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第一章
刻印の儀と永遠の誓い 2
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「もし僕が、戦いに加わらないって言ったら?」
真意を引き出すため、スユイは言葉を選びながら慎重に問い返した。
カゲツもまた同じように言葉を探しているのか、しばらく黙ってから口を開いた。
「スユイだけを逃がすこともできる」
聞き違いではない。はっきりとカゲツはそう言った。
「覚えているか? 最初、俺はスユイだけでも無事に逃がしたかった」
「そうだったね。だけど、僕はカゲツの手を振り払った」
「正直、今もそう思っている。もし、スユイの心に恐れや迷いがあるなら戦わない道を選んでほしい」
僕に危険な道を歩ませたくはない。けれど、戦いを総べるのは王子である僕しかいない。ぶつかり合う思いの選択をカゲツは僕に委ねている。
「逃げる……」
逃げれば自分の命を失うことはない。でも逃げた先に続くのは後悔を背負いながら生きる道。想像するだけで身震いがする。
「心配してくれてありがとう、カゲツ。でも」
やはり自分の目的地はひとつだけ。失ったものを取り戻しに行く。
「僕は戦える。これ以上失うものなんて無いんだから、怖いものも無いよ」
誇らしげに顔を上げ、靄を晴らすようなきっぱりとした語気で告げた。
「スユイ……」
「それに、危ないときはカゲツが飛んできてくれる。いつでも、どこへでも。でしょ?」
約束の鳥笛を掲げながら、からかいまじりに微笑みかける。
「すまない。恐れていたのはスユイではなく、俺の方だな」
カゲツは頭を横に振り、恥じ入るような苦笑を浮かべた。
なだめる意味で軽く頷いてからスユイは「あ、そうだ」と何か良い事をひらめいた声を出した。
「ねえ、カゲツ。その代わり少しだけ勇気をもらってもいい?」
「勇気? ああ」
曖昧な顔のままカゲツが承諾した。
スユイは姿勢を正し、一段下に座る黒髪を見下ろす。
右手の人差し指をゆっくりと掲げると、それをカゲツの額の高さまで運んだ。
「汝、カゲツ・キキョウ」
スユイが祈るような声で語り始める。すると、人差し指の先でカゲツの目が瞠られた。
僕が何をしているかカゲツは気づいたらしい。
「祖イレスカミュが賜りし悠久の大地と、幾万の臣民と、そして、王家の――」
――そして、王家の威光を守ると誓うか。
そう続く主従の誓い。
けれど守ってほしいのは、僕の望みは「王家の威光」を守ることなどではない。
気休めに思いついたおまじないのつもりだったのに、その句をどうしても口にすることができない。
「ふふっ、やっぱりやめとく。僕は別に王家の威光なんか……」
言い終える前にスユイの口から言葉が消えた。
「イレスカミュが賜りし、悠久の大地と」
自分ではない、カゲツの声で耳へ届く。カゲツが刻印の儀の誓いの復唱をしている。
「幾万の臣民と、そして」
先ほどスユイがためらったのと同じところでカゲツの声も止む。
掲げた指先が自由を失う。右手が、ひとまわり大きな手の中に包まれている。
驚いたスユイはとっさに手を引き抜こうとした。だが、それを留めるようにいっそう強く引かれ、制御を失った体は前へのめる。
「――そして、スユイを護る」
カゲツの息遣いがすぐそこにある。
その唇が唱えたのは、王家の威光でも王でも王子でもない。
「俺は、スユイを護ると誓う」
僕を。
「カゲツ」
体の芯が熱くなり、焼けつくように喉が狭まる。絞り出すように名を呼ぶことしかできなかった。
「スユイが傷つくのを見たくないならば、俺の手で護ればいい」
痛みに変わる手前の強さで握られた手。大きく打つ脈がどちらのものか分からない。
「俺の決意表明だな」
頬を緩めたカゲツが歯を見せた。ふわりと離された右手はしばらくの間、思い通りに動かなかった。
僕は今、一体どんな表情をしているのだろう?
途端に気恥ずかしさがこみ上げ、スユイはつられた体を装って笑みを作ることにした。
「で、勇気は湧いたか?」
カゲツの手はいつだって壁の向こうへ僕を押し上げる何よりも強い動力となってくれる。
「うん。売るほどもらった」
「売るな。貯めておけ」
どっと崩れた相好に淡い光が掛かる。もうすぐ、この夜が明ける。
真意を引き出すため、スユイは言葉を選びながら慎重に問い返した。
カゲツもまた同じように言葉を探しているのか、しばらく黙ってから口を開いた。
「スユイだけを逃がすこともできる」
聞き違いではない。はっきりとカゲツはそう言った。
「覚えているか? 最初、俺はスユイだけでも無事に逃がしたかった」
「そうだったね。だけど、僕はカゲツの手を振り払った」
「正直、今もそう思っている。もし、スユイの心に恐れや迷いがあるなら戦わない道を選んでほしい」
僕に危険な道を歩ませたくはない。けれど、戦いを総べるのは王子である僕しかいない。ぶつかり合う思いの選択をカゲツは僕に委ねている。
「逃げる……」
逃げれば自分の命を失うことはない。でも逃げた先に続くのは後悔を背負いながら生きる道。想像するだけで身震いがする。
「心配してくれてありがとう、カゲツ。でも」
やはり自分の目的地はひとつだけ。失ったものを取り戻しに行く。
「僕は戦える。これ以上失うものなんて無いんだから、怖いものも無いよ」
誇らしげに顔を上げ、靄を晴らすようなきっぱりとした語気で告げた。
「スユイ……」
「それに、危ないときはカゲツが飛んできてくれる。いつでも、どこへでも。でしょ?」
約束の鳥笛を掲げながら、からかいまじりに微笑みかける。
「すまない。恐れていたのはスユイではなく、俺の方だな」
カゲツは頭を横に振り、恥じ入るような苦笑を浮かべた。
なだめる意味で軽く頷いてからスユイは「あ、そうだ」と何か良い事をひらめいた声を出した。
「ねえ、カゲツ。その代わり少しだけ勇気をもらってもいい?」
「勇気? ああ」
曖昧な顔のままカゲツが承諾した。
スユイは姿勢を正し、一段下に座る黒髪を見下ろす。
右手の人差し指をゆっくりと掲げると、それをカゲツの額の高さまで運んだ。
「汝、カゲツ・キキョウ」
スユイが祈るような声で語り始める。すると、人差し指の先でカゲツの目が瞠られた。
僕が何をしているかカゲツは気づいたらしい。
「祖イレスカミュが賜りし悠久の大地と、幾万の臣民と、そして、王家の――」
――そして、王家の威光を守ると誓うか。
そう続く主従の誓い。
けれど守ってほしいのは、僕の望みは「王家の威光」を守ることなどではない。
気休めに思いついたおまじないのつもりだったのに、その句をどうしても口にすることができない。
「ふふっ、やっぱりやめとく。僕は別に王家の威光なんか……」
言い終える前にスユイの口から言葉が消えた。
「イレスカミュが賜りし、悠久の大地と」
自分ではない、カゲツの声で耳へ届く。カゲツが刻印の儀の誓いの復唱をしている。
「幾万の臣民と、そして」
先ほどスユイがためらったのと同じところでカゲツの声も止む。
掲げた指先が自由を失う。右手が、ひとまわり大きな手の中に包まれている。
驚いたスユイはとっさに手を引き抜こうとした。だが、それを留めるようにいっそう強く引かれ、制御を失った体は前へのめる。
「――そして、スユイを護る」
カゲツの息遣いがすぐそこにある。
その唇が唱えたのは、王家の威光でも王でも王子でもない。
「俺は、スユイを護ると誓う」
僕を。
「カゲツ」
体の芯が熱くなり、焼けつくように喉が狭まる。絞り出すように名を呼ぶことしかできなかった。
「スユイが傷つくのを見たくないならば、俺の手で護ればいい」
痛みに変わる手前の強さで握られた手。大きく打つ脈がどちらのものか分からない。
「俺の決意表明だな」
頬を緩めたカゲツが歯を見せた。ふわりと離された右手はしばらくの間、思い通りに動かなかった。
僕は今、一体どんな表情をしているのだろう?
途端に気恥ずかしさがこみ上げ、スユイはつられた体を装って笑みを作ることにした。
「で、勇気は湧いたか?」
カゲツの手はいつだって壁の向こうへ僕を押し上げる何よりも強い動力となってくれる。
「うん。売るほどもらった」
「売るな。貯めておけ」
どっと崩れた相好に淡い光が掛かる。もうすぐ、この夜が明ける。
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