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第一章 見習い聖女編

第八話 スレインvsグリッセン

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 中庭の広場、二人の少年が向かい合っていた。

「謝るなら今のうちだぞ、次期侯爵様」

 重そうな木剣を軽々と振りながら、グリッセンが言った。

 必要以上に剣を振るのは、威嚇の意味もあるのだろう。
 木剣を振るたびにブオンブオンと大きな風切り音が鳴る。

 どうやら大人と互角以上に渡り合えると言うのは嘘じゃなさそうだ。

「謝るのは君だよ、聖騎士候補君。まぁ僕に謝っても許してあげないけどね。そうだな。僕が勝ったらエレーナ様に謝罪をしてもらおうかな」

 少年の素振りを見ても、スレインはまだ強気だった。

 この木剣は、家令のフィリップがどこからか持ってきたものだ。

 スレインは握りを確認するくらいで、むやみに木剣を振ったりしなかった。

 二人の間にピリピリとした空気が張り詰める。

 誰も止めようとはしなかった。
 エレーナも止めなかった。
 シスター・クレアに止めないほうがいいと言われたのだ。

 曰く、これは男同士のプライドをかけた戦いだと。

 今止めてもどこか知らないところでぶつかるかもしれない。
 直接ぶつからないにしても、今回の遺恨はお互いの中でくすぶり続ける。
 それがさらなる大きな問題に発展しないとは限らない。

 それならば大勢が見守る中、決着をつけた方がいい。
 幸いサイモン教皇は治癒の魔法が使えるので、よほどのことがない限り大事には至らないだろう、とのことだ。

(こんな状況で、ハラハラしながら見守っていることしかできないなんて……)

 エレーナは、そんな自分がもどかしかった。


「じゃあ俺が勝ったら、聖女様とやらの護衛役を辞退させてもらおうか。加えてあんたには土下座してもらおう。『グリッセン様、失礼なこと言って申し訳ありませんでした』とな」

 グリッセンには勝つ自信があった。

 こんな簡単なことで高位貴族の子息に謝罪をさせることができるなんて、夢のような話だった。
 男爵位の三男坊が侯爵位の次期当主に土下座させるなんて、一生自慢できるに違いない。

「いいだろう」

 平然と言い放つスレインに、グリッセンは動揺を隠せない。

「い、いいのかよ? 俺なんかに土下座することになるんだぞ?」

「ならないよ。どうせ僕が勝つ」

「……すごい自信だな」

「事実だからね。あと言っておくけど、君が負けた後に僕を恨むのはお門違いだよ? 恨むなら多少腕が立つくらいで調子に乗った自分自身を恨むんだね」

「多少腕が立つくらい、か……。ふざけやがって」

「ふざけてないさ。君みたいなのをなんて言うか知ってるかい? 身の程知らずとか、お山の大将って言うんだよ?」

「……まるで自分が勝つことが当然のように言うんだな」

「勝つさ。見たところ君の剣は実践レベルではない」

「ほう? 自分が実践レベルだと?」

「少なくとも君よりは」

「そうか、じゃあ手加減はいらないな」

 グリッセンは構えたかと思うと、間髪入れず斬りかかり戦闘がはじま……らなかった。

「ちょっと待った」

 まさかの「待った」だった。
 言ったのはスレイン本人だ。

「どうした、いまさら怖気付いたのか?」

 グリッセンの挑発を無視して、スレインはエレーナの方に歩いてきた。

(え? なに? どうなってるだ?)

「教皇猊下。よろしいですか?」

 スレインはサイモンに許可を求めると、エレーナの前に跪く。
 スレインの行動にエレーナは混乱した。

(え? え? え?)

 エレーナの頭は?マークでいっぱいだ。

「聖女様、どうかスレインに祝福をお与えください」

 サイモンが言った。

「へ? へ? しゅ、祝福? 祝福ってどうやったらいいだ?」

「聖女様はこの試合、どちらに勝って欲しいですかの?」

「そりゃスレイン義兄様ですだ。んだども……」

「ではそのように祈ってください。その祈りがスレインの祝福となり、力となりますですじゃ」

 どうやらエレーナの祈りが勝敗を左右するらしい。

 真偽のほどは定かではないが、今はどんな手を使ってでもスレインに勝って欲しかった。
 そして願わくば、あの生意気な少年にギャフンと言わせて欲しい。

 エレーナは両手を胸の前で組んで、祈りを捧げた。

「どうか、どうか、スレインお義兄様が勝ちますように……」

 するとどうしたことか。
 何かしらの力が目の前に跪く少年――スレインに流れ込むではないか。

 大気中の何かが、ゆっくりとスレインの周囲に集まり、ヒュンヒュンと吸い込まれるようにスレインの身体へ入っていくのがわかった。

 スレインは立ち上がり、じっと自分の右手を見つめた。

「……すごいな。これは想像以上だ」

 スレインの身体がうっすら光を帯びているのは気のせいだろうか。

 対してグリッセンの方は首を傾げている。

 素振りをする木剣の勢いが急に弱くなった?

「さぁ始めようか。まさか、いまさら怖気付いてないよね?」

 先ほどの挑発をスレインが返しながら、片手で剣を構えた。

「ぬかせ!」

 グリッセンが叫び、両手で剣を握り締め大きく踏み出した。

「《アースバインド》」

 スレインが呟くと同時に、グリッセンの足元が盛り上がる。

「なっ!?」

 一瞬だった。

 グリッセンの下半身を隆起した土が拘束する。

「シッ!」

 スレインが一気に間合いを詰める。

 カンッ!

 グリッセンの木剣が弾け飛んだ。

「僕の勝ちだね」

 相手の首元に木剣を突きつけて、スレインが静かに言った。

 宙を舞っていた木剣が地面に落ちる。

「ひ、卑怯だぞ! 剣の試合で魔法を使うなんて!」

「卑怯? 君は戦場で魔法を使う相手にも、そうやって言うのかい?」

「それは……」

「これは剣のみの立ち合いだと言うのは君の勝手な思い込みだ。その思い込みのせいで君は命を落としたことになる。よかったね、これが実戦じゃなくて」

「くそ、くそ、くそっ! 剣だけなら、純粋な剣の試合なら……」

「実戦なら君はもう死んでるわけだけど、どうやら納得してないみたいだね。では君の言う通り、剣だけで戦ってあげよう。もちろん君はどんな手を使っても構わないよ?」

 グリッセンを捉えていた土の塊は音もなく消え去った。

「クソッ!」

 落ちた剣を拾いグリッセンが襲いかかる。

「う、うぉぉぉぉぉっ!」

「遅いなぁ」



 それから二人戦った。
 何度も何度も何度も。

 宣言通り、スレインは魔法を使わなかった。

 にもかかわらず、グリッセンは一度もスレインに勝つことはなかった。

 獣のような咆哮を上げ、全身で襲いかかるグリッセン。
 片手に持った剣でいとも簡単にいなし続けるスレイン。

 まるで大人と子どもの戦いだった。
 いや、戦いになってすらいなかった。

 十度目の敗北。

 とうとうグリッセンの心が折れた。

「どうしてだ……どうして勝てないんだ!」

 悔し涙を流しながら、地面を殴りつける。

「今まで君が他の人に勝てていたのは聖女様の祝福があったからだよ。今回の君は祝福を与えてくれる存在に敵対する行為をしたんだから、こうなるのは当然の結果ってわけさ。逆に僕は聖女様の祝福を与えられているしね。まぁ、おそらくこの試合限定だけど」

「聖女様の祝福……」

 呟くと、グリッセンはすっくと立ち上がり、グイッと涙を拭った。

 スタスタとエレーナの前へ歩いていく。

 そして土下座した。

「聖女様、失礼なことをいって申し訳ありませんでした! 聖女様の力を疑ったことも謝罪します! 本当に申し訳ありませんでしたぁ!」

「あ、頭を上げるだ。そ、それにオラが聖女様だなんて自分でも疑ってるくれぇだ。んだからグリッセン様に言われたこともぜんぜん気にしてねぇだよ」

 本当は男か女か疑ってるところを謝ってほしかったけど、そんなことを言える空気ではなかった。

 そこでようやくグリッセンは顔を上げた。
 憑き物が落ちたように晴れやかな表情だった。

「スレイン様にも失礼なことを言ってしまいました。どうか謝罪させてください。申し訳ありませんでした」

「グリッセン君、君の謝罪を受け入れよう。これからは気をつけるようにね。世間は僕みたいな貴族ばかりじゃない。君の軽率な行動が教皇猊下や聖女様の危険につながる可能性だってあるんだ」

「はい! 肝に銘じます!」

「それでは聖騎士候補として、聖女様……我が義妹の護衛を引き受けてくれるかな?」

「はい! 謹んでお受けします!」

 エレーナは我が耳を疑った。

 これがあのグリッセンだろうか。
 試合をする前とまるで別人である。
 いや、これもまた、彼の本当の姿なのだろう。

 仕える相手を勝手に変えられ、しかもそれが平民の小娘だったことで、彼は混乱していたのだ。

 剣の腕が立つとはいえ、彼はまだ年端のいかない少年だ。
 不平や不満の感情に振り回されるのは仕方ないといえよう。
 その不平や不満もこうやって解消され、無事にエレーナの護衛として……あれ?

 そこまで考えて、エレーナはハッとした。

 もしかして最初から……。

「サイモン様、こうなることが最初からわかってただか?」

「ほほほ、いったい何のことですかな?」

「まぁよいではないですか。結果すべてが丸く収まったのですから」

 シスター・クレアが言った。

 これ以上追求しても話してくれそうにない。

 大人って……。

 それに気になることが他にある。

 エレーナがスレインに与えた祝福のことだ。

 あのときエレーナの祈りは、本当にスレインへ祝福を与えたのだろうか?
 本当にそんな能力が自分にあるのだろうか?
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