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第一章
金砂とスパイスの交易宮殿 2
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列は滞りなく進んでいく。厳しい審査ではないようだが、門が近づくにつれスユイの鼓動の波は大きくなる。
「次の二人、前へ」
順番が回ってきた。スユイは頭巾を目深に被り直してからカゲツの命令通り、身をかがめた姿勢で進んだ。
「旅の途中で身重の妻が急に体調を崩したんだ。証書はないが一泊だけ城内で休ませてほしい」
何か尋ねられるより早く、カゲツが兵士へそう訴えた。
スユイは耳を疑った。
(……妻?! しかも身重って)
喉まで出かけた声をぐっとこらえる。
こめかみに浮かんでくるのが脂汗だか冷や汗だか分からなかった。
カゲツと兵士の会話はひとつも頭に入ってこない。
「仕方がない、特別に許可しよう」
どうやら説得に成功したらしいということだけは分かった。
「あんたの名前は?」
門番がカゲツへ訊ねた。
「カゲツ・キ――カゲツ・サナナギ」
カゲツは、キキョウという本名をすんでで飲み込み、偽の姓を名乗った。
スユイが奇妙に感じたのは、名乗った後にカゲツが動揺する素振りを一瞬だけ見せたことだった。
(カゲツのあんな顔、珍しい。偽名だと疑われてもいないのに、何に慌てたんだろう?)
だが今は身重の妻という演技に精一杯で、小さな違和感などすぐに消え去っていった。
入境の許可が下り、門の見えなくなる距離まで歩くとスユイはため息を付いた。
「せめて本当に女性なのかとか、少しくらい疑ってくれてもいいのに」
もうすぐ十八になるというのにそこまで男らしさがないのだろうか。
「上手くいったけど、複雑な気分」
体は華奢だし、顔つきにも幼さが残る。自覚している容姿への劣等感が裏打ちされたのだとスユイは肩を落とした。
「気にするな。スユイの演技が堂に入っていたんだ」
カゲツは口の中で笑いを噛み殺しながらスユイの背中をポンと叩いた。
「そう? 歌劇団の人気役者になれるかもね」
開き直ったスユイは含みのある言い方で冗談を飛ばした。
「ああ。ミアンなど目じゃない」
調子を合わせるようにカゲツも不敵な笑みを返してきた。
スユイとカゲツを国王弑逆者に仕立てたミアン王妃。ミアンは元々イレス国立歌劇団の花形演者だった。そこから王妃、つまり王子スユイの継母の立場にまで登り詰めた。
「――イレス国で一番の人気者になって、地位を得て、その次は何を求めるんだろう? もしカゲツなら何が欲しいと思う?」
更なる富だろうか、名声だろうか。
人を傷つけてまで何かを欲しいと思ったことがないから彼女の目的が分からない。
「俺か?」
カゲツはウーンと唸りながら首をひねった。
「俺なら、権力を得て……」
「権力を得て偉くなって、カゲツは何をしたいの?」
カゲツにも出世欲があったのかとスユイは少し面食らい、言葉の続きを急き立てた。
「スユイ王子に、こういう顔をさせる奴らをこらしめる掟でも作るか」
こういう顔、というくだりで頬の肉が人差し指と親指に挟まれた。
壊れ物を扱うような力加減でつままれた頬に痛みはないが薄い頬はたちまち湯だっていく。
「……僕はいつもこういう顔だけど」
上ずりそうな声を抑え、当たり障りなく切り返す。
一呼吸置き、伏せていた目線をカゲツへと合わせながら、
「まぁ、期待しておくよ」
と、小さな声で口早につぶやいた。
「期待していてくれ」
頷いてカゲツは微笑んだ。
スユイは頬をつまんだままのカゲツの手をひらりといなした。
「宮殿、先に行くよ!」
思い切り駆けてみても砂漠の風は暑く、体の火照りは冷めないままだった。
「次の二人、前へ」
順番が回ってきた。スユイは頭巾を目深に被り直してからカゲツの命令通り、身をかがめた姿勢で進んだ。
「旅の途中で身重の妻が急に体調を崩したんだ。証書はないが一泊だけ城内で休ませてほしい」
何か尋ねられるより早く、カゲツが兵士へそう訴えた。
スユイは耳を疑った。
(……妻?! しかも身重って)
喉まで出かけた声をぐっとこらえる。
こめかみに浮かんでくるのが脂汗だか冷や汗だか分からなかった。
カゲツと兵士の会話はひとつも頭に入ってこない。
「仕方がない、特別に許可しよう」
どうやら説得に成功したらしいということだけは分かった。
「あんたの名前は?」
門番がカゲツへ訊ねた。
「カゲツ・キ――カゲツ・サナナギ」
カゲツは、キキョウという本名をすんでで飲み込み、偽の姓を名乗った。
スユイが奇妙に感じたのは、名乗った後にカゲツが動揺する素振りを一瞬だけ見せたことだった。
(カゲツのあんな顔、珍しい。偽名だと疑われてもいないのに、何に慌てたんだろう?)
だが今は身重の妻という演技に精一杯で、小さな違和感などすぐに消え去っていった。
入境の許可が下り、門の見えなくなる距離まで歩くとスユイはため息を付いた。
「せめて本当に女性なのかとか、少しくらい疑ってくれてもいいのに」
もうすぐ十八になるというのにそこまで男らしさがないのだろうか。
「上手くいったけど、複雑な気分」
体は華奢だし、顔つきにも幼さが残る。自覚している容姿への劣等感が裏打ちされたのだとスユイは肩を落とした。
「気にするな。スユイの演技が堂に入っていたんだ」
カゲツは口の中で笑いを噛み殺しながらスユイの背中をポンと叩いた。
「そう? 歌劇団の人気役者になれるかもね」
開き直ったスユイは含みのある言い方で冗談を飛ばした。
「ああ。ミアンなど目じゃない」
調子を合わせるようにカゲツも不敵な笑みを返してきた。
スユイとカゲツを国王弑逆者に仕立てたミアン王妃。ミアンは元々イレス国立歌劇団の花形演者だった。そこから王妃、つまり王子スユイの継母の立場にまで登り詰めた。
「――イレス国で一番の人気者になって、地位を得て、その次は何を求めるんだろう? もしカゲツなら何が欲しいと思う?」
更なる富だろうか、名声だろうか。
人を傷つけてまで何かを欲しいと思ったことがないから彼女の目的が分からない。
「俺か?」
カゲツはウーンと唸りながら首をひねった。
「俺なら、権力を得て……」
「権力を得て偉くなって、カゲツは何をしたいの?」
カゲツにも出世欲があったのかとスユイは少し面食らい、言葉の続きを急き立てた。
「スユイ王子に、こういう顔をさせる奴らをこらしめる掟でも作るか」
こういう顔、というくだりで頬の肉が人差し指と親指に挟まれた。
壊れ物を扱うような力加減でつままれた頬に痛みはないが薄い頬はたちまち湯だっていく。
「……僕はいつもこういう顔だけど」
上ずりそうな声を抑え、当たり障りなく切り返す。
一呼吸置き、伏せていた目線をカゲツへと合わせながら、
「まぁ、期待しておくよ」
と、小さな声で口早につぶやいた。
「期待していてくれ」
頷いてカゲツは微笑んだ。
スユイは頬をつまんだままのカゲツの手をひらりといなした。
「宮殿、先に行くよ!」
思い切り駆けてみても砂漠の風は暑く、体の火照りは冷めないままだった。
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