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狂いザクラは再び春を求める

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 橋間 勇樹は学園卒業後、昔からの要領の良さを武器に難関私立大学に入学し、その傍らで俳優の父とモデルの母の紹介もあり、持ち前の顔の良さを生かして芸能界へと入った。
 二世タレントはよく親の七光りなんて呼ばれたりもするものだが、勇樹はそんなこともなく、ただ淡々と来た仕事を相手方の希望以上のレベルでこなして行った。
 仕事中は絶やさない笑顔もカットと声がかかればその表情は電池でも切れたかのように無へと変わる。

 そんな勇樹も昔からこんなに表情がなかったわけではない。
 小中とアルファ特有の圧倒的カリスマ性から周りには人が絶えず、特別扱いをされることに多少の不満を顔に浮かべていたものの、楽しければ、嬉しければそれ相応の反応をする子どもだった。
 高校では親のツテで、アルファとオメガが全生徒数の9割を占める全寮制の学校に入学した勇樹はガラリと変わった。親も驚くほどによく笑う子どもになったのだ。帰省中はいかに学園が楽しいのかと食事中ですら親に話した。
 父も母も仕事に追われ、勇樹が幼い頃あまり構ってやれなかったこともあり、彼を学園に入学させたことは勇樹を育てる上での選択において一番特別なものへと変わった。

 そして卒業式。
 家へと帰宅した勇樹の面持ちはどこか暗かった。
「何かあったのか?」
 勇樹の卒業祝いにとパーティの準備をしていた両親はそんな勇樹のことが心配になり駆け寄った。
「わからない」
「え?」
「わからないんだ」
 目を見開き、長い爪を首筋に突き立てる勇樹は脳内に刻み込まれた出来事を処理しきれずにいた。
 勇樹は今日の出来事のどこからが夢だったのかがわからなかった。
 だがハッキリと頭に残っている、途中で途切れた映像は夢のはず、いや夢でなくては困ることだった。
 今日で三年間の役目を全うした通学かばんを玄関先に置いて勇樹は二階にある自分の部屋へと向かった。
 その後ろを心配そうな面持ちで勇樹の母親が追っていたのだが、やがて彼女も夫の一言でリビングへと帰って行った。


「なんでよりによってこんな日に……」
 勇樹が見た夢というのは彼の高校3年間を鮮やかなものとしてくれたルームメイトの樹を番にしてしまう夢だった。それも樹の意思など御構い無しに勇樹の思うがままに彼を襲ったのだ。

 勇樹は樹にあって間もなくして彼に惹かれるようになった。その明確な理由は勇樹にさえもわからなかった。ただ共にいて心地いいと思ったのだった。そんな感情を産まれて初めて持った勇樹は樹こそが運命の番というものなのではないか?と疑ってしまうこともしばしばあった。けれど彼からはオメガ特有の、アルファや時にはベータさえも魅了する花の蜜のような甘い香りがすることはなかった。
 9割がアルファやオメガが占める学園内で、樹の外見はアルファには見えず、断然オメガのそれと似て、線は細く肌は陶器のように白かった。
 だが樹はオメガならば月に一度やってくる発情期に授業を欠席することはなかった。何よりオメガであるならば同室の勇樹が三年間、一度もその兆候すら感じ得ないのは不思議なことであった。
 残すは樹がベータである可能性だが、この学園に入学出来るベータは国内外で優秀な成績を修めた、アルファとも引けを取らない才能の持ち主あるいは金持ちのお坊っちゃんたちの護衛として連れて来られる者達だけだった。
 樹の成績は悪くはないものの、目立っていいというわけでもない。言うなれば平均的だった。この学園で平均的ならば他の学校にでも行けばトップを取れるのだろうか、ベータがこの学園に入学するための条件は満たせていなかった。
 だからといって樹が誰かの護衛をしているようなこともない。

 ならば樹はなぜこの学園に入学することができたのか。
 隣のベッドでスヤスヤと気持ち良さげに寝ている樹を横目に邪念を振り払うべく勇樹は毎朝の日課であるジョギングへ赴いた。

 そんな時、不良と呼ばれる落ちこぼれ達の話を聞いてしまったのだ。

「あいつはいいよな。『金城』の家に産まれたってだけでベータの癖してこの学園に入れて、努力しなくてもそれはベータだからと目を瞑ってもらえるんだから」
「でもあいつ、そんじゃそこらのオメガなんかよりよっぽどいい……。ベータでも……と狙っているやつも多い。いいとこのアルファに愛人として迎えられる可能性も見込んでいるんじゃないか?」
「無理だろ。あいつは『金城』だ。卒業後の引き取り先はもう決まってんだろ。俺らが必死こいて卒業しようとしてるこの学園は『金城』様にとっては泊付でしかねぇんだよ」

 不良達はタバコを地面に擦り付けて煙を消してその場を去った。
 勇樹には吸い慣れないタバコの煙と彼らの発した悪意に満ちた言葉は肺に落ちて咳き込んだ。

 その日から勇樹は自分の中に確かにある樹への恋情を押しつぶした。
 そして友人として側にいようと決めたのだ。
 相手が名家だろうと何だろうと、友人としてならいつまでも側にいれると思ったのだ。

 いつか樹が金城の名に恥じぬだけの女性と結婚したとしても……。



 だがあの夢を見た途端、樹とは連絡が取れなくなってしまった。
 卒業後も当たり前のように続くと思った友人関係を、初めから友人ですらなかったのだと否定されたようで、思えば樹は最後まで進学先をはぐらかして教えてはくれなかったと自暴自棄になった。
 それならここまで必死に恋心を押しつぶした意味さえもなくなる。
 どうせならあんな夢を見る前に心のうちを告白してしまえば良かった。
 たった一度だけ、寸分の望みをかけて樹に気持ちを漏らした時、変に隠さずに話してしまえばよかったのだ。
 そうすれば諦めだってつけられたというのに、あの時の勇樹にはそれをするだけの勇気は持ち合わせていなかった。
 そして後悔ばかり残ってしまった勇樹はあれから何年経った今も樹を思い続けていたのだった。
 あの夢すらも大事な記憶であり、それすらも日に日に薄れて行くことに勇樹は絶望していた。

 そんなある日、いつも通りに仕事だけはプロとしての誇りを持ち、きっちりと時間通りに撮影を終えるとマネージャーが手招きをして勇樹を呼んだ。
「勇樹君に紹介したい子がいるんだ」
「紹介したい子?」
 瞬時に頭を過ぎったのは今度売り出す新人か何かだろうかということだった。
 今まで勇樹には回ってこなかっただけで、売れている先輩と組ませていくつかの仕事を組ませるなんてことはよくある話だ。

「今度うちにマネージャーとして入った服部くんだ。しばらくは俺の補佐として回ることになってるから勇樹にも紹介しておこうと思ってな」
「服部 斎といいます。不束者ではありますがどうぞよろしくお願いいたします」
「服部くん、それじゃあ嫁入りみたいだろ? そんなに気を張らなくていいよ」
「は、はい!」
 深々とお辞儀をした状態だった彼が勇樹のマネージャーの声に応じるように顔をあげた途端、勇樹は目を見開いたまま固まった。
「いつ……き?」
 服部斎と名乗った彼の顔はどう見ても樹にしか見えなかったからだ。
 苗字は違えど音は同じ『いつき』であることも勇樹を戸惑わせる原因の一つだった。

「ゆ、勇樹さん?」
 勇樹の気を悪くさせたのかと顔を覗き込む姿さえも同じだ。
 それなのに彼は、斎は勇樹のことを知らなかった。
 それはそうだろう。
 勇樹の知っている金城樹と今目の前にいる服部斎は別人なのだから。

「ああ。よろしく頼む」

 そしてその日から服部斎はマネージャー補佐として勇樹の後を、正確には彼の先輩である勇樹のマネージャー、白井の後をついて回るようになった。
 数ヶ月後、他のタレントに付くのだという斎を、社長に直談判してそのまま勇樹付きのマネージャーしたのは他でもない勇樹自身だった。

 斎は樹との共通点が多く、初めて会った時からずっと勇樹は斎に樹の面影を重ねていたのだ。
 だがたった数か月の間に、斎は樹とは別人であるということを嫌というほど体感させられた。
 紙の折り方一つとっても斎はぴったりと角を合わせて折るのだ。樹はあんなに綺麗には折れなかった。名家の育ちということもあり、今までそうする機会がなかったのだろう。そんな彼を見かねて、卒業旅行に持っていくための折り鶴を樹の分まで折ってやったこともあったというのに、斎は鶴どころか動物なら大抵どれでも折れるのだと自慢げに話した。

 会ってから間もなく距離を詰めてきた樹とは対照的にいつまで経っても勇樹から一歩引いたような態度をとっていた斎を勇樹は苛立たしくも思ったことも一度や二度ではない。

 斎と接するごとに勇樹は斎に惹かれていったのだ。そして斎が自分のもとからいなくなるという事実を恐れた。

 そして感情に身を任せ、勇樹は仕事の合間の時間に社長に彼を手放す気はないと訴えた。
 斎がいなければ仕事に身は入らないと社会人としてどうなのかと勇樹自身ですら思うようなことまで言っては社長と白井を困らせた。
 今までどんなに仕事を詰められようが苦言一つ言わなかった勇樹の初めてのワガママに、幼い頃から、そして何より高校卒業後の彼を知っている社長はわずか一ヶ月で折れた。折れざるを得なかったと言ってもいいだろう。なにせ彼はその一か月の間、説得のための時間を捻出するために自身の時間を潰し続けていたのだ。ただでさえ休める時間の少ない勇樹がこれ以上そんなことを続けていたらいつか彼は倒れてしまっただろう。それだけはどうしても避けなければならないことだったのだ。


 そして勇樹は晴れて斎を専属マネージャーとして迎え入れることとなった。
 初めは恐れ多いだの何だのと言っていた斎だったが、数年もすれば慣れるもので、今やすっかり勇樹の世話を焼いている。
 仕事中はずっと張り詰めたままの勇樹も斎の前では甘えてばかりの子どものようになるのだった。

「斎、今度の休みハワイ行こう?」
 今だって休憩中、控え室に勇樹と斎しかいないのをいいことに勇樹は斎の腰に手を回して彼に甘えている。
 そんなことしなくとも斎が樹のようにどこかに行ってしまうことなどないとこの数年の付き合いでわかっているはずなのだが、勇樹は止めることができない。
 当の斎もすっかり慣れたせいか、休憩さえ抜ければまた多くのファンが望む『勇樹』に戻る彼を無理矢理引き剥がすことはしない。
 それは斎が勇樹の中にある暗い感情を知らないからだろう。


「行きませんよ。あなたの休日は私の休日でもあるんですから」
「斎の仕事は俺の世話を焼くことだろう? 俺の休み中も世話焼いて?」
「嫌ですよ。今度の休暇は園の子どもたちと遊ぶ約束してるんですから」

 樹と斎。
 顔はどんなにそっくりでも、ちょっとした行動が似ていても、育った環境が大きく異なる。
 樹は名家の息子として育ち、ベーダでありながらアルファやオメガの多く所属する学園を卒業した。
 その一方で斎は産まれてからすぐ、親の顔も知らないうちに孤児院へと預けられた。そしてたくさんの同じ状況の子どもたちと支え合い、そして時には年少の子どもの世話を焼いた。高校に入学してからは朝方や休日はバイトに明け暮れた青春時代だったと勇樹に話してくれたこともある。
 勇樹の所属する事務所にマネージャーとして就職してからも斎は休みの度に家族同然の子どもたちと遊ぶために園を訪問するのだ。

 家族や自分についてあまり語りたがらなかった樹とは違い、斎は照れながらも家族や斎自身のことを多く語ってくれた。
 勇樹が会ったことはない子どもたちにも好感を持ってしまうほどに。

「そうか。なら俺もその園に行くか。いつかは挨拶に行かなきゃって思ってたし……」
「挨拶って何のですか?」
「いつもお世話になってますって。園の人たちは斎の家族なんだろ?」
 園のみんなが家族だというのなら、彼らが今の斎を作ってくれているのだとしたら勇樹は彼らにいくら感謝してもし足りないだろう。

 今の勇樹が斎をこんなにも愛おしいと思えるのは、斎が斎であるからなのだから。

「そんなことしなくていいですからしっかり休んでください。今度の休みは二ヶ月後ですので」
「俺は斎といるだけで十分癒されるのに……」
 勇樹はそう言いながら斎の腰を抱く腕に力を込めた。

 勇樹が距離を詰めたかと思えば斎が一歩引いたような態度をとるのは斎がマネージャーだからだろうか。
 少なくとも勇樹には嫌われてはいないと断定できるだけのものがあった。

 樹の時のような失敗はしない。
 すでに社長やその他の社員の数人には勇樹の斎に向ける感情は筒抜けである。斎が逃げる隙間などもうどこにもないのだ。

 斎がベータである以上、番として彼を独占することはできない。
 そのために勇樹は斎が同じくベータの女性と出会う機会などないほどに仕事を詰めた。勇樹が仕事の間は専属マネージャーである斎も休むことは出来ないのだから。
 近くにさえいればいつもみたいに寄ってくる女性、時には男性だって追い払うことができるのだ。

 できることなら今すぐにでも自分の元にしたいという欲望を押さえつけ、今日も今日とて仕事に励む。

 いつか想いを告げられるその日が来るまで斎を仕事に縛りつけるために。
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