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「良樹、本当にゴメン……」
「兄さん、頭をあげて? 兄さんは何も悪くないって。むしろ悪いのは俺で……」
  
 良樹とて、見事に逃げ切った!なんて思っていない。あんなの時間稼ぎ、いや死の宣告をほんの少しだけ延長したに過ぎない。
 彼もそれが分かっていて、けれど身体が咄嗟に反応した結果、あのような行動に出たのだ。
  
 だからまた日を改めて全員で顔合わせをしようという話し合いの結論をひっくり返せなかった卓に怒りをぶつけようなんて思っていない。良樹は兄にむしろ感謝をしているくらいなのだ。
  
 卓はあの後、風斗の乗ってきた社用車に乗って神田製薬へと向かったのだ。緊張感は計り知れないものがあっただろう。
 だが彼はそれでも、家に逃げ込んだ良樹を引きずり出そうとはしなかったのだ。
  
 良樹は何度も兄さんは悪くないと伝えたのだが、一向に卓は自分が悪いのだという意見を曲げようとはしなかった。
 結局、夕飯のおかずであり、卓の大好物でもあるほうれん草の胡麻和えを譲ってもらうことで話はついた。
 久しぶりの和食に心を弾ませていた兄から大の好物をもらってしまうことに申し訳なさを感じていた良樹であったが、帰国する前にもう一度母さんに作ってもらおうと心に決めてそれを頬張った。
  
  
 夕飯、入浴と済ませた良樹は数年前と何も変わらずに、両親がそのままにして置いてくれた自室のベッドに横たわった。
 疲れているはずなのに、余計なことが、風斗のことが頭に浮かんで眠りにつくのを妨げている。
  
 数年ぶりに生で見た風斗は、ビジネス雑誌に載っている写真の中よりももっとカッコ良かった、なんて誰かを褒める機会がほとんどない良樹には月並みの感想しか浮かばない。けれど彼の得意分野は、人一倍に敏感な嗅覚は彼の香りを覚えている。
  
 あの頃は果実にも似た甘い香りだった。今は深みを増した、バラ科の植物の香りに包まれているような香りだ。
 香水などの人工的な香りはなく、オメガ特有の甘ったるい香りも染み付いてはいなかった。
  
 それだけで彼はフリーなのだと分かってしまう自分が嫌になる。
 彼とは、宇佐美 陸とはどうなったのか?――本人には聞けもしない疑問が浮かんで、良樹の脳内を揺蕩って、邪魔で眠れやしない。
  
 ゴロゴロと狭いベッドで寝返りを打って、少しでもこの身体が疲れてくれないかと期待する。けれど良樹の身体は風斗を思い出してしまって、高ぶる一方でその夜、彼は一睡だって眠りにはつけなかった。
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