翠蝶は紫藍の月に舞う

白樺すずらん

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第一章

だから酔っ払いは嫌い

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 「それにしても、スユイがそれほど俺を恋しがっていたとは知らず、済まなかった」

 明かりの灯るスユイの居室で酒杯を手にしたカゲツが出し抜けに、さらりと言った。
 冗談とも本気ともつかない笑みを向けられ、二人の他に人もないのにスユイは目をきょろきょろさせた。

「恋し……別に、そういうわけじゃ」

 隣で手酌するカゲツへ歯切れ悪く否定した。手元からは茶に浮かべた金木犀の香りが立ち上っている。浮き足立つ自分を落ち着けるためスユイは温かい茶杯に両手を添えた。

「俺の自惚れだったのか?」

「自惚れだね!」

 互いの顔をしばし見合ってから二人同時に吹き出すように笑った。

「俺だって、お前を案じていた。しかし、王都までは随分と遠かったからな」

 遠い、というのが距離だけを指しているのではないこともはスユイにも分かった。

「僕も同じ。それに、会えばもう一度別れなきゃいけない」

「しかし、便りのひとつさえ寄越さなかったな?」

「それは……僕だって送りたかったけど、でも」

 適当な言い訳が見つからずにスユイは口をつぐんでしまった。

「冗談だ。俺への接触を避けたのはスユイの機転だと分かっていた。それが正しい判断だったと今日、確信した」

 カゲツが笑顔を消し眉根を寄せた。今日、刻印の儀でカゲツはスユイの置かれた状況を目の当たりにした。

「だけど」

 スユイが再び静かに話し始める。

「セイランがすごくいい街になってるって話を聞く度に、ああ、カゲツは元気で頑張ってる、僕も頑張ろうって思えたんだ」

 沈む空気を軽くするように朗らかな声で言葉を続けた。
 今は穏やかな時間を過ごしたい。
 それはおそらくカゲツも同じ気持ちだろうと思ったからだ。

「スユイの元まで俺の噂が届くよう身を粉にしたんだ。俺もお前のおかげでやってこれた」

「うん。しっかり届いてたよ」

 スユイは力強く頷いた。

「どこか遠くで自分を想ってくれるやつがいるっていうのは、案外いいものだな。……これも自惚れか?」

 カゲツからの意趣返しだった。からかい半分の口調とはそぐわない真っ直ぐな目で問われ、スユイはたまらずにそっと睫毛を伏せた。

「カゲツ、酔ってるね?」

 心臓が跳ねるのを気取られないよう答えをからかいではぐらかした。その通りだったからだ。遠くで想っていた。想わないはずがない。その瞳を声を一日だって忘れた日はなかった。

「酔っている?  そうか。月下の美酒は酔いが回るってやつだ」

「あいにく月は雲の中だけどね」

 意地悪く揚げ足を取ると、掲げられた翡翠の酒杯で額をこつんと打たれた。

「痛いってば。これだから酔っ払いは嫌なんだ」

 乾杯された額を大げさに撫でながらスユイは頬を膨らませた。
 この程度の酒でカゲツが酔うはずないことはもちろん知っている。

「顔が赤いぞ? スユイは茶で酔える体質なのか」

「そのきついお酒の匂いだけで酔いが回るよ」

 軽口を交わし蒸留酒と金木犀の混ざり合う香りにスユイは呼吸を委ねた。卓の上に頬杖をつき、円窓の夜空を盗み見る。
 ――本当は、ずっと隣で酔っていてくれてもいいんだけど。
 願いをかける星をこっそりと探した。
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