上 下
12 / 21
嘘の日の誤解を正してはいけない(裏側)

9.

しおりを挟む
「一体なんなんだ」
 残された美鶴は頭を抱える。
 そして用意された紅茶で喉を潤し、冷静さを取り戻そうとする。ほどよく冷めた紅茶を一口飲んで、ぽつりと言葉が漏れた。

「……美味いな」
 貴樹にも飲ませてあげたい。
 素直にそう思える紅茶だった。どの茶葉を使っているのだろうか。帰ったら使用人に調べさせよう。味を覚えるようにもう一度カップに口を付ける。

「ありがとう。おやつの方も自信作だから楽しんでいってね」
「妻が作ったクッキーもあるぞ」
「っ!」

 紅茶に集中していたせいで、晴臣が戻ってきたことに全く気づかなかった。
 彼だけではない。もう一人、車椅子に腰かける老人もいる。その老人こそ、田賀谷製菓の先代会長・田賀谷和春だった。急いで立ち上がり、頭を下げる。

「田賀谷前会長。初めまして。私、瀬戸美鶴と申します」
「初めまして。瀬戸美鶴くん。そう固くならなくていい。今日は来てくれてありがとう。私達はずっと君を、タカちゃんの番を探していたんだ。会えて嬉しいよ」
「嫌な態度とってごめんね。まさかタカちゃんの番が僕のところに来るなんて思わなかったんだ」

 にっこりと微笑む田賀谷前会長と、へらへらとする晴臣。
 二人とも人好きのする顔をしており、美鶴も思わず頬が緩みそうになる。けれどなごむわけにはいかないのだ。

「その、タカちゃんとは?」
「私の孫が君の番、佐藤貴樹君のことをそう呼んでいたんだ」
「お孫さんは貴樹と交流が?」
「お祖父様、その言い方だと瀬戸君には伝わらないよ。この子は嘘の日を知らない」
「そういえば紫鶴君がそんなことを言っていたな」
「兄をご存じなんですか?」
「ああ。紫鶴君にお相手を紹介したのは私だ。話は少し長くなるのだが、聞いてくれるかな」

 田賀谷前会長はそう前置きをして、オメガ達にとっての『嘘の日』について話して聞かせてくれた。

 彼にはベータの妻がいて、番選びに参加したのは孫を引き取るためだったのだとか。彼の孫もまた、貴樹と同じく後天性オメガであった。

 美鶴は今までオメガに興味がなかったため、ちらっと聞く程度ではあったが、それでも番選びはかなりアルファ優位に作られているとは思っていた。貴樹を番にしてからは余計にそう思う。だから田賀谷前会長の孫を助けたいと思う気持ちも理解できてしまう。

「お孫さんは今」
「デビューした年、アルファの好青年と番になったよ。同じ会場内で、血の繋がりがある私よりも先に孫を選んでくれた。今でも年に数回、顔を合わせている」
「そうなんですね。それはよかった……」
「彼のことは以前から知っていたし、本気で番を探しに来ていることも知っていた。だから彼が孫を選んでくれた時点で私の役目は終わりになるはずだった。そう思ったんだけどね、部屋の端っこで振るえるオメガから目が離せなかった。とてもオメガに見えない子でねぇ、発情もしていなかった。後で聞いたんだけど、一年目の子や後天性オメガは発情剤が効きにくいらしい。一人だけ欲に溺れることも許されず、だからこそ余計に不憫に思えてならなかった」

 初めから少年には「番にする気はない」と伝えた上で、家に連れ帰った。田賀谷前会長の妻は、実の孫を連れ帰ってくるのだと思っていたため、とても驚いたのだそうだ。それでも夫の考えを受け入れ、二人で実の孫同然に可愛がった。施設に帰す時は、お友達と食べなさいと田賀谷製菓の商品と妻が焼いたクッキーをたくさん持たせて。

 一度きりのつもりだった。愛妻家の田賀谷前会長が番選びに参加したと耳にし、真実を確かめにきた友人や知り合いにもそう伝えた。するとなぜか彼らはオメガの方に興味を持った。田賀谷さんがそこまで溺愛するのなら一度会ってみたいものだと。てっきりお世辞だと思っていたのだが、一緒に番選びに参加してほしい。彼を見つけたら教えてほしいと頼まれて、いよいよ本気だったのだと気づいた。
 どうせ来たのなら、と田賀谷さんは去年と似たようなオメガを選んだ。翌年も似たようなことが起こり、その繰り返し。いつからかオメガとアルファの間で田賀谷さんの話は有名になり、今では田賀谷さんがオメガにふさわしいアルファを選んでいるのだとか。美鶴の兄に番を紹介した経緯も同じ。

 そして二年前の番選びでの田賀谷枠最有力候補が、ベータからオメガに変わったばかりの貴樹だった――と。

「田賀谷さんは貴樹を迎えたかったということでしょうか」
「いいや、私が選ぶのはAランクまで残っていた子達だ。Sランクのアルファに選ばれた子達を知る手段はないし、彼らなら社会的立場もある。オメガに変なことをして施設に訴えられれば出入り禁止になる。オメガとして幸せになれるかどうかはさておき、酷いことにはならないと安心はしている。オメガの大半もそれは理解しているはずだ。ただ」

 田賀谷前会長はそこで一度会話を区切った。
 少し言いづらそうに視線を彷徨わせてから、短く息を吸った。

「二年前に選んだ少年――梓君はそうは思わなかった。選ばれるべきは自分ではないと。自分がタカちゃんの未来を奪ったのだと自分を責めたんだ。彼は本当にタカちゃんのことを慕っていてね、泣きながらいかにタカちゃんが優しい人物だったのか教えてくれたよ。番選びの日に支えてくれた手は温かくて安心できたのだと」

 梓という少年に限らず、貴樹はオメガ達にとても慕われていたようだ。
 田賀谷前社長が去年選んだオメガも貴樹の話をしていたのだという。貴樹が施設に入った正確な日にちは分からないままだが、どんなに長く見積もったところで、彼がオメガ達と過ごした期間は約三か月。突然性転換した上、番選びに出ることになったのだ。きっとかなり混乱していたはずだ。けれど彼は、施設の外の話をねだるオメガ達にたくさんの楽しい話を聞かせたのだという。

「貴樹らしい」
 そんな姿が容易に想像できてしまう。
 貴樹はそのオメガのことを恨みはしない。美鶴の惚れた『佐藤貴樹』という男は、よかったなと一緒に喜ぶような男なのだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。 小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。 田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。 そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。 純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。 しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。 「俺になんてもったいない!」 素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。 性描写のある話は【※】をつけていきます。

α嫌いのΩ、運命の番に出会う。

むむむめ
BL
目が合ったその瞬間から何かが変わっていく。 α嫌いのΩと、一目惚れしたαの話。 ほぼ初投稿です。

鬼の愛人

のらねことすていぬ
BL
ヤクザの組長の息子である俺は、ずっと護衛かつ教育係だった逆原に恋をしていた。だが男である俺に彼は見向きもしようとしない。しかも彼は近々出世して教育係から外れてしまうらしい。叶わない恋心に苦しくなった俺は、ある日計画を企てて……。ヤクザ若頭×跡取り

【BL】声にできない恋

のらねことすていぬ
BL
<年上アルファ×オメガ> オメガの浅葱(あさぎ)は、アルファである樋沼(ひぬま)の番で共に暮らしている。だけどそれは決して彼に愛されているからではなくて、彼の前の恋人を忘れるために番ったのだ。だけど浅葱は樋沼を好きになってしまっていて……。不器用な両片想いのお話。

偽りの愛

いちみやりょう
BL
昔は俺の名前も呼んでくれていたのにいつからか“若”としか呼ばれなくなった。 いつからか……なんてとぼけてみなくても分かってる。 俺が14歳、憲史が19歳の時、俺がこいつに告白したからだ。 弟のように可愛がっていた人間から突然告白されて憲史はさぞ気持ち悪かったに違いない。 だが、憲史は優しく微笑んで初恋を拗らせていた俺を残酷なまでに木っ端微塵に振った。 『俺がマサをそういう意味で好きになることなんて一生ないよ。マサが大きくなれば俺はマサの舎弟になるんだ。大丈夫。身近に俺しかいなかったからマサは勘違いしてしまったんだね。マサにはきっといい女の子がお嫁さんに来てくれるよ』

【BL】こんな恋、したくなかった

のらねことすていぬ
BL
【貴族×貴族。明るい人気者×暗め引っ込み思案。】  人付き合いの苦手なルース(受け)は、貴族学校に居た頃からずっと人気者のギルバート(攻め)に恋をしていた。だけど彼はきらきらと輝く人気者で、この恋心はそっと己の中で葬り去るつもりだった。  ある日、彼が成り上がりの令嬢に恋をしていると聞く。苦しい気持ちを抑えつつ、二人の恋を応援しようとするルースだが……。 ※ご都合主義、ハッピーエンド

別れたいからワガママを10個言うことにした話

のらねことすていぬ
BL
<騎士×町民> 食堂で働いているエークには、アルジオという騎士の恋人がいる。かっこいい彼のことがどうしようもなく好きだけれど、アルジオは自分の前ではいつも仏頂面でつまらなそうだ。 彼のために別れることを決意する。どうせなら嫌われてしまおうと、10個の我儘を思いつくが……。

花婿候補は冴えないαでした

BL
バース性がわからないまま育った凪咲は、20歳の年に待ちに待った判定を受けた。会社を経営する父の一人息子として育てられるなか結果はΩ。 父親を困らせることになってしまう。このまま親に従って、政略結婚を進めて行こうとするが、それでいいのかと自分の今後を考え始める。そして、偶然同じ部署にいた25歳の秘書の孝景と出会った。 本番なしなのもたまにはと思って書いてみました! ※pixivに同様の作品を掲載しています

処理中です...