文字を打って送信マークをタップした。
[分かった]
[ありがとう]
間髪入れずに2つメッセージが受信された後……
「……」
そこから2分経っても3分経ってもスマホは静かに大人しくしてくれていたから
「ようやく……締め作業に専念出来るっ!」
私は口角を上げてスマホを鞄の中に突っ込み会計作業を冷静な頭で始める事が出来た。
照明を落として鍵をかけたら、店の裏手にある月極駐車場へと向かう。
「疲れた……」
仕事もだし、無理矢理削られた昼休憩の事も、パン屋のジュン坊とやらに商品のパンを紙袋いっぱい持たされた事も、さっきの単発的かつ断続的なメッセージ受信の事も……全て私を疲弊させていた。
「パン、朝香ちゃん達にお裾分けしてもまだこんなに残ってるし。っていうか、『タカパン』なら昨日の昼にランチで食べたし明日は集会があるからまた買いに行って食べなきゃならないっていうのに」
『タカパン』は美味しいし嫌いではないのだけれど、昨日の昼に食べて、また帰って今晩の夕食として今から食べて、残りは冷凍して翌朝に食べて、そしてまた明日の昼過ぎに買いにいって食べなきゃならないって思うとため息が追い付かない。
「それになんなのよ、ジュン坊って! 穂高くんの下の名前は『スミヒト』じゃなかったっけ?」
車に乗り込みながら、1番引っかかっていた内容を声に出してみる。
「穂高……すみ、ひと…………」
彼は、私が社長のコネで滑り込み入社した会社の同期だった。
人生をリセットするつもりで恋も会社も辞めて7年が経過したというのに、「スミヒト」という珍しい名前とノリの軽いキャラクター性は未だに私の記憶の奥底にこびり付いたままでいる。
商店街の皆が口を揃えて言う「ジュン坊」は、小さい頃から明るく元気でとても素直な男の子。
パン屋のご主人である清さんも、奥さんの美智代さんも『出来が悪くてなかなか帰って来ないバカ息子だ』と嬉しそうな表情で私に話してくれていたから……てっきり初恵さんの息子さんみたいにここから離れた遠くの土地で仕事をして暮らしている人なんだと私は勝手に想像していた。
「それがまさか、私の知ってる人物だったなんて……」
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