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 それからすぐにシザー家は喧騒に包まれた。
 誰もが屋敷中を走り回っているのだ。今回ばかりは兄さんもジャックに構うことはない。フランシスカ曰く、下準備の問題があるのだという。けれどそんな中でジャックに与えられた役目は『必要以上に部屋から出ないこと』、ただ一つだった。部屋にはジャック付きの使用人が2人。うち一人がレッドだ。

「侵入者に気付き次第、死なない程度に、いえ、場合によっては殺してもいいわ。何よりもジャックの安全を最優先としなさい!」

 それがレッドに下された、フランシスカからの命令だった。
 彼女は王子が放った人間がこの屋敷に侵入してくることを恐れているのだ。今まで同じドレスに身を包んでいたのは『フランシスカ』と『ジャック』を同様の人間だと錯覚させることによって、いざという時はフランシスカ自ら相手と戦う予定だったらしい。まさかそんな物騒なことを考えていたとは思わなかったが、父さんも兄さんも彼女のことを止めようとはしなかった。本気でいざという時は遂行する予定だったのだろう。それにジャックの意見など関係はなかったのだ。

 けれどもしも王子が、そして彼が放った人間が『フランシスカ』と『ジャック』を見分けることが出来るのならば『ジャック』の方を攫うことも難しくはない。もしも迷わずジャックの元へと向かって来たら最後、ジャックは抵抗できずにされるがままになってしまうことだろう。

 この前のことがまだ手加減されていたことだとしたら……と考えてゾッとした。
 冷静になって考えてみると、お茶に何かを盛られていたのは間違いないだろうが、その他にも何か仕掛けられていたかもしれない。例えばあの異様に暗い部屋。数少ない光源。そのどちらか、いや最悪両方に催眠効果があった可能性もある。


 つまりウィリアム=ヒュルゲンベルクという人間はそういうことを平気でしでかすような人間なのだ。


 父さんに与えられた新たな冒険小説をめくりながら、ジャックは窓を眺めた。とはいえ、窓は外から見えないようにと分厚いカーテンで覆われてしまっている。外の景色など眺めることすら叶わない。だがこれも長期休みを明けて少し経つまでの、問題が解決するまでの辛抱だ。ふぅっと小さく息を漏らして椅子から立ち上がった――その時だった。

 パリン、パリン、パリン—と複数回に渡り、ガラスが割れるような音が屋敷中に響き渡った。

「侵入者発見! 全員襲撃に備えなさい!」
 そして少し遅れて、フランシスカの指示が飛んだ。
 その声はかつてワガママばかりをしていたフランシスカの声にもよく似ているが、あの頃よりも真っすぐに使用人達に伝わっていた。もちろんレッドともう一人の使用人にも。

「ジャック様!」
 2人は背中の間にジャックを隠すと窓とドアの二方向に神経を集中させた。部屋の外からはガラスが割れる音や何かが倒れる音、何かが刺さるような音が聞こえてくる。けれどその音は一向に止むことがない。侵入者はそんなに多いのだろうか。

 この屋敷の一番の手練れであると思われるレッドがこの部屋にいるため、手こずっているのだろうか?

「レッド……」
 目の前の背中に、ジャックは思わず心配そうな声を漏らす。
 分厚くて頼りがいのあるレッドの背中。いつもは見るだけで安心できるのに……。

「大丈夫です。坊ちゃんは私がお守りします。誰にも渡しません」
「ありがとう」
 振り返らずに帰ってくる声に、つい弱気になってしまったことを後悔した。自分は守られているだけなのに、心配かけてどうするのだ。馬車での襲撃を思い出せ! と自分を鼓舞する。そして背中をピンと張って、耳を澄ませた。すると音は次第に少なく、小さな物へとなっていく。どうやら終息を迎えつつあるようだ。

「気を失わせて手足を縛った上で武器の確認をして! 絶対に目を離すんじゃないわよ!」
「かしこまりました!」

 指揮を執っているのはフランシスカだ。

 ふと『弾丸のシス』という通り名がジャックの脳をよぎる。もしかしたら本当だったのかも……。なんて思うのはきっとジャックの心に余裕が出来たからだろう。そしてこれが全て終わって、心にも身体にも余裕が出来たらその時は、剣を振る方法ではなく女性でも簡単に出来るような護身術でも習うことにしようと心に誓ったのだった。




 予想外の襲撃はあったものの、被害は窓ガラスと壁床の修繕と最小限に収まったらしい。それどころか今回の一件で、襲撃してきた賊の暴露と彼らから巻き上げた証拠物によって『あの女の断罪』は確実になったとのこと。

「アマいのよ」
 おっほほ~と高笑いを響かせるフランシスカのドレスがジャックの着ているものと少し色味が違うのは見ないふりをする。あれはきっと似ているだけで別ものなのだ、と。裾のあれはグラデーションなのだ。そうに違いない。決して大量の血液などではない、はず……。きっとオシャレなフランシスカのことだから、今年の流行を先取りしているんだろうな~とジャックは意識を飛ばすことにした。するとひとしきり笑って満足したらしいフランシスカは「あ、そうそう」とジャックへと視線を向けた。

「今回の件、フェルナンド様にも正式に協力をしてもらうことになったわ」
「そう……」
 フェルナンド==ルータスと言えば、弱冠14歳にしてその頭脳が認められ、宰相の補佐まで上り詰めた実力者である。顔を合わせたのは片手の指で足りるほど。学園に入学してからも遠巻きに姿を確認することはあれど、言葉を交わす機会などなかった。その必要もなかった。最後に話したのは数年前のお茶会の時だったか。それも恒例と化していたフランシスカの一件があったことから、会話と言っていいのかも怪しい程度のもの。だからジャックはフェルナンドのことをウワサ以上のことを知らない。けれど冷徹の仮面をかぶっていると名高い彼のことだ。今のフランシスカと協力すれば全てを丸く収めてくれることだろう。

「心配はしなくていいのよ。徹底的に潰してあげるから」
 いや、フランシスカ1人でも問題などないだろうが。けれどおそらくジャックが心配すべきはそちらではないのだろう。
 フランシスカはジャックの頭を包み込んで、自分の額とジャックの額をピタリとくっつけると、小さく呟いた。

「だからあなたはただ私の後ろに隠れていればいいの。私が、守るから」
「フランシスカ……」
 その言葉は今までの何よりも温かく、そして何より彼女自身の覚悟がたくさん詰まったものだった。


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