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唐突に要から呼び出され、急いで駆けつけると机の上にはナポリタンにサラダ、そしてスープが用意されていた。ナポリタンとスープの皿からは湯気が上がっていて出来たばかりなのだと容易に想像がつく。
今まで誰か居たのだろうか?
俺に連絡があったのが20分前。
バイトで「もう上がっていいよ」と早めの終わりを伝えられたのが30分前。狭いバックヤードへと戻り、簡単に制汗シートでにじんだ汗を拭いて、替えの服に着替えた時、マナーモードにしたままだった携帯が震えた。通知の欄を見ると彼の名前が映されていた。
空の件名とすぐ来てとたった四文字で構成された本文。わかったと慣れた手つきで打ち込んで返信をした。それですぐに来たわけだが、俺は今の状況を理解できずにいる。
リビングに入って突っ立っている俺要は「座って」と声をかける。俺はとりあえず食べ物が置いてある方の椅子とは逆の椅子へと向かい、腰を下ろすと向かいに立つ要によって食器は全て俺の方へと向けられた。
「えっと……これは?」
「え? ああ、ええっと……これがナポリタンで、こっちがオニオンスープ、でこれがシーザーサラダ」
なんのために用意されたのかと聞きたかったのだが、要は俺でも知っている食品名をサラサラと答えて向かいの椅子にかけた。
「えっと……ね。これ、全部俺が作ったんだ」
沈黙に耐えかねたであろう要がそう呟いた。静寂に満ちたこの部屋では小さな声でも簡単に耳に届く。
「……そうか」
少し遅れて頭では思考回路が動き出す。
これらは要が作った。
俺に連絡が来たのは30分前。
料理は湯気が上がっている。
少し前から食器棚に仲間入りした食器。
全てが繋がった。
ようは俺はこの料理を片付けるために呼ばれたのだ。要が誰かのために作った、けれど何かしらの理由で食べられなかったそれを。
だから「すぐ来て」だったのだ。
少しでも浮かれた自分が恥ずかしい。
「食べて、いいのか?」
恥ずかしさを隠すために尋ねると嬉しそうに「うん」と返事をして笑った。
どうやら俺の考えは正しかったらしい。用意されたフォークでサラダをつついて食べ出すとその顔はほころんで行く。会話のない空間でシャキシャキと新鮮な野菜を噛む音だけが響く。
少し前までは他の誰かのものだった目の前の食品たちを食べて行くのはとても申し訳ない。お前のものではないのだと責められているような気さえして居心地が悪い。早くここから去ろうとフォークを持つ手はせわしなく動く。幸い仕事終わりで腹は減っていた。無理に詰めても俺の腹が限界を叫ぶことはない。
空になったサラダボウルを退けてナポリタンの皿にフォークを差し込んで回す。巻きつけては口の中に入れる。俺が家で食べているような長期保存が可能であることが売りの乾麺とも、冷蔵庫の余り物の野菜とケチャップを混ぜ込んだソースとも比べものにならないほど美味しい。材料が全く違うのだろう。食べ慣れているナポリタンが初めてこんなに美味しいものだと知り、味わいたくなった。だが自分を戒める。これは俺のためのものじゃない。俺は片付け係だ。
目の前で微笑む要はどんどんなくなっていく食事を未だに嬉しそうに眺めている。彼は眺めているだけで何も口にはしていない。それが何よりの証拠だ。彼は自分では食べられないから都合のいい俺を呼んだのだ。
再びフォークに麺を絡め、口に入れる。今度は味なんてろくにしなかった。ただ麺状であるそれを咀嚼し、胃の中に入れるという作業をただひたすらに繰り返す。
最後に冷めたスープで流し込めば終わりだ。もちろんこれも味なんかしない。カルキ臭い水道水の方が味を感じるような気がした。
「ごちそうさま」
食器を置いて、手を合わせる。
要は空になった皿を見て「全部食べてくれたんだね」と今までで一番嬉しそうに笑った。
随分後片付けが楽になったことだろう。彼だってせっかく作った食事を無駄にはしたくないはずだ。片付け係でも一役買えたことに嬉しくなる。全く味のしないもので満たされた腹も彼の極上の笑顔が観れたのなら報われるというものだ。
「じゃあ」
役目を終えた俺はその場を去ろうと椅子を引く。すると要の表情は一気に曇った。けれどそれは見間違いであったらしく、一度隣の部屋へと姿を消した要が茶封筒片手に戻って来た時にはまたいつもの顔に戻っていた。
「これ、今日の……」
要は俺にいつも通り金を渡そうとした。だが俺はそれを「いらない」と突っぱねた。
すると今度こそ要の表情がハッキリと曇る。まさに曇天だ。
その表情になんだか悪いことをした気分になる。
「今日は……その、ご飯食わせてもらっただろう? だから、そのお礼をするのは俺の方で……」
慌てて理由をこねくり回す。だが出た答えはなんとも滑稽だった。
「お礼って言っても大したことはできないんだが……今日と今度呼ぶときは金いらないから」
「え、でも……」
「じゃあな」
代金は身体で、なんて使い古された文句を吐くのが恥ずかしい。赤くなった顔を見られる前にリュックを背負い、逃げるようにしてその場を後にした。
今まで誰か居たのだろうか?
俺に連絡があったのが20分前。
バイトで「もう上がっていいよ」と早めの終わりを伝えられたのが30分前。狭いバックヤードへと戻り、簡単に制汗シートでにじんだ汗を拭いて、替えの服に着替えた時、マナーモードにしたままだった携帯が震えた。通知の欄を見ると彼の名前が映されていた。
空の件名とすぐ来てとたった四文字で構成された本文。わかったと慣れた手つきで打ち込んで返信をした。それですぐに来たわけだが、俺は今の状況を理解できずにいる。
リビングに入って突っ立っている俺要は「座って」と声をかける。俺はとりあえず食べ物が置いてある方の椅子とは逆の椅子へと向かい、腰を下ろすと向かいに立つ要によって食器は全て俺の方へと向けられた。
「えっと……これは?」
「え? ああ、ええっと……これがナポリタンで、こっちがオニオンスープ、でこれがシーザーサラダ」
なんのために用意されたのかと聞きたかったのだが、要は俺でも知っている食品名をサラサラと答えて向かいの椅子にかけた。
「えっと……ね。これ、全部俺が作ったんだ」
沈黙に耐えかねたであろう要がそう呟いた。静寂に満ちたこの部屋では小さな声でも簡単に耳に届く。
「……そうか」
少し遅れて頭では思考回路が動き出す。
これらは要が作った。
俺に連絡が来たのは30分前。
料理は湯気が上がっている。
少し前から食器棚に仲間入りした食器。
全てが繋がった。
ようは俺はこの料理を片付けるために呼ばれたのだ。要が誰かのために作った、けれど何かしらの理由で食べられなかったそれを。
だから「すぐ来て」だったのだ。
少しでも浮かれた自分が恥ずかしい。
「食べて、いいのか?」
恥ずかしさを隠すために尋ねると嬉しそうに「うん」と返事をして笑った。
どうやら俺の考えは正しかったらしい。用意されたフォークでサラダをつついて食べ出すとその顔はほころんで行く。会話のない空間でシャキシャキと新鮮な野菜を噛む音だけが響く。
少し前までは他の誰かのものだった目の前の食品たちを食べて行くのはとても申し訳ない。お前のものではないのだと責められているような気さえして居心地が悪い。早くここから去ろうとフォークを持つ手はせわしなく動く。幸い仕事終わりで腹は減っていた。無理に詰めても俺の腹が限界を叫ぶことはない。
空になったサラダボウルを退けてナポリタンの皿にフォークを差し込んで回す。巻きつけては口の中に入れる。俺が家で食べているような長期保存が可能であることが売りの乾麺とも、冷蔵庫の余り物の野菜とケチャップを混ぜ込んだソースとも比べものにならないほど美味しい。材料が全く違うのだろう。食べ慣れているナポリタンが初めてこんなに美味しいものだと知り、味わいたくなった。だが自分を戒める。これは俺のためのものじゃない。俺は片付け係だ。
目の前で微笑む要はどんどんなくなっていく食事を未だに嬉しそうに眺めている。彼は眺めているだけで何も口にはしていない。それが何よりの証拠だ。彼は自分では食べられないから都合のいい俺を呼んだのだ。
再びフォークに麺を絡め、口に入れる。今度は味なんてろくにしなかった。ただ麺状であるそれを咀嚼し、胃の中に入れるという作業をただひたすらに繰り返す。
最後に冷めたスープで流し込めば終わりだ。もちろんこれも味なんかしない。カルキ臭い水道水の方が味を感じるような気がした。
「ごちそうさま」
食器を置いて、手を合わせる。
要は空になった皿を見て「全部食べてくれたんだね」と今までで一番嬉しそうに笑った。
随分後片付けが楽になったことだろう。彼だってせっかく作った食事を無駄にはしたくないはずだ。片付け係でも一役買えたことに嬉しくなる。全く味のしないもので満たされた腹も彼の極上の笑顔が観れたのなら報われるというものだ。
「じゃあ」
役目を終えた俺はその場を去ろうと椅子を引く。すると要の表情は一気に曇った。けれどそれは見間違いであったらしく、一度隣の部屋へと姿を消した要が茶封筒片手に戻って来た時にはまたいつもの顔に戻っていた。
「これ、今日の……」
要は俺にいつも通り金を渡そうとした。だが俺はそれを「いらない」と突っぱねた。
すると今度こそ要の表情がハッキリと曇る。まさに曇天だ。
その表情になんだか悪いことをした気分になる。
「今日は……その、ご飯食わせてもらっただろう? だから、そのお礼をするのは俺の方で……」
慌てて理由をこねくり回す。だが出た答えはなんとも滑稽だった。
「お礼って言っても大したことはできないんだが……今日と今度呼ぶときは金いらないから」
「え、でも……」
「じゃあな」
代金は身体で、なんて使い古された文句を吐くのが恥ずかしい。赤くなった顔を見られる前にリュックを背負い、逃げるようにしてその場を後にした。
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