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ミルク係の牛獣人

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「ふぁっふ」
 イルムは欠伸を噛み殺し、ベッドから出る。歯磨きと洗顔の後、桶にお湯を溜めてミニタオルを浸した。ジャブジャブと洗うと後しっかりと絞り、完成した濡れタオルで胸を拭く。重要なのは中身であって多少汗で汚れていても構わないと言われているのだが、城に来た頃からずっと続けているため朝の習慣となっていた。ある程度綺麗になった左右の胸にカップをはめ、右手に握ったポンプで搾乳を開始する。キュポキュポと音を立てながら瓶の中には牛獣人であるイルムのミルクが溜まっていく。だがなかなか瓶はいっぱいにはならない。城に来た頃は一分もあればすぐにいっぱいになり、むしろ瓶一本分ではまだまだ胸が張った状態だったほど。けれど今では朝に一度搾乳するのがやっとだ。
「はぁ……」
 ため息を吐きながらポンプを握るイルムだが、ミルクの出がよくない理由はとっくに分かっている。けれど改善することが出来ないのだ。
 トントントンと軽くノックされる音がして、すぐさま聞き慣れた声がドアの向こうから聞こえてくる。
「イルムさん、起きてますか?」
「今、搾乳中で手が離せない。入ってくれ」
「こちら本日の着替えです。運動が終わったらまた取りに来てください」
「いつも悪いな」
「いえ、規則ですから」
 モーブルは医療チームに所属しており、毎朝イルムの服を届けてくれる。けれどそれは親切なのではなく、彼の言葉通り『規則』だから。イルムは医療チームから用意されたものしか着ることが出来ないし、食事も同じだ。イルムが第三王子、アルダスのミルク担当として王家に雇われてからというものずっとこの生活は変わらない。イルムは服の代わりにミルクで満たされた瓶を渡し、特殊な洗剤で洗われたシャツに腕を通す。
「王子の体調は?」
「快調、とはいいがたいですが夜会の翌日にしてはいい方かと」
「俺がお役御免になる日も近いかもな」
「……えっと、俺はこれで失礼します」
 モーブルは言葉につまり、そして逃げるように部屋を後にした。人に話すような話題ではなかったか。気分を切り替えるために窓を開け、大きく深呼吸する。だが気持ちは変わらない。口にしたあの言葉は自嘲ではなく紛れもなく本心だ。イルムはアルダスへの想いを自覚してしまった日からずっと、自分が不要になる日を待ち続けている。
 イルムとアルダスの出会いは十五年前に遡る。
 今よりもずっと身体が弱かったアルダスは医師から長く生きることはできないだろうと言われていた。薬も効かず、食事すらろくに食べることは叶わない。一日のほとんどをベッドで寝て過ごす日々。そんなアルダスを救おうと彼の父である国王陛下が頼ったのが牛獣人だった。牛獣人のミルクは非常に栄養価が高いとされ、妙薬とも呼ばれている。しかし牛獣人のミルクが市場に出回ることはない。困った国王陛下は直々に牛獣人の村へと足を運び、ミルクを分けて欲しいと頭を下げた。その時の様子をアルダスはよく覚えている。あの時の彼は国王ではなく、子どものために必死になる父親の姿だった。村長はそんな国王陛下の姿に胸を打たれ、ミルクを分ける約束をしたーーまでは良かったのだが、残念ながらこの村は高齢化が進んでいた。番のいる牛獣人は番か血縁者以外にミルクをあげることは許されず、かといって番のいない牛獣人の多くは初乳すらも出ていない。また発情期を迎えてからやっとミルクの質は安定しだすと言われている。不安定なミルクを王子に飲ませるわけにはいかない。村全体を調べた結果、イルムしか条件に合う者がいなかったのだ。
「イルム、ミルクをお分けしろ」
「はい」
 村長に言われれば断ることもできず、自ら胸を絞ってミルクを出した。皆が見る中で、瓶に向かって勢いよく放たれたそれに恥ずかしさを覚えたが国王陛下は感謝すると何度も頭を下げてくれた。ミルクで満たされた瓶を手に王都へと戻る国王一団を見送り、王子の回復を祈ろうとしたイルムだったが話はそれだけでは終わらなかった。
 イルムのミルクを飲んだ王子の体調はほんの少しだが良くなったらしく、今度はミルクを定期的に分けて欲しいと言い出したのだ。そのために城に住んで欲しいとも。国王が毎月支払うと提示した金額は牛獣人の年収の倍以上に当たる金額で、普段なかなか金を使わない牛獣人達からすれば目が飛び出るような金額だった。
「できればアルダスの体調が落ち着くまで続けて欲しい」
「分かりました」
 ーーこうしてイルムはアルダスのミルク係となった。
 衣食住全てと給与が与えられ、代わりに生活のいくつかを制限されることとなった。イルムは要請があるたびにミルクを出し、一日に何度も搾乳することは当たり前だった。咳き込むアルダスの口に直接乳首をあてがったこともある。短く息をする彼の頭を撫でながらゆっくりとミルクを飲ませ、落ち着くのを待つ。年の差は十二ほどだが、我が子のように感じていた。彼のためなら性欲も我慢できると本気で信じていた。
 けれどアルダスの身体が元気になり、搾乳の回数も減っていくとその気持ちは次第に恋へと変わっていった。笑いかけてくれるのが嬉しくて、彼が年の近い女の子の元へ行く姿に胸を痛めた。アルダスは王子で、イルムは一般人だ。ただのミルク係でしかないくせに何を勘違いしているのか。暗い感情が胸の中で渦を巻くたびに、イルムは排水口にミルクを流した。乳を絞ることでこの感情すらもどこかへ流してしまえるのではないかと思ったのだ。けれどそんなはずがなかった。次第に大きくなる彼への恋心は同時にイルムの劣等感をも刺激し、そして叶うはずのない恋を拗らせていった。
 だがそんな恋、ミルク係を解任されてしまえば自然となくなるはずだと信じていた。だが二つ返事で引き受けたミルク係は今年で十九年目。誰がこんなに長く続くことになると予想できただろうか。国王陛下も数年で終わると思っていたのだろう。最近では顔を合わせる度に申し訳なさそうに視線を逸される。
 なにせ規則の中には『発情抑制剤を使用しないこと』『性的接触を行わないこと』と含まれているのだから。これらはミルクが大きく変化してしまわないために作られた規則だが、これのおかげでイルムの発情期はなかなかに酷いものだ。匂いが漏れ出さないように窓やドアを閉めきって、性欲は全て用意されたおもちゃでしのぐ。獣人用に開発されたそれらは的確に快感を与えてくれるが、繰り返し使っていれば飽きもくる。なにより人肌が恋しくなってくる。イルムはすでに三十を越しているが、この規則をもって城で過ごしているため番だって作れやしない。
 牛獣人のほとんどが十代から二十代前半で番を見つける。若者の割合が少ない村なら余計早く番う。今さら村に帰ったところでイルムの番になってくれる者などいないだろう。番わずに複数人のオメガを抱えるアルファに頼めば発情期の世話くらいはしてくれるだろうが、惨めなものだろう。それでももう何年も叶わぬ恋を続けている今よりもずっとマシだ。
「朝飯でも食うか」
 イルムはボリボリと頭を掻き、無駄な思考を止める。主な業務は搾乳だが、バランスのいい食事を食べるのもまたイルムの重要な仕事である。
 食堂へ向かい、ひょっこりと顔を出せば「イルムさん、今日のご飯出来てますよ~」とトレイに朝食を乗せてくれる。いつも通り野菜とフルーツは多め。他の利用者とは違い、乳製品は一切なく、パンはイルム専用のものを焼いてもらっている。塩味の薄いスープにももう慣れた。きっちり30分かけてゆっくりと朝食を済ませれば、周りの使用人達はすでに仕事へと出かけた後だった。
「ご馳走さま」
 カウンターにトレイを下げ、そして次に向かう場所はトレーニング室だ。騎士達が使う場所を間借りしている。今朝に渡された服のポケットに手を突っ込み、入れられた指示通りにトレーニングを行っていく。こちらも食事同様、バランスよく適度な量に留めなければならないらしい。いつもはイルムの体調とあったメニューが組まれているのだが、今日ばかりは違った。
「あれ、力が入らない……」
 紙に書かれた通りの重りをつけているはずなのに、バーベルを持ち上げることができない。過去に何度も持ち上げている重さで、手にも足にも力が入っているはず。けれど胸に力が入らないのだ。一度バーベルを起き、ミルクを出す時のように力が胸が抜けているようだなんて胸を触った時だった。
「なん、で……」
 あれほど出すのに苦労していたミルクがシャツを濡らしていた。力を入れた反動で溢れたということか。今までこんなことは一度だってなかった。身体に変化が起きているのだろうか。イルムはトレーニングセットを片付けると医療室へと足を向けた。
「イルムが廊下を走るなんて珍しいな」
「アルダス王子! 申し訳ありません」
「怒っているわけではない。何かあったのか?」
「実はミルクが漏れ出しまして」
「ミルクが⁉︎  一大事じゃないか!」
「出たのは少量なので着替えるついでに報告しておこうというくらいで、まだ大事になったわけでは……」
 すでに今朝分のミルクは解析済みだろう。それと合わせ、溢れたミルクが付着したシャツを提出し、最終的な判断は医療チームが下すこととなる。最悪、しばらくミルクの供給をストップせざるを得ない事態になるかもしれないが、まだ確定事項ではない。変に王子を興奮させ、体調を崩したらと思うとさあっと血の気が引いた。ただでさえ彼は本調子ではないのだ。大丈夫ですから、と繰り返し、再び足を医療室に向ける。けれどイルムが逃げる事は叶わなかった。アルダスによって手首をガッチリと掴まれてしまったのだ。
「お、王子?」
「私も行こう。最近発情期でもあっさりとしたミルクが続くことも何か関係あるかもしれないからな」
「……気づいていたんですか」
「私が何年イルムのミルクを飲んでいると思ってるんだ?」
「そう、ですね」
 イルムがアルダスと顔を合わせる機会はここ数年でグッと減っている。彼の体調が良くなり、搾乳の回数が減ったためだ。以前は顔を合わせた際にミルクの感想を彼の口から聞かされることもあったが、最近ではめっきりなくなった。医療チームから週に一度まとめて渡される成分分析表だけが、イルムのミルクを評価する基準だった。
『やや栄養分は落ちているが問題なし』
 その評価に縋り付いてここまできたが、ミルク係ですら満足に果たせなければイルムがこの場所にいる意味すらない。アルダスに手を引かれながら、イルムは結果がどうあれ誰か他の相手にミルク係を譲ろうと考えていた。沈んでいくイルムと心配するアルダス。そんな二人にモーブルはあっけらんかんと結果を告げた。
「発情の一種ですね」
「発情?  だが発情期はまだ十日も先で」
「発情期とは別に、獣人は欲求不満から発情するケースがあります。今回はミルクだけで発情香は出ていないようですが、現状の性欲処理とは別の方法を考えた方がいいかもしれませんね……。張り型のサイズ・形状の変更やオナホール、胸に刺激を与える道具の準備も……」
 後半に行くにつれ、独り言のようになっていく。モーブルは研究熱心な男だ。目の前に王子がいることなど忘れているに違いない。もちろん羞恥で顔を赤く染めるイルムにも。今さらかもしれないが、アルダスに自分の性事情なんて知られたくなかった。
「モーブル、問題がないようなら俺達は」
 帰ってもいいか?  と告げようとして、ズボンに手をかけられる。
「サイズの確認をするから尻を出してくれ」
「今じゃなきゃダメか⁉︎」
「発情期に入る前に新たな物を手配し、自分で使えるようになっておかないとダメだろう」
 スポーツ用のズボンは伸縮性に優れており、モーブルの強い力と相まってズルズルと下に落とされていく。けれどモーブルはともかくとして、アルダスに汚いものを見せるわけにはいかなかった。
「先にアルダス王子を送らせてくれ」
「いや、私なら大丈夫だ」
「王子……」
「今日は時間に余裕があるんだ」
「え?」
「モーブル、よければ私に道具を一式貸してもらえないだろうか?  私のせいで欲求不満になっているのだ。少しくらいは手伝いをしたい」
「いや俺一人でできるので王子の手を煩わせるまでも」
「そういうことでしたら道具はこちらをお使いください」
 イルムの抵抗は二人の耳にはまるで届かず、なかなか見た目がグロテスクなグッズが王子の手に渡ってしまった。高貴なアルダスがそれらを見るのは初めてだったのだろう。イルムの腕ほどの太さのあるディルドを目の前に「リアリティがあるな」と息を飲んでいた。
 本当にするのか?  現実を受け止められずにいるイルムはズボンを引き上げる。そして王子になんてことをさせるのだ!  とモーブルを睨みつけた。けれど彼が気にした様子はない。棚から追加のグッズを取り出し、足元に置くと片手を上げて去って行った。
「じゃあ終わったら声をかけてください」
 あいつは本当に城勤務者か⁉︎  王子への尊敬の念を全く感じないのだが。恨めしそうに閉じられたドアを見つめれば、背中に誰かの体温を感じた。アルダスだ。彼はイルムの身体を反転させると、こうべを垂れるように胸に頭をくっつけた。
「イルムの性欲発散の力になれるように頑張るから」
 アルダスはそう呟くとイルムの尻に手を伸ばす。包み込むような優しさにイルムの力は抜けていく。そして導かれた先のベッドにへたり込んだ。力なんて入らないはずなのに、淫乱な尻はついっと天井に向けて突き出される。アルダスは楽しそうに笑うとゆっくりとズボンと下着を下ろした。完全に剥ぎとられることはなく、いつでも戻せるように膝の辺りで止められる。窓から吹き込む風に足を閉じれば、もぞもぞと触れてくすぐったい。そんな小さな感覚を忘れたくて、大きな快楽で上書きされたくて。うつ伏せになったイルムはおずおずと背後を窺った。
「何がいいんだろう?  聞いておけばよかったな……。ねぇ、イルムは何を使って欲しい?」
 耳のすぐそこで発される声に身体の中の血が凄まじい早さで巡っていくのを感じた。香りが垂れ流されていないだけで発情しているというのは本当のようだ。どれがいいかと様々なおもちゃを見せられる度に喉が大きく揺れた。はぁはぁと息を荒げながら、けれど欲望のままを口にする。
「……おお、きいの」
「大きいのとなると、これかな?  あ、でもこれ入れる前に解さないとか。なにか滑りを良くするものは……」
 アルダスに掘られる日なんてきっともう一生来ないだろう。例えそれが道具を使ったもので、彼からすれば介抱以外の何物でなくとも。イルムの身体は彼を求めるように愛液を垂れ流す。じゅくじゅくと熟れた尻に手を伸ばし、迎え入れるように穴を広げた。
「それくらいなら入るので……奥まで挿れて」
「っ!  イルムはいつもこんなことしてるのか」
「……はい」
 淫乱だと思われても変わらなかった。アルダスは苦虫を噛み殺したような声を出し、けれどもイルムの欲望を叶えるようにずっぽりと遠慮なくそれを奥まで差し込んだ。
「っああ」
 喘ぎ声と共にイルムの胸からはミルクが溢れ出す。しゃあっとお漏らしのように勢いよくベッドへと注がれていく。こんな快感、最後に感じたのはいつだったか。発情期ですら快楽を感じられることはほぼなくなった。なのに一人遊びではなくなっただけで、簡単にそれは訪れる。奥に触れられただけでは満足せず、イルムは自ら腰を振る。
「もっともっと」
「気持ちいいのか」
 快楽を求める姿を目にしたアルダスはそれに答えるかのように手を動かした。
「っああっふぁがっう」
 ゴリゴリと遠慮なく奥を突かれ、イルムは何度となくミルクを漏らしていく。次第にミルクは濃くなり、どろっとしたものへと変わっていった。誰に飲まれることもないそれをイルムはシーツに擦り付けて拭き取ろうとする。
「私に飲ませてくれ」
 耳元で囁かれ、そしてアルダスの指はイルムの胸へと伸びた。快楽を感じるごとに敏感となった乳首は指先で軽く触れられただけでも感じてしまう。電流が流れたように身体がビクッと大きく震えた。ガクガクと震えながらヨダレを垂らすイルムに、アルダスはふふっと嬉しそうに笑いをこぼした。そしてイルムに覆いかぶさると、指先でイルムの乳首を虐める。
「ここが気持ちいいのか」
「あああああああああ」
 喘ぎは叫びへと変わり、そして頭の中は真っ白へと変わる。
「もっと気持ちいいもの、欲しくないか?」
「ほしいほしい」
 何をくれるのかなんて考える余裕なんてなかった。自分の身体から一度彼の身体が離されたことで寂しさを覚えた尻を振り、もっともっとと誘ってみせる。気持ちいい。もっと欲しい。それしか考えられなかった。冷静な判断能力なんて失っていたのだ。背後でベルトが外される音にも気付かず、すぐに尻に差し込まれた何かに再び腰を振った。先ほどよりも太さはないが、不思議と温もりがあり、中ではナニカが吐き出される。
「元気な子を産んでくれ」
 ナニカが腹のなかに出される度、アルダスはよしよしとイルムを撫でてくれる。それが嬉しくて、耳元で囁かれる言葉の意味もわからずにもっともっととねだった。


 ーーけれど欲求不満で起こっていた一時的な発情というのは時間が経てば終わるものだ。


「やっちまった」
 快楽に溺れたイルムは日が暮れた頃に目を覚まし、そしてやらかしに気づいた。自分の身体を包み込んでいたアルダス王子のペニスがずっぽりと尻の穴にささっていたのだ。起こさないようにゆっくりと引き抜けば、イルムの尻からはどろりと白い液体が溢れ出す。濃くなったミルク、なんて言い訳出来るはずがない。どっからどう見ても精液だ。医療行為に慣れているモーブルとは違い、アルダスは発情したオメガを前に我慢できなかったのだろう。アルファの本能だ。モーブルの方がイレギュラーなだけ。そんなことになぜ気付かなかったのか。あの時はっきりと断っておくべきだったのだ。彼の子種はすでにイルムの腹のなかにある。番ではない相手の場合、妊娠率はどれほどになるだろう。妊娠したらどうしよう、なんて生まれてこのかた考えたことがなかった。村にいた頃は子どもを授かれることは嬉しいことだと思っていたし、城に来てから考える機会すらなかったのだ。イルムはベッドの周りに投げ捨てられた衣服を身につけ、アルダスには布団をかけた。そして真っ白な顔のまま隣の部屋に向かうドアを開いた。
「モーブル」
「あ、起きました?」
「ああ随分長い時間占領してすまなかった」
「日が上がってる時刻はこの辺りは立ち入り禁止にして私も別の部屋で仕事していたので大丈夫です」
「そんなに迷惑を……」
「いえ、みんな事情を話したら喜んで移動してくれたので特に迷惑は……」
「喜んで?  よく分からないが後日各方に謝罪に行くとして……それよりモーブルには協力してほしいことがある」
「助産は専門外ですが、今まで通り体調面では協力していくつもりです」
「……気づいていたのか」
 もう何時間も部屋を占拠していたのだ。一度でも部屋を覗かれればおもちゃだけで済んでいないことくらいバレてしまうだろう。やはり王子に頼るべきではなかったのだ。廊下で彼に会わなければ。いや、こんな醜い恋心なんてさっさと捨てられていればこんな過ちを犯さずに済んだのだ。
「むしろ気付かれていないと思っていたんですか?」
「……すまない」
 深く頭を下げて謝罪する。だがイルムには謝る以外にもしなければいけないことがある。それもモーブルに協力してもらわなければいけないことが。
「別に謝られるようなことではないので」
「だから迷惑ついでに頼む!  隣の部屋に残る痕跡を見なかったフリをしてくれ」
「は?」
 頼むならモーブル以外の医療チームがいない今しかない。ミルクが出たと、シーツの成分解析をされたら一発アウトだ。なにせあそこにはアルダスの精子がべったりと付着しているのだから。
「アルダス王子を発情に巻き込んだ罪をなかったことにしたいわけじゃないんだ。罪は償う!  だがアルダス王子は被害者だ。これ以上、彼を苦しめたくない」
「話が見えてこないのですが」
「国王陛下にも謝罪しなければ。俺を信じて王子のミルク係を任せてくださったのに俺は陛下を裏切るような真似を……」
「イルム」
「なんだ」
「同意の上、ではないのか?」
「そんなわけないだろう……」
 真っ直ぐとした目で問いかけるモーブルはまるで同意を取れていて当然だとでも言いたそうだ。けれどイルムとアルダスでは身分が違う。平民と王子では同意を取る取らない以前の問題だ。それにあれはセックスではなく強姦だ。イルムの発情に誘発されてしまった結果である。
「…………やらかしましたね」
「ああ……。俺はシーツを取り替えたあとで湯を浴びる。さすがにこの格好で陛下の前に向かうわけにはいかないからな。着替えを出してくれるか?」
「その前に王子と話し合った方がいいかと」
「王子も俺の顔なんて見たくないだろう。謝罪は後日することにして、今は陛下に話してくる」
「このまま放置はさすがに……」
「起きたらパニックになられるかもしれない。その時は王子を頼む」
 モーブルの両肩に手を置き、深々と頭を下げる。彼は困ったように眉を下げ、そして深いため息を吐いた。それでも彼は渋々ながら頷いてくれた。
「……わかりました。隣の部屋は私がどうにかするのでシャワー浴びてきてください」
 タオルと着替えを押し付けられたイルムはそのままシャワールームへと向かった。尻の中に残る精子を掻き出し、イルムは涙を流した。汗とミルク、そして王子への想いを全て流すように入念に身体を洗うのだった。



 イルムが身体を清めている一方で、アルダスはベッドの上に正座させられていた。身体にはシーツをまとっただけ。イルムに遅れて起きた彼はまどろみの中で幸せに浸りーー隣室から聞こえてきた声に絶望に叩き落とされた。そして追い討ちをかけるようにモーブルは彼に呆れた視線を投げる。
「王子、強姦って言葉知ってますか?」
「……悪かった」
「謝罪する相手は私ではなくイルムなのでは?」
「全くその通りで」
「もうかれこれ十年以上片思いをしているのは知ってますけど、今の私の状況は恋のキューピッドではなく強姦の片棒を担いだ最悪な男です」
「うっ」
「もしこれから王子が好意を伝えたところで、彼のことですから責任感からだと思うでしょうね」
「ぐっ……」
 モーブルはただの雇われ人である。イルムの健康管理とミルク管理を行う役目と共にアルダスの体調管理も行ってきた。そして長年、ヘタレなアルダスの恋心を聞かされてきた。もうとっくに牛獣人のミルクなんて飲まずとも生活できる身体になっているというのに、イルムを手放したくない彼は今もなお朝のミルクを欠かさない。隠すつもりもない恋心には城の誰もが気づいており、国王陛下もそれを認めるほど。年頃のアルダスにいつまで経っても婚約者がいないのはあてがっても無駄だと知っているからだ。むしろさっさとくっついて結婚してしまえとさえ考えている。彼の気持ちを知らぬはイルムだけ。むしろなぜ気付かないのかと不思議に思うほど。
 周りはすでにイルムの気持ちにも気づいており、数年前から祝福する準備などできていた。いつ告白するのかとソワソワとしながら見守っている。けれど当のアルダスはなかなか勇気を出せずにいた。彼がタイミングを窺っているうちにイルムはミルクの出に悩むようになり、最近では部屋でそろそろ代替わりを……と呟くことも増えた。そして今日、彼はその気持ちを他人に打ち明けたーーと。ここまでくればいつ行動に移してもおかしくはない。
 この状態で今まで通りでいられるはずがない。モーブルは医療ルームに戻ると同僚達と話し合い、頭を抱えた。そして直後にやってきたミルクが溢れ出すという小さな幸運に心の中でガッツポーズをした。この機会を逃すわけにはいかない。そう確信し、二人の仲を取り持つべく、やや強引ではあるものの背中を押したというのにーー結果がこれだ。
 モーブルは呆れた目で王子に「どうするんですか?」と問いかける。この後は国王陛下の元に向かうと言っていたため、それまでは変な行動には出ないと思う。だがイルムは責任感の強い獣人なのだ。普通の獣人ならば薬を使わず、誰とも交わらずに発情期を何度もやり過ごすなんて不可能だ。しかも性欲が盛んな時期に。いくら規則とはいえ、普通じゃない。
 アルダスはモーブルの言葉に縮こまり、そして何かを決心したように立ち上がるとそのまま部屋を後にした。
「お、王子?」
「イルム、愛している!  結婚しよう」
「一度交わったくらいで結婚なんて……」
「なら二度でも三度でも交わろう」
「ええ⁉︎」
「イルムは俺のこと、愛していないのか?」
「そんなことは……」
「俺との子ども、欲しくないか?」
「……ほ、欲しい、ですけど……」
「なら何も気にすることはないな!」
「いやでも身分が……って王子⁉︎  っっっくぁああん」
 シャワールームに乱入したアルダスがイルムを納得させるために第何ラウンドかに突入したらしい。生々しい音を耳にしたモーブルは頭を抱え、部屋を後にした。
「あの人、兄弟の中で一番頭がいいはずなんだけどな……」
 国一の天才と呼ばれる男は今や盛りがついた獣のようだ。なぜイルムのこととなるとあんなに馬鹿になるのか。これが十年近く我慢させられた結果というのだろうか。むしろ幼少期にイルムを襲わなかったことを褒めるべきなのかとそこまで考えて、モーブルは考えることをやめた。とりあえず国王陛下に連絡に行こう。細かいことは彼がどうにかしてくれるはずだ。一介の医者には判断のつけようがない。
 それから医療ルームが占拠されていた数日間。様子見兼食事係に任命されたモーブルは一日三回、部屋の隙間から食事のトレイを滑り込ませた。初めの数回こそ手がつけられていなかったが、動き続けていれば腹が減るのか空っぽの皿が置かれるまでさほど時間はかからなかった。


「それで二人の様子は?」
「今日はイルムが甲斐甲斐しく授乳してました」
「そうか……」
「昨日は自ら上になってたくらいですし、心配はいらないと思いますよ」
「だがイルムのことだ、義務感からなんて……」
「義務感で喘ぎながら王子の子どもが欲しいと口にしていたとしたら……それはそれでもういいんじゃないですか?」
「……それもそうか」
「それで先日話した子育ての件なのですが」
 そしてモーブルと国王陛下が二人の子どもについての養育方針をまとめた頃、ようやく二人は部屋から出てきた。アルダスは心底幸せそうにイルムの腰を抱き、イルムは膨らんだ腹を優しく撫でていた。数日間で愛を育んだらしい。牛獣人の村から送ってもらった出産と子育ての資料を抱えながら、モーブルはようやく部屋が使えるとホッと胸をなでおろした。
 それからすっかりタガが外れた王子はイルムの側をピタリと離れなくなり、場所を問わずにミルクを飲み始めるようになった。イルムは恥ずかしそうに顔を赤らめるが、日々『イルムの雄っぱいに吸い付きたい……』とこぼしていた王子を見慣れていた使用人達からすればとても微笑ましい光景であった。
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